127.パン生地お嬢様
更新がいつもと違う時間帯、申し訳無いです。
シーザーと後から走って来た侍女の手により、アルエットは立ちあがり、ピピンは下敷きから何とか助け出された。
すっかり身体を強ばらせていて、ベリルが手を貸すものの立ち上がるのも難儀な程である。
「⋯⋯し、死ぬかと思った⋯⋯!」
「大丈夫ですか、若様⋯⋯」
「と、取り敢えずは⋯⋯」
押し潰されて肺の空気が一気に押し出されたピピンは、肩で必死に呼吸を繰り返した。そんな兄の命を刈り取らんとした妹はと云うと、不甲斐無いとばかりに兄に文句を言い始めた。
「本当にお兄様ったら頼り無いわ!」
「⋯⋯アルエット、お前がのしかからなければ、私はこんな目に遭っていないのだがね⋯⋯」
「わたくし恥ずかしいわ⋯⋯妹を支える事も出来ない兄なんて!」
そうは言ってもと、ベリルはアルエットを見た。
アルエットは身体に万遍なく肉が付いていて、まるで雪だるまの様な令嬢なのだ。真っ白な肌も益々そのイメージを増長させる。手はぱんぱんに膨れ上がって生焼けのクリームパンだった。
ベリルだって激突された訳だが、身体強化を使ったと云うのに中々の衝撃を受けたのだ。ザレンを庇ったのは本当に良い判断だった。
(⋯⋯何食ったらこんな体型になるんだよ⋯⋯?)
太るのは体質だったり生活習慣だったりと要因が色々ある訳だ。実際、ベリルだって異様に食べるのに太ってはいない。それでも、アルエットの体型は異常と云う他無かった。
誰もこの体型を指摘しなかったのだろうか。ベリルはピピンの顔と、アルエットのお付きの侍女の顔を順々に見るも、この2人では指摘出来ないだろうなと痛感しただけである。2人とも自信の無い八の字の眉なのだ。ベリルだって言い難い。貴族家の令嬢に「デブ」とは。
だが此処に1人、そんな事は関係無い人物が居た訳である。
「あのおねえしゃん、ぽよぽよね、おにいしゃま」
「あっ⋯⋯」
ザレンだ。
純粋無垢に、ただただありのままの事実を口にしたのだ。
「なんだかね、パンやしゃんがこねこねしてるのみたい」
「⋯⋯⋯⋯くっ⋯⋯」
ベリルは思わず噴き出しそうになった。先程「生焼けのクリームパン」と考えた事は知られていない筈なのだが、ザレンも同じ様な事を考えたらしい。
シーザーは顔に出していないが、肩が揺れている。堪えてはいる様だが、笑いそうになっているのだ。因みにテイは遠慮無く笑っていた。
しかし、ピピンと侍女は顔を真っ青にして、怯えた様にアルエットを見詰めたのだ。そして見詰められたアルエットは、顔を更に真っ赤にさせて爆発した。
「なんなのよ!この子供!」
「アルエット、その子は」
「わたくしが何⁉︎太っているとでも言うの⁉︎違うわよ、他の人間が細過ぎるだけだわ‼︎」
そりゃ無えわ。この場に居た誰も(ザレン以外)が思った事である。しかし本気でそう思っているアルエットは、その怒りのままに廊下に飾られていた大きな花瓶を掴んで、あろう事かザレンに向かって投げ付けたのである。
令嬢の腕力では中々飛距離は出なさそうなのだが、アルエットは問題無く花瓶を投げた。
勿論、ザレンに当てさせる様な事はさせず、花瓶は難無くベリルが受け止めたが。
「あぶなっ⋯⋯!」
「さっきから貴方何なのぉっ⁉︎」
アルエットの癇癪は止まらない。今度は両足でどすどすと地団駄を踏んだ。
「その子、平民よね⁉︎侯爵家であるわたくしを侮辱して⋯⋯!お兄様が連れて来たの⁉︎何考えてるのよ⁉︎」
「アルエット!⋯⋯ぶえぇっ⁉︎」
ピピンが後ろからアルエットを羽交締めにするが、針金の様なピピンではアルエットを止める事は出来ない。振り回されたむちむちの腕が頬にめり込み、容赦無く壁に叩き付けられてしまった。
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯何考えてるのは、こっちの言いたい事だよ⋯⋯)
幸いにもザレンは、アルエットを恐がる様な素振りは見せていない。だが、いつあのむちむちのクリームパンやハイヒールを履いた蕪がザレンに振り下ろされるか分からない。
ベリルはそっとシーザー⋯⋯では無く、ロビンの顔を見詰めた。ロビンはピピンの身体を助け起こしているものの、その表情は無表情にアルエットを見ていた。隠れてはいるが、仮面の下は殺気が渦巻いているのだろう。
本当なら娘を傷付けようとする人間なんて、八つ裂きにしたいに違いない。それでもプロである以上、仕事を優先させているのだ。
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯しょうがない⋯⋯)
ベリルは深く息を吐き出した。
本来なら、ザレンは此処に居ない筈の少女だ。それを、ベリルの都合で連れて来てしまった。
それにベリルの言われた仕事は、ロビンと合流し、ピピンを侯爵邸に送る事。もう任務は達成である。
