170.天然ものだけど、養殖
「もうすぐ河口だ!」
見張り台の上からダイスの声が降って来た。
昨日の夕食時、ジョシュから全員に話された内容に依り、行き先の海上を警戒する事に決めたのである。その内容は予想通り、海棲のマーマン達が遡上した原因は、海に強大な魔物が出現したからでは無いか?と、云うものだった。
「海上に何か不審な生物は居るか⁉︎」
紅の狼のリーダー、盾役のクアッドが下から大声で尋ねる。ハーフドワーフである彼は、身長こそ低いががっしりとした体格で声がよく通る。
「⋯⋯いや、今はまだ見えない!」
「そうか、引き続き警戒を怠らないでくれ!」
「了解!」
こんなやり取りをしている傍で、群青の獅子のリーダー、ハーフオーガのコナーは目を皿の様にして水面を観察していた。ベリルも進行方向を眺めてはいるが、あんなに前のめりでは無い。
そもそも船上で、見張り台に登っても居ない上、望遠鏡も持たずに裸眼で何かを発見しようなどと、無理な話である。だが、コナーはそんな事は知らないと両手を顔の横に翳し、一心不乱に首を動かしていた。
(⋯⋯これが紅の狼と群青の獅子の謎のライバル関係⋯⋯)
昨日も、メープルの言った通り顔を突き合わせた途端に激しい罵り合いを始めたリーダー達であった。その内容も酷く子供染みた内容で、傍で聞いていたベリルは呆れっぱなしだった。クアッドをダイスとリジーが、コナーをメルカトが抑え込み、何とかジョシュが話し出す事が出来たくらいだ。
そんなジョシュの話が終わった後、それまで静かにしていたのに何故かリーダー同士は再び口喧嘩を始め、「海の魔物をどっちのパーティーが早く発見するか」と、不思議な勝負を始めたのである。
見張り台を使うのは交代制であるのだが、それ以外の時間でもリーダー達は欄干から身を乗り出して食い入る様に水面を見ている。
(⋯⋯⋯⋯やっと河口付近に来たんだけど)
傍から見ていても、非常に無駄な事をしているとしか思えない。ベリルは前では無く、両脇に立ったリーダー2人を交互に見遣ってしまう。個人間で会話をする分には、穏やかで賢く、人当たりも悪く無い2人なので、セットになると馬鹿が際立つ。
それにしても、何故ベリルを挟んで立つのだろうか。壁にしないでもらいたい。
「⋯⋯あの、お2人共?この位置から見えるものなんて高が知れてると思うのですけど」
「⋯⋯分かって無えな、ベリル。こう云うのはタイミングだ。来ないだろうと一時目を離した瞬間、そのタイミングが来るかもしれん。そのタイミングを、ハーフオーガに取られる訳にはいかねえ」
「はあ」
「⋯⋯そこのハーフドワーフに頷きたくは無いが、何事も好機と云うものがあるんだよ、ベリル君。それに獅子は兎を追うのも全力を尽くすもの。此処は私も全力で挑まねば」
「そうですか」
ベリルは適当に返事を返し、その場から少しだけ距離を取った。
ベリルは特に水面を見張ろうと考えていた訳では無い。やる事も無いので、フェルニゲシュと会話でもしようと考えただけだった。部屋で1人ボソボソ喋るより、波音と共に会話した方が良いと思ったのだが、こんな状況ならば暗い奴と思われた方がマシだった。
(⋯⋯後ろに移動するか⋯⋯)
出来る事なら、進行方向から漂う潮風を感じたかったなと甲板を歩き出したベリルだったが、上から降って来た声に足を止めた。
「──何だアレ⁉︎」
ダイスが何かを発見し、大声を上げたのだ。その声に反応し、クアッドは目を輝かせて、コナーは血眼になって進行方向を凝視した。
「アレは⋯⋯魚が跳ねてる⁉︎」
「魚⁉︎」
「くっ⋯⋯何処だ⁉︎」
ベリルも後方へ移動していた足を止め、前方を見遣る。しかし、高さの無い場所が悪いのか、望遠鏡が無いからなのか、何も見えない。なので、マストに飛び付いて上へと上がった。
マストを昇るベリルが目に入り、見張り台からダイスが威嚇して来た。
「おい!来るなよ!」
「安心してください、そちらには行きません」
少し高い所に行ければ問題無いと、横に張った帆の上に立ったベリルは目を凝らした。視界に広がったのは美しい海と、青々とした緑が繁る島々だった。川面に弾かれる陽光と同じ太陽である筈なのに、海面を弾く太陽は不思議と違って見える。宛ら川が翡翠で、海は藍玉である。
しかし、そんな麗しい光景に可笑しなものが映り込んだ。
それは確かに魚の様に、海面を跳ね回っていた。いや、魚にしては長いので海蛇の一種だろう。だが、それにしたって可笑しい。
「⋯⋯⋯⋯大き過ぎる」
岩礁の間を跳ね回る海蛇だったが、どう考えても縮尺が大きい。
【うむ、あれはレヴィアタンだな】
「レヴィアタン?」
コートの中に隠れていたフェルニゲシュが頭だけを出し、ダイスに聞こえない様に海蛇の名前をそっと囁いた。囁かれた名前は聞き覚えの無いもので、ベリルはその名前を繰り返した。
【我が現役の頃はあちこちの海を泳いでおったな】
「そうなんだ?」
【何故か海竜と呼ばれておった⋯⋯蛇の癖に】
「竜とは違うのか?」
【全然違うわ!奴等は言葉を解さぬし、脚を持たぬ!何より空を飛べぬのだぞ⁉︎】
「今のお前も飛べないだろ」
兎に角と、ベリルは再びレヴィアタンへと目を向けた。まず間違い無く、マーマン達を川へと追いやった元凶だ。
(勝てるかな?)
