侍女は鋏を持つ
恋愛か協力関係か微妙なので
するすると空から糸が降りてきて敬愛するテレーゼお嬢様とその婚約者である第二王子であるウィリアム様に絡みつこうとしたのを見て、どこからともなく取り出した布切用の鋏で断ち切る。
ぶちッと切れたと同時に、ウィリアム様の従者が動き出して、お嬢様とウィリアム様の指にあったはずの赤い糸を縛りなおす。
「ナタリア。どうかしましたか?」
「ルイス。どうした?」
テレーゼお嬢様とウィリアム様がそれぞれ後ろに控えていた侍女と従者に尋ねるが、
「いえ」
「何もありません」
二人とも淡々と表情も変えずに告げるので、
「そうですか……」
「ならいいが……」
と怪しげな動きを気にせずに、仲良く並んで校舎に入っていく。
「何よ何よ何よ……そこはぶつかって転んだ私に手を差し出して好感度が上がるところでしょう!!」
とわざとお嬢様にぶつかって転んだどこぞの馬の骨が地面に座ったまま喚いているのが聞こえるが相手にしない。
「相変わらず強制力が酷いな」
ルイスが前方を歩いているお嬢様とウィリアム様に聞こえないように呟くのを聞きながら強制力というのは理解できないが、天から降りてくる妙な糸には迷惑していたので内心同意と頷いた。
ルイスの言う強制力。
私が見えている変な糸は昔からあった。
天から降りてくる妙な糸。それが人間の身体に絡みつくと急にその絡みつかれた人の動きがおかしくなる。
最初に見た時はテレーゼお嬢様のお母さま。ロータス公爵夫人がお嬢様の弟君を出産した時だった。
『お母様。弟可愛いですね』
生まれたばかりの弟をベビーベットの柵から覗き込んで話しかけるお嬢様の傍で、にこやかに微笑んでいた奥方の頭上からするするすると糸が落ちてきて奥方の腕に絡みついたと思った矢先、先ほどまで浮かべていた笑みを消し去って、腕を挙げて、
『煩いっ!!』
お嬢様を叩こうとしたのだ。
『奥様っ!!』
お嬢様の遊び相手として、幼いながらも傍で控えていた私はとっさにお嬢様を庇おうと前に出て、奥様の腕に絡みついた糸を引きちぎった。
『あらっ……わたくしはいったい何を……』
自分が何をしようとしていたか分からないと呆然と叩くために挙げていた腕を見つめる奥方。その違和感が最初。
それから何度も同じような事があった。
まじめな先輩メイドの身体に糸が絡みついたと思った矢先にお嬢様の持っていた宝飾品を自分の服のポケットに入れようとする。
仕事が丁寧な庭師がお嬢様のために用意したバラの花に棘が残ったまま花瓶に生けようとするとか。
自分の仕事に誇りのある料理長がお嬢様の料理にだけ調味料を間違えて入れようとするなど。などなどの異常行動を起こすようになるのを目の当たりにして、この妙な糸は放置してはいけないものだと判断するようになった。
最初は手でちぎっていたけど、それだときちんと切れないし時間が掛かるので鋏を用意して、糸もどんどん太くなるので最初は糸切鋏で十分だったのが、今では切れないので布切鋏に変更した。
まるでお嬢様を傷付けるような意図を持ったような糸。それからお嬢様を守りつつ、その動きが怪しまれないように日々腕を向上させていく中。
同じように妙な動きをするルイスに気づいた。
『初めまして。テレーゼ嬢』
『はっ、初めまして。ウィリアム殿下』
第二王子のウィリアム殿下とお嬢様のお見合い。そのお見合いについてきた侍女である私と従者であるルイス。
ルイスは殿下の乳母の子供で昔から聡明だと言われて幼いながらも信用できる側近として重宝されていた。
当初は互いに自分の主君しか意識を向けていなかった。
だが、事が動いたのはすぐ。
