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13.番外編①

 あるところに、ヴィオストという小国があった。


 その国には二人の王子がいた。


 慎重で狡猾な第一王子と、決して地頭は悪くないくせに、どこか短絡的なところのある第二王子。


 王の座を確実なものとする為にも、第一王子にとって弟の存在は邪魔でしかなかった。

 しかし当の第二王子は王の座になど全く興味はなく、それどころかお忍びで城を抜け出しては街で遊び呆けてばかりいた。


 そんなある日の事、事件が起きた。

 第二王子は街で出会った平民の娘と恋に落ち、なんと駆け落ちしてしまったのである。


 二人は王都から遠く離れた地で慎ましく暮らしていた。その暮らしは決して楽なものではなかったけれど、それでも二人は幸せだった。

 やがて二人の間には男児が生まれた。

 王の一族は代々、血のような深紅の髪と瞳を持つ者が多かった。そしてその男児もまた、父親譲りの深紅の髪と瞳を有していた。


 また、二人が駆け落ちしてから程なくして、王位争いの相手がいなくなった第一王子が国王へと即位した。


 しかし彼は王の象徴とも言うべき深紅の髪と瞳を有してはいなかった。

 国王の圧政に苦しむ民達は、やがて口々にこう囁き始めた。


 「深紅の髪と瞳を持つ第二王子こそ、この国の王に相応しい」、と。


 国王は恐れた。


 いつか弟が民衆を率いて自分を玉座から引きずり下ろしにやって来るのではないか、と。


 疑心暗鬼に陥った国王は、第二王子とその妻──もしも二人の間に生まれているならば、その子供も──を人知れず闇に葬り去ろうと企てたのである。


 そして赤子が生後半年を過ぎた頃、ついに彼らの居場所が国王の手の者に特定されてしまった。


 赤子を腕に抱きながら、二人は逃げ隠れを繰り返し、時に敵と交戦しながら、やがて隣国ライザメルンのとある小さな村へと辿り着いた。


 ……ここまで来れば、よもやこの深紅の髪と瞳の赤子が王族の血を引いているなどと勘づく者はおるまい。


 例え国外に逃亡しようとも、国王の一派は必ずや自分達を見つけ出し、始末するだろう。


 だがこの子の命だけは奪わせてなるものか……!


 まだ人々の寝静まる夜明け前。

 村外れにぽつりと佇む教会の扉の前に、母の腕の中で眠る我が子をそっと下ろす。


 きっと朝日が昇る頃には教会で働く誰かが赤子を発見し、保護してくれるはずだ。


 二人は我が子を何度も何度も振り返りながら、やがて村を去り、あえて自国の領内へと戻っていった。

 ──万が一、自国内で自分達二人が敵に見つかったとしても、子供は逃亡中に死亡したか、国内の第二王子を支持する派閥の者に匿われていると判断されるだろう。少なくとも捜索の手が隣国に及ぶ事はないはずだ。


“もし奴らに追い詰められ、もう逃げられない状況に陥ったら、その時は……いっその事、自分達の手で共に逝こう……”


