2.戦場の番犬は優しい
「ヒャハハハ! てめえら全員血祭りに上げてやらぁ!」
私がこの砦に来て早一週間。今日も今日とてラドルファス様は狂気的な笑い声と共に魔物達を惨殺している。
およそ善良でまともな人間とは到底思えぬ所業である。
しかし。
それはここに来て二日目。
昨夜のお礼と謝罪をした後──彼は「ふん、次からは気ぃ付けろよ!」とぶっきらぼうに言っていた──別に刑に処された訳でもなく、自主的に砦の周りの草むしりをしていた時の事だった。
雑草に埋もれるように、何かが地面に真っ直ぐに突き刺さっていた。
近くで見てみると、それは剣だった。
ラドルファス様が使っている大剣のような両手で振るうタイプではなく、刺突用の細身の片手剣、いわゆるレイピアであった。
かつてこの砦にいた他の番犬の誰かが使っていた物だろうか。
戦っている最中に弾き飛ばされたのだろうか。いや、それならばもっと斜めに突き刺さっていても良さそうなものである。
暫し考え、やがてハッとした。
これは多分、お墓なのだ。
この地で亡くなったという、かつての番犬仲間の。
人食いの魔物に殺されたのだから、遺体は回収出来ず、この地面の下には何も埋まっていないのかもしれない。
だからこそ、形見である愛剣を墓標代わりにしたのではなかろうか。
共に過ごした時間は短くとも、その死を悼み、供養してあげられるだけの慈悲深さがラドルファス様にはあるのだ。
彼は粗暴だし口も悪いけれど、決して悪人ではないのだと改めて確信する。
こびりついた錆や刃こぼれは流石にどうにもならなかったけれど、私は出来る限りお墓を綺麗に掃除してあげた。
そして野花を摘んでお供えし、安らかな眠りを祈ってからその場を後にした。
その後も。
「あんたの細腕じゃ薪割りなんざいつまで経ったって終わりゃしねーよ! その斧貸せ! 俺がやる! 主人の命令だ!!」
優しい。
「洗濯物が木に引っ掛かっただぁ!? ハッ、ひょろいあんたが木登りなんざしたところで落ちて大怪我するだけに決まってんだろ! 俺が代わりに取ってきてやるからあんたは黙ってそこで見てな!」
優しい。
「あぁ!? 料理中に手を火傷したぁ!? ったくドジな奴だな。おら、薬塗ってやるから手ぇ見せろ!」
優しい。
……恐らく、彼は素直じゃないと言うか意地っ張りと言うか照れ屋と言うか──いわゆるツンデレと呼ばれる類の人間なのだろう。
何とも生き辛そうな御仁である。
だがそんな主人を支えるのもまた使用人の務めであろう。
これからは彼の言葉の裏にあるものを常に汲み取りながら接していこうと思う。
──まあそれはそれとして、だ。
彼と二人きりの生活というのは初めは結構抵抗があった。
いくら彼が根は良い人であろうとも、狼の異名を持つ彼がオオカミに変貌しない保証はどこにも無いのである。
そりゃあ私の髪は地味で目立たない薄い灰色だし、体型は良くも悪くも平均的で個性がない。
それでもこの紫の瞳に関してだけはとても綺麗で印象的だと級友たちは言ってくれていたのだ(他に褒められる所が無いとも言うが)、一切女性として見られないという事はないはずである。多分。
しかしそんな私の不安は杞憂に終わった。
彼はとにかく戦闘と食べる事にしか興味がない。
色欲というものにまるで興味を示さないのである。
だが彼いわく、どうやらそういう訳でもないらしい。
「別に女に興味ねー訳じゃねーよ」
「じゃあどういう女性が好みなんですか?」
「強い女」
「それはつまり、恐妻の尻に敷かれたいという願望とご趣味をお持ちと……」
「ちげーよ馬鹿。──いいか? 俺も相手の女も強けりゃよ、どんな環境でも生きていける強いガキが生まれてくるだろうが」
成る程、前々から野生的な御仁だとは思っていたが、将来設計まで弱肉強食を前提に考えていたとは。
