25.聖女の皮
「⋯⋯ジェラール」
デイジーはその不躾な男子生徒をファーストネームで呼んだ。その男子生徒もデイジーを名前で呼んだし、元々知り合いだったのだろう。
その男子生徒は、3年生を示す群青色の腕章を身に付けていた。
「なんでまた戻って来たんだ?いつも言ってるが、お前はこの授業じゃ落ちこぼれなんだし、さっさと別の授業に変えてもらえ」
「⋯⋯そんな事しないわ」
男子生徒に対して、そのままそっぽを向いたデイジーは、その男子生徒から離れようとベリルの手を取って歩き出した。
ところが、男子生徒は態々2人の進行方向に回り込んで来た。
「待て、デイジー!他の女子生徒を巻き込むとは何を考えてる!」
「な、何を?」
「決まってるだろう、この授業は貴族家を継ぐ嫡男が受けるべき授業だ。お前は我儘で受けているが、本来なら女には危険な授業なんだぞ!」
「あ、貴方の言い方なら、女であっても私なら受けなくてはいけない授業じゃない!」
「だから、お前の代わりにオレが受けてやっているんだろうが!」
(ははん?)
2人のやり取り、ベリルも合点が行った。
会話の内容から推察して、この2人は婚約関係にあるか、近しい親戚。確かデイジーに婚約者は居ないと聞いたから、親戚で間違いはないだろう。要は継承権の問題である。婚約者の為に自分が代わりに、とかならただの惚気なのだが、親戚同士ならばなんとも生臭い話だ。
しかし、聖女達は良いのだろうか?彼女も女性なのにこの授業を受けているのだが。
(受けてる訳じゃないか。遊びに来てるって感じ?)
残りの2人と、取り巻きの女子生徒に囲まれて聖女は楽しそうに笑っている。そもそも聖王国の教義とかも気にはしていない様だし、いい加減なのかもしれない。
しかし、あのデイジーがここまで険悪になるとは。どちらかと言えばベリルも気に食わない男であるので、デイジーに加勢する事にした。
「ねぇデイジー、まさか貴女馬鹿にされたの?3対1で勝って天狗になってる卑怯な男なんかに?」
「「「ぶふっ!」」」
真面目に授業を受けている生徒達が、思わず吹き出した。
「な、あ、あれは!」
「それにデイジーは落ちこぼれじゃないわよ。あの呼吸法、魔力操作が上手くないと誰かに教えるなんて無理だから」
実際魔力操作が巧みであるから、呼吸法を理解しているのだろう。「何となく」でも出来なくは無いが、誰かに教えるなんて絶対に不可能な技術だった。
「そ、その運動音痴が、有能だとでも言うのか⋯⋯⁉︎」
「運動神経も重要だけど、そんなの魔法で幾らでもカバーできるわ」
ジークベルトも運動はからきしであるが、魔法戦闘にかけては超一流であった。人間であった時は超特大の極悪魔法でぶいぶい言わせていたらしい。本人からの伝聞なので、ただの見栄かもしれないが。
「魔法戦闘実技なんでしょう?魔法を上手く使って勝てばいいの」
ベリルは男子生徒だけでなく、デイジーにも言い聞かせたつもりだ。これで少しでも自信が出れば良いのだが。
「⋯⋯さっきから聞き捨てならないな!」
ずっと聖女からちやほやされて、にやついていた男子生徒だ。彼も3年生の腕章を装着している。
(こいつ、顔がうるさいな⋯⋯)
何と言うか、顔のパーツのひとつひとつが目立つのだ。顔がぱっちりしていると言えば良いのだろうが、それでも美男とは呼べない。まあまあな顔と云う評価で止まるのだ。なんだかバランスが悪いと云えば分かるだろうか。
「君は解っているのか、聖女様の御下命なのだぞ!」
「知る訳ねぇだろダボ」
「んっ⁉︎」
「んっんっ、そんなの知らないわ。貴方声が大きくて嫌になるのよ。ちょっと黙ってくださる?」
あまりの鬱陶しさについ素が出てしまったベリルだったが、相手は上手く誤魔化されてくれたようだ。その代わり、益々声を張り上げる様になったが。
「いいや!我々と聖女様の名誉に関わる事だ!黙る訳には行かない!」
(だからうるせぇって)
どうも大きな声を出せば正しい、とでも考えていそうである。
下層にも居た、声の大きなおっさんを思い出した。理由も根拠も無い、そして論理性も無い主義主張を振り翳して、みんなが煙たがっていた。理不尽と云う言葉を体現したような存在だった。
亡くなった母がそのおっさんの口撃対象に入った事も思い出し、あのおっさんと目の前の男子生徒が被る。
「名誉だなんて、こちらの知った事じゃ無いです。飽くまでもこちらから見た貴方達の事ですよ。3人で寄ってたかって1人の下級生を苛め回している様に見えましたけど?」
「撤回したまえ!あれは正義の行動なのだ!」
「どの辺が正義なんだか。聖女に言われたから?それとも、生意気な下級生を懲らしめる事?あ、それなら私も下級生ね」
苛めるのか?やってみろよ。
そんな気持ちで、ベリルは男子生徒を挑発し続けた。挑発された男子生徒は顔を真っ赤にして、更に喚き散らした。
「き、君は⋯⋯!聖女様には敬称を付けなさい‼︎」
(そこかよ!)
