242.嫁に逃げられた甲斐性無し
乗客達は無事板塀の内側へと迎え入れられたものの、ベリルは町民達の懐疑的な視線に晒されていた。
「鉄道が止まって、此処まで歩いて来たってのは分かるが⋯⋯本当の本当に、あの化け物を殺したのか?」
「そうですよ」
「⋯⋯ドワーフ以外、誰も魔法を使えて無いんだぞ?」
「不思議ですよね。僕にもさっぱり」
惚けてんのかと眦を吊り上げられても、ベリルもよく分かっていないのでそうとしか答えられない。正直こんな尋問よりも、今血抜きしたばかりの牛肉を捌きたいのだが、町民達は放してくれそうにも無い。
「あの、ベリル君は元々魔法が本当にすごいだけなんです!」
「ワシらはこの若いのが居なかったら、間違い無く全員死んどった!悪い人間な筈が無い!」
「助けてもらってにーちゃんをいじめんなよ!」
流石にアデラや他の乗客達もベリルの擁護に回るが、それよりも得体が知れないと、ベリルへの疑いは晴れそうも無かった。
「ま、待つッス!そいつの身許はオレが知ってるッス!」
そこで声を上げたのは、今まで失神していたロッチャだった。後頭部に大きな瘤でもこさえてしまったのか、左手で摩りながら此方に近付いて来る。
「ロッチャさん、知り合いですか?」
「そうッス!魔法王国の⋯⋯えーと⋯⋯何か偉い貴族の所で働いてたッス!」
(浅い証明だなぁ⋯⋯)
貴族の家で働けるくらい身許がはっきりしていると言いたいのだろうが、下級貴族の元で働くのは身許の知れない人物でも不可能では無い。
それにロッチャの情報は正しくは無かった。まあ、ベリルとしても訂正する気は無いが。
しかしロッチャの言葉で水を得たのか、アデラが思い出した様に言葉を紡いだ。
「そ、そうです!ベリル君は公爵家と繋がりがあるんですよ!怪しく無いです!」
ね!と、アデラは顔を見て同意を求めて来た。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯うん、そう⋯⋯だね?」
確かに繋がりは有る。アデラとロッチャが言いたいのは、「そこで働いていた」と云う事なのだろうが、実際はごりごりの血縁者である。取り敢えず嘘を吐く事でも無いと、ベリルは否定はせずに頷いた。
ベリルの返答に、アデラとロッチャは「ほらぁ!」と、町民達に向き直る。息がぴったりだ。
「て、事はあんた貴族か?」
「いいえ、違いますけど」
一応今の身分は王族になっているらしいので、ベリルはそこでも正直に答えた。するとすかさず、「あの国は魔力の高い孤児がごろごろ居るッスからね!そう云うのは貴族に召し上げられ易いッス!」と、しかつめらしくロッチャが補足してくれた。
そのお陰かは分からないが、町民達も次第に納得した様に頷いていった。未だに胡乱気な眼差しの町民は居るが、取り敢えず疲れ切っている乗客達を休ませる為に宿屋を開放してくれるらしい。
それならベリルは折角仕留めた牛肉を御礼として振る舞おうかと、うきうきして頭部の角を握り締めた時、ロッチャから声を掛けられた。
「待てよ!久し振りに会ったんだから⋯⋯もっと何か無いのかよ!」
「ああ、うん。久し振り。破門でもされた?」
「されて無いッ‼︎」
ベリルからすればジョークみたいなつもりだったのだが、ロッチャからすればとんでも無い事だったのだろう。顔を真っ赤にして怒りを顕にした。
(面倒臭いなぁ)
牛のゴツい装備を剥がしながら、ベリルは仕方無しにロッチャが望んでいるであろう質問をしてみた。
「じゃあ如何して魔法王国王都からこんな遠く離れた所に?」
「よくぞ聞いてくれた!」
(聞け聞けオーラ出しといてよく言うよ)
呆れながらもロッチャの話を聞いてみると、本当にとんでも無い事態になっていたらしい。
「⋯⋯⋯⋯ブリガンティアが盗まれた?」
「そう!それでししょー頭イカれちゃって、此処まで探し回って来たんだ」
「マルトーさん、此処に居るんだ?」
「そう。⋯⋯でも流石にこの2年見付からなかったから⋯⋯もう気力も出ないみたいでさ」
