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15.番外編③

 精霊であるアルベルトには、恋という概念がない。


 精霊は繁殖の必要がなく、ゆえに無性別である為、それに付随する感情も存在しないのである。


 しかしその分、彼は友情というものをとても大事にしていた。


 砦で暮らす仲間達の幸せを心の底から願っている。


 特に恋仲であるラドルファスとセリアにはさらに仲を深めてもらいたい。

 なんなら二人がいずれ結婚し、子供や孫、さらにその子孫に恵まれたならば末代まで見守っていきたいとすら思っている。


 アルベルトはわりと友愛重めの精霊なのである。要はお節介焼きなのだ。


 セリアはアルベルトの姿が見えないし、声も聞こえない。しかしそれでも淡い光の球としてならうっすらと視認出来るらしい。

 本来、精霊の姿は人間には一切見えないはずである。恐らくこれはラドルファスと召喚獣の契約をした事による副次的な効果なのだろう。


 アルベルトがいる事に気が付くと、彼女はいつも「あ、おはようございますアルベルト様!」と元気に挨拶をしてくれるし、戦闘から帰ってきた際には「お疲れ様です! いつも皆さんのサポートありがとうございます!」と労ってくれる。

 また、彼女はラドルファスに剣の手入れの仕方を教わり、よくアルベルトの依り代であるレイピアを手入れしてくれている。


 彼女にならば安心してラドルファスを任せられる! と後方保護者面している今日この頃のアルベルトは、自分が他の召喚獣達の相手をしてやるなどして、何としてでも彼らが二人きりになれる時間を確保しようと、日々画策しているのである。


 そしてこの日、アルベルトとラドルファスは砦の屋上部分で月を眺めながら一杯やっていた。


 ラドルファスは普段、めったに酒を飲まない。

 それは今まで砦の守り手がたった一人しかいなかった為であり、酔っぱらっている間に敵の襲撃に遭おうものならひとたまりもないからである。


 しかし今は召喚獣達がいる。

 彼らは戦闘を繰り返す度にどんどん強くなっていっており、彼らのおかげで人手に随分と余裕が出来た。

 ゆえに二人はたまにこうして酔い過ぎない程度にちびちびと酒を啜りながら語り合っているのである。


 勿論、精霊であるアルベルトは実際には飲み食いをする事が出来ない。しかし万物には大なり小なり魔力が宿っており、精霊は供物として捧げられた飲食物に宿る魔力を摂取する事が出来る。そしてその際に味も伝達される。

 魔力を摂取しているだけなので本来酔う事はないのだが、生前の酒を飲んでいた頃の記憶ゆえなのか、酒の魔力を得ると何となくほろ酔い気分になる。要は雰囲気だけで酔えるタイプなのである。


 たわいない会話をぽつりぽつりと続けた後、アルベルトは何の脈絡も無しに、突然こんな事を提案してきた。


『ねえラドルファス、今度セリアちゃんとデートしてきなよ』



※※※



 今、私とラドルファス様は市街地の中心部に向かう馬車に揺られている。


 私はいつもアルベルト様の言葉をラドルファス様やロアに通訳してもらっているのだが、アルベルト様は先日、私がこの砦に来て丁度一年となる記念日に二人でデートに行くよう勧めてきたそうだ。


 彼はとにかく私とラドルファス様の仲を気遣ってくれており、常に何かしらを目論んで……もとい計画してくれている。


 よく物語等でじれったい男女の外堀を埋めて半ば強引にくっつけようとしてくる友人キャラがいるけれど、彼の場合、既にくっついている二人の外堀を埋めるどころか掘りまくって周囲の足場を崩し、より一層密着させようとしてくるタイプである。