何処の国の出身かは判らないが、聖女信仰がごりごりの国から来たのは間違い無い。聖女絶対、聖女万歳。
あんまりにも大声で騒ぎ立てるものだから、遠巻きに見ていた聖女も不審に思ったのだろう。聖女は大きな日傘を小さな女生徒に差し掛けさせて、フリルやリボンで変に装飾したローブをひらめかせながら悠然と歩いて来た。まるで女王の様な振る舞いで此方に近付いて来た聖女は、それはそれは厚化粧な少女だった。
「どうしたのクインシー?もうすぐ授業も終わるし、サロンでお茶にしましょうよ」
「あっ、も、申し訳ありません!この女生徒が、その、非常に不躾でして!」
「⋯⋯女生徒?あら、そう云えば、見た事ない方ね⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ⁉︎」
ベリルの顔を見た途端、聖女は息を呑んだ。そして真っ赤に塗った唇を噛み締め、ぶるぶると体を震わせた。しかし、その顕著な変化は聖女の持っていた大きな扇子が隠してしまった。聖女の異変に気付いたのは、脇に控える日傘を持った女子生徒だけだったろう。
「ほら君、聖女様の御前だぞ!名前を名乗り給え!」
非常に癪に障るが(あと耳にも)、クインシーと呼ばれた男子生徒の言う事も尤もだと思い、ベリルは聖女に挨拶した。
「昨日2学年に編入生として参りました、フレデリカ・ウラガンで御座います」
折角なので、無駄になりそうだったカーテシーを披露した。相手は国のトップ、信仰の要な人物なので、敬意を向ける相手としてはこれ以上に相応しい人物も無い。
それに、心象を良くしておこうと打算も有った。
(⋯⋯この聖女、持ち上げられるの好きみたいだし)
ベリルはそう考えたのだが、実は逆効果だった。
エレナの無駄に厳しい特訓と持ち前の身体能力のお陰か、ベリルのカーテシーは完璧だった。そう、エレナお気に入りの美しい容姿も相俟って、聖女の嫉妬心を煽るのは必然でもあったのだ。
「⋯⋯⋯⋯そう、貴女、この授業受けるの?」
「良い機会ですので、とても興味が有ります」
「⋯⋯⋯⋯そう、そうなの。ふぅん⋯⋯」
(⋯⋯やーな感じが⋯⋯)
カーテシーで目線を伏せたままだったベリルにも、なんだか空気が不穏になって行くのが分かった。
「⋯⋯なら貴女、模擬戦なんてどう?この授業がよく分かると思うわ」
「⋯⋯?」
(何言ってんだこいつ?)
ベリルはまだこの授業の正式な受講者では無い。そもそも、授業責任者のエグマ教師が不在の状態で、模擬戦が行えるとは思えない。
これでは、まるで聖女がこの授業の責任者である。
(⋯⋯いや、支配者ではあるか)
教師の権限を抑え付けて、3対1での一方的な模擬戦を展開させるのだ。理不尽と云う名の力は、抗えぬからこその「理不尽」と云うものだ。
「⋯⋯素敵なご提案、ありがとうございます聖女様」
「そう、それじゃあ、相手はどうしましょうね?貴女一応女の子だし、そこにいる人にしましょうか」
「えっ⁉︎」
そう言って、聖女はデイジーを指し示した。確かに、デイジーは唯一この授業を真面目に受けているだろう女子だ。
可哀想に、いきなり指名されたデイジーは慌てふためいて怯えた。運動音痴と云う話だし、争い事はそもそも苦手だろう。もしかしたら女子と云う事で、模擬戦も今まで免除されて来たのかもしれない。
ベリルだって、デイジーとの模擬戦なんて嫌だ。
「⋯⋯私、先程の模擬戦を見ていたのですが」
「あら、そうなの」
「とてもがっかりしたのです」
「⋯⋯はあ?」
「だって聖女様、私でしたらあんな3人、何程でも御座いませんから」
聖女としては、デイジーがベリルを一方的に攻撃する図を思い浮かべているのだろう。
しかし、ベリルは聖女とは違う未来図が見えていた。泣いているデイジーを、一方的にぺちぺち叩いている自分が。
そんな事は絶対に避けなくては。
「⋯⋯失礼にも程があるッツ‼︎」
クインシーが吠えた。
(よしよし)
未だ目を伏せたままのベリルは、それを横目で確認してほくそ笑んだのだった。
ぶいぶい言ってる師匠の話もちゃんと書きたい。