ベリルの脳内では、竜に似た蛇が海を泳ぐ姿が浮かんだ。
昔はうじゃうじゃ生息していた様だが、確認出来るのは一体だけだ。この位置からでは大きさも姿もよく分からないし、攻撃パターンも分からない。だが、たった一体ならばどうにかなるだろうか。水棲生物ならば、やはり雷撃魔法が効くだろうか。ダゴンを仕留めた時の様に足場を作り、タイミング良く魔法を放てば良いのだろうが、海中深く潜られたら魔法は届かないかもしれない。
そう脳内で戦闘をシミュレートしていたベリルだったが、フェルニゲシュはレヴィアタンと同列にされた事に未だに腹を立てていた。
【良いか⁉︎そもそもレヴィアタンは我等竜族の食肉であるぞ⁉︎我が妻も食っておったわ!】
「えっ⋯⋯⁉︎アレ食べられるの?」
【中々に淡白な味わい故、ムニエルにして食すのが良いと言うていたな⋯⋯我はラードで揚げたものが好きである】
「⋯⋯なん、だと⋯⋯⁉︎」
巨大な生物は、ベリルの中で敵性生物から食用生物へと塗り変わった。姿はまだよく見えないが、その巨大さは望むべきものである。お腹いっぱいになりそうだから。
「ん?なんだ?」
ふと、島の1つに数人の人影が見えた。大きな荷物を手に持ち、岬の突端に立っている。
「あっ⋯⋯投げ入れた」
その人影達は弾みを付けて、大きな荷物を次々と海へと投げ入れて行く。一体何を投げているのだろうと思っていると、傍の見張り台で望遠鏡を覗き込んでいたダイスが「家畜だ」と、呟いた。
「家畜?」
何でまたそんな勿体無い事をしているのかと思うと、海を跳ねていたレヴィアタンがその岬の下へと回ってぐるぐると泳ぎ出したのだ。
そうして暫くぐるぐる泳いでいたかと思うと、レヴィアタンは海中深くへとゆっくりと沈んで行った。
「あのでけぇ魔物を大人しくさせる為に、家畜で腹を満たしたんだな⋯⋯ちっ、あんな事したら益々魔物が付け上がるって云うのに⋯⋯!」
ダイスは気分が悪いとばかりに吐き捨てたが、ベリルは昔の出来事を思い出していた。
それはまだジークベルトに引き取られて間も無く、セレスタイン公爵家に初めて連れて行って貰った時の事。
子供同士で遊んでおいでと、サミュエルと庭へ降りた時、大きな人工池の辺りに案内されたのだ。池は6つに分けられていて、それぞれ魚が種類別になって泳いでいた。教会の庭に備え付けられた美しい池とは違うので、ベリルが首を傾げていると、サミュエルがその理由を教えてくれたのである。
「この池は、父上が趣味の為に作ったものなんだよ」
「趣味?」
「そう。学術的じゃない解剖なんだよ」
そう言って、サミュエルは池へ餌を投げ入れた。趣味の為だけで無く、食用目的の為でもあった。
「あんまり餌をあげたら水が濁るんだけど⋯⋯太ってくれた方が良いもんね」
今目の前で起きた出来事は、その時の光景にそっくりであった。
(もう少し太らせておいて欲しいな⋯⋯)
そんな事考えてます。