紅茶の用意をしていた侍女の身体に天からの糸が絡まってティーカップを盛大に傾けてお嬢様のドレスに紅茶を盛大にかけたのだ。
『………』
お嬢様は怒りを顕わにして、その侍女を睨む。そして、天からの糸がお嬢様と殿下の身体に絡みつこうとするのが目に入って慌てて鋏を用意して糸を断ち切った。
と、同時に。
ルイスが動いたと思ったらお嬢様と殿下の指先から伸びている糸を結んだのだ。
そして、
『マリーベル先輩。テレーゼ嬢に謝ってください』
先輩と言いながらも言い方はきつい。
『たかが紅茶とか思っているようなら考えを改めてください。緊張して一生懸命おしゃれして出向いた先にみっともない姿を見せて悲しくなって、泣きそうなった経験が誰しもあるでしょうし、ここで紅茶が肌に掛かって火傷をしていたらどう責任を取るつもりですか? 最悪の場合カップが割れて、テレーゼ嬢や殿下に怪我をさせていたら不敬罪では済まされませんよ』
淡々と起きていた最悪の事態と誰しも思うであろう共感を入れ混ぜて、謝罪するように告げるとマリーベルと呼ばれた侍女が慌てて謝罪する。
『大丈夫です。私も殿下も怪我しませんでしたので』
にこやかに告げるお嬢様が尊いと拝みたくなる。
『あなたにも怪我がなくって良かったです』
そう気を遣うような言葉にマリーベルは感動したように涙ぐむ。
『ルイス』
その様を見ていたウィリアム殿下が自分の従者に声を掛けた。
『私はそこまで気が回らなかった。きっとそこで侍女を責めるテレーゼ嬢を見たら不快な気持ちになっただろう。緊張していて、必死だった彼女の事も考えずに、もしかしたらもっと酷い目にあっていたかもしれない事態も思いつきもせずに』
情けないと反省するさまをみて、
『いえ、普通は思い浮かびません。だからこそ、王族は常に最善の予想と最悪の事態に備えて動かないといけないのです。民や国を守るために。そして』
そっと跪いて、
『そのために私という配下やテレーゼ嬢のような支えてくれる伴侶が居るのです』
一人ではないのですから。
そんな事を言われて、テレーゼお嬢様が必死に頷いて立派な伴侶になりますと誓った事でウィリアム殿下が感動して、それから深い絆が出来た。
で、
「ナタリア嬢も見えているみたいだね」
話が出来るタイミングを窺っていたらお嬢様と殿下を二人きりにしようと少し離れた瞬間話し掛けられる。
「ナタリアで結構です。私は平民ですので。………そういうルイス様も」
「俺の事もルイスでいいですよ。伯父は伯爵ですが、貴族籍がないので平民になってます」
貴族の長男以外は貴族の元に嫁ぐか婿に入らない限り平民になるのが一般的だ。そのまさしく平民だと言われて貴族の血を引いているのは確かなのにと思いつつ、
「じゃあ、ルイスさんは先ほど何を」
何かを結ぶような動きだった。空から降ってくる謎の奇妙な糸とは違うようだったが。
「ああ。俺が結んだのは絆の糸です。分かりやすい話で言えば、運命の赤い糸とかですかね」
それだけじゃないですけど。
と告げて、時間が限られているからと簡潔に説明された。
人と人の間に家族、友人、恋人など様々な繋がりの糸があり、その糸が両者に結ばれているのが見える能力があるとの事。
思いが深ければ深いほどしっかり色があり、思いが薄れていくとどんどん色褪せてくるのだと。
で、時折、色がはっきりあるのに無理やり切られる現象が起こり、それを結び直せないかと試したら出来たと教えてくれた。
「殿下が陛下の亡くなった兄にそっくりというのは知っていますか?」
「存じてます。仲のいい兄弟だったのに魔族襲来で自ら軍を率いて国を守った英雄として王兄様は亡くなったと」
