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12.戦場の番犬は想いを綴る

「セリア! 俺に文字を教えてくれ!」


 戦闘から帰ってきたラドルファス様が、砦の扉を勢い良く開けると同時に言い放つ。


 全身血みどろで。


 倒された魔物達による出血大サービスを浴び、真っ白だったシャツの大部分に歪な深紅の花がいくつも咲き乱れている。私はこんな模様入りのシャツを買った覚えはないのだが。まあいつもの事ではあるけれど。


 しかしその凄惨な姿とは対照的に、その(まなこ)をキラキラと輝かせ、なんだか嬉しそうというか、とても晴れ晴れとした顔をしている。


 鮮血と曇りなき無垢な瞳のこのギャップ。


 やだ、こんなの初めて。超こわい。


 人を射殺さんばかりだったあの凶悪な視線が今となっては酷く懐かしい……。


「え……と……、何故また急に……?」


 しかもこのタイミングで。


「べ、別に、ただなんとなく勉強してみたくなっただけだよ……!」


 このタイミングで??


 ……明らかにおかしい。

 どう見ても何かを隠している。


 しかし折角自ら文字を学びたいと申し出てくれたのだ、変に詮索して彼のやる気を削ぐ事はしたくない。


「……かしこまりました。ですが、まずはお風呂でその返り血を洗い流していただいてからでも宜しいでしょうか」


「あ」


 滴り落ちた返り血により、彼の足元には早くも血だまりが出来始めていた──……。



 ラドルファス様がお風呂に入っている間に、私は床に付着した血痕を跡形もなく綺麗に拭い去り──こう言うとまるで後ろ暗い事件の証拠隠滅を図っているかのようだが、ただのお掃除である──お風呂から上がった彼に、まずは基礎的な文字を教える事にした。

 書きながらのほうが覚えやすいかと考え、私が愛用している便箋を何枚かお渡しする。


 先日は宛名の文字を見よう見まねで書いていただけだった為、彼は一つ一つの文字の読み方までは理解していなかった。

 しかし字の形はある程度覚えていたらしく、私の名前やご自分の名前に使われている文字はすんなりと覚える事が出来た。少なくともこれらの字に関してはもう手本を見なくとも書けるようになった。


 次の日からは戦闘やトレーニングの合間に、休憩がてら勉強の時間を設けるようにした。

 するとあっという間に『パン』、『水』、『肉』、『芋』等の簡単な単語ならば書けるようになった。──飲食物ばかりなのがなんとも彼らしいけれども。


 ちなみに彼は数字の読み書きは出来ないものの、簡単な算術は出来るらしい。


三頭犬(ケルベロス)が五匹で襲ってきたら全部で十五個の頭に気を付けねーといけねーとか、十個の木の実を四人で分けると一人二個ずつで二個余る、んでもってその余った二個をさらに真っ二つにすりゃ四人で綺麗に分けられる、とか、そんぐれーだったら俺にもわかるぜ」


 どうやらこれまでの旅の中で自然と身に付けていったもののようである。

 ただし数字を書くという事が出来なかったラドルファス様の場合、これらの計算は全て頭の中──すなわち暗算であった。ゆえに桁数が多いものや、複雑な計算までは出来ないらしい。


 私は彼に数字だけでなく、計算式の書き方も教えて差し上げる事にした。

 筆算のほうがこういった頭の中だけでは処理し切れない計算もしやすくなるだろうと考えたからである。


 案の定、ラドルファス様は「へー、こいつは楽だな!」と感嘆の声を上げていた。


 ラドルファス様は案外、地頭は悪くないのかもしれない。


 いや、そもそもの話、冒険者というのは戦略を立てたり魔物の名前や特徴を暗記しなければならなかったりと、ある程度頭が良くなければ出来ない仕事である。

 まあ中堅以下の冒険者ならば毎日同じ場所で同じ獲物を狩るだけの依頼を引き受ける事も多く、多少頭の回転が鈍かろうが物覚えが悪かろうが、さしたる支障はないだろう。


 しかしラドルファス様のようなベテラン冒険者ともなるとそうはいかない。


 数々の魔境を渡り歩く為の知識──すなわち地形や気候、及びそれに伴う植生、動物や魔物の生態等──を常に暗記しておき、さらに強敵と対峙した際には、瞬時に有効な戦法を編み出せるような閃きと頭の回転が必要となってくるのである。


