61.おばあちゃんの美味しくない煮込み料理
その日から、ベリルは大図書館の北棟に張り付く事にした。大図書館の一般入館時間いっぱい北棟のベンチに座り、読書をする振りをして来館者を観察する為である。
北棟に来館する者の中で、魔力漏れを起こしている者を探す為だったのだが、1日潰しただけで来館する者の2割が魔力漏れの症状を起こしている事が分かった。その症状を起こしている者は全員、例の書架室の通路に入り、暫くすると顔全体をにやつかせながら戻って来る。
全員が例の薬を貰って来たのかは分からないが、手に持って戻って来る者がいるのだから、確実な事だと言えた。
ただ、ベリルには何処でその薬を受け渡しているのか、それが分からなかった。通路は勿論、書架室ふた部屋も探したが、誰かが潜んでいる痕跡等は見付からない。それならば隠し通路でもあるのかと、隈無く調べても何も分からない。少なくともベリルには、何の変哲も無い場所だった。
「そう云う訳で、僕にはさっぱり」
夕食時、ロビンとサミュエルと顔を合わせたベリルは、大図書館での出来事を報告した。夕食のメニューはその辺の店から適当に購入した大量のケバブサンドウィッチと、煙草屋のお婆さんからのお裾分けで貰った変な匂いのするモツ煮込みだ。
「大図書館か。入った部屋は特定出来ている?」
「扉に紙を挟んで確かめましたが、どちらの部屋にも入室している様です」
「⋯⋯どっちも?それは、困るねぇ」
ロビンは本当に困った様に顔を顰めた。啜ったモツ煮込みの匂いが嫌なものだったのかもしれないが。
「そう云えば、僕は煙草屋で変な話聞いたよ」
サミュエルはモツ煮込みが入った椀をベリルの方へ押し遣りながら、日中の出来事を語った。
「ここの煙草屋ってさ、結構偉い人が来るんだ。最高学府の先生達が殆ど」
「へえ」
「ここの煙草屋、珍しい銘柄や葉巻まで扱ってますからね」
「で、その常連の先生達は、いつもの煙草屋にこんなにかわいーい女の子が居るから、みーんな口が軽くなるんだ」
「⋯⋯自分で言うか?」
「セレスタイン公爵家の坊ちゃんですからね。気にしたら負けだよ」
「口が軽くなるって言っても、自分の分野の知識を女の子にひけらかしたくなるんだよね。僕は頭が良いからついてけるけど、学校にも行かないで煙草屋の手伝いしてる本物の女の子だったら、理解も出来ないし、退屈で居眠りしちゃうよ」
サミュエルはそこで言葉を区切り、ケバブサンドウィッチに齧り付いた。ベリルも仕方無く、サミュエルが寄越したモツ煮込みを食べるが、匂いだけで無く味も変だ。可笑しなハーブが入っているのか、変に舌がぴりぴりする。煙草屋のお婆さんは、目と耳と口だけで無く、鼻と舌も悪いに違いない。
それでも、幼少期孤児になってすぐの食事に比べたら万倍もマシなので、ベリルは普通に食べる。食べていると、左隣に座っていたロビンからも食べ掛けのモツが入った椀が押し遣られた。
「その中で歴史学の先生が居てさ。その先生が教えてくれたんだよ、「この学術都市は、元々とある国の牢獄都市だった」って」
「⋯⋯牢獄?」
「ああ、今は無い全ての祖王国ですね」
ベリルは初耳だったが、ロビンは知っていた様で、相槌を打った。
「我々の魔法王国も聖王国も、元を辿ればその祖王国だって話があるんだよ。偉い人達は絶対に認めませんがね」
「そうなんですか、知りませんでした」
「まあ、与太話みたいなものだから。学術上証明された訳でも無いから、旦那様もジークベルト様もお二人にはお教えしなかったんでしょう」
「でも、確証は無くても教えて欲しかったよね。それで、その最高学府の先生が言うには、大図書館はその当時も使用されていた建物らしいんだ」
「大図書館が?」