 アルベルト様の気遣いは時にお節介と化して私達を困らせる事もあるけれど、少なくとも今回のデートの提案に関してはとても感謝している。


 だって、この砦の守り手がまだラドルファス様しかいなかった頃は、彼と二人きりでお出掛けなんてまず出来ないと思っていたから……。


 今、砦はアルベルト様と召喚獣達が守護している。

 精霊は召喚主及び、その召喚主と契約を結んだ存在に対してはある程度干渉する事が出来るらしく、留守番中の召喚獣達は皆、アルベルト様に強化魔法を掛けてもらっている。

 砦の番犬代理として戦い続けてきた召喚獣達は、今や随分と強くなった。それに加えて精霊様のご加護があるのだ、安心して留守を任せられるというものである。

 それにいざという時はアルベルト様が念話(テレパシー)で危機を知らせてくれる手筈になっている。

 精霊は契約した人間が例えどんなに遠くにいたとしても、自身の“声”を届ける事が出来るのだという。やはり精霊の使う魔法というのは人間の使う魔法よりもずっと高度で特殊なものであるらしい。


 また、行きは乗り合い馬車を利用しているが、帰りはフォルティスの背に乗せてもらう予定である。


 召喚主は召喚獣をいつでも自分の元に喚び出す事が出来る。

 ゆえにフォルティスには、昼間は皆と一緒に砦の防衛に務めてもらい、魔境の魔物達が現れにくくなる夕方頃にこちらへと来てもらう。


 この砦に来た頃に比べ、フォルティスは見違える程立派になった。

 一般的なトライホーンと同じくらいの体格になり、傷だらけだった翡翠色の鱗はまるで本物の宝石のようにきらめいている。大人になるまでが早い竜種なのか、はたまた名前通りの『強い』存在になったからなのか……。


 それに何だか顔つきも凛々しくなった気がする。ドラゴン界隈ではモテるのではなかろうか。


 ちなみにドラゴンは“完全なる生物”と呼ばれており、性別においても雌雄同体である。

 繁殖期になると二頭が決闘し、勝った側がオス、負けた側がメスとして卵を産むのだとか。弱肉強食至上主義種族の生態ってこわい。


 ともあれ、砦の仲間達のおかげで今日はめいっぱいラドルファス様とのデートを楽しめそうである。


「今日は一日楽しみましょうね、ラドルファス様!」


「ああ、そうだな。……あー、ところでよ……」


「? なんでしょうか、ラドルファス様」


 すると彼は少しむすっとしたような、照れ臭そうな表情を浮かべ、言う。


「その『ラドルファス様』っての、そろそろやめにしねーか?」


「……え?」


 思わぬ言葉に一瞬きょとんとしてしまう。


「いくら主従関係っつってもよ、俺達は……こ、恋人同士なんだからよ! いつまでも様付けで呼んでるのはおかしいんじゃねーの??」


 言いながら、ラドルファス様は赤みを帯びた頬を隠すように馬車の窓へと顔を背けてしまった。


 ──私は番犬の皆さんに仕える使用人(メイド)である。

 それゆえに今までラドルファス様やアルベルト様、それにテオ様の事は『様』を付けてお呼びしてきた。


 だが確かに、お付き合いを始めてからしばらく経つし、そろそろごく普通の平民カップルと同じように呼び捨てやら愛称やらで呼び合っても良いのかもしれない。


 しかし『ラドルファス様』呼びにすっかり慣れ切ってしまった今、急に呼び捨てに変えるというのもそれはそれで難しい。つい癖で様付けしてしまいそうだ。

 ならば愛称が良いだろうか。

 そこでふと、ある愛称が思い浮かんだ。


「では……『ラディ』、とお呼びしても良いでしょうか?」


 前にラドルファス様から聞いた事があった。

 彼は幼い頃、お兄様達から『ラディ』という愛称で呼ばれていた、と。


 彼の家族だけが呼んでいたその名を、叶うならば私にも呼ばせてもらいたい。


 少々面食らったラドルファス様が一瞬こちらに顔を向けたが、「俺はもうガキじゃねーってのに……ま、あんたがいいならいいけどよ」と、再び顔を背けてしまった。ちらりと見えたその顔は、先程よりもさらに赤く染まっているようだった。