 勉強に充てられる時間は一日の内のごく一部に過ぎない。それでもラドルファス様は毎日真面目に取り組んだ。

 あんなにも勉強を嫌がっていたのが嘘のようである。どうやら自分にとって興味のある事ならば勉強がはかどるタイプのようだ。


 このペースだと便箋がいくらあっても足りないだろう。


 ゆえに私は街で彼の為にノートを購入してきた。

 ページ数が多く、また一枚の面積も広い為、これでのびのびと文字の練習が出来るはずである。


 そんな日々がしばらく続き、ラドルファス様は少しずつ書ける文字や単語の数が増えていき、次は文章を書く練習をしようという話になった。

 また、かつてはもがき苦しんで絶命したミミズのようだった字が、今は誰が見てもきちんと読み取れるくらいには上手くなった。

 最近は羽根ペンを折る事もなくなったし、きっと力加減にも慣れてきたのだろう。


「なあセリアー。『俺は魔物共を血祭りに上げる事が好き』ってどう書くんだー?」


「……まずは『俺は魔物達と戦う事が好き』くらいの軽い文章から始めません……?」



 そんなある日の事だった。


 今の彼はもう、私が終始隣で見ている必要はない。

 思い付いた文章を片っ端からノートに書き綴っており、たまにわからない文字があると尋ねてくる程度のものである。


 ラドルファス様の成長ぶりには目を見張るものがある。

 やはり本来は優秀な頭脳をお持ちだったのか、それとも彼のたゆまぬ努力の賜物か、はたまたその両方か。

 ともあれ、今度彼に本でも買ってきてあげようかな。

 今の彼ならば大抵の本は読めるはずである。魔物図鑑とかがいいだろうか。それならば魔物との戦いの役に立つだろうし。


 そんな事を考えながら砦内の掃除を終え、彼の元に顔を出す。


「ラドルファス様、お勉強は順調ですか?」


「……あー……その……少し、見てもらいたい文章があるんだが……いいか……?」


「? ええ、勿論構いませんが……」


 ……なんだろう、何故だか妙に歯切れが悪い。


 いつもなら「なあ、『殲滅』ってどう書くんだ?」とか、「『臓物を掻き出す』ってこれで合ってるか? ちょっと見てくれねーか?」など、もう少しラフな感じに尋ねてくるのに。……内容は全くもってラフではないのだが、彼が思い付く文章はことごとく物騒なので仕方がない。


 ラドルファス様はノートを開き、まるで彼と私を隔てる衝立のようにして机の上に置いた。その後ろに隠れるように突っ伏しているので彼の顔は見えない。けれどもノートを支える指が心なしか震えている。


 真新しく白いページの真ん中には、たった一文だけ。

 丁寧だけれど、少しだけ震えた字体で書かれていたのは。



“俺はセリアの事が好き”



「……え……な……、え……?」


 言葉になり切れなかった声が口から漏れる。


 ……え、なんで?

 だって、ラドルファス様は私の事なんて眼中になかったはずじゃ……。


 反射的にラドルファス様に目を向ければ、彼は恐る恐るといった(てい)で顔を上げた。顔の下半分は未だノートに隠れているが、上半分は既に真っ赤に染まっていた。

 普段は背の高い彼に見下ろされている立場の私だが、今のラドルファス様は背を丸めて座っている為、彼に見上げられている状態である。

 大きくて屈強な彼が上目で見つめてくるギャップに思わず胸がキュンとなる。


「──……で、これ読んでどう思う?」


 ラドルファス様がぼそりと言った。

 それが文字の良し悪しや誤字脱字についてではない事くらい、私にだってわかる。


「…………強い女性が理想だったのではないんですか?」


「あ、あんたは内面が強いからいいんだよ……!」


「私では戦場で背中を預け合う事だって出来やしませんよ?」


「──それでもいい。それでも、セリアがいいんだ……!」


 絞り出すように言いながら、彼はまたノートの後ろに顔を隠してしまった。


 ……口では言えないと判断したから文字で伝えてきたのだろうに、結局全部口で言ってしまっている。


 そんなところもまた、たまらなく愛おしい。


 私は先程までラドルファス様が使っていた羽ペンを手に取ると、ペン先にインクを含ませ、机の上に立たせたままのノートに──彼の書いた文章の横に、一文を添えた。

 その振動がノートを支える指に伝わったらしく、ラドルファス様は顔を上げ、訝しげにノートをくるりと自分のほうへと向ける。



“私もラドルファス様が好きです”



