57.違和感しか無い先生
実はあの薬を渡したのが担任教師のグルーザと云うのを知ってから、ベリルはあのポンコツの行動を観察する様になった。
サミュエルが言うには、放課後のE組で質問に来た生徒に渡しているものがあるらしい。ちらと見た限りでは普通にハーブだったりするらしいのだが、ある一定の生徒には薬を渡しているのだと云う。
その生徒達はサミュエルの目から見ても、じわじわと魔力が抜けていたそうだ。
「ちょっと待てよ。なんでそこで疑問に思わないんだ?大問題じゃねぇか」
「疑問には思ったけど、何かの実験か何かだと思ったんだよね。グルーザ先生ってどっちかと云うと研究者だからさ」
「⋯⋯研究者?」
「そう。あの人は教師じゃ無い。完全にごりごりの研究者」
そう言われてもベリルには研究者がどう云うものか解らず、サミュエルに詳細を求めた。
「そうだな⋯⋯目的の為なら、何でもするタイプ。非人道だろうが非道徳だろうが、研究の為なら自分の倫理観も無視するサイコパス」
「⋯⋯そんな人には見えないけど」
「それはそうだよ。あの人演技してるから。同じタイプだけど、全く演技する気も無いウチの父上とはかなり違うね」
「おい、閣下は違うだろう」
「⋯⋯ああ、流石の父上もベリちゃんの前では頼れるおじさんでいたいのか⋯⋯」
ベリルには、サミュエルの呟きは聞こえなかった。ベリルの前ではあのフレーヌも穏やかな男を装っているつもりだった。度々狂った感性が見え隠れしていたが、高位貴族ならば庶民の及ばない何かがあるのだろうと、ベリルは捉えていただけである。
「そもそもどうして、お前はあのポンコツ教師の所に行ってたんだ?」
「それは勿論、性転換薬の為だよ。他の薬学教師達よりも知識が深いと思って、色々質問攻めにしたんだ」
「⋯⋯その時変なもの貰ってないだろうな?」
「いや?回答して貰ったら用は無いからね。そう云えば毎回後ろでごにょごにょ言ってたけど、興味無いし無視してた」
サミュエルは何処まで行ってもサミュエルである。これぞセレスタインだと、見る者が居たら評する嫡男であった。それは即ち⋯⋯
「サイコ野郎」
ベリルは断言した。だが、往々にして自覚とは難しいものである。
「そんな訳無いよ、父上じゃ無いんだから」
サミュエルからすれば、己は正常なのだ。
**
さて、グルーザの観察を始めたベリルだったが、グルーザの行動パターンに幾つか疑問を持つ様になった。
グルーザは髪にしっかりと櫛を入れないタイプなのか、よく寝癖が付いている。毎日羽織っている白衣はヨレヨレで、実験中に飛んで付着したと思われる薬品が変色した部分もある。ところがよく見ると、中に着ているシャツはぱりっと糊が効いて清潔感があるし、履いている革靴は几帳面に磨かれていた。
(⋯⋯案外神経質なのか?)
異性の存在も疑えるが、それなら白衣と寝癖もなんとかしようとするだろう。靴は流石に店に任せているのだろうが、今までのグルーザを考えるとその店に依頼をするタイプとは思えないのだが、この連日の違和感を思うと、やはりグルーザが全てやっている事なのだろう。
そして道を歩く時は絶対に右端を歩こうとしたり、カトラリーの位置ひとつとっても気にしている事、白墨を使用した後は絶対に手を洗う事が分かった。ベリルの予想以上に拘りが強い男の様だ。
しかしそれだけで、危険な薬をばら撒いているとは決め付けられない。
そこで、ベリルは放課後のE組を張り込む事にした。とは云っても教室内にはクリステアも居るだろうし、出入りする質問者を陰からひっそりと確認するだけだ。
授業が終わり、まずベリルは然りげ無く教室に居残った。今日の授業のノートを広げ、別途用意していたメモ書きと併せて新しくノートを清書するのである。そんなベリルの許に、いつもの3人娘が話し掛けてくれたのも助かった。質問に来た生徒達から壁になってくれたのだ。
毎日授業が終わると慌ただしくA組に走り去ってしまうベリルを捕まえたかったらしい。3人はフレデリカに渡す為の手紙を手渡し、ベリルの広げていたノートとメモ用紙に感嘆した。
「このノートさえあれば、この世の全てが手に入る⋯⋯」
だなんてキールは言ったが、それは大袈裟だ。ベリルもキールにそう言った。だが、傍に居たナンナとデイジーもキール程では無いにしても、「そのノートは価値が有る」と言い始めた。
ベリルはただ板書をノートに書き写し、教師の言った事をメモに書いただけである。だが、思えばE組はそこまで成績の良い生徒が居るクラスでは無い。要点を纏めると云う行為は苦手なのかもしれない。
「⋯⋯良ければ、もう一冊作りましょうか?」
「ほ、本当にぃ?」
「これで赤点脱出⋯⋯⁉︎」
「ふふっ、ふふふっ、ノート量産して高額販売⋯⋯ふふふふふっ⋯⋯」
キールが1人かなり不穏な言葉を呟いているが、ベリルのノートは成績アップには使えるらしい。
(僕もこれで、サミュエルから金取るか)
と、内心で冗談を考える余裕すらあった。3人娘と話しながらノートを清書している内に、グルーザに質問する為に来た生徒達も十分集まって来た。
着けている腕章はほぼ2、3年生だ。勿論クリステアもその輪の中に居る。
(⋯⋯まずいな、量が増えてる)
ベリルの目から見ても、クリステアの体から漏れている魔力はあの日より格段に増えていた。アデラにもクリステアの事を話したのだが、休日に尋ねた彼女は寮で門前払いを受けたらしい。
おまけにクリステア以外にも魔力が漏れて、更に顔色の悪い生徒も居る。
(⋯⋯確実だな⋯⋯でも、何て言って薬を渡してるんだ?)