 二人でそんな約束を交わして──……。



 空が白み始めた頃、赤子が目を覚ました。

 父と母の姿がどこにもない事に気付くや否や、火が付いたように泣き叫ぶ。


 しかし赤子がどれだけ泣いても、教会の中から人が出てくる事はなかった。


 なぜならこの教会を一人で管理していた司祭が先月亡くなり、教会は現在、無人となっていたからである。

 おまけに民家から離れている為、村人達にもその泣き声が届く事はなかった。


 明け方の冷たい空の下、だんだんと泣き声が弱々しくなっていく。

 このままでは赤子が衰弱死するのも時間の問題────のはずだった。



※※



 深夜、ライザメルンの国境付近の小さな村に、とある三人組の冒険者が立ち寄った。


 父親譲りの金の髪と琥珀色の瞳の長男、リオン。

 少々堅物なところがあるものの、長兄として弟達を導くしっかり者である。


 東の国出身である祖母譲りの黒い髪と瞳の次男、ヴァルトラム。

 性格もおしとやかだった祖母に似たのか温和で大人しく、戦闘面においても生活面においてもパーティーのサポート役である。


 そして母親譲りのライトブラウンの髪と黒に近いダークブラウンの瞳を持つ、三男ベルンハルト。

 まだ十三歳という年齢なだけあって、やんちゃ盛りの彼に兄達はいつも手を焼かされていた。


 まさに三者三様と表現すべき彼らであるが、これがなかなかに兄弟仲は良く、兄は弟の手本となるように、弟は兄に恥をかかせぬように、お互いを尊重し合いながら生きてきた。


 彼らはかつて、魔境付近にある農村で生まれ育った。

 しかしある時、猛毒を撒き散らす魔物が魔境から現れ、彼らの両親はその毒によって帰らぬ人となった。その後魔物は討伐されたものの、畑の土壌は毒で汚染され、使い物にならなくなってしまった。

 彼らは魔境の近くに住んでいただけあってある程度は戦いの心得があり、村を出て冒険者となる道を選んだのだった。


 各地を転々としてきた彼らは、つい最近まで隣国であるヴィオストの領内を旅していた。

 しかし何やらきな臭い噂が聞こえてきたのである。


 国王の圧政に耐え兼ねた国民達が近々反乱を起こそうとしている、と。


 内乱に巻き込まれるのは御免である。

 ゆえに彼らは早々にヴィオストから出ようと、夜のうちに国境を越え、ライザメルンのこの村へとやって来たのだった。


 深夜に村の中をうろついていては賊と間違われるかもしれないからと、三人は村の外で野宿をしていた。


 すると明け方頃の事。

 三男ベルンハルトが目を覚ました。

 風に乗ってどこからともなくか細い猫の鳴き声のようなものが聞こえてきたのである。

 しかもその声は徐々に弱まっていくように感じられた。


(どこぞの野良猫が木から降りられなくなってんのか? ま、目ぇ覚めちまったし、ちょっくら助けに行ってやっか)


 その声は村外れにある教会のほうから聞こえてきた。

 そして声がだんだんと近づくにつれ、彼は気付いた。


 これは猫の鳴き声などではなく、人間の赤子の泣き声(・・・)なのだ、と。


 暗がりの中、慌てて周囲を見回す。すると教会の扉の前におくるみに包まれた赤子を見つけた。

 泣きすぎて多少むせ気味ではあるものの、幸いにもまだ衰弱し切ってはいないようだった。置き去りにされてからさほど時間が経っていないのか、はたまたこの子の生命力の強さによるものか。

 つい反射的に赤子を抱き上げると、人のぬくもりに安心したのか、赤子はピタリと泣き止んだ。そしておくるみの隙間からその小さな手を出すと、ベルンハルトの服にしがみついた。


 まだ目に涙を浮かべたまま、まるで助けを求めるかのように。置いて行かないでと懇願するかのように。


 ……このまま見て見ぬふりをするなど、出来るはずがなかった──……。


 赤子を抱いたまま兄達の元へと戻り、二人を起こす。

 突然起こされて野盗でも現れたのかと身構える二人だったが、ベルンハルトの腕の中にある存在に目を丸くする。


「ど、どうしたんだその子?」


 長男リオンの問いかけに、「教会の前に置き去りにされていたんだ」と答える。


「……成る程な。助けてやりたい気持ちはわかるが、旅人である俺達にはその子を育てるのは難しいだろう」


「それは……そうだけどよ……」


 リオンのもっともな意見にベルンハルトはしゅんと肩をすくめた。


 長男と三男の間に気まずい空気が流れ始める。

 するとそれを打ち破るかのように割って入ったのは次男ヴァルトラムだった。


「まあまあ二人とも。まずはさ、日が昇って教会が開くのを待ってみてもいいんじゃないかな? 司祭様が来たらこの子をここで保護してもらえないか聞いてみようよ」


 ヴァルトラムの言葉に兄と弟は頷き、三人は辺りが明るくなるのを待った。

 その間、赤子には先日魔境を旅していた際に採集した【クトラスの実】の果肉を絞り、その果汁を木匙で与えた。


 クトラスの木は魔境のあちこちに生えており、桃くらいの大きさの実をつける。またその実の外側は硬い殻に覆われている。

 殻はコツをつかめば素手で真ん中から綺麗に割る事ができ、その中には柔らかな房状の白い果肉が詰まっている。

 果肉はミルクに似た味わいとほんのりとした甘さがあり、栄養価も高い。殻に覆われている分、傷みにくく日持ちする為、冒険者にとっては欠かす事の出来ない携帯食兼ご馳走なのであった。


