145.蜘蛛って云うのはね
バトルシーンになると進まない病。
この位置に居るならあれで、ああ云う動きだから、こうだなと無駄に考えるのです。それで表現出来ないと。
真っ黒い虫脚を背中から4本生やした男は、ぐぐぅっと姿勢を折り曲げたかと思うと人間の手足だったものも虫の脚に変えてしまった。身体は人間の様だが、その姿は何処からどう見ても巨大な蜘蛛である。
「ギャー⁉︎何やアレ⁉︎キッモい‼︎」
「脚見た感じ、この辺に棲息している蜘蛛とは違うかも?海外から来たヤツじゃない?」
「⋯⋯冷静に種類の分析をするな!」
研究者の血が騒いだのか、サミュエルが冷静に種類の分析を始めた。
ベリルとしては、あの時変貌した女を思い出していた。あの時の女も、人間としては有り得ない質量を持って姿を異形へと変えたのだ。
(⋯⋯呪術具?いや、それにしては⋯⋯そう云う何かを使った素振りは⋯⋯)
「余裕だな、人間共!」
少し思考に耽ったら、蜘蛛男が距離を一瞬で詰め、長く伸びた一脚を薙ぎ払って来た。ベリル達3人は咄嗟に避けたものの、お陰で飾られていた腰程もある大きな花瓶が断ち割られ、階段の手摺りが弾け飛んだ。
運良く全員避けられたものの、もし当たっていたらと思うとぞっとする。
「蜘蛛の割に脚が丈夫!新種⁉︎」
「新種でも珍種でも亜種でも何でもええわ‼︎ええから、退避や退避‼︎」
ベリルは花瓶の下に敷かれていたラグを剥ぎ取り、蜘蛛男の顔目掛けて広げた。上手い具合に顔を覆い、相手の視界を奪う事に成功する。その間、3人は脚が届かない距離まで逃走する事が出来た。正確には通路の陰へと身を潜めただけだが、男は3人を見失い「何処へ行った⁉︎」と、暴れている。
「これはあかんやろ!」
「確かに⋯⋯魔法を放っても良いですけど⋯⋯この屋敷に居る人に危険が⋯⋯」
「せやで!俺らが此処に居る以上、損害賠償払うのは俺らになるんやで!」
「清々しいまでの守銭奴振り、いっそ尊敬致します」
もう既に結構な損害を出しているとは思うのだが、ホールが多少破損する程度ならば痛くも無いのかもしれない。しかし、今正に床に穴が空いて行っている。虫脚を使って床を刺し貫いて行っているのだ。
まさか床下にベリル達が逃げ込んだと思っているのだろうか。いや、どちらかと云えば八つ当たりなのだろう。
「何事ですか⋯⋯ひい⁉︎」
「若様!下がってください‼︎」
ベリル達が潜んでいる通路の向かい側の通路から、ピピン達が顔を出したのだ。それはそうだ。あれだけ暴れて騒いだのだから、幾ら何でも様子を見に来るだろう。
だが、蜘蛛男は顔を出したピピンへと狙いを定めてしまった。
「⋯⋯⋯⋯しょうがない!」
ベリルは通路から飛び出し、蜘蛛男の眼前に踊り出た。接近戦ならば、広範囲魔法を使わずに済むと云うのもある。
【小僧!どうするつもりだ⁉︎】
「⋯⋯気合いで避け続けるしか無い!」
【無計画か!】
「怖いなら服の中にでも入ってろ!」
振り回された虫脚を掻い潜り続け、隙を見て魔法を叩き込むしか無いのだが、全く隙が見えない。脚が8本有るだけで攻撃の手数が単純に多いのだ。それに屋内である以上、炎の壁の様な防御魔法は使えないし、ベリルの出せる手数は必然的に少なくなる。
(⋯⋯何か、何か武器になりそうなやつ⋯⋯!気を逸らせる何かでも良い⋯⋯!)
