49.フレデリカは必要だった?
少年の成長も考えなくてはいけないと思うのです。
「⋯⋯⋯⋯なんか、喉の調子が悪いなぁ⋯⋯」
朝目覚めてから、ベリルは違和感しか無い。声が上手く出ないのだ。
「エレナさんから聞いて、僕の声どうですか?」
「風邪でしょうか?某プロレスラーとまでは行かなくても、結構聞き取り辛いですね」
「⋯⋯プロレスラーってなんですか?」
「⋯⋯なんでしょう?私も何故かそんな言葉が⋯⋯」
風邪と言っても喉が痛む訳でも無い。声を出さなければ治るだろう。
ベリルは朝食とは別に、蜂蜜をひと匙だけ貰って舐めた。
「如何ですか?喉は」
「⋯⋯うーん⋯⋯特に変化がある訳じゃ無いですね。出し辛さは変わらないですし、声も変わらないですよね?」
「そうですわね。⋯⋯今日は本当に、声をお出しにならない方が良いかもしれませんね」
「⋯⋯そうは言っても、出さない訳には⋯⋯」
渋るベリルに対し、エレナは部屋の隅から分厚いメモ帳を2冊持って来た。メモ帳の割には紙も大きいし、リングで綴じられているので使い易そうだ。
「筆談と云う手も御座います」
「⋯⋯成る程、そうします」
素直にメモ帳を受け取ったベリルは、そのまま登校する事にしたのである。
**
そして、その日登校したベリルは徹底的に声を出す事はしなかった。
勿論、同級生達は全てベリルの体調を心配してくれた。声を掛けられる度に、一々メモ帳に礼の言葉を書き出した。こう云うのは誠意である。惰性は良くないのだ。
ところが昼の休み時間に入ると、とある可能性が見えた。何時もの様にサミュエルがやって来た時である。
「フレデリカ♡」
『ご機嫌よう、サミュエル様』
ベリルはメモ帳に言葉を書いて見せた。そんなベリルに、何故かサミュエルは少しショックを受けた様だ。
「⋯⋯可愛い君の声を聞かせてくれないの?」
『風邪で声が出ません。あと可愛いって言うな、阿呆』
「風邪⁉︎そんな⋯⋯すぐに僕の薬を飲んで!」
『大袈裟です。何よりお前の薬なんて何飲まされるか分かったもんじゃ無いから要らない、変態』
「大袈裟なもんか!大丈夫、セレスタイン印のちゃんとした薬だよ!」
待ってて!と、サミュエルは教室を飛び出して行った。恐らく寮まで薬を取りに行ったのだろう。
何よりベリルは気付いてしまった。
(⋯⋯⋯⋯これは、暴言を幾ら言っても気付かれないのでは⋯⋯⁉︎)
正確には言うのでは無く、書くが正しい。しかしこれは新たなストレスの発散方法ではないか。
(声が出るようになっても、あいつには筆談で居続けるのも良いな)
思わずにやりとほくそ笑んでしまう。そしてその後の昼休みは、サミュエルの薬なんて無視して、食堂へランチに行ったのだ。
しかしその後の放課後、薬を持って来たサミュエルがこっそりとベリルに囁いた言葉に、首を捻る事になった。
サミュエルに奢りと押し切られ、例のエルフの喫茶店に連れて行かれたのである。
「⋯⋯ちょっと聞くけど、身体が痛かったりしない⋯⋯?」
「どういう事だ?」
「こう、寝てると脚の骨が、ギシギシミシミシと⋯⋯」
「!」
そう言われて、流石に気付かないベリルでは無かった。何故なら、その症状には3ヶ月程前になった事がある。
(⋯⋯成長痛⋯⋯⁉︎)
確かにここ最近踵が痛む事があったが、まさかあれがそうだと云うのだろうか。それならば、この喉の違和感は。
「⋯⋯声変わり?」
「嫌だああああッ‼︎」
がすがすの声で思わず呟いたベリルの声を聞いて、サミュエルはその場で打ち拉がれた。
「ベリちゃんが男になっちゃうよ‼︎」
「ちゃん付けするな!大体僕は産まれた時から男だッ‼︎」
「ベリちゃんは一生華奢で可愛くいてくれなきゃいけないんだああッ‼︎」
あまりの言われ様に、ベリルは声を荒げた。しかし、それを上回る大音量でサミュエルは嘆き倒した。あんなに美少年と持て囃されていた男が、涙と鼻水で顔をべしょべしょにしている。ベリルの頭に昇った熱も、一気に冷めた。汚らしさにドン引きである。
「僕は嫌だよ!ベリちゃんにムキムキな筋肉とか、もじゃもじゃの髭とか、○○○が生えるとか⋯⋯!」
「筋肉と髭はどうなるか分からないけど、○○○は元から有る。後から生えないから」
「フローラルなベリちゃんだったのにぃ⋯⋯!」
「お前の嗅覚は可笑しい」
それにしても、ベリルは少し困った事になったと感じた。もし本当にこれが成長の兆しなのだとしたら、今以上に少女の扮装をするのは無理になると云う事だ。
「⋯⋯僕は明日風邪ひいたって休む」
「ふえ?」