 日が昇ってしばらく経ったが、教会の中から人が出てくる気配はない。

 その一方で、ぽつりぽつりと村人達が民家から顔を出し始めた。

 次男と三男が赤子をあやしている間に、リオンは畑に向かう男性を呼び止め、この教会について聞いてみた。

 するとここは既に廃教会となっており、新しく司祭が来る予定もないという。


 男性に事情を説明すると、「ここから北に行ったところにある大きな街には孤児院があるから、そこで相談してみてはどうか」と助言してくれた。


 赤子を連れての移動は決して楽な事ではないが、これも乗り掛かった船というものである。


 いつの間やらベルンハルトの腕の中ですやすやと寝息を立てている赤子を連れ、一行は北を目指した。


 その途中、幸運にも街へと向かう行商人に出会い、荷馬車に乗せてもらえた。

 その代わりに、ヤギのミルクやら、吸水性の高い魔境の植物を使用したおしめやらを決して安くはない金額で買わされたりもしたが……まあ必要経費であろう。


 赤子が目を覚ましてからは、三人で交代で抱っこする事にした。なんだかんだ言って皆、赤子が気になって仕方がないのである。

 赤子がにっこりと笑えば、あの堅物のリオンでさえも思わず口元がゆるんだ。ベビーパワー恐るべし。

 ヴァルトラムの番が来ると、彼はふと、おくるみに赤い糸で何かが刺繍されているのに気が付いた。

 恐らく文字なのだと思うのだが、小さな農村育ちで姓すらない彼らは読み書きが出来ず、何と書いてあるのかはわからなかった。


 街に到着すると、通行人に道を尋ね、すぐさま孤児院へと向かった。

 しかし孤児院の院長いわく、ここは既に定員オーバーであり、これ以上子供を引き取るのは難しいとの事だった。

 確かに、ここで保護されている子供達はどの子もやせ細った体に粗末な服を着ており、お世辞にも裕福な暮らしをしているとは言い難かった。

 恐らくこの辺りの孤児院はどこも似たような状況だろうと院長は言う。


 孤児院を後にし、三人は考える。


 よしんば多少強引に頼み込んでどこかの孤児院に預ける事が出来たとしても、きっとこの孤児院の子供達のようにひもじい思いをする事になるだろう。


 ──それならばいっその事。


「──俺達の手でこの子を育てよう」


 真っ先にそれを言い出したのは、意外にもリオンだった。


「──いいの? リオン兄さん」


 ヴァルトラムの言葉にリオンは「ああ」と苦笑交じりに頷く。


「よっしゃあ! 流石リオン兄だぜ!」


 既に赤子と離れ難くなっていたベルンハルトは「オレにも弟が出来たぞ!」と小躍りせんばかりに喜んでいた。


 ──旅人である上に、せいぜい兄が弟の面倒を見てきた程度の経験しかない自分達に子育てなど、相当に難しい事であるのは三人ともよくわかっていた。


 しかしそれでも。


 どのような事情があったにせよ、この子が捨て子である事は事実である。そんな彼に、せめてほんの少しだけでも「生まれてきて良かった」と思える人生を歩ませてやりたいのだ──……。



※※



 こうして赤子がある程度大きくなるまでの間、三人はこの街を中心に活動する事となった。


 まずは宿屋の店主に事情を説明し、宿の一室を借家としてしばらくの間貸してもらえないか掛け合った。

 するとこの宿屋の夫妻、なかなかに人情溢れる人達であり、快く承諾してくれた。

 それどころか、女将は三人に育児に役立つ知識を教えてくれたり、さらにはしばしば赤子の面倒を見てくれさえした。


 また、商いを営む者というのは読み書きの出来る者が多い。

 女将におくるみの文字を見せると、案の定、女将はその文字を読む事が出来た。

 そこには『ラドルファス』と書かれており、彼女いわく、赤い毛皮の狼を意味する名であるらしい。恐らくこの赤子の名前であろう。深紅の髪を持つ彼に相応しい名だと三人は思った。