 ……照れてはいるけれど、別に嫌な訳ではないみたい。


 彼のそんな様子がまた可愛くて、クスリと笑みがこぼれた──……。



 こうして馬車を乗り継ぎながら、私とラドルファス様──ラディは、市街地の中心部へと到着した。


 私の実家は中心部から少し離れた所にあり、また普段はギルドやその周辺で買い物をするだけなので、この辺りは行った事の無い店や通りがいっぱいある。行ってみたい所も沢山ある。


「まずは劇を観に行くんだったな」


「はい、こちらの通りをまっすぐ行ったところにあるようです」


 私は愛用の肩掛け鞄から一枚のチラシを取り出し、地図を確認しながら答えた。


 それはとある劇団の告知のチラシであった。


 先日ギルドに行った際、劇団員の一人が道行く人々に配っていたのである。

 比較的小さな劇団であり、旅をしながら様々な国で公演しているのだという。丁度デートの日が公演最終日であった為、折角ならば観に行ってみようという話になったのだ。


 歩道を歩き出そうとした時、すぐ横の車道を魔動車(クルマ)が通過していった。

 この大通りは魔動車や馬車が頻繁に通る。速度はそれ程速くない。けれど。


「やっぱ街ってのは危ねーよなぁ」


 ──うん、ですよね。

 心配性で過保護なラディが何も言わない訳がないよね……!


「危ねーから……ほらよ」


 そう言って少々ぎこちなく、彼はその大きな手を私に差し出してきた。


 ……砦にいる間は、“二人で一緒に歩く”という事がなかった。

 ゆえに膝枕やハグをする間柄であるにもかかわらず、恋人同士にとって当たり前の行動であるはずの“手を繋ぐ”という行為を、私達はこれまでした事がなかった。


 たったこれだけの事でも凄く新鮮な気分だし、凄く──嬉しい。


「……はい。ありがとうございます、ラディ」


 彼の手にそっと自分の手を乗せた。


 普段大剣を握っているラディの手はゴツゴツとしていて無骨である。

 けれども私を傷付けぬよう、優しく包み込むように握ってくれている。守られているようで、何だか安心する。

 その上さりげなく車道側を歩いてくれている紳士っぷりである。

 過保護だからと言えばそれまでだが、こういうささやかな心配りが乙女としてはやはり嬉しいのである。


 しばらく進むと、大きな交差点に出た。

 すると目につきやすい所にいくつも『事故多し』やら『飛び出し注意』やらの看板が立っているのが目に入った。どうやらこの交差点では事故が頻繁に起きているらしい。

 私の手を握るラディの手がキュッと強まった。ラディの過保護レベルが上がった。


 と、前を歩く女性二人が何やら看板を指差しながら話をしている。


「ここさ、事故多いじゃん?」


「あー、確かによく事故の話聞くわ。大抵は軽傷で済んでるみたいだけど」


「そうそうー。でね、一年くらい前にも事故があってさ、アタシたまたまその事故に居合わせちゃってさー」


「え、マジ!?」


「うんマジ。魔動車の前に子供が急に飛び出してきてさ、それを助けようとした男の人が轢かれちゃったんだよね。二人とも命に別状は無かったんだけど、男の人のほうはしばらく入院になっちゃってさー」


「やだー、お気の毒ー。でも二人とも無事で良かったね」


「ねー」


 本当に、子供も男性も無事で何よりである。

 どこのどなたかは存じ上げないけれど、その身を呈して子供を庇うとは見上げた御仁である。


 それにしても一年前か。

 丁度一年前の今日は私が砦の使用人になった日であり、その少し前にアルベルト様が(人間として)お亡くなりになり、テオ様は砦を去ったのだった。


「しかもその男の人、どっかの砦の番犬だったみたい」


 私とラディが配属された砦以外にも砦はいくつかある為、きっとその中のどこかに勤める番犬だったのだろう。

 番犬がラディ一人だけのうちの砦とは違い、番犬が複数人いるであろう他の砦では交代で街に買い出しに行ったり遊びに行ったりする事だって出来るのだろうし。


「たまたま近くを通りかかった自警団の人がすぐに駆けつけてくれてさ。アタシも少しだけ介抱を手伝ったんだけど、男の人は意識が混濁しててさー。呼びかけても『ギルド……行かないと……』とか、『おれのせいで……』とか、他にもよくわからない事をうわ言みたいに呟いてた」


(……ん?)


