75.コツは力任せでは無く、ツボを刺激する事
「嵐の暴君」、「暴虐のフレデリカ」。
散々年配の教師陣を震え上がらせていた人物が、ベリルの目の前で巨大蜥蜴と尻尾綱引きを繰り広げていた。
(⋯⋯こ、この人が?)
まず真っ先に思ったのが、エレナとは全く似ていない事である。
確かエレナは「私は結構祖母に似てると思いますのよ」と言っていた筈なのだが、目の前に居るフレデリカは小柄で華奢なエレナと比べて長身で、たっぷりとした侍女服の上からでも判る隆起した筋肉を持っている。ちらりと見える眼光は非常に鋭く、吊り目でもぱっちりとした可愛らしいエレナの瞳とは別物である。
アデラも口をぽかんと開けて老婆を見詰めていた。それはそうだろう、ベリルも公爵家家宰のベノワを知らなければ、アデラ同様の阿呆面になっていた筈だ。
「むっ⋯⋯ううん⋯⋯本当に切れませんねぇ」
【あだだだだだ⁉︎だから蜥蜴では無いのである!】
そうこうしている内に、フレデリカは尻尾を限界まで引っ張り切っていた。異常に長い蜥蜴の尻尾を肩でぐるぐるに巻き取り、フレデリカは蜥蜴を大木から引き剥がそうとしていた。蜥蜴は幹に鉤爪を突き立て、尻を持ち上げる面白い体勢で踏ん張っていた。今にも後脚が幹から離れそうで、ベリルは笑いそうになった。いや、実際笑っていた。傷に響くのでかなり引き攣った笑いであったが。
しかし、ベリルは1番重要な事をあの女性に言わなければならない。綱引きなぞしている場合では無いのだ。
手当てをしようと傷口に清潔な布を押し当てようとするロビンを手で制して、ベリルは「シュエット夫人!」と、フレデリカを呼んだ。フレデリカも「何かしら坊や?」と、ベリルにちらりと視線を送って返事を返す。大声は痛みを伴うが、そこは我慢してベリルは力の限り叫んだ。
「その蜥蜴の腹の中には聖女様がいらっしゃいます!」
「なんですって⁉︎」
フレデリカは聖女の所在を知るや否や、肩幅に開いていた足を更に開き、腰を落として力を溜め始めた。
「⋯⋯すぅー、はぁー⋯⋯」
【な、な、な、何をする気だ⁉︎我は此処の大木から離れる訳には行かぬのだ⋯⋯!お、起きよサエフ!まずいぞ!】
蜥蜴は地に倒れ伏した虎に助けを求め始めた。虎はひくりとも動かないが、小さく胸が上下しているので死んではいない様である。
フレデリカは蜥蜴の尻尾を更に強く握り込み、全身の筋肉をミシミシと軋ませながら大地が陥没する程の力で左足を一度だけ大きく踏み鳴らした。
「喝ぁッ‼︎」
勢いのある掛け声をひとつ上げたその瞬間、蜥蜴の身体は大木から離れて宙を舞っていた。ぽっこりした白い腹を見せて飛ぶ蜥蜴は中々見れるものではない。そもそも蜥蜴は腹を見せて飛ばない。
魔石柱の光に照らされて、蜥蜴の腹は何よりも目立っていた。
【のわあぁッ⁉︎】
「はっ!」
そして蜥蜴が宙を舞うや、フレデリカも跳び上がり空中で蜥蜴と肉薄したのだ。
「怒ぅんっ‼︎」
フレデリカは肉薄した一瞬に、蜥蜴の白い腹⋯⋯正確に言えば横腹に掌を打ち当てていた。それはただの打撃では無かった。その一撃を受けた蜥蜴は長い首を仰け反らせ、【げえぇっ】と嘔吐いたと思ったら、空中でずるんと何かの塊を吐き出したのだ。
「ロビン!」
「はい!」
フレデリカがロビンの名を呼ぶと、ロビンは心得たとばかりに跳び上がり、吐き出された塊を受け止めた。
吐き出された塊は小さく丸まった聖女であった。べとべとの粘液塗れであるが、小さく呼吸をしている。
(良かった⋯⋯未消化で)
ベリルは一先ず胸を撫で下ろした。
アデラもロビンに抱えられた聖女の姿を見て、堪らずぽろぽろと涙を溢した。
「良かった⋯⋯良かった⋯⋯ドルセーラ⋯⋯!」
涙ひとつ見せずにいたアデラも、聖女が助かった事で緊張の糸が解けたのだ。ベリルのツナギをぎゅうと握り締め、そのまま意識を失ってしまった。
(そりゃ無理も無いな。でかい蜥蜴に逆さ吊りにされて、狼男にでかい虎、極め付けは巨大なお婆さんだもんね)
ベリルは意識の無いアデラの頭を撫でてやった。
そんなベリルにサミュエルは不機嫌な眼差しを向けて、血に塗れた三つ編みを引っ張って来た。
「ねぇベリちゃん、一体いつまでその子を抱っこしてるの?」
「えっ?あっ⋯⋯」
サミュエルに言われて、ベリルは未だにアデラの身体を抱え込んでいる事に気付いた。
「抱っこなら僕にしてよ、ほら、ぎゅっと!」
「絶対嫌だ⋯⋯おい、くっつくな!痛い!本当に痛いから止めろ‼︎」
「あ、ごめん」
「─づっ⁉︎」