 ちなみに、この宿屋には看板娘ならぬ看板猫の三毛猫がおり、名をヨツバというらしい。腰の辺りに四つ葉のクローバー型の黒い模様がある事からそう名付けたそうだ。

 看板猫なだけあってとても人懐こく穏やかな性格をしており、赤子──ラドルファスが多少乱暴な触り方をしても決して怒る事はなかった。

 ラドルファスはこの猫を大層気に入ったようで、その後も彼は街で野良猫を見かける度にその目を輝かせるようになっていった。


 よもや狼の名を冠する者が猫好きになろうとは。


 だが名前がどうであろうと、好き嫌いなど本人の勝手である。彼が幸せそうならばまあいいか、とヨツバと戯れるラドルファスを眺めながら三人は思うのだった。


 また、最近とある噂をよく耳にするようになった。


 怒れる国民達の手により隣国ヴィオストの国王が捕らえられ、処刑された、と。


 内紛に巻き込まれる前に隣国を脱出しておいて本当に良かったと、三人はほっと胸を撫で下ろすのだった。


 ヴィオストは今後王政が廃止され、民の中から国の代表者を選出するようになるのではないか、とか何とか噂されているようだったが、まあ自分達のような旅人には関係のない話であろう。



 ラドルファスはすくすくと育っていった。


 しかしどうにも泣き虫の甘えん坊であり、兄達の姿が見えなくなると途端に泣き出すのである。

 もしかしたら置き去りにされた時の恐怖がまだ心の奥底に残っているのかもしれない。


 それでも成長するにつれて徐々に泣き虫は収まっていき、数年後、心も体も少しだけ成長したラドルファスを連れ、一行は再び旅に出る事にした。


 あまり泣かなくなったラドルファスであったが、とある街に立ち寄った際に、手に持っていたふわふわのパンを盗人に掠め取られた時にはそれはそれは大泣きしていた。

 そのパンは薬草摘みの仕事を頑張ったご褒美に買ってもらった物だった為、ショックも大きかったのだろう。

 兄達が気付いた時には犯人はもう遠くに走り去ってしまった後だった。


 かろうじて見えたその後ろ姿は、まだ子供のようだった。


 ……もしかしたらラドルファスもあの子と同じ道を歩んでいたかもしれないと思うと、怒りよりも憐れみのほうが(まさ)った。


 自分達が食べる予定だった固いパンをあげるとラドルファスはようやく泣き止んだが、それ以来、彼は街というものに少しばかり不信感を抱くようになってしまった。あと若干ふわふわパンへの執着が強まったような気もする。

 とはいえ治安の悪い街や村などいくらでもあるのだ。常にこのくらい警戒しているくらいで丁度良いのかもしれない。

 少々酷な話ではあるが、世の中の厳しさを学んでいかねばならないのもまた事実なのだから──……。



※※



 ラドルファスは頭を使う事、特に勉強は大の苦手であった。教える側も教わる側も文字の読み書きが出来ぬゆえ、口頭での説明を全て暗記しなければならないというのは非常に脳が疲れるのである。


