271.あ、お名前は伺っております。
「じゃあな!にーちゃん、ねーちゃん!」
列車から降りたニコラは、母親と共に大きく手を振った。それに手を振り返していると、機関部からマルトーの濁声と出発の合図である警笛が鳴り響く。
マルトーとロッチャによって修理され、動かされた列車は通常のものより精密な動作が可能となった上、速度も申し分無いとんでも無いマシンに仕上がった。
如何程とんでも無いかと云うと、同様に停車した列車を粉砕して走って行く程にとんでも無い。
こんなに車両を壊してしまうと、後々面倒な事になるのでは無いかとベリルは考えたのだが、邪魔な障害物を一々退かさずに済むと云う所は確かに利点である。
「コレがドワーフ一の名工の力ッスよぉ!」
「応よ、こいつで面倒な作業はしなくて済むぜ!」
非常に物騒な会話をしながら、ドワーフの師弟は列車を動かし続けた。乗客達が降りる筈だった駅には都度停まってくれるのだが、それ以外は正しく爆走と言えた。
そのお陰と云えば良いのだろうが、ブラムシュタット王国の端から端へとあっという間に走り抜け、今最後の乗客であるニコラ達が降りて行ったのだ。
「⋯⋯この先からは、とうとう魔法王国か⋯⋯」
やっと戻って来たと思えば良いのか、それともまだ帰るのは早いと考えた方が良いのか。それでもこの世界の異変と、アデラの安全確保の為にも、ベリルは王都へ戻らなければならない。
(⋯⋯⋯⋯でもねぇ、どう説明しようかな⋯⋯)
もう既に見えなくなった後方へ、未だに手を振り続けているアデラを見遣る。
自身の未だ宙ぶらりんの身分を、アデラに何時伝えるべきか。そして、王都の諸々へアデラを如何説明するか。
(ドゥシュアが居るから、この非常事態を考えても責任の有るミシェル陛下とアヴァール様は即時王都に移っている筈⋯⋯)
有能と云う点を鑑みて、アルベルトも移動していると見るべきか。それならば、サミュエルと冒険者達、そしてジークベルト達も一緒にくっ付いて居るだろう。
(⋯⋯⋯⋯本当に、如何説明しよう⁉︎)
今更だが、聖女に託されたと説明して納得して貰えるだろうか。変な誤解を生んで、拐かしたとか言われないだろうか。
(それは流石に考え過ぎ⋯⋯⋯⋯だけど、絶対ジーク様とサミュエルが見たら面倒な事になるぞ⋯⋯あと、ひいおばあ様⋯⋯)
具体的な混沌とした場面が思い浮かび、汗がだらだら流れるが、解決策は浮かばない。それならいっそ、顔を隠して王都へ入ろうか。何処かに潜伏して内情を探れば良い。
その潜伏場所を頭の中で考えていると、列車に並走する様に走る大型の魔獣の群れが目に入った。ダークウルフだ。闇の炎を毛皮に纏わせた、最上位種の様である。
「⋯⋯この速度を追い駆けるなんて」
ブラムシュタットの国境を越えた途端、魔物が段違いに強力になった気がする。ダークウルフは勿論、向こうで寝転がっているのはサイクロプス、空を縦横無尽に飛び回るのはドラゴン。
(⋯⋯これも精霊との関係がずれた影響か?)
聖域が近い程、強力な個体を呼び寄せるとでも云うのか。
ベリルはアデラの背を押し、テラス席から客車へと促した。ドラゴンが飛んでいる以上、外に出ているのは危険でしか無い。
案の定と云うか、古竜としてのプライドが高いフェルニゲシュは不満を顕にした。
【あんな蜥蜴に怖気付くのか!】
「僕からすれば、ドラゴンは食肉でしか無いぞ。⋯⋯⋯⋯だけど、上からあの爪で引っ掛けられたらただじゃ済まないだろ」
「ひっ⁉︎」
勿論、引っ掛けられるのはアデラである。その事にアデラ自身も気が付いたのか、か細い悲鳴を上げた。
「な、中に居れば大丈夫ですよね?まさか列車ごと持ち上げられるなんて事は⋯⋯⋯⋯!」
「それは大丈夫だと思うよ⋯⋯⋯⋯⋯⋯多分」
それよりも、ベリルには懸念があった。
確かにこの列車は物凄い速度と頑丈さで走っているが、それでも細いレールの上に乗っかって走っている事には変わらない。
線路上の障害物を蹴散らす時、マルトーは1度減速してから一気に速度を上げていた。つまり脱線をしない様に、何か魔法を展開してからぶつかっていた可能性が高いのだ。
もしも、いきなり障害物が出現した場合、列車はその衝撃に耐えられるのか。それ以前に、列車を上回る重量と頑丈さの魔物がその障害物だった場合、無条件で停止させねばならない可能性も⋯⋯⋯⋯
「っ⋯⋯⁉︎」
【おおっ⁉︎】
「ひゃっ⁉︎」
そこまで思考を展開していた時、お約束とでも云うのか、列車が急停車したのだ。
甲高い悲鳴を上げながら車輪に負荷が掛かり、車内にも相当な圧力が掛かる。あれだけのスピードを出していたのだ、列車は中々止まれ無い。
