140.メイドさんの仕事
どうしてもキリの良い所と考えると⋯⋯
まず第一に、「分身」とは一体何であるのか。
紙製の人間を警戒しつつ、キメリアが周囲を見回して驚愕した。物陰から、紅く光る沢山の異形の瞳が此方を窺っているのだ。
「ひっ⋯⋯き、気持ち悪い⋯⋯!」
思わず悲鳴を漏らしてしまったのだろう、顔を青褪めさせているエレナに、キメリアは頷いた。
キチキチと鳴る異音、人間の頭部程の大きさの本体、そこから伸びる細かい毛がびっしりと生えた8本の脚。
蜘蛛だ。巨大な蜘蛛が、何匹も湧き出して来たのだ。建物の影から、路地の影から、排水溝からうじゃうじゃと。
1匹だけでも気持ち悪いのに、群れとなるとその気色の悪さは殊更である。
「⋯⋯蜘蛛!小姐じゃなくて、元美少年に注意ヨ!慣れが違うもの!」
「⋯⋯!わ、私が足手纏いとでも仰るの⋯⋯!」
紙の安い挑発に簡単に乗ってしまう辺り、どう考えても戦い慣れてはいない。エレナの頭に昇った血を下げる為、キメリアはエレナの肩に優しく手を置いた。それでもエレナの怒りは治まらず、周囲の温度を更に下げ出した。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
「全部凍らせて、動きを止めます!」
「⋯⋯⁉︎や、やめ⋯⋯⋯⋯!」
確かに、それさえ出来れば問題無いだろうが、あまりにも広範囲に強力な魔法を展開すると云う事は、はっきり言って魔力の無駄である。それに、今目に見えているだけが相手の戦力とは考えられない。建物の、路地の、水路の更に奥から大量の蜘蛛が出て来る可能性が有るし、あの紙の本体も現れるかもしれない。
キメリアはエレナを制止しようと固すぎる口を開いたのだが、吹き荒れる冷気が口に入って来たので急いで閉じざるを得なかった。
(⋯⋯だから慣れていないと言われるんだ⋯⋯!)
キメリアが出来るのは冷気に身体を縮こまらせて、蜘蛛の通り道が氷で塞がれる事を祈るだけだ。それも絶対では無く、蜘蛛達は別の通り道を潜って来るだろうが。
「うふふっ。あの時の美少年ならまだしも、小姐くらいの魔力じゃあたくし達を退ける事は出来ないわヨ⋯⋯」
「⋯⋯強がりですわ」
「そうかしらネ?」
紙がそんな不遜な事を言ったかと思うと、エレナの右手に違和感が走った。補助具である、はたきを握っている方の手だ。
「えっ⁉︎」
魔力が遮断される感覚。それに伴い、周囲に吹き荒れていた冷気も治まってしまった。
「な、何⋯⋯⁉︎あっ⋯⋯⁉︎」
エレナが思わず右手を見ると、先程細かくなった紙人間よりも更に小さな紙が手の甲とはたきの柄に貼り付いていた。
「魔力遮断。コッチの大陸の人間は魔力が高くても態々道具に頼るのだもの。封じるのも簡単ネ」
ふふふっと、艶めかしい笑い声が響いたと思ったら、紙人間はまたパッと細かい紙に分かれて周囲に飛び散った。
「っ⋯⋯!」
キメリアは無駄だと思いながらも、苦手な炎の魔法をナイフに纏わせて斬りつけた。ナイフの熱が小さくなった紙に掠り、幾つかの枚数が焼ける。
「哎呀怖い!⋯⋯でも、相手はあたくしだけでは無いでショ?」
「⋯⋯っ‼︎」
ナイフを握っていた手に糸が絡まった。蜘蛛の糸だ。
かなり強力な糸で、引っ張った所でびくともしない。咄嗟にもう片方の手にナイフを握って斬り付けるも、何重にも絡まった糸は中々切り離せない。
「⋯⋯くっ⋯⋯!」
「⋯⋯本当に可惜。あと20年もすれば、你の息子に会えたかもしれないのに」
そんな言葉と共に、紙人間はキメリアの首を目掛けて腕を振り下ろした。重力魔法が掛かったナイフを容易く弾いた腕である。このまま振り下ろせば、簡単にキメリアの頭部を断ち切るだろう。
キメリアはその最後の瞬間に目を開けている度胸は無く、衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
「よいしょっ‼︎」
「っ⁉︎」
大きな掛け声ひとつ、キメリアの右手に絡み付いていた糸はばっさりと断ち切られた。
断ち切ったのはなんとエレナである。エレナははたきを使って糸を断ち切っただけで無く、紙人間を風圧で後退させたのだ。
「小姐⋯⋯你⋯⋯!何をしたの⁉︎」
「⋯⋯⋯⋯私、自分自身の本分をすっかり忘れておりました」
エレナの右手とはたきには相変わらず小さな紙片が貼り付いているので、魔法が使えない筈である。だがエレナは堂々と胸を張り、はたきを勇ましく紙人間へと向けた。
「最近は鄙びた町で家事だったり、侍女の真似事だったりしておりましたが⋯⋯⋯⋯そうです、本当の私はメイド。掃除を本分にしたハウスメイドです!」
「打扫って⋯⋯何の話ヨ?」
「⋯⋯最近の私はその掃除すら効率を重視し、魔法を使っていましたが、お母様より厳しく仕込まれたのは魔法を使わず、自身の手で行う清掃です」
エレナが再びはたきをひと振りすると、蜘蛛が丁度キメリアへと吐き出した糸がふんわりと弾かれた。
「私達ハウスメイドにとって、敵とは埃だけでは御座いません!紙切れ紙屑、害虫害獣も掃除の対象!綺麗さっぱり掃き出して差し上げます‼︎」
エレナはメイドの誇りを胸に、はたきを下に向けて人力で風を起こした。すると面白いくらい簡単に、地面を這っていた蜘蛛達がコロコロと転がり出した。
「嘘!ジズ⁉︎」
「ええ、ええ!幾らお外とは云え、こんなに蜘蛛が居てはどうしようも御座いません!なのでさっさと排水路に掃き出して差し上げましょうね!」
「女仆、凄すぎ無い⁉︎」
排水路は王城に繋がっているので、出来れば止めた方が良いのでは?と、キメリアは思ったのだが、今はそんな事を気にしている場合でも無い。
エレナが通路の掃除を敢行している間に、キメリアは魔力を練って鳥を飛ばした。キメリアの魔力によって練られた白梟は一気に上空へと飛び上がり、その目立つ白い翼を何度も羽ばたたせた。
「何⁉︎何のつもり⋯⋯!」
「決まっているでしょう、新しい清掃担当者を呼んでいるのです!」
エレナが更に気合いを込めてはたきを振り回し、細かく分かれた紙人間を掃き出した。紙人間も逃げようとするが、絶えずかき混ぜられて上手く動けない様である。
「その方は私よりも素晴らしい手腕を持った方ですよ!さあ、そこをお退きなさい‼︎」
プロフェッショナル。