 しかし旅の中で得た知識や剣の使い方などはあっという間に身につけ、こと戦闘面におけるその実力たるや、まさに天賦の才に恵まれていると言っても過言ではなかった。


 最初に与えられた武器はナイフだった。

 思い出の詰まったこのナイフは、その後武器をより強い物に変えてからも普段使い用として使用している。


 ナイフを渡しながら、リオンは言った。

 それはこれから先、他の兄達からも口を酸っぱくして何度も言い聞かされる言葉であった。


「いいか? ラディ。強い者は弱い者を守るもんだ。誰かの為に頑張れる奴はこの世で一番格好良いんだぞ」


 この頃のラドルファスは兄達にラディと呼ばれていた。


「うん! ラディ、兄ちゃんたちみたいに強くてカッコいいおとこになる!」


 キラキラとした眼差しと共に放たれる嬉しすぎる言葉。


 兄三人は感激にむせび泣き、突然泣き出した彼らにラドルファスはただただ困惑するのだった。


 その後どんどん戦闘狂として開花していった彼は、まだ十にも満たぬ年齢にもかかわらず、大人用の片手剣を軽々ぶん回せるまでに至った。

 今はまだ兄達が相手しているような強い魔物とは戦えないが、あと数年もすればいっぱしの冒険者となるだろう。


 ちなみにリオンの武器も同じく片手剣であり、素早い動きで敵を翻弄しながら斬り付けるのが得意であった。

 そんな長男をヴァルトラムは後方から弓でサポートし、三人の中で最も力自慢であるベルンハルトが大剣でトドメを刺す。

 それがこの三兄弟パーティーの戦闘スタイルであった。


 なお、ベルンハルトは少し前まで一般的な形状の両手剣を使っていたのだが、この三男、とにかく戦い方が雑なのである。

 斬るというよりも力任せに叩きつけており、頻繁に剣を刃こぼれさせてしまっていた。

 とうとうリオンに「お前はもういっそ鈍器でも使ってろ!」と雷を落とされてしまったが、フォロー体質のヴァルトラムがすかさず助け船を出す。


「まあまあ。それじゃあさ、間をとって大剣にしてみたらどうかな?」


 大剣はとにかく丈夫で重量があり、そう簡単に刃が欠ける事はない。刃の鋭さで斬るというより、重さを乗せて振り回す事で強引に断ち斬るものであり、大雑把なベルンハルトには実に性に合っていた。


 それに何より、巨大な武器というのは男のロマンである。

 大剣を振るう姿に誰もが一度は憧れるものだ。


 沢山の依頼を懸命にこなし、金を貯め──買い替えまでに今使っている剣をこれ以上ボロボロにせぬよう気を付けながら──ベルンハルトはついに大剣を手に入れたのだった。


 装飾などほとんどない無骨な剣だが、その素朴さがむしろ渋くて格好良い。


 巨大な剣を持ち前の馬鹿力で振るう兄の姿に、ラドルファスは強い憧れを抱いた。そして自分もいつかベルンハルトのような大剣使いになれるよう、日々鍛練に励んだ。


 その後、本人の願い通り、ラドルファスは逞しい美丈夫へと成長していった。

 それに伴い武器も片手剣から両手剣へと変わり、さらにベルンハルトが冒険者を引退する際には彼の大剣を受け継いだのだった──……。



※※



 ベルンハルトから譲り受けた大剣を振るい、ラドルファスは今日も砦を守る。


 今、ラドルファスは仕留め損なった敵を追って魔境の入り口の森にいる。

 こういう時、仲間がいれば取り逃がさずに済んだのだろうかと思う。

 セリアの母から召喚術の教本とやらが届いたら早速試してみても良いかもしれない。


 そんな事を考えながら逃げた敵を追い詰め、今度こそ確実に息の根を止めた。


 仕事を終え、あとは来た道を戻って砦に帰るだけである。

 今、彼が立っている地点は以前マンティコアとの戦闘時に訪れた道とは別の道であり、初めて来る場所であった。

 木々が鬱蒼と生い茂った薄暗い道を帰りながら、周囲を見回してみる。


(ん? あれは……)