「……っ!!」


 声にならない叫びを上げて、彼は再び突っ伏してしまった。

 今度は耳のほうまで赤くなっているので、恐らく顔の熱が引くまで当分このままだろう。


 ……でも正直助かった。

 おかげで私も顔を見られないで済む。


 だって……きっと私も今、彼と同じくらい顔が真っ赤に染まっているだろうから──……。




 こうして恋人同士となった私達であるが、砦での生活は今までとさしたる変化はない。


 というか、お互い恋愛経験が豊富とは言い難かった為、どのように交際を進めていけばいいのかイマイチわからないのである。

 なにしろ学生の頃の私は勉強一筋……もとい赤点を取らない事だけに全力を注いできたもので……。

 だがこんな事なら恋バナ大好きな友達からもっと恋愛のノウハウについて教わっておくべきだったな……。


 それでもお互い少しずつ少しずつ距離を縮めていき、今では木陰で休憩中のラドルファス様に膝枕をしてあげるくらいの関係にはなった。


 ちなみにあの学者の先輩だが、この砦を旅立ってから一ヶ月ほどで無事この地へと戻ってきた。

 どうやら魔物の生態において大変貴重なデータを得られたらしく、何でも一部の両生類型の魔物において、餌を食べた後に水中で気泡を吐き出す、いわゆるゲップのような現象が確認出来たとかなんとか……。

 一般人の私にはよくわからないが、その手の界隈では大発見であるらしい。


 彼は旅の疲れを癒す為にしばらく実家に帰省するとの事で、しかもなんと。


「この調査が終わったら故郷の幼なじみにプロポーズするって決めていたんだ」


 これには同行していた他の冒険者達も驚きに目を剥いていた。


「えー!? リーダー彼女いたんスか!?」


「しかもプロポーズって……そんな事今まで一言も言ってなかったじゃないですか!」


「え、だって旅立つ前に『この調査が終わったらボク、彼女にプロポーズするんだ……!』とか言うとさ、なんか縁起が悪いというか、不穏な感じがするじゃない……?」


 その気持ちは何となくわかる。


 私はふと、テオ様の『も、もうこれ以上こんな所に(以下略)』の不穏台詞を思い出し、うんうんと頷いた。


「畜生! 彼女いない仲間だと思ってたのに! 今日は夜通し宴だから覚悟しろよな!」


「囲め囲めー!」


「のろけ話期待してますよリーダー!」


 こうして先輩は仲間達に引き摺られていったのだった。


 嵐が去ったように静かになった砦のリビングには、私と、何故かテーブルに突っ伏しながら「はぁぁ~~……」と盛大な溜め息を吐いて脱力しているラドルファス様だけが残った。


「ど、どうかしましたかラドルファス様?」


「あー……なんつーか……こういうのをトリコシグロウっつーんだなって思って……」


「??」



 そんなこんなで砦は再び二人きりとなった。

 恋人と二人だけの空間というのは正直嬉しい。

 けれども番犬が一人しかいない今の状況は流石に何とかせねばなるまい。


「つってもよー、番犬になりてー奴が他にいねーんじゃどうしようもねーだろうよ」


「それなんですが……ラドルファス様、もし宜しければ【召喚術】に挑戦してみませんか?」


「あぁ? 召喚術ぅ? 俺がぁ?」


 こいつ、またしてもトンチンカンな事を言い出しやがったな、とでも言わんばかりの顔をしていらっしゃるが、私は此度も真面目、大真面目である。


「はい、番犬になる人間がいないなら、代わりに番犬に仕えてくれる召喚獣がいればいいんじゃないかなって思いまして。召喚士である母に伝えれば、昔使っていた召喚士用の教本等を送ってくれると思いますよ」