突き出された虫脚を前転で転がりながら避けて、咄嗟に壁に掛かっていた1対のタペストリーを引き千切った。遠くからピピンの叫び声が聞こえたものの、気にしている場合では無い。先程のラグと同様、頭部へと向けて広げて放った。
「⋯⋯何度も引っ掛かると思うな‼︎」
蜘蛛男はタペストリーが頭に絡まる前に2本の脚を使ってタペストリーを引き裂いた。その所為で再び悲鳴が上がったが、蜘蛛男もベリルも全く聞いてはいない。
タペストリーを引き裂いたものの、一瞬視界が覆われた蜘蛛男はベリルの行方を見逃した。周囲と足元を素早く探すが、ベリルの姿は見えない。
「むっ⁉︎何処だ⁉︎」
逃げたかと思った瞬間、上からまた何かで視界を覆われた。
1枚のタペストリーで一瞬視界を奪ったベリルは、もう1枚のタペストリーを持ったまま頭上のシャンデリアにぶら下がっていた。そして蜘蛛男の意識が下へと向いた瞬間、持っていたタペストリーで視界を塞いだのだ。その際、タペストリー全体を水魔法で湿らせておき、電撃魔法を付与する事は忘れない。
「うぐっ⁉︎うがあああ⁉︎」
水分を纏わせた事により、電気は接触部分にしか通る事は無く周囲に火花が散る事は無い。1番恐ろしいのは、この湿度の低いこの気候に於いての火災である。小さな火花が燻るだけで、木造の屋敷はおろか街まで延焼する可能性も高い。
(⋯⋯でも、お陰で決定打が無い!)
1番攻撃力の高い火魔法が使えない時点で、ベリルの不利である。ならば身体強化魔法で胴体を攻撃するのが有効なのだろうが、それは8本も有る脚が邪魔をする。胴体に届かせるにはリーチも足らないし、何よりベリルは徒手空拳だ。
「⋯⋯⋯⋯人間がぁ‼︎」
どうするかとベリルが蜘蛛男から距離を開けると、いつの間に生やしたのか。胴体の下腹部から虫の腹が生えて来ていた。
その状態に「おっ⁉︎」と目を瞠った瞬間、その腹の先から白い粘液が勢い良く飛び出したのである。よく言う蜘蛛の糸だ。
「わぁッ⁉︎」
ベリルを絡め取ろうと吐き出された糸は、ベリルが避けた為、ホールの床に敷き詰められたボルドー色の絨毯に貼り付いた。しかも1発では無く、避け続ける為に何発も連射される。
絡め取られれば最後、蝶の様に捕食されるだろう。
「な、なんやアレ⁉︎ばっちいやないか!」
「え?そんな事無いよ?」
「だ、だってアレって尻から出とるやないか!つまりそれって⋯⋯!」
「結構勘違いされてるけど、蜘蛛の糸って排泄物とは別の所から出てるからね?」
「⋯⋯そうなん?」
「よく見るとお尻じゃ無くてお腹の方から出てるんだよ。種類によっては口から出すのも居るからね」
「⋯⋯そうなん⁉︎」
それはベリルも初耳であった。だからと言って、それは全く安心出来る要素では無い。
(⋯⋯それに、解説してないで援護して欲しい!)
糸の攻撃だけで無く、脚の攻撃も激しい。糸で足場を狭められている所に激しく攻撃が来るので、どんどん追い込まれているのだ。せめてあの糸を切る事が出来るならば、状況は変わるのだが。
なんて、陰に居る2人に文句を考えていたベリルだったが、急に右足が床に縫い付けられた。
「げっ⁉︎」
慌てて右足を見ると、そこには無かった糸が吐き出されていた。どう云う事だと視線を巡らせると、蜘蛛男が破り捨てたタペストリーの下に人間の頭部くらいの大きさの蜘蛛が潜んでいる事に気付いた。伏兵だ。糸を吐いたのは小蜘蛛もは呼べない大きさの蜘蛛だった。
「⋯⋯食い散らしてやる‼︎」
まずいと思った時にはもう、ベリルの動きが止まった事を見計らい、蜘蛛男が脚を大きく振り上げてベリルの胴体を貫こうと振り仰いでいた。