有名な話だ。陛下は兄を支えるために努力していたのにと嘆いたと。
その兄にそっくりな息子に兄の生まれ変わりではないかと思って大切にしているとか。
「生まれてすぐのころは自分とも妃殿下とも王太子殿下とも髪の色も目の色も違うと不義を疑ったんですよ」
それで妃殿下と疎遠になり掛けて、両者の間にあった赤い糸と殿下との間にあった糸が切れかかっているのが見えた。
『ほら、見てください殿下!!』
『あうぅ?』
と王兄の肖像画を運んできて、まだ赤ん坊の殿下に話しかける。
『殿下の伯父上様ですよ。ほら、殿下と同じ赤い髪に緑の目でそっくりですね』
と二人の前で話し掛ける。
それを聞いて二人が何かに気付いたようにまじまじとウィリアム殿下を見る。
『あに…上……』
呆然と似ているところに気付いて、近付く陛下。
『リーデル様………』
泣きそうな顔で亡き王兄の名を呼ぶ妃殿下。
『ほんとだ……兄にそっくりだ……』
と恐る恐る抱き付く陛下と殿下の間の糸をそっと結び直す。そして、妃殿下との間の糸も。
「今思うとそんな風に考えるように操られていたんだろうなと思うんだ。その妙な糸に」
「ありえますね」
と空を視線に向ける。
「強制力……」
「なんですか。それ?」
ぽつりと呟いたルイスに尋ねるとルイスがじっとこちらを見て。
「ナタリアさん。転生者とかじゃない?」
「はぁ?」
意味が分からないと声を漏らすと。
「そんな事ないか……。今のは忘れて」
とルイスはそれ以上言わなかった。まあ、お嬢様と殿下がこちらに戻ってきたからこれ以上話も続けられなかったが。
そんな感じで二人で協力している訳ではないがそれぞれ空からの糸と絆の糸の対策を続けていくという関係になっていたのだが、お嬢様と殿下が魔法学園に入ると糸に変化が起こってきた。
お嬢様と殿下のあたりにウロチョロするなぞの男爵令嬢が現れてからというもの、今まで糸切鋏で十分だった空から降りてくる糸が太く……糸というよりも縄になってきてしつこいくらいにお嬢様と殿下に絡みつこうとするのだ。
「強制力というやつか。すっごく厄介だな」
と素早い動きで無理やり断ち切られた絆の糸を結び直すルイスも疲れたように声を漏らす。
「なんですか。その強制力というのは……」
「えっと乙女ゲームと言っても分からないよな。そういう物語があってね……」
物語?
「馬鹿馬鹿しい」
この世界が物語だとでもいうのか。
「まっ、そうだよね。俺もあのシナリオのままの殿下だったら忠誠を誓いたくないしね」
そんな軽口を言ってくる様を呆れながら見つめる。
第二王子の懐刀。
神が第二王子を王にするために遣わせた御使い。
そんな噂で第一王子の傍に控えている輩が警戒しているとは知らずに暢気なものだ。
というか、噂はあてにならないなと思う。
ウィリアム殿下に忠誠を誓って、彼のために絆の糸を結び直しているが、それ以外は殿下に対しても気軽な口調で、兄のように接しているのだ。
もともと乳兄弟で、兄として傍に控えていたからそのままできたのだろうと公私はきちんと分けているが。
「殿下の絆の糸は結び直せるけど、他の人まで手が回らないし、それをやったら怪しまれるんだよね」
「……私も布切鋏は辛うじて持ってこれますが、これ以上太くなったら切る鋏を変更しないといけないですね」
枝切鋏とかだと持ってくるのに怪しまれるし、お嬢様と共に学園に入る事が出来なくなってしまう。
貴族は許可を得れば従者、または侍女を一名だけ連れてこれるという決まりがあるので中に入れる。それ故に模範とならなくてはいけないのだ。
じゃんけん勝負で先輩方に勝った分だけ!!