「へー、そんな状態でよくその人が番犬だってわかったね」


「ギルドの登録証を持ってたから身元はすぐにわかったんだ」


 ギルドの登録証の表面には名前だけでなく、その人のランクや現在請け負っている依頼内容が印字されている。ランクと依頼内容には魔力で出来たインクが使われており、何度でも上書きが可能となっている。


「名前は確か……レオだかセオだかだったような……?」


(……んんー!?)


 ラディをちらりと横目で見れば、彼もまたこちらに目を向けていた。……どうやら考える事は同じであるようだ。


「あの、今の話って……」


「ああ、テオで間違いないだろうな……」


 小声でぼそぼそと話す私達には気付かず、前方の女性二人の話題は次第にたわいない日常会話へと移行していった。


 テオ様は私が砦で働き出した少し後くらいに退職の手続きをしにギルドにいらっしゃったという。

 砦を離れてから三週間以上も掛かっていた事から何かあったのだろうとは思っていたが、まさか交通事故に遭っていたとは……。


(子供を助ける為に命懸けの行動に出るだなんて、根は勇敢なお方だったのかもしれないな……)


 テオ様は気が弱く、臆病であったと聞く。

 番犬の任を降りたのも自身が魔物に殺されるかもしれぬ事への恐怖からだと思っていたが、ひょっとしたらそれは誤りだったのかもしれない。


 彼が番犬を辞めた本当の理由は、仲間を死なせてしまった自責の念に耐えられなかったからではないだろうか。

 何しろアルベルト様はテオ様を庇って亡くなっているのだ、その心の傷は計り知れない。

 もしかしたら他者に救ってもらった命だからこそ、他者を救う為に使いたいと考えたのかもしれない……。


「テオ様、いつかまた砦に立ち寄ってくださると良いですね。そうしたらアルベルト様の事もお伝え出来るのに……」


「ああ、そうだな……」


 人の身体は失ってしまったものの、アルベルト様は今、精霊として元気に過ごしていらっしゃる。とても元気に過ごしていらっしゃる。

 その事を知ればきっと、テオ様の自責の念は幾分か晴れるだろうから……。



 劇場に辿り着き、早速チケットを購入する。午前の部は既に上演中である為、私達が観るのは午後の部である。

 小さな劇場ゆえ既に席はほとんど埋まっていたが、最前列の左端の二席だけが丁度隣り合った状態で空いていた。

 最前列というのは人気のイメージがあるが、恐らくこの劇場では端のほうは角度的に見にくい位置になるのだろう。多少演者から距離が離れたとしても後列からステージ全体を見渡したいという事なのかもしれない。


 まだ午後の部の開演まで時間がたっぷりとある為、それまで軽食の食べ歩きをしようという話になった。

 揚げたジャガイモや焼いたソーセージなど、出店で美味しそうな物を見つけては購入し、舌鼓を打つ。


 この街には美味しい物が沢山ある。

 しかしラディはそれらを味わう事なく砦の番犬となった。

 私が作ったり買ってきたりして差し上げられる物は限られているゆえ、今日は美味しい物をお腹いっぱい召し上がっていただきたいのである。


 そろそろデザートが欲しくなってきた頃、とある出店が目に入った。


「あ、アイスクリーム屋さんだ!」


 出店の看板には、コーンとその上に乗ったバニラアイスが描かれていた。

 まだアイスを食べるには少し早い季節であるにもかかわらず、店の前には既に数人の列が出来ている。


「あいすくりいむ?」


「ミルクを使って作る冷たいお菓子です。甘くてとっても美味しいんですよ」


 物を冷蔵保存するというのは、実はかなり難しい技術である。

 例えば、物を焼いたり温めたりするだけならば、一時的に熱を発するだけでいい。冷えたらまた温め直せば良いのだから。

 だが冷蔵の場合、特に温度が一定以上上昇すると形状を維持出来なくなる物などは、常に冷却した状態をキープし続けなければならない。寒冷の土地ならばともかく、それ以外の土地では魔法使いを複数人雇って交代で氷魔法や水魔法を用いて冷やし続けなければならないのである。