だから、此処で領主の娘に嫌われて街から追い出されたとしても、どうにでもなるのだ。
「ぎゃあぎゃあうるせぇ、パン生地女。竃にぶち込むぞ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯えっ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯お、おにいしゃま⋯⋯?」
常にベリルは穏やかな口調を心掛けていた。それはジークベルトに引き取られてから⋯⋯いや、母と暮らしていた時から、強い口調で誰かを恫喝しようとした事は無い。時々ブチ切れて汚い言葉が出る事もあったが、基本的にはすぐに取り繕って笑顔で嫌味を言ってやるだけだった。喧嘩もしたが、大抵ワンパンで大人しくなるので、それ以上の対応はしないで済む。
嘗て一度だけ、過激な口調で喧嘩をした事があるのだが⋯⋯あの時した事まででは無くても、それに近い言葉遣いをアルエットにしてやるつもりだ。
「な、な、な、何⋯⋯⁉︎貴方も平民よね⁉︎貴族に逆らうの⁉︎」
「平民じゃねぇ、下民だ」
「はっ⋯⋯はあ⁉︎最下層民じゃない!嫌だ、汚い‼︎」
予想はしていたが、アルエットは完全血統主義の様だ。「汚い」「来るな」「臭い」と連呼し出したのだ。
しかしそれは思い通りの反応である。あまりの簡単さに、ベリルは鼻で笑ってやった。その表情は笑顔なのだが、何時もの「天使の様な」笑みでは無く、酷薄で嗜虐的な嗤いだ。
短い付き合いだが、ベリルの為人を知っているピピンとザレンは信じられないとばかりに目を白黒させていた。シーザーはと云うと、ベリルの思惑を察知したのか真剣な表情でひとつ、頷いたのである。
「だからうるせぇって言ったろうが、聞こえなかったのか、あ゛ぁ⁉︎」
「きゃあ⁉︎」
慣れない恫喝を一回、そして成長により多少長くなった脚を使ってアルエットの脚を引っ掛けて掬い上げる様に転ばせた。蹴り飛ばした訳では無く、飽くまで転ばせただけだ。痛みが少ない様に、絶妙にくるんと転ばせた時点で手加減してあげているのだが、アルエット自身は気付きもしない。
「う、薄汚い下民が!わたくしに暴力なんて⋯⋯!」
「⋯⋯暴力ぅ?ただパン生地が転がっただけだろうが」
「そ、そのパン生地って何よ⁉︎まさかわたくしの事っ⁉︎無礼なッ‼︎」
無礼なら確かに働いたが、このままでは侯爵家は没落し兼ねない事を理解していないのだろう。1人で起き上がるのも手足をばたつかせてで無いと困難な癖に、無知で無様なアルエットはベリルを怒鳴り付けた。
その怒鳴る内容も、「父親が帰って来たらああしてやる」「王妃になったらこうしてやる」など、自分では無く誰かの権力に寄り掛かったものばかり。それに王妃に成れる器量では無い事は、彼女と彼女の父親以外は身に染みている筈だ。
当初はただの演技でアルエットの怒りを買っていたベリルだったのだが、もう嫌気が差して来た。うるさいのもそうなのだが、癇癪の内容も無茶苦茶、何よりこう云う粗野な演技は性に合わない。
此処らへんで切り上げるかと考えていたベリルだったのだが、アルエットの発した言葉で少し方向を転換する事にした。
「下民なんて何で生きてるのかしら⁉︎魔力も無い下等生物⋯⋯!わたくし達貴族のお情けで生きているのだから、せめて視界に入らない努力を致しなさい!」
「⋯⋯⋯⋯魔力が無い⋯⋯?⋯⋯へーぇ⋯⋯」
確かに平民は魔力が非常に少ないが、下民は案外魔力持ちが多い。貴族の落胤や、外から流れて来た魔術師が居たりするのが最下層だからだ。
ベリルはこの鼻持ちならないこのパン生地のお嬢様に、最大級の嫌がらせをする事にした。
「魔力ねぇ⋯⋯?」
自分でも嫌な嗤い方をしていると思いながら、ベリルは尻餅を付いた状態で壁に寄り掛かるアルエットを見下した。全身から態と魔力を洩らすと、ピピンとテイははっとした様にその魔力濃度に目を瞠る。
それでもアルエットは、鈍感に「何よ、生意気!」と、喚くだけだ。元々魔力が少ないのかもしれないし、ただただ鈍感なだけなのかもしれない。
しかし、それでは恐怖心が与えられないと、ベリルはアルエットの顔のすぐ横の壁を蹴り付けた。強化した脚力で蹴り付けたので、壁からはぐしゃっと有り得ない音が響いたが、今は気にしないでおこう。
「ひいっ⁉︎」
直接的な暴力では無いとは云え、流石に此処まで手荒な事をされた事は無いのだろう。アルエットは引き攣らせた悲鳴を上げ、全身の肉を震わせた。
怯えた様な表情で、もう言葉も出せないアルエットの顔を覗き込み、ベリルは悪魔の様に笑って囁いた。
「────竃に入れる前に、パン生地はしっかり捏ねてやらないと、なぁ?」
容姿を貶すのは最低な行為です。
これは飽くまで創作なので、現実でやらかさないでください。