「あー……分かる。俺も弟から従者の役目を奪ったようなものだしな―…」
本当は同じ年齢だからレイスが従者として傍に居るはずだったんだけどな。
そんな愚痴を聞きながらお嬢様と殿下のほのぼのとした交流を眺める。学園の場所によっては事前に申し込めば貸し切りにしてもらえる場所もあり、その貸し切り場所でお茶会を行ったり、婚約者と交流を深める事が出来る。
ただし、成績上位者と生徒会の者だけでそういう特権を使って生徒たちのやる気を与えるようにしているのだ。お嬢様と殿下は先日の学寮テストで1,2位を取ったので早速その特権を利用してみたのだ。
と、そこに。
「こんなところにいたんですねぇ~♡ ウィリアム様~♡」
と男爵令嬢が乱入してくる。
誰も近づかないように手を回したはずなのにと辺りを見渡すと空から降りてきた糸が器用に護衛を退かしているのが目に入る。
ぷちっ
と同時に男爵令嬢から伸びた糸がお嬢様と殿下の間にあった赤い糸を断ち切り、殿下の指に絡まろうとする。
とっさにルイスとアイコンタクトをして、護衛の身体に絡まった縄を断ち切り殿下とお嬢様の元に降りてくる糸を妨害するとルイスが切れてしまったお嬢様と殿下の糸を結び直すのが目に入った。
「殿下」
「ああ」
ルイスが呼びかけると内容を聞かずに頷く殿下。殿下の返事と共にルイスは護衛と男爵令嬢の元に向かう。
「護衛として首になりたくないのならさっさと彼女を校舎に送るといい」
護衛でありながら侵入者を許した者たちに厳しい声を掛けるルイスに。
「あらっ? 貴方誰? レイス君は?」
きょろきょろと辺りを見渡す男爵令嬢に眉を顰めて、
「何を言っているのか理解できません」
とさっさと背中を押して、護衛の下に連れて行く。
「なんで、レイス君じゃないのよっ!! レイス君はウィリアムの境遇に同情して、強く諫めれないという設定だったのにっ!?」
喚いて抵抗する男爵令嬢が校舎まで帰るのを見届けるためにルイスが付いていくのを見送り。
「確か彼女はレンブラント男爵令嬢。だったね……」
殿下が思い出すように呟く。
「ええ。婚約者のいる方々に声を掛けて、距離が近いと……」
それを窘めた令嬢が自分の婚約者に責められたのをお嬢様が慰めていた事もあった。
向こうでは空からの糸が彼女を中心に降りていて、ルイスはそれに避けつつも彼女を校舎に連れて行くのが見える。
「心配ですか?」
お嬢様が心配そうにこちらを見る。
「お嬢様?」
何の事でしょうと首を傾げると。
「ルイスとナタリアはその……恋人ではなくて?」
「はぁっ!?」
いけないいけないお嬢様の前で変な声が出てしまった。
「しっ、失礼しました。――恋人ではありません」
何でそんな話になるのかと気になると。
「えっ⁉ ルイスと仲いいからてっきり」
と殿下にまで言われる。
「殿下の従者であるので必然的に一緒に居る時間があるだけですよ」
それ以外理由もない。天から降りてくる妙な糸と人と人を結ぶ絆の糸が見えるので協力し合っているだけで……。
それ以外理由など………。
と考えていたら、
「そうなのですか? とてもいい雰囲気なのに。……わたくしとウィリアム様のようで」
ぼそっ
顔を赤らめて告げる後半はとても小さい声だったが、しっかり私と殿下の耳に届いた。
「テレーゼ」
「す、すみません変な事を言って……」
恥ずかしげに謝る様はとても可愛くて、愛おしくて……。なんと表現すれば……。
「尊い。または萌えと言えばいいんだよ」
ルイスがいつの間にか戻ってきて隣に控える。
「尊い……ああ。分かります」
すとんとその言葉が当てはまる。
「萌え……ああ。うん。言われてみたらそんな気持ちに近い気がするよ。キュンとなって」
殿下も殿下で納得している。
ルイスの言葉が的確過ぎてしばらくお嬢様の尊さの余韻を味わっていましたが、
「ちょっと、相談したい事があるけど、いい?」
耳元で囁かれる。
その時、吐息を感じてドキドキしたのはきっと驚いたからでしょうね。
物語であるような恋ではない。