サミュエルは未だに少女の姿のままで、ベリルの背中からぎゅうっと抱き着いて来た。その際に右の肩口が刺激され、ベリルの口から苦鳴が上がる。
傷口がまた開き、再びどろっとした血液が流れて来た。
「ごめんベリちゃん、僕の溢れる嫉妬心が⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯後で覚えてろよ⋯⋯」
「ごめんってばぁ!」
サミュエルは必死にベリルの傷口を押さえた。ベリルもこれ以上血を失いたくは無いので、動かず騒がず大人しくサミュエルの手当てを受ける。
そんな2人に、聖女を抱えたロビンが苦笑いで近付いて来た。
「流石のベリル君も、やっぱり偽物の女の子より本物の女の子が良いって事ですよ。坊ちゃん」
「本物よりこんなに可愛いのに」
「解ってませんね、そう云う事じゃ無いんですよ」
ロビンは心無しかニヤニヤしてベリルを見ていた。その表情は不愉快極まり無いが、これ以上傷を悪化させたくないベリルはただ睨むだけに留める。
ちなみに、怪獣戦争は静かに終結していた。
聖女を吐き出した蜥蜴は地面に叩き付けられた後、追撃としてフレデリカの全体重を掛けた両膝の飛び込みを柔らかい腹に受けたのだ。
【ぐげぇっ‼︎‼︎】
通常の魔物ならば口から全ての臓器を吐き出す所を、蜥蜴は悲鳴を上げただけであった。流石は黒竜フェルニゲシュを名乗るだけはある。
そうしてフェルニゲシュを退治したフレデリカは、悠々とベリル達の元に近付き、ベリルに自己紹介を始めた。
「初めましてね。貴方がベリルちゃま⋯⋯ジークちゃまのお弟子さん。私はフレデリカ・シュエット」
「ええと⋯⋯は、初めまして⋯⋯」
ベリルとしては色々言いたい事や聞きたい事がある。
学術都市の伝説は本当だったのか、何を食べたらそんなに大きくなれるのか、名前を借りて行動していた事、ジークベルトとの関係、「ちゃま」を付けるのは止めて頂きたい等⋯⋯しかしベリルが口を開く前に、ロビンがフレデリカとの間に入った。
「お義母さん、それより此処を出ませんと。聖女様の行方が分からないって半分騒ぎになってましたから」
「ああ、そうだったわねぇ」
フレデリカは戦闘の余韻を一切感じさせず、鷹揚に頷いた。顔だけを見るなら大らかな老婆である。飽くまで顔だけを。
フレデリカはベリルから自然にアデラを引き離し、その腕に抱えた。ベリルが抱えて行くよりも、非常に安定性の高い腕である。少し悔しいが、ベリルはサミュエルに肩を借りて立ち上がった。
貧血でふらつくベリルを支えながら、サミュエルはロビンに疑問をぶつけた。
「でも、どうやって此処から出るつもりなの?」
「えっ、そりゃ坊ちゃんの魔力で⋯⋯」
「えっ、無理だよ?」
「⋯⋯⋯⋯え?」
「だって性転換薬使うと、魔力が減るんだもん。今の僕じゃ2回もあの扉を作れないよ」
あっけらかんと重大事項を今この局面で伝えた偽物の美少女は、自分の何がいけないのか解っていなかった。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯お前、ふざけんなよ?」
「ふざけてないよ?本当だし」
せめて性転換薬なんてものを飲んでさえいなければ。ベリルはそう思ったが、その薬のお陰で学術都市に潜伏出来たのも事実である。
「⋯⋯仕方無いか⋯⋯」
このままサミュエルの頭を振っても魔力が出る訳では無い。非常に危険ではあるが、ベリルは辺りに散らばる魔石を使う事にした。
魔石は純粋な魔力の結晶体であり、昔は魔石を使っての兵器開発が盛んであった。ただ、人間が魔石を利用するのは非常に厳しいと云う結果が出て来た。
魔石の莫大な魔力に、人体が耐えられないのだ。
人間は自身の魔力容量を普通に超す魔石を摂取すると、魔力過剰症と呼ばれる状態になる。全身の骨が砕け、内臓が焼ける様に痛み、穴と云う穴から血が噴き出すのだ。そしてそのまま死に至る。
ベリルの言葉に、意識を保っている3人は驚いて止めた。
「本気かい⁉︎絶対死ぬよ⁉︎」
「はい」
「私が辺りを破壊して回るのも良いと思うのよ?」
「崩れそうなんで、止めてください」
「ベリちゃん!僕は此処で君と過ごすのも良いと思うんだ!」
「黙ってろ」
此処にいる人間の中ではベリルが適任なのだ。魔力容量が非常に多く、保持魔力がほぼ空。なにより社会的地位も無く、家族も居ない。唯一家族と呼べるのはジークベルトかもしれないが、血縁では無い。
ベリルはサミュエルの手を振り払い、なるべく小さな魔石の欠片を選び、拾って飲み込んだ。




