223.茸or Die
「さあさあ、遠慮は要らないよ」
どう見ても上流階級に属する老紳士は、その手ずからティーカップを配って行く。ティーカップの中は琥珀色のお茶が入っていて、香りも中々良い。
受け取った面々は、断る理由も忌避する理由も無いので喜んで口に含んだ。しかしベリルは何となく、このお茶を飲む気にはなれなかった。なので、静かにティーカップをテーブルに置く。
「おや、飲まないのかな?」
「⋯⋯今、喉渇いて無いので」
何故お茶を飲まないか。それはサミュエルから聞いていた、曽祖父アルベルト・フォン・セレスタインの悪癖が関係していた。
彼は茸⋯⋯特に毒茸に傾倒した、無差別テロリストなのだ、と。具体的なテロ行為を上げるとするならば、毒茸の胞子を至る所に撒き散らし、既に生息する食用茸の生息域を奪ったりするのだと云う。
(⋯⋯⋯⋯食べられないものを増やすとか、本当に理解出来ない)
話をする限り悪い人では無いのだが、どうもその事が頭を掠めて打ち解ける事が出来ないでいた。
しかもこの毒茸老紳士、この魔王様御一行のシナリオを担当している。そして老紳士の奥方、ばあばことテュエリーザは演出担当だ。
そう、結局テュエリーザにこの魔王様計画は漏れてしまったのだ。
***
全てはあの日、声を潜めていた筈なのに計画内容をほぼほぼ把握した状態で、話し合いの最中に飛び込んで来たテュエリーザが異常だったのだ。
「話は分かった!」
「うわっ⁉︎テ、テュエリーザ様⋯⋯!」
「ばあばだ、可愛いベリル」
そう言って、テュエリーザはズカズカと部屋の中心へと進み入り、ベリルの顔を覗き込んだ。
「面白い話をしていたじゃ無いか。魔王、魔王か」
良い手だ。そう言って、テュエリーザはニンマリと笑った。
「聖王国の僧兵達の狙いは、飽くまでお前だからな。裏で糸を引いている者の狙いが王城だとして、お前が王都の外にふらふらと歩いていれば、僧兵達は王城を無視してお前を追うだろう」
「い、一体何時から話を聞いていたんですか⋯⋯⁉︎」
「そんな細かい事は気にするな」
「⋯⋯⋯⋯しますよ、普通」
トリスメギストスとの会話内容まで把握している。もしや、ベリルが知らないだけで盗聴の魔法が確立されている可能性があるかもしれない。そんな恐ろしい事を夢想し、ベリルは震えた。
「⋯⋯テュエリーザ様、ちょぉ声落とした方がええですよ」
「ん?そうか」
テュエリーザから遅れる様に、テュエリーザを探しに行ったアヴァールが静かに入室して来た。その後ろには、何故か竹籠を背負った老紳士が付いて来ている。
ベリルが何故竹籠?と、疑問をそのままに老紳士を凝視していると、すかさず傍に近寄って来たサミュエルが耳打ちをした。
「⋯⋯あの人、ひいおじい様」
「と、云う事はテュエリーザ様の?」
ベリルの問い掛けに、サミュエルは頷いた。確かにその顔立ちはフレーヌやサミュエルによく似ていた。きっと2人がそのまま歳を重ねれば、こんな老紳士になるだろう。
「言っておくけど、見た目だけだからね。アルベルトおじい様はテュエリーザ様と一緒に居るだけあって、1番可笑しいから」
「え⋯⋯性転換しようとしてるお前より?」
当然だとばかりに、サミュエルは頷いた。
「毒茸が大好きなんだよ。食用茸も好きだけど、毒茸が異常に大好き」
「⋯⋯へ、へえぇ⋯⋯」
茸の胞子を撒き散らす降りは確かに、頭がどうかしているとは思ったが、それでもサミュエルの方が危ないと思える。滔々と毒茸の事を話すサミュエルを白い目で見ていると、何時の間にやら老紳士はベリルに近付いて来ていた。
老紳士は年齢の割に身長が高く、背筋をすっと伸ばしてベリルの顔を見詰めていた。
「⋯⋯君が、エリオスの⋯⋯?」
「⋯⋯は、はい。ベリルです、閣下⋯⋯」
「閣下なんて呼ばないで欲しいな。私は君のひいおじいちゃんだからね」
穏やかな声と優しい微笑み。どう考えても、異常な老人だとは思えない。
テュエリーザのあの勢いと、サミュエルの異様な愛を知るベリルからすれば、アルベルトはまともな親族だった。
ところが、アルベルトは考え込む様な素振りを一瞬見せたと思ったら、唐突にベリルに向かってこう言ったのだ。
「ベリルはまるで、スギヒラタケの様な子だね」
「⋯⋯⋯⋯は?え?」
その名称から察するに、茸か何かなのは理解出来たが、何故そんな比喩表現を使うのか理解は出来なかった。
「ひいおじい様、いきなりそんな呼び方したらベリちゃんもびっくりですよ」