『恋人ではなくて?』
お嬢様の言葉が変な影響を与えているだけだと高鳴る心臓を抑えて必死に自分の心に言い聞かせる。
あくまでルイスは見えない糸が見える仲間だ。
それ以外ない。
そんな事を考えていると。
「ロータス公爵令嬢」
お嬢様が声を掛けられる。
「少し聞きたい事があるのですが………」
クラスの女子生徒に呼ばれてお嬢様がその方の後を付いて行く。その際呼んだ生徒の身体にあの空からの糸がくっついていないのは確認済みだ。
お嬢様の後ろを追いかけようと足を動かすが、
「待ってください」
呼び止める声と共に掴まれる腕。
「少し話があります。――ナタリア嬢」
声を掛けてきた男性の身体にはキチキチに絡みつく空からの糸。
とっさに鋏を取り出そうとするが腕を掴まれて離せない。
「離してください」
「なぜです。ずっと話をしてみたかったんですよ」
無駄だろうと思いつつ、告げるとそんなセリフが返ってくる。
空から降りてきている糸を見ているからこのセリフは言わされているだろうなと思いつつ、この男性がこの学園の先生なので過激な事が出来ない。
そう、主に金的とか金的とか金的………。
「ずっとお話をしてみたかったんですよ。その綺麗な青い目を」
「そうですか………。私はそんな事を一度も思った事ないですが」
我慢してきたけど、本人口説き台詞だと思っているそれが、かなりこちらからすれば鳥肌が立つほど気持ち悪いセリフなのでこのまま聞かされるのは我慢ならんとこうなら実力行使だと大きく足を振りかぶって。
「ふぎゃぁああぁぁ!!」
蹴りました。ナイス蹴りです!!
男性が必死に股間を抑えているのを無視して愛用の鋏を取り出して、空からの糸をブチぶちと切り落とす。
「えっ………私は何を……」
今までの自分の行動が信じられないと股間を抑えながら呟くのを聞きながら、フォローするよりもお嬢様だとお嬢様の向かった先に向かう。
そこにはお嬢様の友人(?)方が空から伸びた糸によって操られて、その中心にいる……。
「レンブラント男爵令嬢………」
要注意人物と言う事でルイス共々気にしていた人物にお嬢様の友人方が糸に操られている状態で囲んで口々に文句を言っているのだ。
「殿下に馴れ馴れしくお近づきになるのはどういう事ですか」
「婚約者のいる方に色目を使って」
………正論ですね。ですが、なんで糸が……。
思わず首を傾げてしまうが、お嬢様の元に糸が伸びているのが見えて、慌てて鋏を取り出して糸を切っていく。
「お嬢様!!」
「ナタリアっ!! 皆さん変なのっ」
「今、何とかします」
ぶちぶちと糸を切っていくと取り囲んでいた友人方が正気に戻る。と、そのタイミングで、
「なんの騒ぎだ!!」
「きゃぁウィリアム様♡」
と喚く、男爵令嬢。その男爵令嬢の指から赤い糸が伸びて、ウィリアム殿下に絡み付こうとしているのをルイスがさりげなく邪魔をしているのが見える。
そんなウィリアム殿下の傍に空からの糸が降りてきているのが見えるのですかさず傍に行き、糸を切っていく。
「確かに君を大勢の女性陣が囲むのは怖かっただろうけど、一対一で告げても君が聞かなかったからそんな手段をとったんだろうね」
近づいてくる男爵令嬢から距離を取り、そう諭すと。
「なんで、なんでよっ!!」
信じられないと顔を歪めた直後彼女が叫ぶ。
「ウィリアムはそんな事言わない。怖かったねと”私”を抱きしめてくれたのにっ!! 間違っている!!」
彼女の叫び声に反応するように大量の糸が空から降りてきて動きを封じようとする。
「何で乳兄弟がレイス君じゃないのよ!! レイス君は“私”と接していくうちに人の愛情を信じられるようになってくる主を見て任せてくれるようになるのにこんな地味男じゃなかったわよ」
「地味って……まあ、攻略キャラと比べられても……」
何気に傷付いた感じでルイスが呟くのが聞こえる。
「こんなの間違っている!! ウィリアムの従者なら私の味方になりなさいよ!!」