「勿論、改修と増築は行ってるから、一体何処が当時の建造物のままなのかは不明なんだって。ただ、どうも床の魔方陣がきな臭いって話だけど」
「魔方陣⋯⋯?確か、北棟の床に」
ベリルは、大図書館を全て回った訳ではない。だが、魔方陣が描かれているのは北棟のあそこだけだと云う確信があった。
ベリルが北棟の床に魔方陣があったと言うと、サミュエルもロビンもそれに興味を示した。ロビンの話では、祖王国は今使われている魔法とは別の技術も使用していたらしい。
「じゃあ僕はあの先生が来たら、もうちょっと話聞いてみようかな?」
「それが良いですね。お願いします、坊ちゃん」
「それなら僕はもう少し書架室を⋯⋯」
「⋯⋯いや、そちらには私が行くから、ベリル君は街に出て欲しい」
「ええと、それは良いですけど。学校の方は?」
「明日は安息日だからね。グルーザセンセもお休みなんだ」
「成る程」
納得の行く話だった。それにあの書架室の通路で潜んで居られる程、ベリルの潜伏技術は高くない。此処はロビンに探って貰った方が良いだろう。
「分かりました。それなら僕は街で他の取引き場所が無いか探します」
「まあ、安息日なんだから久し振りにゆっくりしておいで。無理に女の子の格好して、その後はずっと坊ちゃんのお世話してたんだから」
「⋯⋯⋯⋯ありがとうございます⋯⋯!」
「別人になるのって、慣れてないと大変なんだよね」
はい、お小遣い。と、ロビンはベリルに結構なお金もくれた。ベリルは明日、街で美味しい惣菜を買い込む事を決めたのである。お婆さんの料理なんて、絶対に食べたく無い。
しかし、そんな2人を見ていたサミュエルは不服そうにロビンに文句を言った。
「ねえロビン。それなら僕も休んで良いんじゃないの?安息日なんだよね?」
「⋯⋯いえ、今の坊ちゃんの雇い主は下の婆さんなんで⋯⋯婆さん、明日はどうするって言ってました?」
「⋯⋯店開けるから、店番しろってさ」
サミュエルは相当扱き使われている様である。げんなりと手に残っていたサンドウィッチを呑み込んだ。
「これも社会勉強ですよ、坊ちゃん⋯⋯」
「わかったよ⋯⋯」
サミュエルはまたもう一つのケバブサンドウィッチに手を伸ばした。
奇妙なモツ煮込みばかりを腹に入れていたベリルも、流石に美味しいものを食べたい。しかし、美味しいものを口にしたらそれ以上その奇妙なモツを食べる事は出来なくなる。サンドウィッチが無くなる前にと、ベリルは残ったモツを掻き込んだ。
***
ロビンはゆっくりして良いと言ってはくれたが、なんとなくそこまで羽を伸ばすつもりにもなれなかった。
煙草屋の建物を出たベリルは、少し遅い朝食を摂る為にバーガーショップへ向かった。大図書館からも近いので、学生も多い。
ハンバーガーのセットを頼んで壁際の席を選んだベリルは、食事をしながら店内を見回した。
(⋯⋯結構魔力漏れてる人、多いな)
しかも最高学府に通っていそうな人間よりも、高校生らしい年齢が多い。
ベリルの隣に座る高校生の2人組も、全身から魔力が抜けている。
(⋯⋯この人達も、大図書館で薬を貰っているのか?)
バーガーショップに居るだけの被害者を見るだけでも、相当の人数が居る。これだけの人間があの狭い通路と書架室で薬を貰っているとは思えない。
(⋯⋯そう云えば、祖王国だっけ⋯⋯)
ベリルが見付けた薬の取引き場所、あの北棟がもしその祖王国の遺産だとしたら。
(⋯⋯この都市の歴史、調べてみようかな⋯⋯)
食べ終わったハンバーガーの包み紙を丸め、ゴミ箱に捨ててからベリルはバーガーショップを出た。
取り敢えず今日の目的は、この学術都市の成り立ちを知る事。
そして、美味しくて量が多く、何よりも安い惣菜を手に入れる事である。
臓物料理は好き嫌いが分かれるものです。