 無論そんな事が出来るのは王族や貴族、豪商などの大金持ちのみである。大抵の国ではそれが普通だ。


 しかしこの国では魔法技術や魔道具が一般にも幅広く普及している。


 現にこの店のアイスクリームが入っているケースは氷魔法を用いた魔道具となっており、事前に魔法使いに魔力を補充してもらえば魔力が切れるまで中の物を冷やし続ける事が出来るようになっている。

 これならば魔力を持たぬ者でもスイッチ一つで起動出来るし、魔力が切れる頃に再び魔法使いに魔力を補充してもらえば良いだけなので常勤の魔法使いを雇う必要もなく、人件費が浮く。

 ゆえに常温では長く保存が出来ず、移動が困難な食材等もこの国では比較的安価かつ簡単に手に入るのである。

 とはいえ大きい街でしか購入出来ない物も多い為、これらを求めて遠方からはるばるやって来る者も多い。

 実は砦にも食糧庫の片隅に小型の冷蔵用貯蔵庫があるのだが、容量が小さい上に冷凍の機能はない。ゆえに食材の冷凍保存が出来るロアの氷のブレスは非常に重宝しているのである。


「……へー、んじゃ折角だし食ってみっか」


 ラディのおめめが若干キラキラと輝いているように見える。


 ラディはこの国に来るまで甘いお菓子など縁遠い存在だったからか、わりと甘党である。

 偉丈夫が甘味を満喫している姿は実にほっこりする。これがデッカワイイという感情か。

 それに私も甘い物は好きだし、アイスクリームを食べるのは学生の頃に友人達と街に遊びに行って以来なので楽しみである。


 二人でウッキウキで店の前の列に並ぶ。


 アイスクリームに心躍らせる成人二人。だが今日くらいは童心に帰らせてほしい。


 そしてついに私達の番が来た。しかも丁度私達二人分で売り切れとなったようだ。ギリギリセーフ、実に運が良い。


 まず私が受け取り口で一つ目のアイスクリームを受け取り、そこから少し離れたところでラディを待つ。


 ラディが受け取り口で二つ目のアイスクリームが出来るのを待っていると、受付に幼い少年とその母親がやって来た。


 店員が彼らにたった今売り切れてしまった旨を伝えると。


「えー! アイスたべたかったのにー……!」


 少年はがっくりと肩を落とした。


「もう、売り切れなんだから仕方ないでしょ! 誰かさんが寝坊しなければもっと早くに買いに来れたんですけどね!」


「うぅー……」


 おかん、手厳しい。


 ──と、ラディが店員の一人に声を掛け、何やら小声でぼそぼそと会話をしている。

 そしてアイスクリームの代わりにお金──恐らく返金分──を受け取ると、帰ろうとしている親子を店員が呼び止めている間にラディはさっと身を翻し、こちらへとやって来た。

 ──多分、お礼を言われるのが苦手な彼の事だから、あの親子が自分に感謝の言葉を述べる前にとっととあの場を立ち去ったのだろう。


「わりぃ、やっぱ俺買うのやめたわ」


「買うのを『やめた』じゃなくて、『譲った』、でしょう?」


「……うるせーな、細けぇこたぁいいんだよ! あんたは気にせずそれ食ってな!」


 ぶっきらぼうにそう言ってプイッとそっぽを向く。


(まったくもう、相変わらずお人好しなんだから……)


