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師匠(仮)〜唯一の技術持ってるのに獣になった〜  作者: 杞憂らくは
齧れ、呑み干せ、腐っていても
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64.ややこしくしやがった


 アデラに案内されたベーカリーは、表通りから外れた住宅地に近い場所にあった。

 白い外装に赤い屋根、木目調の店内ではあたたかい色のランプが照らされ、ショーウィンドウには美味しそうなパンが並んでいた。カウンターには品の良い老婆が1人、今焼き上がったばかりのパンを棚に並べている所だった。


「あら、アデラちゃん。今日は学校お休みなのに来てくれたの?」

「こんにちは、おばあさん。今日はこのお店を友達に教えたくて」

「嬉しいわねぇ。安息日はご近所さんくらいしか来てくれないから」


 老婆は店の奥を見遣り、「それなのに、うちの人ったら際限無く作っちゃうのよね」と、笑った。奥には厨房がある様だ。夫婦でこのベーカリーを営んでいるらしく、パンを焼くのはご主人の役目なのだと言う。

 老婆はアデラが連れて来たのが女の子では無く男の子であると気付くと、「あらまあ」と驚き、それからにこにこと2人を見比べた。

 老婆の眼差しの意味が分からなかったが、ベリルは会釈をしてショーウィンドウを覗き込んだ。

 定番のバゲット、ブール、黒パンと白パン、木の実やドライフルーツを練り込んだパンが並ぶが、何よりも甘いパンが多く感じた。ベリルが求めた典型的なドーナッツはプレーン、チョコレート、蜂蜜の3種類。カスタードクリームが挟まったボラデベリム、細長くて溝のある生地がくるんと丸まったチュロス、デニッシュ・ペストリーはフルーツを変えて5種類、シナモンロール、そして大きくて木の実をたっぷり練り込んだクグロフまであった。流石にクグロフを丸ごと売るのは難しいのか、ピース販売も対応しているらしい。

 それにしたって量が多い。安息日は客足も減るらしいのに、こんなに作っていたら廃棄になってしまうのでは無いのかと考えたが、残ったら近くの孤児院に超格安で売るのだと言う。


「どんなパンがいいかしら?この時間だと、ごめんなさいね。いつも甘いパンが売れるから。男の子はあまり好きじゃないわよね」

「そんな事無いわ、おばあさん。彼は甘いものが食べたいのよ。それにとっても⋯⋯食べるの」


 この小さな店舗の中では、ベリルの食事風景を見せる場所も機会も無い訳だが、アデラは如何にベリルが食べるかを力説した。お婆さんは信じていないのか、ころころと笑いながらアデラの話を聞いていた。ベリルとしても夕食が控えているし、流石にこの店のパンを食べ尽くすなんて事はしない。


「甘いパンを全種類一つずつください⋯⋯あと、バゲットと白パン」


 精々全種類の甘いパンと、明日の朝食を確保するくらいである。



***



 大量にパンを買ってくれたからと、老婆は手作りのマルメロジャムをおまけしてくれた。ジャムを作るのは老婆の仕事らしく、「自信作なのよ」と、小さく胸を張っていた。

 ベーカリーを出た2人は、パンを食べる為にベンチのある大図書館前の広場へと向かった。

 アデラもベーカリーでよく頼むと言う胡桃パンと、カスタードクリームがたっぷり入ったボラデベリムを買った。

 広場は中学生がいない為か、いつもより混んでいない。しかし混み入っていないだけで、人が多い事には変わりは無く、ベンチやテーブルには高校生や研究生が読書をしたり、友人と会話を楽しんだりしている。


「あそこのテーブル席が空いてますね」

「飲み物買って来るよ。何が良い?」

「そ、それじゃあ⋯⋯カフェ・クレームを⋯⋯」

「わかった。座って待ってて」


 ベリルはアデラを席に座らせて、珈琲スタンドへ向かった。この前とは違うスタンドで、軽食よりも珈琲に力を入れている店の様だ。列に並び、注文を済ませて珈琲を2カップ受け取って戻ると、アデラはベリルの買っていた絵本を読んでいた。


「お待たせ」

「あ、ベリル君。ありがとうございます。ごめんなさい、勝手に読んじゃって⋯⋯」

「いいよ、気にしない」


 珈琲カップをアデラの前に置き、ベリルは席に座った。特大の紙袋に入れて貰った甘いパンを取り出し、口いっぱいに頬張った。紙ナプキンを入れてくれたので、それを使えば手がベタベタになる事は無い。

