18.言語の移り変わりはファッションよりも無情
ビスケットにるんるんしていたベリルだが、寮室から出た以上、ちゃんと「貴族出身の女子生徒」を演じるつもりである。
楚々とした動きを心掛けながら、職員室まで案内してくれると云う寮長との待ち合わせ場所に向かった。待ち合わせ場所は、寮を出てすぐの銅像の前である。
(あ、あの娘かな?)
時間に余裕を持って出て来たつもりだったが、既に待ち合わせ相手は到着していた。これ以上待たせるのは失礼なので、ベリルは小走りで近寄った。
「お待たせして申し訳ありません。寮長のメルウェザー様でいらっしゃいますか?」
「あ、良かった。そうよ私が⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「メルウェザー様?」
目の前の、赤毛の快活そうな少女は、まるで時が止まったかの様にぽかんと口を開けてベリルを見詰めた。
(な、なんだ?)
何故そんな顔をされるのか、ベリルには心当たりが無かった。身嗜みに可笑しな所は無かった筈だ。あるとすれば、
(え、まさか男ってバレた?やっぱり化粧とかしとくべきだった?)
顔面に変なものを塗りたくるのが嫌で、エレナにお願いして化粧だけは免除してもらったのである。エレナ曰く、化粧とはただ塗りたくるだけではないらしいが、そんなものベリルには理解できないので関係無い。
「あ、あの?お加減でも?」
「⋯⋯えっ⁉︎あ、ああいや、その、き、気にしないで!」
(いや、気になるから)
目の前の少女は真っ赤になって、「大丈夫、大丈夫だから!」と、連呼し続けた。
(よく分からないけど、良かった、バレてなさそう)
「改めて、私が寮長のジュディ・メルウェザーよ。3年生だから、貴女の先輩ね」
「宜しくお願い致します、フレデリカ・ウラガンです」
自己紹介をし合うと、メルウェザーはベリルを促して歩き出した。編入生はただ職員室へ行って終わりと云う訳では無い。職員室で必要書類を記載し、注意事項の説明、必要な備品の受け渡し。それからやっと自分のクラスへと行くのである。
校舎へ向かう間、メルウェザーは簡単に施設を紹介した。
「寮からも見えていたと思うけれど、あの大きな時計がくっ付いてるのが中等部の校舎。今から向かう所ね。隣の丸い屋根が運動場よ」
「本当に広いのですね⋯⋯他にも初等部と高等部があるのでしょう?」
視界に写るだけでも、学舎と思われる建物は多数存在している。
「最高学府とか、幼稚舎まであるわよ」
「幼稚舎、ですか?保育所ではなくて」
「そう、教育は早い段階から始めた方が身に付くからって。まだ研究段階の教育理論らしいんだけど、試験も兼ねて導入したのですって」
基本的に全寮制の学術都市だが、幼稚舎に限っては完全に通学制らしい。居住区が少ない都市なので、この機会に高級ホテルを建造したらしい。
何室かを幼稚舎へ通う家族達に開放しているのだと云う。
「ホテル?」
「そう。ここからじゃ見えないけど、昨日寮に来るまでに見たんじゃないかしら?都市が誇る大図書館よりも大きい建物よ」
「それなら、見た気がします」
結局大図書館へは未だに行けてはいないが、馬車に乗ってる間に宮殿と見間違える様な建造物の脇を通った。
初めは大図書館と思ったのだが、聞いていた場所と違っていたので、不思議に思ったのだ。
それに、納得できた事もある。
「⋯⋯⋯⋯そう言えば、聖女様を寮ではお見かけしませんでしたけど、もしかして?」
「そう!そうなのよ!警備の関係とか言って、そっちのホテルから通ってるのよ!」
他国の王族の方は、入学しても寮に入られるのに!と、メルウェザーは困った様に言った。
朝食時にベリルもそれとなく探したのだが、それらしい人物は見えなかったので、もしやと思ったのだ。
分かりやすい特別扱いである。とは云え、聖女は浄化の魔法を使う唯一の存在だ、その特別扱いも仕方の無い無い事だとは思える。
(でも困ったな)
聖女とは寮での方が接触しやすいと思っていたからだ。
聖女の入学と併せて男子生徒が激増した以上、聖女の取り巻きはほぼ男子生徒と見て間違いない。学内での肉壁は分厚く、淑女に扮したベリルでは越える事は困難であろう。
その点、女子寮は男子禁制の聖域である。皆無とは行かないかもしれないが、確実に壁は薄い筈。曲がりなりにも男であるベリルが、少女達の力に負ける筈も無かったのだ。それなのに、