無機物を“嫁”と言って憚らなかった時点で、十分マルトーの頭はイカれていたと思うのだが、神槌ブリガンティアの盗難と云う事実に、ベリルは益々確信を持った。
(⋯⋯やっぱり、アレは神器。2年前から⋯⋯もしかしたらそれよりずっと前から計画されていた事だったんだ)
牛の装備を剥ぎ取る手を止め、ベリルは深く考え込んだ。
「⋯⋯そう云えば、ドワーフは魔法を使えるんだね?ほら、さっき板塀を⋯⋯」
「ああ、アレ。道具に魔力は込められないけど、普通の魔法は何とか使える。⋯⋯かなり弱くなったけど」
魔法を使う時に違和感が有るんだ。そう言って、ロッチャは頭を掻いた。
「⋯⋯そうだ、ししょーに会ってくれよ。お前がこの状況でもすげえ魔法使えるって知ったら、ししょーも少しは元気出るかもしれねぇし」
そう言って、ロッチャはベリルの手を掴んで引っ張ろうとして来た。が、ドワーフの腕力を以ってしてもベリルの身体は引っ張られる事は無い。
「肉の解体が有るから、後で」
「⋯⋯いやいや!ちょっと待てよ!代わりに町の猟師に頼んでおくから!」
何としてもベリルを連れて行きたいロッチャは、「おおい!」と、遠くから皇帝ミノタウロスを眺めていた中年男性を呼び付けた。どうやらその男が猟師らしく、快く解体を請け負ってくれた。助けてくれたお礼だと言って、無償で受けてくれたのである。
「良い人だね」
「ああ、そんな人ばっかりだからさ⋯⋯ししょーも此処に落ち着いたんだ」
ベリルの存在を疑うのも、町を守りたいと云う気持ちから来ているのだろう。それは仕方の無い事だなと、ベリルは肩を竦めた。
「あ、少し待って」
兎に角早く行こうとするロッチャを止め、ベリルは子供達と話しているアデラを呼んだ。
「なあに?」
子供達との会話を切り上げ、トコトコと此方に近付いて来たアデラは、小首を傾げながらベリルを見上げて来た。一瞬視線がかち合ったものの、何故だか気不味くなったベリルは少しだけ視線を外した。
「⋯⋯知り合いが居るみたいだから、会って来るよ。宿屋の部屋割りは任せても良い?」
「うん。そうだ、フェルさんは⋯⋯」
そう言って、アデラは肩に乗せているフェルニゲシュを見た。フェルニゲシュでは長いからと、アデラは親しみと敬愛を篭めて“フェルさん”と呼んでいる。
勿論、ベリルはフェルニゲシュも連れて行こうと手を伸ばしたのだが、フェルニゲシュはぷいと顔を逸らし、ベリルの手を躱した。
(こいつ)
アデラの肩に乗っている以上、迂闊に手を出せないベリルは一先ずフェルニゲシュを連れて行く事を諦め、「後は宜しく」と、ロッチャの元へと戻った。
「ごめん、行こう」
そう声を掛けたベリルだったが、ロッチャはベリルの腕を掴み、髭面をずいっと寄せて来た。
「⋯⋯⋯⋯お前、大人になったのか?」
「は?」
何言ってんだこいつ、確か同い年だろ。そう思ってロッチャの髭面を見下ろすと、ロッチャはそのつぶらな瞳をカッと見開き、「昇ったのか!」と、意味不明な質問を繰り返した。
一体何なんだとベリルが訝しむと、ロッチャの独り語りは進んで行く。
「オレ、オレがゲンマちゃんと離れて寂しくしてるのに⋯⋯っ!裏切り者ぉっ!」
「ああ、あの大盛りしてくれたお店の⋯⋯。あの子ロッチャさんとは何も無いでしょ?」
「あ、あ、有るやい!オレとゲンマちゃんはちゃーんと運命の糸で繋がってるやい!」
「財布の紐だと思う」
そうやってロッチャが喚く声を軽くいなしながら道を進むと、ドワーフの師弟が借り住まいをしていると云う荒屋が見えて来た。元々、そこは老齢の鍛治師が住んでいたらしく、外見とは裏腹に中には立派な炉があるのだと云う。
「ししょー!起きてるッスか、ししょー!」
そう言って、ロッチャが少し枠が傾いだ引き戸を開いた。
「うっ⋯⋯⁉︎」
引き戸を開いた瞬間、荒屋に篭っていた空気が広がり、強いアルコール臭と脂の臭いが鼻に付く。そしてその引き戸の先には、背中を丸めて酒を呷る、悲しいドワーフが1人座っていた。
フェルさんには、やらなくてはならない事があるのです。




