119.綺麗なものには目が無いの
「は、はじめまちて!ザレン・アッテンテーターでございましゅ!」
頬を染め、ワンピースのスカート部分を両手で握り締めてもじもじする幼女は、それはそれは可愛らしいのだが、さっきまでの口の悪さや暴れ振りを目の当たりにしていたベリルからすると、いきなりどうしたと言いたい。
それはフェルニゲシュも思ったのか、肩の上からザレンに声を掛けた。
【おい妹御よ、その喋り方はどうしたのだ】
「あっ、おっきいとかげ⋯⋯!⋯⋯ちがうでしゅ、おおきなとかげしゃん!」
【⋯⋯いや、無理があるぞ妹御よ。国王をパツキン呼ばわりし、鼠男を溝鼠と呼び捨てていたのに】
「ザレンはれでぃーなのでしゅ。きちゃないことばぢゅかいは、はしたのうごじゃいま⋯⋯くちゅん!」
必死でレディを取り繕っていたザレンだったが、寒さに身体が震えてくしゃみをしてしまった。この季節、陽も沈んでいると云うのに部屋着のワンピース1枚ではそれは寒いだろう。
「失礼します、お嬢様」
ベリルは羽織っていたコートを脱いで、ザレンの身体にぐるっと巻いた。巻いたのは丈が圧倒的に長いからである。
「抱き上げても宜しいですか?」
「は、は、はい、おひめしゃま!」
姫呼びは嫌だなぁと思いつつも、ベリルはザレンの身体を抱き上げた。こんな寒空に放っておく訳にはいかないからだ。しかし、このまま王都へ戻るのもどうかと思えた。
先程ベリルは王都へとんぼ返りすると言いはしたが、公爵家に戻らずに中層と下層で勝手に動くつもりだったのである。だが、ザレンを抱えたまま王都に戻るとなると、公爵家に居る面々と嫌でも顔を突き合わせなくてはならなくなる。逃げる様に公爵家を出て来た身としては、それは避けたい事であった。
「⋯⋯念の為確認させてください。お嬢様のお父様のお名前は、ロビンでしょうか?」
「しょうでしゅ!おかあしゃまがシレーヌで、おねえしゃまがエレナでしゅ!」
「ご家族の名前が言えるなんて、お嬢様はお利口なんですね」
「ふぇへへ⋯⋯おひめしゃまにほめられたでしゅ⋯⋯」
はっきり言って父親がロビンと云う事だけ分かれば良かったのだが、これで情報の正確性が立証された。ならば、ベリルが取る行動はこれしか無い。
ベリルは固く閉じられた客車の扉を4回ノックした。ノック音に驚いたピピンが、上擦った悲鳴を上げたのが聞こえた。
「失礼致します、グラスター卿」
「は、はい?だ、大丈夫なんですか?」
「ご心配の様な事は有りません。ですが⋯⋯迷子が居りまして」
「ま、ま、まいご?」
思いもしなかった単語が出て来て、ピピンは窓帷を引いて顔を出した。ベリルに抱えられたザレンとばっちり目が合い、ピピンは驚いて「ひゃあ」と甲高い悲鳴を上げる。
「本当は王都に届けるべきなのでしょうが、実はこの子のお父君とグラスター侯爵領で落ち合う予定なので、そちらにお任せしようと思います」
「え⋯⋯でも、うちの領地より王都の方が⋯⋯」
「確かに王都の方が近いし安全なのかとは思いますが⋯⋯今は混乱してますからね、城の事がありましたし。この子のご家族もお忙しくされてました」
ベリルは自分が王都から逃がされた事を鑑みて、王都の方も一概には安全では無いと考えていた。もしかしたら、ベリルにだけ関係する危険なのかもしれないが、そのベリルと王都に戻るのは巻き込む事になる。それならこのままグラスター侯爵領へ行ってしまった方が良い。
「それで、移動中はこの子を中に入れて頂きたいのです」
「も、勿論ですよ。外は冷えますし、さあ、中へどうぞ」
ピピンは常に八の字の眉毛を珍しくキリリと吊り上げ、客車の扉を開いた。そしてザレンを受け取ろうと手を伸ばした。
ところが、ザレンは暖かい客車の中に居るピピンでは無くベリルにしがみ付いた。そして大きな声で拒絶したのだ。
「ぃや‼︎」
「え⋯⋯」
「でこぱち⋯⋯⋯⋯じゃなかった、ザレンはおひめしゃまといっしょにいる!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯で、でこぱち⋯⋯」