 本当は食べたくて仕方がなかったくせに。

 彼はいつも自分より他人を優先してしまう。それは誉められるべきラディの美点である。


 けれど私は。


(ラディに我慢してほしくない。ラディが損をするのは嫌)


 でもこのアイスクリームをそのまま譲ったところで、彼は絶対に受け取ってはくれないだろう。


 だからせめて、私は彼にこう言ってあげるのだ。


「ではもし宜しければ……このアイスクリーム、一緒に食べませんか……?」


 クトラスの実の時は果肉を半分に切り分ける事が出来た。しかし今回はそうはいかない。

 一つのアイスクリームを二人で食べる。それすなわち、間接──……。


 その言葉の意味に彼も気が付いたようで。


 みるみる顔が赤くなっていき、「ま、まあセリアがいいんだったらいいけどよ……!」とゴニョゴニョと答える。


 ……私は結構図太い自覚があるけれども、流石にこんな大胆な事を平然と言える程の度胸はない。

 きっかけを与えてくれたあの少年には感謝しなければなるまい。


 二人で一緒に食べたアイスクリームは、とても甘くて美味しかった──……。



 開演少し前に劇場へ戻り、指定された席へと着く。

 成る程、確かにこの左端の席からでは舞台の右側が見切れてしまう。恐らく反対側も同様であろう。だがその分、演者が舞台の左端に来た時にはその演技や表情がよく見えそうだ。

 開演時間と同時に魔法で灯されていた客席の照明が消え、それと共に舞台の幕が上がる。


 物語の内容はこうだった。


 とある小国に二人の王子がおり、主人公は弟である第二王子。

 彼は街で出会った平民の娘と恋に落ち、駆け落ちしてしまう。

 二人は王都から遠く離れた地でひっそりと暮らし、やがて二人の間には元気な男の子が生まれた。


 しかし幸せな時間はそう長くは続かなかった。


 現国王となった第一王子が、彼らの元に追っ手を差し向けてきたのである。

 王の座を脅かす恐れのある災いの芽を、早めに刈り取る為に。


 彼らは逃亡中、隣国の小さな村へと辿り着いた。

 せめて息子の命だけは敵に奪わせてなるものかと、二人はまだ赤子である息子を村の教会前に置いていく事とした。そして追っ手の目を自分達に向けさせる為、自国へと戻っていった。

 教会で働く誰かが赤子を発見し、保護してくれると信じて。


 自国へと戻った二人は隣国から少しでも離れようと、隣国とは正反対の方角へと向かった。

 しかしその道中、深い渓谷を越える際に追っ手に見つかり、崖へと追い詰められる。


 奴らに殺されるくらいならばと、共に心中する事を決意し、二人は崖下へと身を投じた。


 恐怖に身を強張らせる妻を抱き締めるようにして、下へ下へ──谷底へと落ちてゆく──……。



 ──二人が目を覚ますと、そこは質素な小屋の中だった。


 そう、彼らは奇跡的に一命を取り留めたのである。


 王族ゆえに魔力が豊富な第二王子には、一時的に肉体の強度を上昇させるスキルが備わっていたらしい。

 どうやら命の危機に瀕した際に自動的に発動するスキルであるようで、彼自身、自分にこのようなスキルがある事など知らなかった。

 また、彼に守られるように落下した妻も軽傷で済んだのだった。


 気を失った彼らを発見し保護したのは、怒れる国民達によって結成された反乱軍に属する者達であった。

 その後二人は反乱軍に協力し、激しい戦いの末に見事国王を捕らえ、処刑した。


 第二王子を新たな国王に、という声も挙がったが、彼はそれをきっぱりと拒否した。


“この国に王はもう必要ない。これからは民が主体となって国を動かしていくべきだ”