 周囲の木々に混じって、一本のクトラスの木が生えているのが目に入った。


 クトラスの木は魔力の多い土地に生える為、魔境内部ではよく見かける木である。だが魔境の入り口付近に生えているのはわりと珍しい事であった。


 自分が赤ん坊の頃には、このクトラスの実の果汁を飲ませた事もあったらしい。その後も魔境を旅する度にこの実の世話になってきた。

 ラドルファスにとって、クトラスの実は思い出深い代物なのである。


 枝には実が一つだけ生っていた。


 一つだけのクトラスの実。


 そういえば、と幼き頃のとある日の記憶が甦る。


 それはまだ兄達と旅に出たばかりの頃の事。

 この頃の記憶はおぼろげなのだが、この日の事ははっきりと覚えている。


 その日、ラドルファスは魔境でヴァルトラムから食べられる木の実について教えてもらっていた。

 すると日当たりの良い場所に、一つだけ実が生っているクトラスの木を発見した。


「へー、この時期に珍しいな」


 ヴァルトラムいわく、今の季節はまだ実を付けるには早いらしく、恐らく日当たりの関係で一つだけ早めに実ったのだろう、との事だった。


「うまいのー?」


「『うまい』じゃなくて『美味しい』って言おうね、ラディ。……うん、ほんのりと甘くてとっても美味しいんだよ。ラディが赤ちゃんの頃はこの実の果汁を飲ませたりもしたんだ。……ちょっと待っててね」


 ヴァルトラムはクトラスの実を枝から()ぐと、慣れた手つきで硬い殻を真っ二つに割った。中からは見るからに美味しそうな白い果肉が現れた。


「はい、ラディ。どうぞ」


 言いながら、ヴァルトラムはラドルファスの前へと差し出した。ラドルファスは小さな手で二つに割れた木の実を受け取った……が。


「……ヴァル兄は? たべないの?」


「あー……ぼくはこれまでの旅の中で沢山食べてきたからさ、ちょっと飽きてきちゃったんだよね。だから全部ラディが食べていいよ」


 しかしラドルファスは首を縦には振らなかった。


「んー……リオン兄とベルン兄にもきいてくる!」


 幼心に美味しい物の独り占めは良くないと思い、他の兄二人にも声を掛ける事にした。「あ、ラディ、走ったら危ないよ!」とヴァルトラムもその後を追う。


 リオンとベルンハルトは今から少し前に皆で仕留めた魔物の解体をしていた。

 角や爪等の価値の高い素材はギルドに売る為に回収し、肉は自分達で食すのである。


「リオン兄! ベルン兄! これ、みつけた!」


 二人は作業の手を止めると、すぐさまラドルファスの手の上にあるものに気が付いた。


「お、クトラスの実じゃないか。この時期に珍しいな」


「ヴァルトラム兄に割ってもらったのか? 良かったなラディ!」


「うん! あのね、それでね、兄ちゃんたちこれたべる?」


 すると後から追って来たヴァルトラムが「二人に食べるかどうか聞いてからでないと食べないって言うんだ」と補足する。


 リオンとベルンハルトは一瞬だけ顔を見合わせると。


「……あー、いや、俺は今日、この魔物肉をたらふく食べたい気分なんだ。だから果物は遠慮しておこうかな」


「えーとオレは……あ、そうそう! 今日はちょっと腹の調子が悪くてよー、水っぽいものは食えそうにねーんだ」


「ベルン兄おなかいたいの? だいじょーぶ?」


「あ、ああ、平気平気! でもそのクトラスの実はラディが全部食っちまってくれ」


「そっか、わかった!」


 ようやく納得したラドルファスは、どこかほっとした様子の兄達が見守る中、房状の白い果肉を口の中へと放り込んだ。


 物心付いてから初めて食べるそれは、とても美味しかった──……。



(あれってやっぱ、俺に譲ってくれてたんだろうな……)


 あの頃のラドルファスは今よりもさらに単純であった為に気付けなかったが、今思えば兄達の受け答えはどこかぎこちなく、特にベルンハルトは大根役者も良いところであった。


 だが今ならば彼らの気持ちがよくわかる。


 大切な存在に美味しい物を食べさせてあげたい。

 さらにその相手がそれを気に入ってくれたならば、なお嬉しい。


(セリアにも食わしてやりてーな……)