 アデラも紙袋から胡桃パンを取り出し、控えめにひと口齧った。


「この絵本、ベリル君が?」

「そうだよ。ちょっと懐かしくて」

「懐かしい?」

「そう、昔同じ本を持ってたから」


 もう一つ甘いパンを取り出し、アデラの脇に置かれた絵本をベリルは見詰めた。太陽の冠を冠った少年と月の冠を冠った少女が描かれた表紙は、澄み切った青空と星が散りばめられた夜空が表現されている。そして共通言語とは違う文字で、『追い掛ける月』と銘打たれていた。その文字はまるで絵の様に絵本に縁取られているので、文字が読めない人には凝った意匠にしか見えないだろう。実際アデラは文字とは見えなかったのか、「タイトルが無いので、気になってしまって」と言った。


「でも中の文字も読めなかったので、まさかこの絵本が異国の本だとは思いませんでした」

「僕も何処の言葉かは知らないのだけどね。少なくとも周辺の言葉じゃ無いよ」


 引き取られたばかりの頃、母の故郷くらいは知っておきたいと考えたベリルは、ジークベルトにその文字を書いて見せた事がある。若い時(今も若いと言っている)は周辺国を旅したと豪語しているジークベルトならば、文字を知っていると考えたのだが、そのジークベルトも見た事は無いと答えたのだ。


「中の絵、素敵ですね。どんなお話なんですか?」

「天体の話だよ。太陽と月がぐるぐる回るの」

「⋯⋯そういう味気ない内容じゃなくて、どうしてぐるぐる回ってるのかって事ですよ?」


 アデラは呆れた様に胡桃パンをまた齧った。


「私には文字は読めないですけど、絵を見る限りだと恋物語だと思ったんです」

「⋯⋯恋?」

「そうです。何処かへ行ってしまった王子様を探すお姫様の話です」


 文字が読めないと、絵だけではそう判断されるのだろう。文字を読むと、民衆から解放された太陽と未だに民衆に縛られ続ける月の明暗分かれる話なのだが。なまじ絵柄が美しいから、そう云う見方が出来てしまう。


「⋯⋯でも不思議ですね。わたしこの絵みたいな文字、見た事あるんですよ」

「⋯⋯へえ?何処?」

「ホテルの中庭です。生垣の迷路があって、その中心に円形のオブジェがあるんですよ。そこに似たようなのが彫られてました」


 もしかしたらこの絵本をモチーフにしたのかもしれませんねと、アデラは笑った。

 そんな筈は無いと、ベリルも笑った。母親が何処の出身なのかは結局知らず終いだが、此処から随分遠くから来た事なのは間違いは無い。その文字が学術都市の新しく建てられたホテルに使用されているとは、考えられないのだ。きっと、何か文字に似た絵と間違えているに違いない。


「⋯⋯でもその中庭、僕も入ってみたいな。ふふ、もしかしたら何が書いてあるか読めるかも」

「良いですね、それなら今度案内します」


 ベリルの冗談にアデラがにこやかに応えてくれた。冗談ではあるが、行ってみるのも悪くない。こんな状況でさえ無ければ、きっと楽しい散策になっただろう。

 そう思ってベリルはまたもう一つパンを取り出して、



「ええー?それなら()も連れてってくれる?」



「んっ⁉︎」


 いきなり話し掛けられ、ベリルは声のした後方を勢いよく振り向いた。

 振り向いた先には、肩にかかる程のふわふわした金髪の美少女(もど)きが微笑んでいた。言わずもがな、煙草屋で店番をしている筈のサミュエルである。サミュエルは少女らしい白いワンピースとウォームブラウンのケープを羽織っていた。


「会いたかった♡」

「な、お前⁉︎店番は⁉︎」

「お婆ちゃんが休日なんだから早く上がって良いって」

「くそ⋯⋯目と耳と口と舌が悪い癖に、変な所で気が利く⋯⋯!」


 昨晩の夕飯もそうだ。要らぬお節介をしてくれる。

 サミュエルはうきうきと、椅子を一脚ベリルの左隣に寄せて、ベリルが手に持っていた梨のデニッシュを齧った。


「おい、勝手に食べるな」

「美味しいねぇ、何処で買ったの?」

「⋯⋯絶対に教えない」

「えー?意地悪しないでよー」

「止めろ、寄るな、纏わり付くな」


 ベリルは椅子を動かしてサミュエルから離れた。しかしサミュエルも椅子を動かし、ベリルに近付く。ベリルは人目さえ無ければ蹴り飛ばしてやるのにと、歯噛みした。

 2人が馬鹿馬鹿しい遣り取りをしているのを、完全に外野として眺めていたアデラは、自分にじりじりと近付いて来るベリルに質問をした。


「あの、ベリル君、その人は⋯⋯?」

「え゛っ⁉︎⋯⋯ええっと⋯⋯」


 その質問をどう答えるべきか、ベリルは言葉に詰まってしまった。幾らアデラが信用出来るとして、公爵家の嫡男が女性的な姿に変化したなんて説明をして良いのだろうか。そんな逡巡をしている内、サミュエルがベリルの左腕に絡み付いてきた。


「私シャミィ!ベリル君の婚約者候補なの!」

側から見たらベリルは羨ましい奴。

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