148.節足に塩胡椒振って、臭い消しの香草
「⋯⋯ナッ!ナナナッ⋯⋯!」
わらわら⋯⋯と、云うよりうじゃうじゃと湧き出て来る小蜘蛛達に、フォスターも慌てた様に飛び上がって後退した。小蜘蛛は大きさもさる事ながら、その大群と云うだけで悲鳴を上げたくなる気色の悪さだ。その手のモノに苦手意識を持つ者で無くとも、見た瞬間に悲鳴を上げるレベルである。
小蜘蛛達は群れと呼ぶに相応しく、軍隊の様な統率力を持ってフォスターを追い詰めて行く。タイミングを見計らった様に口から糸を吐き出し、絡め取ろうとして来たのだ。その手数の多さから、フォスターも逃げるので精一杯となってしまう。
そして肝心の蜘蛛男はと云うと、口からギチギチと異音を出しながらぶつぶつと「許されない」「主人」「该死、该死」と繰り返し呟いていた。
「フォスター!」
ベリルは魔力を練って風を起こし、フォスターに迫っていた小蜘蛛達を散らした。かなり限定的な風だが、小蜘蛛だけで無く絨毯が捲れ上がってしまう。それでも蜘蛛男には微風程度の威力しか無かった。
「あ、有難いですナ!」
「一度こっちに!」
声でフォスターを呼び寄せ、ベリルは小蜘蛛を巻き取る様に竜巻を起こした。もっと早くこの魔法を出せと思われたかもしれないが、もう既にホールが壊滅状態だからこそ、此処までの風を起こせたのである。
別の通路からは「止めてぇ!」「ひいい!」と、絶叫が聞こえるが、ベリルは風を制御するので気にしている余裕は無い。制御を間違えると、屋根を吹き飛ばし兼ねない状況だからだ。屋根を吹き飛ばしたら、吊り下がっているアルエットも空へと消えるだろう。今だって風に煽られてぶるぶるばたばた蓑虫の如く揺れていた。蓑虫アルエットは何やら叫んでいるのだが、竜巻の轟音で何を言っているのかは聞き取れない。
(⋯⋯どうせ、碌な事言ってないだろ⋯⋯‼︎)
ベリルの予想は当たっていて、アルエットはただ単にミシェルの名前を呼びながら助けを求めているだけだった。それに我儘でうるさい、邪魔になる大きさのアルエットは、天井でぶら下がっていてくれた方が都合が良い。
それに屋根は飛ばないが、かなりの強風なので蜘蛛男の動きも封じられる筈だ。蜘蛛男も風に煽られて顔を俯けて⋯⋯⋯⋯
「⋯⋯なあベリやん⋯⋯あの蜘蛛男、全然堪えてへんで?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯やっぱりそう見えます?」
ベリルの目から見ても、蜘蛛男はあの強風にびくともせず問題無く立ち上がっていた。身体を安定させる為なのか、脚の爪を床に突き立てた男は、顔をゆっくりと振り向かせ、複数の赤黒い目でベリル達を見詰めた。
「⋯⋯⋯⋯あ、ヤバそう」
思わずそう呟いた瞬間、蜘蛛男は虫の腹を向けて大量の糸を出して来た。おまけとばかりに、その糸にはこれまた大量の小蜘蛛が絡み付いていた。
「げっ⁉︎」
うじゃうじゃと湧き出る小蜘蛛に対抗すべく、ベリルは仕方無く強烈な竜巻を解除し、通路からホールへ掃き出す様な風を作り出す。
アヴァールとフォスターも剣を使い、風から逃れた小蜘蛛を斬り払うが、如何せん数が多い上に糸の粘着性に足場を取られ、蜘蛛男の脚にも注意を向けなければならない。
蜘蛛男は糸と小蜘蛛の間から、鋭い脚を突き出すのだ。その猛攻は剣で防御したフォスターを撥ね飛ばし、アヴァールの作った土壁を簡単に穿った。単純に、蜘蛛男に力で押し負けているのだ。
「ナッ⋯⋯⁉︎避けるにも通路が狭いですナ⋯⋯‼︎」
「⋯⋯おまけにっ、壁の強度が追い付かん⋯⋯!ただでさえちっさいのがおるのに⋯⋯‼︎」
「アヴァール様!風魔法を代わってください!」
ベリルはアヴァールとフォスターの前に出て、身体強化魔法で筋力を底上げし、剣で男の脚を払った。軽く払ったつもりだったのだが、脚と剣はぶつかった瞬間に火花を散らす。
「うっ⋯⋯硬⋯⋯‼︎」
蜘蛛男の力が強いのは勿論だが、矢張りその硬度が桁違いだ。業物の刃物と斬り結んだ時の様な音が響き、それが8本もある為、ベリルは完全に防戦状態となる。それに常に魔法を使用し続けなければならず、効率が非常に悪い。
そしておまけと言っては何だが、靴を脱いだ為足元も不安要素である。
だが、通路に居る事で助かっている事も有った。フォスターは狭くて避けられないと言ったが、その狭さ故に蜘蛛男は思う存分身体を動かせないのだ。だから、脚による攻撃のタイミングがホールに居た時よりも遅れていた。
(⋯⋯それでも足下には小蜘蛛がうじゃうじゃ居るし、純粋にこの脚⋯⋯強力過ぎる!)
