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3.其々の苦悩


「それで気付いたら、こんな獣の姿で工業区画のドブに浮かんでたんだ⋯⋯」


 はぁ、と疲れた様に息を吐き出したその仕草はあまりにも人間臭く、この獣が元々人であった事を思わせた。


「よく無事でしたね、泳げないのに」

「お、泳いだ事が無かっただけなんだからなっ!今回だって万全の状態だったら華麗に泳いでたんだからなっ!」

「万全だったら魔法でなんとでもするでしょうに⋯⋯しかし厄介な呪術ですね。魔力が練れないなんて」


 魔法が使えないのは痛手だ。魔力さえ練れれば、この呪いを内側から破壊する事だって不可能ではないかもしれない。

 だが、世界有数の魔術師でもあるジークベルトにとって、魔法を奪われるということは持っていた武器を全て失ったに等しい。

 それに、魔道錬金術には魔力が不可欠である。魔力を練れない以上、ジークベルトは唯一のアイデンティティを失ってしまったと云う事になる。


「⋯⋯今月の契約納品、踏み倒せるかな」

「え、何か言った?」

「いいえ、何も。それよりセレスタイン公爵閣下に一刻も早く事の経緯をお報せしなくては」


 セレスタイン公爵家は医療系魔術の名門だ。そして、魔導具を認める数少ない貴族家でもある。

 ジークベルトはとある縁から、魔導具の販売から流通、果てはクレーム対応まで公爵家に頼り切っていた。


「行きましょう、ジーク様」

「えぇっ!もう真っ暗じゃないか!」

「星が出ています。いつ襲われてもおかしくないのですから、すぐ出るべきですよ」


 窓の外を見れば、大きな月が上り始めていた。夜が更ける程呪術師は力を増すが、星月夜では魔術師も力が増す。

 移動時に襲撃されても、運動能力に魔力を上乗せすれば無事に辿り着ける自信が、ベリルには有った。


「ただでさえジーク様の洗濯と経緯の確認で遅れて居るのです」

「今洗濯って言った?」


 恨めしげなジークベルトの呟きは無視して、ベリルは履いているショートブーツの紐を締め直した。

 公爵家に伺いに上がる以上、身形を整えるべきなのだろうが、走る事に集中するつもりなので動き易い今の格好が一番だろう。無礼であるが、手土産等も持たない。なにより大きな荷物を抱えて行く必要がある。ジークベルトの事だ。


「ジーク様は僕が抱えて行きますから」

「え?馬車とか乗らないの?」

「近道を走った方が速いですし、動物は乗車不可だと思いますので」

「⋯⋯そうだな」


 自分の姿を見て納得したのか、ジークベルトは肩を落とした。ベリルからしても、謎の生物ジークベルトを大勢の人間の目に晒したくは無い。


 公爵家へ向けて先触れの為の魔法を放てば、後は出発するだけだ。ベリルは魔力で鳥を作り出し、公爵家へと飛ばした。この魔法は対象の前へ飛んで行き、簡単なメッセージを伝えるお手軽なお手紙魔法だ。

 魔力の鳥は人によって違うらしく、ベリルの鳥は白くて大柄な鳥だ。何の鳥かは解らない。取り敢えず、食べても不味そうな鳥としか解らない。

 顔見知りの使用人へと飛ばした鳥を見送り、自分達も早く出発しようと、ジークベルトを抱え上げる為に足下を見遣るが、姿が見えない。どうやら、ジークベルトは一匹で物置部屋をひっくり返しているようだった。


「ジーク様、何してるんですか。早く行きましょう」

「それなんだけどベリル、この背嚢(リュック)使えないかな」


 そう言って、ジークベルトは可愛らしいデザインをした背嚢を物置から引き摺り出した。そして前足を器用に使い背嚢の口紐を緩めて、そこに尻からすっぽりと納まって見せた。


「ほら、胴体と尻尾だけならなんとか納まる。これならお前も両手が使えるだろう?」

「それは助かります」

「転んだら危ないからね」


 ジークベルトは優しく微笑んだつもりだったのだろうが、半目の薄ら笑いで口許を歪ませた鼠は、絶妙に気色悪かった。

 通常ならばここで憎まれ口を叩くベリルだったが、師匠の優しさを受け止めるくらいには素直であった。獣の手ではまず綴じれぬ紐を、代わりに綴じてやる。

 黙って背嚢の口紐を締めながらふと思い出したのは、この背嚢は数年前、師匠がベリルにと買って来たものだという事だった。レースとリボンの可愛らしいデザインで、男らしさに憧れる幼いベリルは、嫌な物を貰ったと物置部屋に封印してしまったのだ。

 今の今まで思い出す事も無かった代物である。それをジークベルトは憶えていたのだろう。


(⋯⋯もしかして、あの時も転んだら危ないから僕に買って来たのか⋯⋯?)


