19.ポンコツ
学術都市中等部は、ひと学年5クラス在る。
基本的なクラス分けは学力順であるが、各国の身分も加味される。とは云え、国力の違いは鑑みられてはいない。異文化交流こそ、学術都市が掲げるプロパガンダなのだ。
編入生である為、ベリルが入る事になったのは2-Eだった。
昨今E組は不幸であるとか、落伍者の溜まり場みたいに言われるが、此処ではその様な事は無い。
『学ぶべき事に終わり無く、それは学問だけに囚われてはならない』
この至言の通り、中・高等部では各種戦闘術、芸術関係、実践家政等を学ぶ事が出来る。それらは選択制であり、その中からひとつ選ばなければならない。
ベリルは未だ職員室で、担任教師のリスト・グルーザからそんな注意要項の説明を受けていた。
「一応魔法は基礎学問に組み込まれていますが、聖王国出身者と魔力の無い生徒は別の授業です。ミス・ウラガンは魔力はお有りですか?」
「はい。補助具も持っています」
「実技の際補助具の貸し出しもしておりますが、個数に限りが有りますので事前申請が必要になります。お持ちの場合はお忘れにならない様にしてくださいね」
「わかりました」
今回学術都市に来るに当たって、公爵家から補助具を支給された。それはアメジストのピアスとして、ベリルの左耳朶を刺し貫いている。
小ぶりな石ではあるが、決して安物では無い。公爵家の財力を窺わせる一品である。
「ではミス・ウラガン。選択授業の希望はありますか?勿論見学してから決めるのも可能ですよ」
「⋯⋯見学ですか」
事前に渡されていた用紙には、およそ20もの授業が書き込まれていた。その中でもベリルが注目したのは、戦闘系の授業である。
楽器関連は興味無いし、家政は既に実践している。絵画は絶対に無理。その点、戦闘術と云うのは自分にぴったりだと思えた。
ベリルは基礎体力と運動能力が高い。実際下層で生活していた頃から今の今まで、ずっと喧嘩で負けた事は無い。勿論、下層出身のベリルはちゃんとした武術を習った事等無く、ただの喧嘩殺法と運動能力のごり押しである。
つい先日の呪術具者との戦闘、武術の基礎さえ出来ていれば、まだ何か取れる手段もあったかもしれない。
それにこの『魔法戦闘技術論』。基礎授業の『基礎魔法論』とは、一線を画す授業だろう。
しかし、見学が出来ると云うのなら話は変わる。
この選択制授業、学年合同の授業でもあるのだ。上手くいけば聖女に近付ける可能性がある。此処で簡単に決めてしまうより、じっくり見学して聖女を探した方が良い。
「先生、見学と云うと、決めるまでの猶予期間が設けられている事になりますが、如何程お待ち頂けるのですか?」
「通常なら、半月程は設けられてますね。ミス・ウラガンは編入生でありますから、心持ち早めに決めて欲しいとは思います」
(半月か⋯⋯)
選択授業は毎日あるわけでは無い。そうなると、聖女がいないと判ったらさっさと素通りしなくてはならない。
「分かりました。取り敢えず、見学をしてから決めたいと思います」
「そうですか、一先ずそれで良いと思います。では、教室へ行きましょうか」
グルーザはそう言って、ベリルを促して職員室から退室した。
廊下に出た途端、グルーザはジャケットの内ポケットから懐中時計を取り出し、「ああ良かった」と安堵していた。
「どうしたのですか?」
「E組は2年生の中では1番職員室から遠いので、遅刻し兼ねないんですよ」
「今朝は余裕があるのですね」
「そうですね、私達教職員でも廊下を走ったりなんてしたら叱られてしまいますから」
そう言って、グルーザは大股の早脚で廊下を進み出した。どう考えても女子生徒を先導しようと云う姿勢では無い。ベリルは本来男であるから気にはしないが、駄目な行動をしている事は判断出来る。
(気が利かない教師だなぁ⋯⋯)
穏やかで女子人気が高そうな見た目なのに、このそこはかと無いポンコツ臭。公爵家に置いて来た師匠と共通するものを感じた。
それにE組が1番遠いなんて言ってはいるが、隣のクラスとはたかだか数メートルしか違わない。階数だって職員室が2階、2年生も2階である。どう考えたって1、3年生のE組が1番遠い。
遅刻の理由は別にあるな、と考えたベリルだったが、実際その通りであった。この教師、兎角呼び止められるのである。
教室へ向かう生徒と挨拶を交わすまでは分かる。教室から頭を出して待っている女生徒達とも挨拶を交わし、何故か声援を送られ、時には立ち止まって会話を交わす。これで予鈴に間に合え、と云うのが無理な話では無いか?