(⋯⋯気にしてるんだ)
ザレンは咄嗟に言い繕ったのだが、「でこぱち」と呼ばれたピピンは見るからに落ち込んだ。やはり若いのに無駄に広い額と云うのは嫌なものなのだ。
「お嬢様、僕と一緒となりますと、外の馭者席になりますが」
「おひめしゃま!」
「此方の方が暖かいですよ」
「いいの!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はぁ⋯⋯」
唇を突き出し、頬をむうっと膨らませるザレンの顔には、淑女の部分は欠片も無い。思わず溜め息を吐いたベリルは、未だに涙目で落ち込んで頼りにならないピピンを見て「面倒臭ぇなぁ」と呟きたかった。
結局、ザレンはベリルが抱えて移動する事になった。ベリルの膝の間に納まり、寒さ対策でベリルが羽織っているコートに潜り込んだザレンは、るんるんのご機嫌である。
【⋯⋯幼くとも女と云う事であるな】
「なんでしゅか、とかげしゃん」
【⋯⋯何でも無いのである】
フェルニゲシュは定位置の左肩では無く、ザレンに握り込まれていた。言ってしまえばぬいぐるみの代わりにされている。
「お嬢様、お疲れではありませんか?」
「おひめしゃまはやさしいのでしゅ!ザレンはげんきでしゅ!」
「⋯⋯⋯⋯先程から気になっていましたが、そのお姫様と云うのは、僕の事でしょうか?」
「しょうでしゅ!」
「良いお返事ですね。でも出来ればその呼び方は止めて頂けますか」
正直言って、他人から「女みたい」と呼ばれるのは精神的なダメージが大きい。ベリルとて、自身の事が男らしいとは思っていない。思ってはいないのだが。
(⋯⋯ちっさい子に言われると、現実を突きつけられてるよな⋯⋯)
純粋な幼子からの指摘は、流石に図太いベリルも心がズタズタになった。ベリル自身の為にも、何としても姫呼びは止めさせなくては。
「でも、おひめしゃまはおひめしゃま⋯⋯」
「僕の名前はベリルです、お嬢様」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯べ?」
「ベリルです」
「ベリルひめしゃま⋯⋯」
「ベリル」
「⋯⋯ベリルしゃま」
「⋯⋯はい、そうですよお嬢様」
ベリル如きに「様」なんて過ぎたものではあるが、「姫」で無くなるならばもう何でも良かった。すぐ目の前にあるザレンの頭を「もう姫扱いするなよ」と、願いを込めて撫でる。
「えへへへへふぇ⋯⋯」
ベリルに頭を撫でられてにまにまと笑みが止まらなかったザレンだったが、暖かくなって安心して眠くなったのか、首をこっくりと船を漕ぎ出した。時間も遅いし、幼いザレンには辛いだろう。
ベリルは手綱を握っていた左手を放し、ザレンの腹に回した。
「もうすぐ目的地に着きますよ、お嬢様」
「にゃい⋯⋯」
「お父様にもうすぐ会えますからね」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯すぅ」
ザレンはもう夢の世界へ旅立っていて、小さな寝息を立てている。
(⋯⋯だから客車の中に居て欲しかったんだけどなぁ⋯⋯)
【全く⋯⋯我は愛玩動物では無いのだぞ!】
「僕の魔力吸ってるだけなんだから、こう云う時に役に立て」
ザレンの手から抜け出したフェルニゲシュが、定位置の左肩に戻って来た。
「⋯⋯取り敢えず、街に着いたら宿を取って⋯⋯お嬢様とグラスター卿を休ませないと」
【あのデコぱちの屋敷に泊めさせてもらえば良かろうに】
「術者が居るかもしれないから、安全確保してから⋯⋯っつーかデコぱちってお前も言うのかよ」
月の無い夜に、遠くに見える街の灯りはとても目立って見える。せめてロビンと早く合流出来れば良いなと、ベリルは願うだけだ。
補足を。ザレンは可愛いものより綺麗なものが好きです。ぬいぐるみよりも美術品にうっとりするタイプです。ジークベルトに見向きもしなかったのもそれが理由です。
フェルニゲシュはすべすべしてぷにぷにな触り心地が良いみたいです。