 此処に来たばかりのベリルは、近所の悪ガキ共相手に喧嘩ばかりしていたから、生傷が絶えなかった。毎日どこかしらに痣や擦り傷を作ってくる弟子を思い、少しでも傷を減らそうと考えたのかもしれない。デザインは絶対に外しているが。

 貰った当時は唯の一度も背負わなかった背嚢を背負いながら、照れ隠しに疑問に思っていた事をジークベルトに尋ねた。


「⋯⋯そう言えば、工業区画から商業区画までよく帰って来れましたね。その姿じゃ籠馬車にも乗れないのに」

「まあ、半日かかったけどね。最短経路を使ったから」


 そう言われて、最短経路で思い浮かべたのは、つい最近開通した単軌鉄道(モノレール)だ。

 都市の外を走っている通常の鉄道と違い、都市の上空を吊り下がって走る珍しい鉄道である。視察や通勤の為に製作された交通機関であり、そのシステムと強度にはジークベルトが携わっている。

 中級区画から郊外まで放射状にレールが敷かれ、各所に駅が設置された今をときめく観光資源だ。休日は勿論、平日だって引きも切らずに乗客がいる。

 因みにベリルは未だに乗った事が無い。


「冗談でしょう?」

「冗談じゃないって。本当に大変だったんだ」

「それは、わかります」


 こんな謎生物が乗車して来たら、他の乗客は大パニックだ。

 ぱっと見は巨大な鼠だし、袋叩きに遭ってもおかしくない。

 開発者だからこそ知る、人目に付かない秘密の乗車口やら隠しスペースやらが在るのだろう。


「一度くらいは僕も乗りたいですね」

「乗る?あんな所に入るなんて私は二度とごめんだ!暗いし汚いしなにより臭い!」

「は?入る?」

「なぁベリル、悪い事は言わないから考え直しなさい。世界一可愛くて賢いお前は、後学の為とか考えて居るのだろうけど、あんな所に入ったら死にたくなってしまうよ。私は元に戻り次第、あそこの改革をする!」


 気持ちの悪い発言が有った気もするが、会話の齟齬が気になる。

 前述の通り単軌鉄道は超人気乗り物だ。

 通勤労働者や中流階級の観光客だけでなく、物見高い貴族だって利用する。清掃が行き届いていない場所など無い筈なのだ。


「単軌鉄道⋯⋯ですよね?」

「え?単軌鉄道?違うよ、下水道だよ」

「⋯⋯げ、下水⋯⋯⁉︎」

「実は工業区画の子供達に追いかけられてさ、逃げ込んだ先が下水道だったんだ」


 工業区画に居る子供達は最下層地区に近い分かなり逞しく、そして残酷で容赦が無い。

 枝を振り回しながら未知の獣を追い立てる子供達が簡単に想像出来た。


 ベリルは獣の姿で帰って来たばかりのジークベルトを思い出した。工業区画の川を泳いだにしても、汚らしいヘドロ塗れだった。

 下水道を通って来たと言われて、妙に納得してしまった。


「今まで下水道の構造なんて気にしてなかったけど、あれ細々とした支流が何本も有って一本の大きい主流に流れ込む様になってたんだぁ。川と同じだろぉ?」


 ジークベルトはこの世の地獄を思い出したとばかりにふへへと乾いた笑いをあげた。


「⋯⋯まさか最上級区画からの汚れも⋯⋯?」


 最上級区画には言わずと知れた、この王都が誇る白亜の王城が(そび)え立って居る。

 見た目こそ美しいが、中は魑魅魍魎が蔓延(はびこ)り、弱者は食われるだけの魔窟である。


「取り敢えずぅ、区画ごとに自浄作用のあるポッドとか作ろうかなぁ?それでぇ、物質はちゃんと別の場所に収容出来る様にするんだぁ」


 区画別に収容したら、きっと面白いぞぉ!と、ジークベルトは自棄っぱちに笑った。

 ジークベルトは下水道で食い尽くされた弱者を見たのだろう。城の制服を着ていたのか、顔見知りだったのか。それとも何かの物的証拠か。


 生贄を求め地下世界を暗躍する呪術師達と、笑顔の裏で誰かを陥れる権力者達の何が違うのか。そもそも、呪術師の顧客は貴族達だと言われている。何処までも人間の本質は変わらない。


「改革をする為にも、早く元の姿に戻らないといけませんね」

「⋯⋯本当になぁ⋯⋯もう⋯⋯」


 背中越しで顔は見えないのだが、しみじみと呟いたその声だけで遠い目をして居るのが解った。相当にショッキングなものが下水道に在ったらしい。

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