この攻撃を受けられるのは、単純に身体強化でごり押し出来るベリルだけだろう。しかし、ベリルだって剣が有るから脚の攻撃を受けられるが、生身で受ける事は不可能だ。確実に身体に穴が開く。
しかし、はっきり言ってしまうとアヴァールの風魔法はベリルのものより精度が弱く、小蜘蛛の取り零しが目に付いた。確かに公爵家の人間である以上、レベルの高い魔法なのだが風魔法はそこまで得意では無いのだろう。
今も、風を逃れた小蜘蛛がベリルの足に引っ付いて来た。
「⋯⋯⋯⋯邪魔‼︎」
小蜘蛛が足に引っ付く度、ベリルは小蜘蛛を踏み潰さねばならず、蜘蛛男の脚を捌くのがずれてしまう。その度に、脚がベリルの身体を掠めると云う、非常に危険な場面が幾度と無く発生した。
(⋯⋯あーっ!僕がもう1人欲しい!)
それはもう切実な願いだった。
2人居れば、風で小蜘蛛を押し返す担当と、剣で脚を弾く担当でもっと楽になる筈なのだ。勿論そんな事は不可能なので、もう1つの可能性を願うばかりである。
(⋯⋯サミュエル⋯⋯!せめてあの馬鹿が居れば⋯⋯まだやり易いのに⋯⋯‼︎)
「───お待たせ!」
「は?」
凛々しいと云うより、間の抜けた台詞が聞こえたと思ったら、鼻腔に爽やかな香りを強く感じた。レモンの様な、スッキリする香りである。
「があああああっ⁉︎」
通路いっぱいにその香りが充満したと思ったら、蜘蛛男は突然苦しみ出してホールへと一気に後退したのだ。一緒に小蜘蛛達も逃げて行く。
「な、な、何や⁉︎」
「ふふん、成功だ!」
後ろから聞こえたその得意げな声にベリルが振り返ると、キッチンワゴンを押したサミュエルが立っていた。ワゴンには幾つもの硝子瓶が置かれていて、中には乾燥した植物が詰め込まれている様だ。
「サミュエル⁉︎お前、一体何を⋯⋯!」
「これだよ、これ」
そう言ってサミュエルは硝子瓶の1つを手に取り、中身をカサカサと揺らした。
「虫って、こう云う匂いの強いハーブ⋯⋯ローズマリーとかペパーミントを避ける性質があるんだ。この家は庭にハーブ畑があったし、時期じゃ無くても保存してるんじゃないかと思ったんだよ」
「⋯⋯成る程⋯⋯」
サミュエルがキッチンに向かったと云うのは、保存しているハーブをありったけ掻き集める為だったのだ。そしてそのハーブをセレスタイン独自の魔法で成分抽出し、効果を増幅させた状態でばら撒いたのだ。普通のハーブよりもきつかったのだろう、蜘蛛男はホールでのたうち回っている。
「それより、このままあいつをハーブ畑に追い立てよう!」
「ハ、ハーブ畑?何でや?」
「屋敷内じゃ下手な魔法出せないし、街中に出す訳にもいかないからだよ!」
それに、ハーブ畑には仕込みがしてあるからね!と、サミュエルは悪い笑顔をした。貴公子の笑顔の時は胡散臭くて信用出来ないが、こう云う悪巧みをするサミュエルは頼りになる。釣られてベリルとアヴァールもニヤリと笑い合った。
これはもう、サミュエルの悪巧みに乗るしか無い。
「分かった。それじゃあ僕が風魔法で誘導するから、サミュエルはハーブの匂いを⋯⋯」
「あ、ちょっと待って」
「⋯⋯何やねん!これからって時に!」
さあ、行くぞと云う時に、サミュエルが唐突に水を挿した。
そんなサミュエルは、じっとフォスターに視線を注いでいた。
「⋯⋯あれ、猫?」
サミュエルに遠慮無く視線を注がれているフォスターはと云うと、鼻面を抑え、床を転がって悶絶していた。
「ンナアアアアアアアアアアン⋯⋯‼︎‼︎」
わんにゃんも、匂いには非常に敏感です。アロマオイルやエッセンシャルオイル、洗剤などの生活必需品でも大変な事になるかもしれません。
特に猫は種類によって中毒症状が出るものが有るそうなので、注意しましょう。