薬を渡す相手は厳選していると思うのだが、そのラインが分からない。クリステアの様に友人関係に悩みがあるのか、勉強面の悩みがあるのか。そもそも、どうやってその相手を引っ掛けるのか。今グルーザと話しているのは元気の良さそうな女子生徒である。
魔力を耳に集中させても、今は3人娘の声が大きく聞こえるので意味が無い。それならと、ベリルは3人娘に話を振ってみる事にした。
「グルーザ先生はとても人気なのですね」
「そうねぇ?他クラスの生徒にはあそこまでダメ振りはバレてないからぁ」
「話を聞いてくれる先生だから、恋の悩みを相談する子もいるみたい」
「黙ってれば結構かっこいいしね。手製の匂い袋とかハーブティーとかくれるみたいよ」
確かにニコニコ笑うグルーザは、女子生徒に何か手渡している。ハーブティーの様だ。
魔力漏れを起こしている生徒は全員列の後ろ、今ハーブティーを手渡されている女子生徒の様に明るい表情をしている生徒は前に並んでいた。恐らくだが、あまり他人に聞かせたく無い悩みがあるのだろう。人が捌けるのを待っているのだ。
(⋯⋯精神的に追い詰められている生徒の心の隙間に上手く入り込んだって所かな?)
これ以上教室で粘っても良い話は聞けなさそうだ。部外者が居る事で薬を渡すのを控えるかもしれない。
ベリルは3人娘との会話を切り上げ、教室を出た。そして人影の無い場所、校舎の端にある階段の窓から外へ飛び出した。
ベリルが考えた「陰」とは、外から教室を窺うのである。教室内ではベリルの姿を見て、きっと何も行動しない。廊下からでは音は拾えても、薬を渡す事は確認出来ない。
それならば、窓から見れば良いのだ。カーテンの陰に隠れて仕舞えば姿を見られる事も無いし、窓から中を窺える。音を拾う事だって容易だ。
校舎の外壁に貼り付いておく必要があるが、ベリルの身体能力ならば問題にもならない。
(⋯⋯よし、思った通り)
ベリルが教室を覗くと、教室内にはグルーザと魔力漏れを起こしている生徒達しか残っていない。ベリルは耳に魔力を集めて中の音を聞き取った。
──どうですか、調子は?ええ、貴方は素晴らしい。私だけは分かっているのです。
──貴女を認めないなんて、可笑しな話です。ええ、ええ。私は知っていますよ、貴女の努力を。
──何も可笑しい事はありません。貴方の容姿はどう見ても普通です。気にする様な事はありません。
グルーザは頻りに生徒の能力、努力、容姿を称賛⋯⋯と云うより、言葉で包む様に容認して行った。そして「私だけは分かっている」だなんて陳腐な言葉を言い続けている。街でチャラい男がケバいおばさんにそんな言葉を言っているのを見た事があるが、似た様な詐欺にしか見えない。
(それに、こんなんで騙されるのか⋯⋯?⋯⋯⋯⋯ん?)
教卓の上に香炉が置かれていた。ベリルが教室に居た時には置かれていなかった筈だ。香炉からは毒々しい紫色の煙が燻っている。
生徒達を注視すると、顔色の悪さにばかり目が行っていたのだが、その瞳の虚さに違和感を覚えた。
(⋯⋯これは、精神に作用する香か?リラックス効果なんてものじゃない。完全にグルーザは故意に薬を配ってる)
生徒一人一人に配る、瓶詰めの薬。薄赤い丸薬は香炉から立ち昇る煙同様毒々しい。
(あの薬、どうにか手に入れられないか⋯⋯?)
成分を調べる事が出来れば、グルーザが何をしているのか分かるかもしれない。
そこでベリルは、今ゆっくりと教室を出て行った男子生徒を追う事にした。
サミュエルはサイコパスです。
世間一般イメージでのイカれたサイコパスがフレーヌで、本当の意味でのサイコパスがサミュエルです。
サイコパスの性格や行動の表現は理解出来ない分非常に難しいです。




