181.金星の呪い師
アルゾフラは金星の意味。
暫く無言で列に並んで待っていると、ようやっとベリルとナンナの順番がやって来た。
「行きましょう、フレデリカ」
ナンナに腕を引かれ、扉代わりに仕切られた緞帳の奥へと進んだベリルは、まず不快になる獣臭を感じ、次に鼻に付く特徴的なハーブの匂いを嗅ぎ分けた。そして目に入ったのは天井から吊り下がるカラカラの草花、乾涸びた何匹もの猿の死骸。
「うっ⋯⋯」
猿の死骸が一瞬人間の子供に見えてしまい、気分が悪くなる。
「大丈夫?フレデリカ⋯⋯」
「⋯⋯平気です」
ベリルの基準では怪しい店なのだが、この国では一般的な店だ。恐ろしい幻影を振り払い、奥に鎮座する主人の向かいにナンナと並んで座る。
この店の主人は、ナンナに聞いていた通り老婆なのだが、ベリルには60代よりもずっと上に見えた。
「こんにちは、アルゾフラ」
「⋯⋯ナンナかい。アンタ、もう来ないって言ってただろうに。やっぱりアタシの薬に頼りたくなったかい?」
「無理だわぁ、後宮なのよぉ?それに、今日はわたしじゃ無くてお友達が貴女に用が有るのよぉ」
「⋯⋯友達?それにしちゃ足音が無いね⋯⋯」
そう言って顔を上げたアルゾフラの瞼は、ぴったりと閉じられていて、彼女が盲目である事が分かる。冒険者生活が染み付いたベリルが無意識に気配を消していた為、客がナンナだけだと思ったのだ。もう1人の客を探そうと、眉根を寄せて首をあちこちに傾けた。
「ええと、一応目の前に座ってます」
「目の前⋯⋯⋯⋯ううん?その声、男かい?」
アルゾフラは縮こまっていた首をぬうと伸ばし、見えない筈の目でベリルを見詰めた。見られている筈は無いのだが、不思議と視線を感じて、ベリルは無性に落ち着かない。
「もしかしてあの色情王から逃げて、その男と駆け落ちでも⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ⁉︎」
軽口を叩いていたアルゾフラは、急に何かに気付いたかの様に固まった。
「⋯⋯ナンナ、アンタ一体誰を連れて来たんだい?」
「さっきも言ったでしょぉ?わたしのお友達よぉ⋯⋯⋯⋯⋯⋯男の子だけど」
「こ、こんにちは」
今は既婚女性の姿をしているが、アルゾフラは目が見えていないのでそれを詳しく言う必要は無い。しかしアルゾフラは見えていない筈なのに、ひたりとベリルに顔を向けてじっとしていた。そして、そのままの体勢で、アルゾフラはナンナに発言した。
「ナンナ、アンタはちょっと外しな」
「えぇ⋯⋯どうしてぇ?」
「依頼はこっちのなんだろ?若い男の悩みを知りたがるなんて、善い女とは言えないね。それに、今日はこれで店仕舞いにするさ」
店仕舞いと聞いて、ベリルとナンナは驚いて顔を見合わせた。まだ昼を過ぎたくらいで、閉店には早い。だが、アルゾフラは構わず傍の紐を引っ張って人を呼んだ。駆け込んで来たのはまだ10歳にも満たない少女で、子守りの最中なのだろう、乳飲み児を背負っていた。
「なあに?おばあちゃん」
「マウジ、悪いけど店仕舞いだよ。外に並んでる客に言っといておくれ。アタシの具合が良くないとでも言えば、誰も文句は言わないよ」
「はぁい」
マウジと呼ばれた少女は、素直に頷いて店の外へと走って行った。
「ほら、ナンナも行きな」
「えぇ、分かってるわよぉ⋯⋯アルゾフラ、その子が可愛い男の子だからって変な事しちゃダメよぉ?」
「その男がどんな容姿なのかなんて、アタシは見えないよ」
何せめくらだからねぇ。と、老婆は不気味に笑った。まさに絵本に出て来る魔女の様な笑顔だったが、ナンナは慣れているのか、肩を竦めて「大通りの喫茶店でお茶でもしてるわぁ」と、小屋から出て行ってしまった。
そうして小屋に残されたのは、老婆とベリルの⋯⋯あとは隠れ潜んでいるフェルニゲシュの3人のみである。
ナンナを追い出した老婆はと云うと、やはりじっとベリルに顔を向けて動かない。おまけに貝の様に何も喋らないので、ベリルは居た堪れなくなって、何となく口を開いた。
「あの、先程の子達は、お孫さんでしょうか?可愛らしいですね」
「⋯⋯いいや、隣の娘だよ。あの娘の家が貧乏だから、此処で小間使いとして雇ってるんだ」
「そ、そうなんですね⋯⋯でも、お姉さんとして頑張りながらだなんて、大変だなぁ」
「マウジに弟妹は居ないよ。近所の子供の世話をしてるだけさ。母親が客を取ってる間は子供は邪魔だからねぇ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
何と云う事か。会話は広がらず、場の雰囲気が重くなっただけである。
ベリルとしても、幼少時代はそんな環境に身を置いていた事もあり、事情はよく理解出来る。しかし、男と云う性別である以上迂闊に発言出来ない。あの頃のクソガキは、立派に性別と云うものを意識出来る様になったからだ。
ベリルも押し黙ってしまい数十秒、永遠とも感じる沈黙の後、不意にアルゾフラが口を開いた。
「⋯⋯⋯⋯初めて見たよ、沈んだ太陽」
「は?」
「すまんね、こっちの話さ⋯⋯それで、西の王様が少しばかり東に戻って何をしてるんだい?」
王様だと言われ、ベリルは慌てた。占い師とは、斯くも見えてしまうのかと。
「ち、違います。僕は王族では⋯⋯いや、血はそうらしいのですが、まだ自分では認めては⋯⋯」
「どう云う事かは分からないけれど⋯⋯なんだい、東の聖樹に戻るつもりは無いのかい」
「聖樹?」
ぴんと来ない単語に目を瞬かせると、知らないのかいと、老婆は溜め息を吐いた。呆れていると云うより、何処か疲れている様だった。
「もしかして、西側に逃れた魔法使い達はもう忘れてしまっているのかい⋯⋯」
「ええと⋯⋯何かは分かりませんけれど⋯⋯僕は孤児でして、血縁者なんて誰も居ないと思っていたんです。それに魔臓を持っている魔法使いと知ったのも、つい数年前なんです」
だから聖樹なんて知らないとベリルが言うと、アルゾフラは一度天を仰ぎ、再びベリルに顔を向けてから、ゆっくりと話し出した。
「⋯⋯⋯⋯此処から東にずぅっと行くと、今はもう無い国の残骸があるのさ」
「あの、それは」
「黙ってお聞きよ。アンタの先祖の話だよ」
ベリルが思わず割って入ると、アルゾフラは顔を顰めて開かない瞼でベリルを睨み付けた。ベリルはアルゾフラの言葉に従い口を噤んだが、その内容は、幼い時に母から読み聞かされた絵本と似通っていた。