 そう言って二人は国を去り、隣国へと向かった。やむを得ない状況であったとはいえ、教会前に置き去りにしてしまった息子を迎えに行く為に。


 しかし教会は既に閉鎖済みであり、赤子の姿はどこにもなかった。

 村人の一人から話を聞けば、どうやらたまたま立ち寄った旅の者達が孤児院のある街に預けに行ってくれたとの事であった。


 すぐさまその街の孤児院へと向かう。


 けれどもそこにも息子はいなかった。孤児院や教会のある他の町や村も巡ったが、息子の姿はない。


 もうこの国に息子はいないのだろうか。

 生きているのかどうかさえわからない。


 それでも探し続ける。


 一目だけでもいい。親と気付いてもらえなくても構わないから、もう一度だけ──いつか再び息子に会えたなら──……。


 そんな祈りと共に、二人は旅の一座として今日も世界中を巡り続けるのだった──……。



 ……波乱万丈ハラハラドキドキで、とても面白い劇だった。


 ──けれど正直、デートで観るものではなかった……!!


 特に赤子が教会前に置き去りにされるシーンはラディの境遇と重なり、何だか彼に申し訳ない気持ちになった。


 ……にしても王族の血を引いているところとか、やんごとない身分の血を引いている可能性のある彼と妙に境遇が被る。


 ──いやまさか、ね。彼は冒険者の義兄達に育てられたのであって、孤児院に預けられたりはしていない。ただの偶然だろう、うん。


 盛大な拍手の中、演者達が順番に舞台に立ち、三方礼をしていく。


 最後に舞台に上がったのは座長夫婦。


 切れ長の目が凛とした印象を与える奥さんと、柔和な顔つきのナイスミドルな座長。


 にしてもこの座長さん、ラディと同じ深紅の髪と瞳をしている。


 ──ま、まさかね……!?


 こちら側へ礼をする時、ラディのほうを見て二人は一瞬驚きに目を見開いた……ような気がした。


 ──ま、まさかね!!?

 たまたま座長と似た人を見つけてちょっと驚いただけだよ、ね……!?


 そのまま惜しみない拍手と共に舞台は無事閉幕した。


 まだ劇の余韻に浸っている他の客達と共に劇場から出る。すると。


「……なあ、あの劇の内容って全部作り話なんだよな……?」


 ラディがぽつりと私に問う。

 どうやら彼もまた思うところがあったらしい。


「うーん、そうですね……現実的でない部分も多いですし、あくまで架空のお話だと思いますが……」


 そもそもの話、王族と平民が駆け落ちするなんて設定自体、無理があるのだ。


 王子が城を抜け出しても気が付かないザル警備っぷりとか、王族と平民では価値観が違うのに夫婦関係は上手くいくのかとか、これまで贅沢な暮らしをしてきた者が平民として質素な暮らしをしていく事に耐えられるのかとか、冷静に考えてみると結構ツッコミどころが多いのである。

 それに絶体絶命のピンチの際に都合良く肉体の強度が上がるスキルが発現したり、気絶中に偶然反乱軍の者が通りがかって保護してくれたりなど、主人公補正にも程がある。

 これがノンフィクションである可能性は限りなくゼロに近く、ラディとの関係性は全て偶然の一致に過ぎないと考えるほうがまだ可能性は高かろう。


 また、いくら切羽詰まった状況であったとはいえ、赤子を野外に放置したら衰弱死してしまう恐れもあっただろうに。

 夫婦揃って少々浅はか過ぎやしないだろうか。


「そうだよな、現実的じゃねーよなー。兄弟で殺し合うなんてよ」


 ──え!? そっち!!??


 ……どうやら彼にとって、兄弟というものは時に喧嘩はすれども固い絆で結ばれた存在であり、敵対関係になるなど決してあり得ない事のようである。


 ──ラディが本当に王族の血を引いていたのだとしても、彼に為政者は務まらないだろう。あまりにもお人好し過ぎる。権力を巡って親族と争うなんてまず出来そうにない。

 だが平民として生きる上では何の問題もないはずだ。ずっとそのままのピュアな彼でいてほしいものである……。



 その後、私達は砦の皆にお土産を買いに行った。


 ギルドの周辺には各職業用の専門店が立ち並んでおり、召喚士専門店では召喚獣用に特別に加工された食品が売っている。

 ヨツバ、ルトラ、フォルティス、ロアの分はすぐに見つかったのだが、アルベルト様──つまり精霊用の供物となるような物はなかなか見つからなかった。それだけ精霊と契約出来る者は限られており、需要がないという事である。