 彼女はきっと魔境の果物など食べた事がないだろう。

 前にセリアがラドルファスの為にクッキーを焼いてくれたように、ラドルファスもまた、彼女に自分のお気に入りの食べ物を食べさせてあげたいのである。


 枝に付いたクトラスの実を捥ぐと、ラドルファスは足早に砦へと向かった。



「おかえりなさいませ、ラドルファス様……あら? その木の実は……?」


 セリアはラドルファスの手の上にあるものを見て首を傾げた。


「クトラスの実っつーんだ。さっき森ん中で見つけたから採ってきた」


「あ、名前は聞いた事があります! 確か魔境を渡る冒険者にとってのご馳走だそうですね。……にしてもこの殻、凄く硬そうですね。包丁で切れるでしょうか……?」


「ああ、こいつはちぃとばかしコツがいるが、素手で割れんだ。……ほらよ」


 パキ、と音を立て、こなれた手付きで硬い殻を真っ二つに割る。──かつて兄にそうしてもらったように。


「俺ぁいらねーからよ、これ、あんたにやるよ」


 そう言って、程よく熟れた果肉の詰まった木の実をセリアの前に差し出した。


「え、ラドルファス様もお召し上がりになりませんか……?」


「俺は今まで旅ん中で沢山食ってきたからいいんだよ」


 正直、食べたくないと言えば嘘になる。

 番犬になってからはすっかり食べる機会を失ってしまった、思い出の味なのだから。


「俺はこれから風呂入ってくっから、その間にでも食っときな」


 そう言って半ば強引にセリアに木の実を押し付けると、ラドルファスはすたすたと風呂場へと去っていった。



 風呂から上がり、リビングへと戻る。

 するとテーブルのセリアの席とラドルファスの席にはそれぞれ皿とフォークが置かれており、皿の上にはクトラスの白い果肉が丁度半分ずつ載っていた。


「……おい、こいつはどういう事だよ」


「えー、だって流石に私一人では丸々一個は食べ切れませんってば」


 確かに、セリアはラドルファスと比べれば少食である。非戦闘員である上に女性なのだから当然と言えば当然だろう。しかし。


(いや、これそんな量多くねーけど……)


 殻を含めれば桃くらいの大きさのあるクトラスの実だが、可食部はそれよりもひとまわり小さい。せいぜいミカンくらいと言ったところか。


 ──とはいえ、今は腹が減っていないのかもしれないし、初めて食べる物なのだからその味を気に入るとも限らない。


 あまり無理に食べさせるのも良くはないだろう。


「ラドルファス様も食べるのを手伝っていただけると助かるのですが……」


 そう言われてしまったら断る事は出来まい。


「……ったく、しゃーねーなぁ。そこまで言うんだったら食ってやるよ!」


 しぶしぶ席に着けば、「ありがとうございます、ラドルファス様!」とセリアも自分の席に着く。


 かつてのラドルファスならばフォークなど使わずに指でつまんで食べていただろうが、セリアが折角用意してくれたのだからと、フォークで刺して口へと運ぶ。


 噛めばほんのりと甘い、それでいてミルクのような濃厚な果汁が口いっぱいに広がる。


 思い出の中と同じ味。


 セリアもまた「ジューシーでとっても美味しいです!」と満足げに舌鼓を打っている。


 ──もしや彼女は、自分が本当はクトラスの実を食べたいと思っていた事を見抜いていたのではなかろうか。


 ひねくれ者のラドルファスがどんなに意地や見栄を張ったとしても、最終的に彼女にはいつも見破られてしまうのだから。


 どうにも彼女には敵わない。


 そういった意味でも、セリアはやはり強い女だ。

 『手強い』と表現してもいいかもしれない。


「……つーかよ、先に食ってても良かったのによ」


「え、だって折角ならラドルファス様とご一緒したいじゃないですか」


 さも当然でしょうと言わんばかりにきょとんと首を傾げる。


 ──かつては共に食卓を囲むようラドルファスからセリアに強要(お願い)していたというのに、今や彼女からそれを望んでくれている。


 つい嬉しさに頬が緩みそうになる。


「……あー、木が生えてる場所は覚えたからよ、また実が付いたら採ってきてやるよ」


 照れ隠しにそう言えば、セリアは「ありがとうございます。その時は是非お願いしますね」と朗らかに微笑む。


 彼女のまっすぐな笑顔に、ひねくれ者のラドルファスは真っ赤に染まった顔をぷいと背けるのだった──……。

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