 召喚士というのは、主に人食い以外の魔物を魔境から喚び出し、使役する職業である。


 そして召喚術において最も重視されるもの、それは魔力量である。


 召喚獣は術者の魔力を対価に使い魔の契約を結ぶ。

 魔物の寿命は種族によって非常に幅広く、人間よりも遥かに長く生きるものもいれば、犬猫程度の寿命しかないものもいる。しかし多くの魔力を得れば得るほど寿命が延びる為、短命種ほど嬉々として契約に応じるのである。


 ラドルファス様ならば魔力量は申し分ないし、今の彼は読み書きが出来るようになったので教本だって読めるだろう。読めない文字があれば私が教えてあげたっていい。儀式の手順さえ間違えなければ成功するはずである。


「つーかそもそもよ、勝手に召喚獣の契約なんてしちまっていいもんなのか……?」


「そこはご心配なさらず。契約成立後にギルドに報告さえすれば大丈夫との事でしたので」


 前もってギルドの職員に確認してみたところ、すんなりとOKが出た。

 それどころか「欠員を補う為にもどんどん契約していただいて構いませんので!」とまで言われてしまった。……今後も人間の人員は望めなさそうである。


「けどよ、召喚獣に魔力をあげちまったら今までみてーには傷が治らなくなっちまうんじゃねーの? それは流石に困るぞ」


「確かに魔力が底をついたらあの驚異的な回復力は発揮出来なくなるかもしれません。ですが契約の維持に使われる魔力は微々たるものですので、ラドルファス様の魔力量ならば問題ないはずですよ」


 召喚の際にはある程度多めの魔力の消費が必要となるが、それ以降は常に少量の魔力を提供し続けるだけで良い。スキル持ちとして生まれた彼ならば、その程度はどうって事ないはずである。

 例えば一般的な魔法使いの魔力量が庭に設けられた小型の池程度とするならば、スキル持ちのそれは湖に匹敵する。湖の水がほんの少しチョロチョロ漏れ出たところで大した事はない。ちなみに私の魔力量はせいぜい雨上がりの水溜まり程度のものである。


「それに高位の召喚士になれば、魔物以外の存在……例えば精霊等とも契約出来るようになると言います」


「! 精霊……?」


 ラドルファス様がピクリと反応する。


「はい。もしかしたらいつかアルベルト様とお会い出来る日が来るかもしれませんよ」


 精霊が人に干渉出来る時間は限られており、それはごく短いとされている。我々人間は基本的に精霊の姿を視認出来ないし、声を聞く事も出来ない。

 現にアルベルト様はあの日以来、私達の前に姿を現す事はなかった。もしかしたら今もすぐ目の前にいるのかもしれないけれど、私達がそれに気付く事は叶わない。

 けれども契約を結んだ召喚士ならば、いつでもその姿と声を認識出来るようになるだろう。


「……ふーん、ま、そこまで言うなら一応やってみるけどよ。上手くいくかはわかんねーぞ?」


 そんな言葉とは裏腹に、その表情はとてもやる気に満ち溢れていた。……まったく、相変わらず素直じゃないんだから。


「では今度母に手紙で連絡しておきますね。恐らく最初は動物系の魔物の召喚から始める事になると思います。例えば犬とか()とか……」


「!」


 『猫』という単語にラドルファス様の肩が再びピクリと動く。


「ま、まあ猫は別に嫌いじゃねーし? 戦闘の役に立つんだったら別にいいんじゃねーの??」


 凄くそわそわしていると言うか、なんだかウキウキしている。


 ──この赤狼の番犬(イヌ科の申し子)、まさかの猫好き。


 彼の望み通りに猫の魔物が来てくれる事を切に願う。

 ちなみに私は動物全般が大好きなので、可愛い子が来てくれたら私も嬉しい。


 そんな少し先の未来の話をしていると、今、目の前の仕事をやれと言わんばかりに砦内に警報音が鳴り響いた。


「んじゃ、ちょっくらぶっ殺してくるとすらぁ! ヒャーハハハ!」


「あ、私もそろそろお洗濯をしに行かないと」



 ラドルファス様は砦の外の戦場へ。


 私は砦の中の洗浄を。


 さあ、今日も一日頑張るとしようか。

本編終了。あと番外編3話で完結です。

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