204.唯一残ったもの
「⋯⋯嫌だわぁ、わたし、本当にそんな事言ってたのぉ?」
誤魔化す様に口に手を宛てて、ナンナは微笑んだ。
しかしベリルもそんな事で怯む事は無い。ただ単純に、事実だけを述べた。
「言ったよ。涙目で、あの色ボケとは結婚したくないって」
「⋯⋯⋯⋯い、言ってない、わよ⋯⋯ねぇ?」
事実だが、少しばかり脚色していた。ナンナは「結婚しない」とは言ったが、サウサン王を「色ボケ」とは言っていない。内心はそう思っているのかもしれないが、口には決して出していない。だが、ベリルはさもナンナがそう言った様に嘯いた。その所為なのか、ナンナは「言ったかもしれない」と頭を抱えた。
「い、いくら王宮じゃなくて神殿に居るからってぇ⋯⋯不敬罪になるわぁ⋯⋯!」
(色ボケとは思ってるんだ)
ベリルのちょっとした嘘のお陰か、ナンナは観念して「結婚したくない」発言をとうとう認めた。
「⋯⋯だってぇ、考えてもみてよぉ。わたし、12歳で求婚されたのよぉ?25歳と12歳。今だって中々まずい年齢なのに、頭可笑しいって思わないぃ?」
認めてしまえば、今まで口を噤んで来た事を簡単に喋り出した。すると出るわ出るわ、今まで溜め込んで来たのであろう、国王への文句やら親戚への愚痴やら。
話を詳しく聞けば、成る程とベリルは納得した。そもそも、ナンナの父は国王との話を1度断ったと云うのに、親戚の誰かがナンナを脅して首を縦に振らせたと云うではないか。先進的思考だと思われるナンナの父が、幼いナンナを差し出すのは可笑しいと思っていたのですっかり腑に落ちた。
「それで、ナンナは結婚したくないってやっと認めたけど、どうするの?このまま大人しく変態の言いなりになる?」
「嫌よ‼︎⋯⋯⋯⋯とは言ってもぉ、もうここまで来たら断れないわよぉ⋯⋯」
今は心身共に不安定な始祖姫の側に居たいと、適当な理由で神殿に引き篭もっているものの、一歩でも神殿から足を踏み出せばナンナもベリルも即拘束されるだろう。
「⋯⋯せめて両親に手紙を出したいのだけどぉ⋯⋯きっとそちらにも手が回ってるわよねぇ⋯⋯」
項垂れて溜め息を吐くナンナに、ベリルはにっこりと笑い掛けた。
「手紙、僕が届けてあげようか?」
「え⋯⋯もしかしてぇ、あの鳥?でもベリル君⋯⋯わたしの家知らないでしょぉ?」
「地図があれば何とかなるよ⋯⋯たださ、ご両親への手紙に僕の手紙を同封させて欲しいんだ」
そう言って、ベリルは今朝認めたばかりの手紙の2通目を取り出した。ナンナの話を聞いたら書き直す事もあるだろうと考えて、封はしていない。
「手紙?わたしの両親に?」
「そう。この国から脱出する為に、力になって貰いたいんだ」
ベリルの言葉に、ナンナは「それなら」と快諾してくれた。だが、少しばかり文句も言われてしまう。
「⋯⋯良いわねぇ、わたしも⋯⋯出来るならこの国から出たいわぁ⋯⋯」
「出たいの?家に帰るんじゃ無くて?」
「それもそうだけど、夢を叶えたいの」
それはきっと、この国では叶えられないものなのだろう。深く聞くべきか迷いつつ、結局何気無い雰囲気を保ちながら「へぇ、どんな夢?」と、ベリルは尋ねた。
笑わない?と、ナンナはベリルに確認してから、静かに白状した。
「⋯⋯服を作りたかったの」
「服?それなら今だって」
ベリルは今着ている服を引っ張った。確か、ナンナがデザインをしたと言っていたからだ。しかし、ナンナは首を振った。
「それは今ある型に、模様を描いただけよぉ?⋯⋯そうじゃなくてぇ、女の子の服を作りたかったの」
「⋯⋯どう云う事?」
「この国の女の子達ってぇ、服の型が“コレ!”って、決まってるのよぉ⋯⋯」