(⋯⋯当てが外れちゃったな⋯⋯)
簡単に帰れると思っていたベリルは、溜め息を吐くのを堪え、メルウェザーの案内を聞きながら校舎へと入った。
***
案内をしてくれたメルウェザーと別れ、職員室に到着したベリルを待っていたのは、担任だと云う教師と、顔色が悪い学長だった。
(なんでだよ)
少なくとも、学長と顔を合わせるとは思ってなかった。挨拶する様な必要も無かった筈である。
それと、何故か部屋の隅でガタガタ震えているのが気になる。すっごく気になる。
挙動不審な学長に対して、担任だと云う男性教師はにこやかであった。若く物腰の柔らかい教師は、女生徒からの人気をさぞ集めているだろう。
「初めまして、担任のリスト・グルーザです」
「宜しくお願い致します、グルーザ先生。私は「ま、待ってくれないか‼︎」」
名乗られたので名乗り返そうとしたら、ぶるぶる
震えていた筈の学長がいきなり割り込んで来た。
「そ、その、君の名前は本当に、ふ、ふ、ふ、ふふふふふ!」
「フレデリカ・ウラガンで御座います」
「ひぃっ!⋯⋯⋯⋯ま、まさか本当に⋯⋯?た、確かに奴同様、背が高い⋯⋯!」
(なんなの本当に)
ベリルは公爵の言葉を思い出していた。
確かに公爵は、「色々都合が良い名前」と言ってはいたが、それにしたって怯え過ぎではないだろうか。これでは都合が良いと言うより、都合が悪い事になり兼ねない。
(一体何者なんだ、フレデリカ・ウラガン⋯⋯)
すると、ベリルの疑問を察した様にグルーザが答えた。
「この学園には、伝説があってね⋯⋯丁度学長ぐらいの年の人が揃って震える、『嵐の暴君』と云う伝説。どうやら、その暴君の名前が君と全く同じみたいなんだよ⋯⋯」
(一体何やらかしたんだ、フレデリカ・ウラガン⋯⋯)
再び学長に目を向ければ、学長は未だに「でもでも、だって」と繰り返している。
当時のフレデリカ・ウラガンに何かされたのだろうか?無性に興味が湧いて来た。
「あの、フレデ「名前を言わないでくれ!」⋯⋯⋯⋯⋯⋯私の大伯母と、何があったのでしょうか?」
書類上、ベリルとフレデリカ・ウラガン(本物)は大伯母と姪孫の間柄である。
「君は矢張り彼奴の⋯⋯⁉︎」
「姪孫で御座居ます」
「それでも彼奴を知らないと⋯⋯⋯⋯⁉︎」
「お恥ずかしながら⋯⋯」
狼狽えた学長に対し、此処でベリルはエレナの言う、伝家の宝刀を抜いた。
エレナ曰く、祖母上の事でぐちぐち言う男が現れたら、コレをすればころっと態度が変わる。と。
「お恥ずかしながら、私、大伯母様とはお会いした事が御座居ません」
「⋯⋯お、おお⁉︎」
ベリルがした事は簡単な話、ただの上目遣いである。「そこで頬を染めて瞳を潤ませれば、完璧ですのよ」とも言われたが、そこまで器用な事は出来ない。
メンチきってるだけじゃないか?と、下層育ちは思ったが、学長には中々効果覿面だった様だ。
真っ青だった顔色も血色の良い赤色に染まり、体の震えも治まったようだ。
「ですので、学長様から大伯母様のお話を聞けたら嬉しいのですけれど⋯⋯」
「おお⋯⋯おおお⋯⋯⋯⋯⁉︎」
そこでベリルは微笑んで見せた。「はい、微笑って!」と、天啓が降りたからである。
ベリルの笑顔を真正面から受けた学長は、更に顔を紅潮させて、呆けたように口を開けた。
昔からそうなのだが、ベリルが微笑めば大抵の男はこんな表情をする。それが気持ち悪くて、ベリルは表情をなるべく動かさないようにしているのだ。
「な、なんと⋯⋯⋯⋯本当に、奴の親類なのか⋯⋯⁉︎」
(ちげーよ)
今や学長はでれでれと相好を崩していた。
(少し面倒な事になったか?)
経験から言えば、こうなると顔面を殴らない限り付き纏われる。とは云え、今回は殴る訳にもいかない。追い出される訳にはいかないのだ。
「なんでも頼っておくれ!⋯⋯⋯⋯いやいや、これでも彼奴の⋯⋯彼奴の⋯⋯⋯⋯⋯⋯‼︎」
今度は禿頭を抱えて唸り出した。
(忙しないなぁ)
ともあれ、これで学長には付き纏われなくて済みそうである。まさかとは思うが、公爵の「都合が良い」とはこういう事だったのだろうか。
暫く唸っていた学長は、徐に「はっ」と顔を上げ、「そうだったのか!」と、納得したように頷いた。
「こ、これが若者の言うぎゃっぷもえと云うものなのか⋯⋯‼︎」
(知らんがな)
取り敢えず「萌え」なんて誰も使わないと思ったが、ベリルは黙っておいた。
設定では、この学長は中等部の「部学長」。




