8.相応しい人
※ご注意ください
「も、もう駄目だ!やだ!関わりたくない‼︎」
それはもう魂の叫びであった。
納得である。幾らなんでもアレにああしちゃうのはごめんである。かつて過激派に追われたベリルでも、アレをアレされた事はなかった。精々「髪を食べたい」とか「頬を食みたい」とか言われた程度である。いや、充分気持ちの悪い出来事だった。目の前の悍ましさに感覚が少々麻痺したようだ。
「ベリル、ベリル!あいつなんとかぶっ潰してくれぇ!」
「それは、構いませんけれど」
ベリルは言い淀んだ。
「⋯⋯今の僕では、魔力を全力で込めて一息に叩き潰す、位しか思い付きません」
ベリルにはもう攻撃手段が無い。あるにはあるが、それはまたしてもジークベルトに負担を掛ける上に、「なにか」の喜ぶものを提供すると云う事だ。
それなのに、ジークベルトは目を輝かせた。
「それだよ!それしかない!」
「えっ⁉︎」
「魔力に色を込めるんだ!」
魔力に色を込めるとは、魔力に属性を付けると云う事である。
「でもジーク様、合金ですよ?強力な属性魔法に耐えられるとは思えません」
「そうだ⋯⋯きっと込められるのは、一回だけだ」
補助具にも質の違いがある。合金は貴石よりも魔力への親和性が低く、魔力の処理容量も的中率も格段に落ちる。無色の「強化」ならまだしも、色付きの魔力を込めたらオーバーヒートで焼き切れる危険がある。
ただでさえベリルの魔力は強大なのだ。オーバーヒートは確定事項だ。
「⋯⋯それにその背嚢は軽いので、ジーク様が詰まっていてくれないと上手く当てられないのですけど」
「しょうがないさ、あれを見ろよ。野放しにしてたら何しでかされるかわかったもんじゃない」
「合金が焼け切れる際に、無事で済むとは思えません」
「おいおい、私を誰だと思っているんだ?この背嚢は私が総ての技術の粋を以って作り上げた魔導が備わっているんだぞ?ガワが駄目になっても、ウチの荷物が無事である様に作ったんだ」
「⋯⋯ジーク様は過保護過ぎるお師匠でしたからね、昔から」
「そうとも。可愛い弟子が持つんだ。最高の逸品でなくちゃ」
からりと笑ったジークベルトは、不思議と恐怖を感じている様には見えなかった。己の技術に絶対の自信を持っていなければ、こんな顔(鼠であるが)ではいられまい。
「それよりもその、お前には人を殺せと言いたくはないが⋯⋯」
「それこそ今更です。もうアレは人間とは呼べませんし、今後の生活で害にしかなり得ません」
「ベリル⋯⋯今、私に魔法が使えれば⋯⋯」
ごめんなぁ。と、瞳を潤ませるジークベルトだったが、ベリルにとって「なにか」は、もう存在するのも許せない対象となっていた。殺す事に何ら躊躇いは無い。きっとこの生物は、生きている限りジークベルトに付き纏い、周囲の人間に毒を吐き続けるだろう。
まだ人型であれば、ジークベルトの相手として受け入れてもいいかと思っていたが、殺意高めで行動が気色の悪い人外なんて、害虫同然である。
「⋯⋯ジークベルト様⋯⋯ジークベルト様ァ⋯⋯」
アレをああしていた「なにか」も満足したのか、恍惚の表情を浮かべて此方に視線を向けて来た。自分から汚した唇をぱくぱくと動かし、吐息混じりにジークベルトの名をうっとりと呼んだ。
「あいしてます、ジークベルト様あぁ⋯⋯」
「うっ⋯⋯」
「⋯⋯汚らしい求愛ですね⋯⋯」
ジークベルトのアレをああしている間に、女の身体は更に変異を遂げていた。
ベリルがしこたま打ち据えた顔だが、傷でも痣でも無く、鱗が生えてきていた。大きく裂けた口から覗く舌は、長く二股に分かれてちろちろと踊る。まるで蛇の様に。
頭部と反して、人間の胴体部分は完全に萎んで無くなっていた。まるで脱皮の様にエプロンドレスを脱ぎ捨て、骨だけで出来た蛇の胴体を曝け出していた。骨格も蛇である。
尻尾の先にある、鱗で覆われた丸い球体がチャームポイントだとでも云うのか、ぴるぴる振られているのがとても不快である。
「そうです、ジークベルト様ァ⋯⋯その子供を八つ裂きにしたら、私とひとつになりましょう⋯⋯?生きたまま丸呑みにして⋯⋯ゆぅっくり、じぃっくり、私の中で一緒になるんです⋯⋯⋯⋯うふふ⋯⋯」
「なにか」はそれが良いとばかりに、にこにこと笑った。理解しようとするだけ無駄だろうが、ベリルは純粋に不思議に思った。
「何処で消化する気なんでしょうね?臓器無いのに」
女の頭部が在り、其処から肉が無くなり骨の胴体で動いているのだ。透けているのではなく、本当にただの骨で。呑み込んだって食道も無いのだし、そのまま落ちるのではないのか。
「私は兎も角、何故ベリルにも執着してるんだ?」
「知りたくもありません」
でも好都合ですね。そう言って、ベリルはジークベルトを改めて抱え上げた。
あんなに悲鳴を上げて震えていたジークベルトだったが、今はもう震えも無く、決然と前を見据えている。今はベリルの方が身体が強張っているので、とても頼もしい。
ベリルは深呼吸をひとつしてから、「なにか」に聞こえる様に声を張った。
「お前みたいな女は、ジーク様に相応しいとは思えない!」
「⋯⋯⋯⋯は?」
「なにか」の動きが止まった。
「博愛主義のジーク様が誰かを嫌いになるなんてよっぽどだ!卑しさが外見に顕れてるに違いない!」
ベリルは顔面の筋肉を無理に動かし、なるべく嘲って見える様に意識して微笑んだ。
「その顔、きっとジーク様の好みの顔じゃ無いのだろうな!そうだな、どう見たって化け物だもの!そもそも元の顔だって――」
「うるさぁあいっつ‼︎」
「なにか」の首がのたうった。
「お前に何が解るっ⁉︎そんな顔を持ったお前が‼︎その方に侍るお前がぁっ!!!」
「なにか」は蛇の様にしゅうしゅうと息を吐き、がちゃがちゃ骨首をしならせ、ベリルの顔だけに狙いを定めた口撃をして来た。容姿を中心に女の自尊心を傷付けたのだ。ベリルの顔を狙うのは必然でもあっただろう。
「なにか」は口をがちがちと噛み合わせながら、一直線に骨首を疾らせた。
「来た!」
直線の攻撃は異常な速度で、大きく口を開き、矢張りベリルの顔面を目掛けて来た。ベリルは身体強化の魔法は使わず、その場にしゃがみ込んだ。
しゃがんだそのすぐ真上で、牙と牙を噛み合わせる音が響く。女の顔は、的確にベリルの顔を噛み砕く位置を狙ったのだ。
予め攻撃をしてくるだろう位置を限定させていなければ、身体強化魔法を使っていないベリルでは避けきれなかった。
「…………此処だっ‼︎」
そして、ベリルは思い切り上へと背嚢を振り抜いた。