「よく聞けよ、お前は普段通りに過ごせ。放課後またこの店で落ち合おう」
「え⋯⋯なんで明日?」
話があるなら今じゃ駄目なのかと、サミュエルの目は言っていたが、ベリルにとってはここが重要なのだ。
「エレナさんを連れて来る。公爵閣下にお伺いも立てないといけないし⋯⋯」
フレデリカ・ウラガンの存在は、フレーヌ・セレスタイン公爵の権力に依って作られた虚像だ。消すにしても彼に一言も無いなんて、やってはいけない事だ。
「僕が男の体型に成長する以上、無理になる前にフレデリカ・ウラガンは退場だ」
「それだとベリちゃん、聖女にはどうやって近付くつもりなの?」
サミュエルの癖に、中々痛い所を突いて来る。しかし、あの聖女相手にフレデリカとして接触しても芳しく無いのだ。従者のアデラとは随分打ち解けてはいるのだが。
「どっちかと言うと、聖女はお前がお気に入りだろ。ちょっと笑い掛ければコロッと落ちるんじゃないか?」
「ええ〜⋯⋯僕そこまで愛想良く出来ないよ⋯⋯」
堂々と嘘を言うサミュエルの言葉は流され、ベリルの成長に関してはエレナからフレーヌへ伝えられた。
エレナの魔鳥は小さなコノハズクだが、日付けが変わる前にフレーヌの元へ事の次第が届けられ、フレーヌの鷹は夜が明ける前に返答を届けた。
「⋯⋯ベリルさんは男に戻って良いそうです」
「本当ですか?良かった、これで王都に戻れますね」
都市での生活に心残りが無い訳では無いが、それでも師匠の事が気になって仕様が無いのである。公爵家に迷惑を掛けていないか、剥製になっていないか等、都度考えてしまうのだ。
だが、エレナは思ってもみない事を言った。
「⋯⋯それ、どう云う⋯⋯」
「兎も角、詳しい事はサミュエル坊っちゃまも交えてからお話ししましょう」
***
その数日後、フレデリカ・ウラガンは婚約者が決まったと云う事で故郷へと帰って行った。
まだ中学生でも、貴族である以上この年齢での婚約も結婚も珍しい事では無い。特にフレデリカは美しかったし、同級生達は納得した。それに、寄親である公爵家嫡男に言い寄られていた事も原因であろう。きっと嫡男の目を覚まさせる為に、フレデリカの結婚を斡旋したのだと噂になった。
フレデリカの学園生としての最終日、仲の良かった同級生達はそれはもう悲しんだ。フレデリカも寂しい笑顔を浮かべ、別れを惜しんでいた。
その最終日も彼女はメモ帳を放さず、そして一言も発する事は無く、メイドと共に馬車に乗って行ったと云う。
***
「面白いくらいに上手く行きましたわね」
学術都市からたった一駅行った先の街で降りたベリルとエレナは、その街のホテルに腰を落ち着けていた。
「⋯⋯なんだか心苦しいですね、また数週間後に学園に戻るんですけど」
「あら、私はこの街で待機なんですけどね」
これから、この街で拠点となる家を探しに行かなくてはならない。エレナは暫くそこで待機となる。
そしてベリルはと云うと、今度は男として学術都市に行く事になった。
「⋯⋯ベリル・ウラガンですか。ウラガン男爵には本当に申し訳ないです」
全ての原因はベリルの二次性徴なのだが、聖女が女子生徒と全く仲良くしないのも原因だった。そんな聖女の特徴を知ったエレナが、フレーヌに進言したのだ。
「ベリルさんは女の子より、男の子で動かした方が良い」と。
問題は男子寮の空きだったのだが、そこはある裏技を使う事になった。ベリルは決して正式な生徒として学園に戻る訳では無いのだ。
「⋯⋯サミュエルの従者ですか」
「ええ。同年代の従者なら、学内に入っても咎められる事はありません」
手続きさえ踏めば学内をふらついても問題無いのだから、セキュリティの甘い学校とも呼べる。
しかし、ベリルはそこで気付かなくても良い事に気付いてしまった。
「⋯⋯⋯⋯待ってください、これ最初から従者として潜り込んどけば何の問題も無かったんじゃ⋯⋯」
「さあベリルさん!男性としての準備をこの街で揃えますわよ!」
「エレナさん⁉︎」
「服装なんて大切ですわよ!ベリルさんのダサい私服なんて役に立ちませんのよ!」
「誤魔化してるつもりでも、それ普通に悪口ですからね⁉︎」
実際、女装は意味が有った筈なのだ。基本的に周囲を女性で固めている筈の聖女に近付くのなら、女生徒が一番だったのだ。
しかし聖女が予想以上に俗物で、思った様な成果は上げられなかったと云う訳である。
女装は一旦卒業です。
大人の女性になら化けられますが、流石に同年代の少女の振りは難しいでしょう。
フレデリカ(偽物)の再登場は、サミュエルさんの薬が完成したら有るかもしれません。