 最終的に、魔道具店にて魔石で出来た鍾乳洞から滴り落ちた雫とやらを購入する事にした。

 これは様々な儀式に供物として使用されているらしく、精霊のような精神体種族にとっては上質な栄養剤となるそうだ。


 買い物も終わり、日も大分傾いてきた。


 最後に、私達は街の中央にある時計台へとやって来た。

 この時計台は屋上が展望台となっており、四方をぐるりと見渡せる、知る人ぞ知る穴場スポットなのだ。

 しかも丁度今は誰もいない。

 少なくとも今だけは、この景色は私達二人だけのものである。


 魔境のある北の方角の空は穏やかで、少なくとも魔物の群れに空が覆われているだとか、黒い煙が立ち昇っている、なんて事もない。アルベルト様からの連絡もなかったので特にこれといった問題は起こらなかったのだろう。


 ……この様子なら、いずれまた今日みたいにラディと二人きりでデートに行く事も出来るかもしれない。

 もしかしたらもっと遠出する事だって叶うかもしれない。


 西側の景色を眺めれば、眼下には沈みゆく夕日でオレンジ色に染まった街並みが広がっていた。


 手すりに腕を乗せ、二人で地上を見下ろしながら語り合う。


「……私、ラディともっと色んな場所に行ってみたいです。例えば……ラディのお兄様達に会いに行ったりとか」


「! 兄貴達んところに?」


「はい。お兄様方には一度ご挨拶に伺いたいと思っていたんです。……その、ラディの恋人として……」


 最後のほうは俯きながらゴニョゴニョと尻すぼみになってしまう。


 私の頬の赤みよ、どうか夕日で良い感じに誤魔化されておくれ……!


 ラディも「ん゛ん゛……っ!」とわざとらしく咳払いをしているので、多分似たような心境なのだろう。


「そ、そうだな。俺もしばらく会いに行ってねーし、久しぶりに顔出しに行くのもいいかもな!」


「ふふ、では決まりですね!」


 その後も、アルベルト様のご実家に行って彼が精霊になった事をお伝えしないとだとか、いずれ東の国に行って、東の国に多いという三毛猫や尾曲がり猫を見て回りたいだとか、ラディが赤ちゃんの頃にお世話になっていた宿屋にあの頃のお礼を言いに行きたいだとか、お互い行きたい所を沢山沢山言い合った。


 そして最後に。


「あと……セリアの家にも行ってみてーな」


「そうですね、母はずっとラディに会いたがっていましたし、喜んでくれると思いますよ」


 父は多少複雑な気持ちかもしれないが、穏やかな人だしきっと歓迎してくれるだろう。兄と弟もきょうだいの恋愛に関してとやかく言うタイプではないし。


「あー……なんつーか、その……こういう時、男は相手の両親に言いに行くもんなんだろ? その…………“娘さんを下さい”って」


「…………っ!!」


 あまりに嬉しくて、ついラディに抱きついてしまった。


 だがすぐにハッとする。


 今は他に誰もいないとはいえ、ここは公共の場。そのうち誰かがやって来てしまう可能性がある。照れ屋な彼はこういう場面を他の人に見られるのを嫌がるかもしれない。


 すぐさま彼から離れようとする。


 けれど。


 離れようとした体を引き戻すようにして、彼の腕の中に囚われた。


 そしてゆっくりと、私の唇に彼の唇が重ねられたのだった──……。



※※※



 その後二人は夫婦となり、四人の子宝にも恵まれた。

 そして今や家族同然となった召喚獣達や、成長した子供達と共に魔境の魔物達を迎え撃つこの砦は、いつしか『家族砦』と呼ばれるようになるのだが、それはもう少し先のお話──……。

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