おまけに、後ろをくっついて歩くベリルを強く睨む女生徒すら存在した。
(こっちのポンコツは女子にモテてるな⋯⋯うちのポンコツとは大違い)
男子達は呆れた様に此方を見もしない。毎日の事なのだろう。
(でも、これがあと3クラスは続くのか⋯⋯今朝だけとは云え、嫌だなぁ⋯⋯)
心臓に毛がびっしり生えてると称された事のあるベリルでも、流石にここまで女子の敵意に晒されるのは精神に来る。グルーザがやんわりと、「編入生がいるから」と女子を牽制するから、ますます敵意が此方に向くのだ。まだ此処はA組の筈だが、貴族とは云え女性の本質は変わらないのだろう。
基本短気の自覚があるベリルは、もうこの状況に嫌気が差していた。さっさと教室へ行きたいし、此処は鬼門のA組の前、兎に角移動したい。
「宜しければ先生、私が教室側を歩きましょう。先生は外側を歩いてください」
「そ、そうですか?有難う御座います、ミス・ウラガン」
(ああ、だから早く行くぞポンコツ教師)
不満げな女生徒の声は黙殺し、ベリルは廊下を真っ直ぐ歩き出した。道中グルーザが呼び止められても、全く歩を緩める事なく歩き続けた。グルーザは立ち止まろうとしていたが、さっさと歩くベリルを止める事も出来ず、黙って後に続くしか無かった。
「凄い⋯⋯こんなに早く教室に着いたの、初めてですよ」
E組の教室の前で、懐中時計で時間を確認したグルーザは感動していた。毎朝律儀に話し掛ける女子生徒達と対話なんてしていたら、遅刻するのも当たり前である。
E組の生徒達もグルーザが既に教室の前に来ているので、慌てて教室へ駆け込んで行く。
「有難う、ミス・ウラガン⋯⋯!」
「お気になさらずに」
「謙遜しないでください⋯⋯!」
「んっ?」
瞳を綺羅綺羅させたグルーザは、そのままレースに覆われたベリルの左手を取り、両手でぎゅうと握り込んだ。
(触るな、ポンコツ)
「私は感動しています、きっと貴女は女神が遣わした天使に違いない!」
(何言ってんだこのポンコツ)
有難う、有難うと繰り返すグルーザは、ベリルの手を握り締めたまま、教室の扉を開いた。そしてグルーザはあろう事か、ベリルの手を牽いて教室へと入った。
「おはようございます!」
「⁉︎ちょ、ちょっと⁉︎」
女生徒がこういう時どうするのかなんて解らず、身体を硬直させてしまったベリルは、手を牽かれるまま教壇へと躍り出た。
まさか教師に手を牽かれて編入生が入って来るとは誰も考えて居なかったのだろう、教室に居る誰もが目を丸くして此方を見ていた。
「皆さんに新しい仲間を紹介します。彼女は⋯⋯⋯⋯あれ?」
意気揚々と教卓に立ったグルーザだったが、白墨を手に持とうとして、己の左手がベリルの左手を未だに握り込んでいる事にようやっと気付いた。
「ええ⁉︎なんで⁉︎す、すみませんミス・ウラガン!」
「⋯⋯ええと、いいから、放してくれませんか⋯⋯?」
顔面を真っ赤に染め上げたグルーザは、やっとベリルの左手を解放した訳だが、この教室中から嫌な注目を向けられ、ベリルはほとほと迷惑である。
「は、初めまして⋯⋯フレデリカ・ウラガンと申します⋯⋯」
あんなにエレナから、教室での自己紹介とはを力説され、挨拶の特訓をさせられたと云うのに、全て台無しである。最早乾いた笑顔しか浮かべる事しか出来ず、散々な初対面である。
(このポンコツ教師⋯⋯⋯⋯覚えてやがれ⋯⋯)
斯くして、ベリルの学生生活の目標に担任教師への復讐が刻まれたのである。