もし咄嗟に重力魔法を展開していなければ、ベリルはアデラ共々車内でひっくり返っていただろう。魔法のお陰で、ベリルはバランスを崩しかけたアデラを支えるだけで済んだ。
【⋯⋯⋯⋯いや、そこはラッキースケベのチャンスだろうが】
フェルニゲシュがボソリと何やら呟いたが、そんな場合では無い。フェルニゲシュと共に客室から絶対に出ない様アデラに言い含めて、ベリルは前方の機関部へと走った。
機関部に近付くにつれ、ロッチャの金切り声が大きくなる。
「や、やべーッス‼︎こっち見てッス‼︎」
「落ち着け。騒げば騒ぐだけ、奴の神経を逆撫でするぞ」
「そ、そ、そんな事言ったって⋯⋯は、早くぶつかりましょうッス!」
「⋯⋯⋯⋯あの重量を押し潰すには、速度に足して距離が必要だ。だが⋯⋯今下手に動けば奴はこっちに襲い掛かるだろうな」
「そんなぁ⋯⋯!」
機関部へと入ると、ドワーフの師弟は前方に注視しながら、切羽詰まった会話をしていた。
「マルトーさん、前に何が⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⁉︎」
声を掛けながら前方を覗き込んで、ベリルは絶句した。
線路上には黒いこんもりとした小山。頭部には幾つもの角が生え揃い、全身は黒い体毛でびっしりと覆われている。そして何より目立つのは此方を見下ろす縦に開く単眼。ギラギラした虹彩は不気味に光り、口だと思われる場所がぐにぐに動く。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ベヒモス?」
東大陸でそう云う冒険者が居たなと、他人事の様に思い出す。実物を見た事は無かったが、確かに資料で見た姿と合致した。
「⋯⋯うわー⋯⋯初めて見たぁ⋯⋯」
「な、何とかしてくれよ⁉︎食われちまうよ⁉︎」
「いや、それは多分大丈夫ですよ。ベヒモスって草食らしいんで」
そうは言ってもその資料によれば、ベヒモスは非常に気難しく、1度激昂すれば手が付けられなく成る程暴れ回るらしい。それも、周囲に甚大な被害が及ぶ程の。
なので、もし攻撃するならば強力な魔法で一撃で確実に屠らないと行けない。
「悪いけど、頼めるか?⋯⋯迂闊に動く訳にはいかねぇからな⋯⋯」
「⋯⋯わかりました」
マルトーの要請に頷き、ベヒモスの巨体を見てベリルは体内で魔力を練る。どれ程の魔法ならば、仕留められるか。かと云って強力過ぎる魔法だと、こちらに余波が来る上に、レールに不具合が生じる可能性も有る。
(⋯⋯それに、あんまり殺気を込めたら気取られそうだ⋯⋯)
飽くまで慎重に、ベヒモスから視線を逸らす事はせずに、急所を一撃で───
「そこまでです、そこの巨大魔物!」
「んっ⁉︎」
どっかで聞いた事のある、若い女性の声が聞こえたと思った瞬間、氷の礫がベヒモスの身体を襲った。
それはベヒモスの身体を穿つ威力が有る訳では無かった。だが、被毛に幾つも当たるそれは鬱陶しい事この上無いものだったらしく、ベヒモスは怒りの声を上げて腕を振り上げた。
「⋯⋯⋯⋯まずい‼︎」
腕の射程範囲には、確実に列車が含まれている。ベリルは練り上げていた魔力を、攻撃では無く防御に使う為に展開しようとした。
しかしその腕が振り下ろされる直前、横から何かが飛び出して来た。
「はああぁッッ‼︎」
その飛び出して来た何かは、気合いの掛け声と共にベヒモスの振り上げられた腕を空中で蹴り折った。そしてそのまま、空中で体勢を変えてベヒモスの頭部へ踵を振り下ろす。その勢いは巨体のベヒモスもひとたまりも無かったのだろう、「ごぐぇ」と悲鳴とも判断が付かない音を上げたと思ったら、頭頂部を凹ませて地面へと倒れ伏してしまったのだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯な、何スか、ししょー⋯⋯アレは⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯お、俺に聞くんじゃねぇよ⋯⋯」
ベヒモスを蹴り殺した人物、ベリルはそれが誰かすぐに予想が付いた。付いたのだが、あまりの光景に呆然としてしまう。
その人物は服の上からでも筋骨隆々とした体躯で、見覚えのある侍女服を纏っていたのだが⋯⋯⋯⋯⋯⋯裏地が紫とピンクの水玉の趣味の悪い黒いマントを羽織った上、厳しい化け物の仮面を被っていたのである。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんて格好してるんですか」
鬼瓦みたいな仮面をイメージしてください。