港にあった服屋は、観光客向けの店なので色も鮮やかなものが多いのだが、実際の国民達は色も形もつまらないものを着ているのだ。貴族の姫なんかはその中でも鮮やかな色で、且つ装飾をジャラジャラ着けているが、庶民となるとそんな装飾品を着ける事は無い。既婚女性はストールで頭と顔を隠し、夫の後ろを歩く。ストールの下はきっと化粧をしているのに、夫は振り返る事はしない。
そんな国で生きていて、ナンナが出会ったのが父親がお土産でくれた西大陸の最新ドレス目録だった。
父親からすれば、女の子ならこう云うのが好きだろうと云う、安直な考えだったのだろう。母親が、何故現物を買って来なかったのかと叱り付けていたのでよく覚えている。しかし、ナンナにはその目録は本当に衝撃だった。
「すごい可愛くて、キラキラしてて。だって、装飾品なんて釦くらいで、宝石も金細工も無いのよぉ?それなのにスカートのドレープひとつで印象が変わるの」
「そ、そうなんだ?」
「そう。だからわたし、あんなドレスをこの国で作りたかったのよぉ」
ナンナの留学の目的は、服飾デザイナーになる為だった。まず3年、各国の貴族も通う学校へ入学し、デザインの勉強をしつつ何処か修行出来る工房を探すつもりだったのだと云う。
「だけど、後宮入りが決まっちゃったでしょぉ?留学したは良いけど、そう云うの⋯⋯全部諦めちゃった」
確かに、ドレスデザインがしたいなら選択授業で服飾の授業や、キールが選択していた演劇評論がぴったりだっただろう。しかし、実際にナンナが選んだのは絵画の授業。叶わないから、目を逸らした結果だったのだ。
「両親は、わたしの夢を応援してくれたけど⋯⋯こうなっちゃった。顔も合わせにくいし⋯⋯だから、お願いね、ベリル君」
「勿論。ちゃんと届けるよ」
「ありがと。⋯⋯ちょっと急いで手紙を用意してくるわぁ⋯⋯⋯⋯あ、そうそう」
そう言って立ち上がったナンナは、ふと何か思い出したのか自身の胸元に手を突っ込んだ。
服の生地が伸びて、小麦色の丸みがちらりと覗いたので、ベリルは大慌てで両手で視界を覆う。
「何してるの⁉︎」
「変な事じゃ無いわよぉ。昨日、渡そうと思ってたのよぉ」
「はいコレ」と、ベリルの胸に押し付けられたのは、丸められた数枚の紙だった。
「え、何これ⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ⁉︎」
一体何だと丸まった紙を広げると、そこにはあの文字を解読しようとしたメモ、そして口にするのも悍ましい所業が書かれていた。
「これ、一体どうして⋯⋯⁉︎」
「昨日、床に落ちてるのに気付いたのぉ。多分、あのノートから落ちたのよねぇ」
(⋯⋯⋯⋯そんなもん、よく服の中に入れてたな?)
あっけらかんとナンナは口にしたので、ベリルは呆れながらもその胆力に感心した。やはりこの国の女性と云うのは、我慢強いのかもしれない。
最大の心配事を残しつつも殆どの事が解決したからなのか、ナンナはすっきりした様ににっこりと微笑んだ。
「⋯⋯よし、それじゃあ少し待っていてぇ?ぱっと書いてくるわぁ」
小走りで居間から出て行ったナンナを見送りながら、ベリルは改めてその悍ましい内容が書かれた紙を眺めた。
紙には妊婦の精密な解剖図が描かれていて、その脇には正気を疑う様な事が書かれていた。
「⋯⋯⋯⋯『新しい肉体を得る』、『産まれ直す』、『胎児に乗り移る』」
その全てが冗談の様な事であり、しかもその方法が女性の尊厳を悉く踏み躙る様なものだった。
ベリルは無言で紙を燃やした。こんなものは残しておくだけ害悪だと判断したのだ。何かの手掛かりになったのかもしれないが、この紙の持ち主と思われる男は消滅した以上、価値は無いに等しい。
「それより、僕は僕で手紙に書き足さないと」
誰に聞かせるでも無く呟いて、ベリルは新の便箋を1枚取り出した。足りない部分を書き込んで、手紙に封を捺さねばならない。
ナンナはベリルを異性として見てません。
男だとは認識してますが、そう云う対象にはならない位置です。