と叫ぶと同時に男爵令嬢から赤い糸が出てきて、ルイスの指に絡まろうとする。
「えぇ~。きちんと攻略していないのに強制的に友好度上げようとするの~」
やめてよね。とどこか軽い口調で返すので、
「何か対策をとっているんですか?」
「いや、無理。俺の場合誰か他の人と結ばれていたら大丈夫だけど、恋人もいないし」
絡み付かれたら抵抗できないなと自分の事なのに焦っていないルイスにイラついてしまう。
「相手が居ればいいのね」
「まあ、そうだね。さすが乙女ゲーのヒロインなだけあって、あっちは大量に結べるけど、こっちは一人にしか結べないからね」
「なら、私と結びなさい!!」
そうすれば男爵令嬢から守れるでしょと叫びながら鋏で次々と糸を切っていくと。
「っ⁉ いいの?」
「早くしなさい!!」
貴方があっちの陣営に付いたらお嬢様を守れないでしょうと告げると。
「後悔しないでね」
と赤い糸を結んでいく。
糸が結ばれると何か変化があるかと身構えたがそんなものなかった。ただ、もともとあった信頼度が増したくらいか。
「そっちは頼みます」
「任せて」
一言だけ交わすと太い糸をすべて切り落とす。
ぴくっぴくっ
糸がまるで生き物のように地面に落ちて動いていたがやがて力尽きたように動かなくなった。
ルイスの方も無理やり断ち切ろうとしていた糸を修理して、ついでに彼女から伸びていた不愉快な妙な糸を解いていく。
「な……何をしたの……」
信じられないという感じで呟く男爵令嬢に。
「課金アイテムで無理やり上げた好感度を弱めただけだよ。本当に絆があるのなら解いても結び直せるから」
「空から降りてきた糸を切っただけです」
淡々と告げる声におかしい、なんでと信じられないと呟く男爵令嬢。
「まあ、とりあえず。この世界はゲームじゃないよ。転生者さん」
とルイスが告げたと同時に彼女を拘束する。
「違法薬物を投与しての洗脳行為は犯罪だから拘束するよ」
と告げて、警備員に引渡した。
結局乙女ゲームというのは分からないが、彼女はそのシナリオ(?)というものに従って動き、空から降りてきた糸はそのシナリオ(?)を進めるための糸だったのだろうとルイスが憶測をまとめていた。
「ウィリアム殿下は親に愛されずに育ち、愛を疑って歪んだ志向のキャラになっていたし、テレーゼ嬢は他人を信じずに攻撃的な性格になるという設定だからね」
そんな設定をぼこぼこにしていたのが俺らだけど。
珍しく仕事ではない二人きりの時間。
ルイスが今まできちんと説明できなかった分しっかりと説明してくれる。
「男爵令嬢に転生者と言っていましたね……」
「ああ。うん。……そのシナリオ…物語を知っていてその通りに動いて自分の思い通りに事を進めようとしていたからね。前世の知識があると思って」
何でそれをもっといい方に使わなかったんだろうねと溜息交じりに告げて。
「で、ナタリアさん」
「なんですか?」
「俺と糸結んでよかったんですか? 言っときますが、もう解けないんですよ」
よほどの事が無いと。
そう告げてくれる様は紳士だなと思いつつ。
「いえ。気にしてませんし。もともと好意は持っていましたので」
お嬢様の次ですが。
そう告げて紅茶を口にする。
「………えっ?」
そうなんですか。
信じられないと呟く様を見て。そんな余裕なかったので言わなかっただけですと心の中で呟く。
「第一、あんな妙な現象が起きていて、信頼関係が生まれるのも当然でしょう」
「まあ。確かに。だけど、どっちかといえば協力関係とか……」
そう言われればそうかもしれないが。
「遅いか早いかの違いですよ」
と顔を赤らめているのをばれないようにお茶菓子を口に運ぶ。
おいしかったらお嬢様にお土産としてもらおうと思ったが、味が分からない。感じている余裕がないのだと困ったように顔を歪める。
そんな自分の傍ではルイスが嬉しそうに口をひくひくさせている様を見て、ようやく年相応の顔が見れたなと嬉しく思ったのだった。
ルイス。転生者。
ナタリア。別に転生者じゃない。鉈から付けた