それならば私のような非戦闘員は眼中に無くて当然である。
「出来れば俺と肩を並べられるくらい強い奴がいいな。んでもって戦場でも相棒として一緒に戦ってほしいもんだ」
……その条件はなかなかに難しい気がする。
この化け物じみた実力を持つ彼と同等の力を持つ冒険者なんて、男性ですらそうそういないと思われる。
「それにしても、強い女性、ですか……。私には冒険者としての才能が無かったので、戦える女性ってなんか憧れちゃうんですよね……」
冒険者という職に憧れを持つ者は少なくない。
命の危険を伴うし、収入だって安定しない。にもかかわらず常に一定の人気があるのは何故か。
答えは簡単、冒険はロマンだからだ。
未知への探究心を満たす為ならば、危険など顧みない。
そう考える人種が世の中には一定数いるのだ。私も含めて。
しかし一ヶ所に留まり続けねばならぬ番犬にはロマンも自由もありはしない。不人気職と化すのも致し方なき事であろう。
「もし私が少しでも戦闘面でお役に立てていたなら、ラドルファス様のご負担をほんのちょっとくらいは減らして差し上げられたんですけど……」
「──ハッ、無い物ねだりなんざしたって意味ねーだろーが。あんたみてーな弱っちい足手まといはな、強い奴の陰で縮こまってりゃあいいんだよ。使用人は使用人らしく砦の中だけ守ってな!」
──まるで弱者を見下げているかのような言い方だが、要は『強い者は弱い者を守るものなのだから気にするな、あんたは自分の職務を全うしていればいい』と言ってくれているのである。やだイケメン。
また、こんな事もあった。
砦入り口の直近の部屋は一般家庭で言うところのリビングのようになっており、暖炉やテーブル、小型のソファー等が置かれている。またそのすぐ隣の部屋は厨房になっている。
番犬達にはそれぞれ自室が与えられているのだが、ラドルファス様は普段リビングで過ごしている事が多く、自室は寝る時にしか使用していない。
──そもそもの話、彼は基本的に戦闘や訓練や見回りの為に野外に出ている事が多いので、砦内にいる事自体が少ないのだが……。
また、私も空き部屋の一つを借りており、食事は自室で摂っている。
すると。
「……なあ、なんであんたいつも自分の部屋でメシ食ってんだ?」
「え? それはまあ、私は使用人なのでご主人様とは別々に食事を摂りませんと……」
私はいつもラドルファス様の食事後、一通り片付けが終わった後に自室で食事をしている。
「あぁ? 別にお貴族サマじゃねーんだからよ、んなもんいちいち気にする必要ねーだろうが。それとも何か、俺と一緒じゃ食欲が失せるとでも言いてーのかよ!?」
「い、いえ! 決してそのような事は……!」
血の色に染まった彼の目にギロリと射抜かれるとやはり怖い。つい竦み上がってしまう。
「んじゃ、これからメシは俺の向かいの席で食うようにしろ。いいな?」
「え、ええ……っ!?」
「急ぎの用がある時にあんたが近くにいねーと俺が困るんだよ! これは主としての命令だ、わかったな!?」
「は、はあ……」
──彼が私に急用を頼む事などほぼない。
むしろ厨房から自室へ移動する手間が無くなり、それゆえに食事が冷めなくて済む等、私への利点しかないのである。
このご主人様、やはり優しい。
──ただ、もしかしたら……あくまでもしかしたらだけれど。
一人で食事をするのが寂しいから、というのもあるのかもしれない。
他の番犬達がいなくなった後、彼はたった一人でこの砦を守ってきたのだ。
例えこの地で命を落としたとしても、誰にも悲しんでもらえない。
誰にも気付いてもらえない。
彼のお墓を作ってくれる者は、もういない。
そんな孤独な戦いの日々を送ってきた彼だからこそ、今まで人恋しくて仕方がなかったのかもしれない。
──出来る限り、彼の傍にいてあげたいと思った。