「⋯⋯そうかい?レピオタ・ブルニオインカナタ」
(⋯⋯レ、レピ⋯⋯⁉︎)
なんと、サミュエルは更に分からないクソ長い名前で呼ばれていた。ベリルが目を剥いて2人を見比べると、サミュエルが「ひいおじい様は、気に入った人を毒茸の名前で呼ぶんだ」と、教えてくれた。
「⋯⋯と、云う事は⋯⋯僕の⋯⋯ええと」
「スギヒラタケは毒茸。別名天使の翼と呼ばれているんだ」
ニコニコと毒茸の解説を始めた老紳士に、ベリルは絶句した。それなら、サミュエルの長い呼び名も毒茸だろうか、聞き慣れないが。
「ちなみに、父上はカエンタケ。ひいおばあ様はドクツルタケだよ」
「⋯⋯待って、その中でもお前の呼び方はやっぱり異常に浮いてるんだけど?」
「⋯⋯⋯⋯大丈夫だよ、慣れたからさ」
そう言うサミュエルの顔は、とても暗かった。慣れたと云うより、諦めたのだと理解した。
***
こうしてベリルは王子にして魔王になり、そして毒茸に成った訳であるが、サミュエルの言葉通り、毒茸呼びもすっかり慣れたものである。要は気にしなければ良いだけだった。
それに、今曽祖父母は大事な共犯者である。演出とシナリオを作り出すだけでなく、魔王を演じている間トリスメギストスとミシェルにベリル達の不在がバレない様、立ち回ってくれているのだ。年の功とでも云えば良いのか、上手い具合に2人の気を逸らしてくれるのだ。
「⋯⋯なあ、じいさん。頼むから今度は俺が活躍するシナリオを書いてくれよ」
「あたしもあたしもぉ!もっと出番欲しいです!」
ダイスとメープルの2人が、アルベルトにシナリオの要求を出す。どうもこの2人は、アルベルトとテュエリーザが公爵家の人間だと云う事を失念している様だった。
それも何せ、アルベルトが優しい物腰だからだろう。今だって2人に対して、「そろそろ大活躍して貰おうと思っているよ」と、にこやかな調子で返しているのだ。
「最近みんなの活躍のお陰で、王都へ攻撃を仕掛ける僧兵達は少なくなっているみたいなんだ」
そう言って、アルベルトは懐から1通の手紙を取り出した。送り主は王城に居るフレーヌだ。
因みにフレーヌにも、この魔王様計画は筒抜けらしい。当初は渋っていたフレーヌも、ベリル達が僧兵を手玉にしている事を知ると、黙認する様になった。
「それに、僧兵達は足並みも揃わないみたいで⋯⋯一旦体制の立て直しの為に合流するらしいよ」
「合流⋯⋯と、云う事は。本国に帰る訳では無いのですね?」
「そうだよ⋯⋯その合流地点、どうやら既に誰かが潜伏しているみたいだ」
その誰か。それは僧兵達を取り纏める誰かか。もしくは裏で糸を引いているかもしれない、黒幕。
「今度のシナリオは、そこに攻め込んで貰うよ。集合した僧兵達を蹴散らして⋯⋯その誰かを拉致して来て貰う。いいね?」
にっこり指針を示したアルベルトの眼差しは、穏やかな笑顔に反して非常に好戦的だ。
先先代の公爵家当主。もう既に引退をしているが、十分現役でやっていける貫禄だった。
「──そう云えば、お茶のお代わりは如何かな?」
そう言ってポットを差し出すアルベルトに、ベリルはふと気になって尋ねてみた。
「⋯⋯ひいおじい様、気になっていたのですが、そのお茶は⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
何の茸なのかと尋ねようとしたら、アルベルトは納得した様に頷き、「冬虫夏草だよ」と、答えた。
「⋯⋯とうちゅう⋯⋯?」
「免疫強化、滋養強壮と、良い効果が見込めるんだよ。毒茸では無いけれど、面白い茸なんだ」
その耳慣れない名前に困惑したベリルに、アルベルトはその効能を優しい口調で解説してくれた。成る程、変な茸では無いのだなと流石に納得したベリルは、「飲むかい?」とカップを差し出す手を拒めずに、今度こそ受け取ってしまった。
そしてベリルは一生知らずに終わるのだ。冬虫夏草が虫から生える茸である事を。そして、その冬虫夏草がアルベルトが人工的に作り出したものであり、巨大なあの虫の魔物を養分にしている事を⋯⋯
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ、おいしい」
「おいしい」じゃ無いよ(笑)
冬虫夏草の養殖は有り得ません。フィクションだからこそ出来る事です。
因みにあの虫と云えばあの虫です。黒い触角のあいつ⋯⋯




