107.水と油と塩
気の置けない相手との食事とは、非常に疲れるものであった。
その相手とは国王であるミシェル⋯⋯では無く、此方を隙無く窺うアヴァールである。
何となくアヴァール相手に素を出す気にはなれず、ベリルは誘われた昼食も一般的な常識からは逸脱しない、最低限の量しか食べる事は無かった。(それでも、よく食べると言われた)
「ほな、陛下はこれから会議かぁ。ベリやんは⋯⋯仕事?セレスタイン公爵の補佐?ええ、そしたら俺1人やないか」
食後の小休止、アヴァールは退屈そうに頬杖を突き、「俺も会議出てえぇか、おとんに聞くかー」なんて呟いた。
「おい、アヴァール⋯⋯遊びでは無いのだぞ」
「分かっとりますよ。せやけどこのままやったら俺ぼっちやん?サミュエルんとこ行ってもえぇけど、あいつ自己中っつーか協調性無いっつーか。疲れますのよ」
お前が言うのかと言いたいのを堪え、ベリルはアヴァールから目を逸らした。確かにサミュエルは自分勝手な馬鹿野郎だが、良くも悪くも自然体なだけで正直な男だ。アヴァールなんかよりずっと付き合い易いと、ベリルは思っている。
「⋯⋯それなら、私が許可しよう。会議に出るが良い」
「ほんまぁ?流石陛下、おおきに!」
「但し、引っ掻き回す様な真似はするな。今日は確認の為の話し合いだ、取り敢えずの方向は決まっているから」
「安心しはってくださいよ、大人しゅうしときますから」
何とも信用ならない言葉を信用ならない軽さで言いのけたアヴァールに、ベリルとミシェルは揃って疑いの眼差しを向けた。
そうやってアヴァールを警戒していたベリルだったが、不意に肩甲骨の辺りを突かれた。肩に乗ったフェルニゲシュが尻尾を使って、誰にも分からない様に合図をしたのだ。
瞬間何事かと顔を上げたベリルだったが、フェルニゲシュの尻尾がゆらゆらと揺れて、壁際の掛け時計を指している事に気付いた。
「⋯⋯申し訳ありません、陛下、アヴァール様。閣下に戻る様言われた時間が迫って居りますので」
「ああ、会議の準備だな」
「そうなん?⋯⋯ほな、会議でまた会おな?」
「はい、御前失礼します」
ベリルは2人にさっさと頭を下げて、その場を辞去した。
足速に廊下を進むベリルは視線を前に向けたまま、肩に乗る蜥蜴に「助かった」と呟いた。その返答として、フェルニゲシュは【我としても不快な男であったからな】と、苦々しい声で吐き捨てた。
【あの男、食事中もずっと貴様を観察しておったぞ】
「⋯⋯ああ、何でだろうな?マナーの確認だとしても、ジーク様仕込みな事は考えれば分かるだろうし⋯⋯」
【それもあるが、頻りに貴様の親を聞きたがっておったな?特に父親を】
「⋯⋯何聞かれたって答えられないんだけど⋯⋯」
くどい様だが、本当にベリルは自身の父親が誰なのか知らないのだ。
「なるべく閣下にお願いして、あの人と接触しない様にさせて貰おう⋯⋯⋯⋯こう云う時、権力がマイナスの外民は嫌だね」
ベリルはそのままの歩調を維持したまま、フレーヌの書斎の前へと辿り着いた。懐中時計を取り出して、指定された時間よりも少し早い事を確認する。遅れなかった事に安堵したベリルは、ノックして入室の許可を得ようとした。
「あっ⋯⋯」
「あ⋯⋯ベリル君」
ベリルがノックの動作に入った時、丁度書斎の扉が開いて、中からフレーヌが出て来た。フレーヌの表情は先程シュエット家を案内した時よりも暗く、疲労感が滲み出ていた。
「⋯⋯良かった。ちょっと時間は早いけど応接室へ行こうと思ってね」
「そんな⋯⋯申し訳ありません、もっと早く伺うべきでした」
ベリルが頭を下げると、「良いんだよ、私がせっかちだったんだ」と、フレーヌは力無く笑って受け流し、ベリルを促して応接室へと歩き出した。
元々フレーヌは、やはりサミュエルの父親なのだなと納得する程、楽観的な人物である。そんな人物のあまりの変貌ぶりに、ベリルは理由を尋ねるべきか躊躇してしまう。ただし、それは飽くまでベリルだけで、契約者と美女以外は割りかしどうでも良い蜥蜴はそうは思わなかった。
【なんぞ有ったか?まるで引き抜かれて叫んですぐのマンドラゴラの様だ】
「なっ⋯⋯馬鹿、黙ってろ」
それはどんな状態の事だと疑問に思いながらも、ベリルは慌ててフェルニゲシュの口を抑えた。
「ああ⋯⋯良いよ。私も自分が塩漬けにされたスケルトンの気分なんだ」
フレーヌもまた訳の分からない喩えを言い、笑った。正直ベリルは笑えないので、要点だけをしっかりついて貰いたかった。
「いや、ヴェスディ公爵が来てね⋯⋯キミの所にも子息が行った筈だけど、はあ⋯⋯残った私に全部おっ被せて来るから、嫌になるねぇ⋯⋯」
「閣下?」
「いや、早くジークベルトに戻って来て貰って、半分くらいは持って貰わないといけないからね。フェルニゲシュ君、明日行ってもらうつもりだけど、問題は無いかい?」
【気は進まんが、我はもう腹を括っとる】
「それは頼もしいね」
フレーヌは少し表情を明るくし、そしてベリルの顔を見た。
「ベリル君には申し訳無いけど、下水に入るフェルニゲシュ君を運んで貰うよ」
「畏まりました」
そしてベリルが従者らしく先に応接室の扉を開けようとしたのだが、フレーヌは自分から応接室の扉を開いた。
「やあやあ、お待たせしました。揃ってますよね?」
フレーヌは態とらしく明るい声を出し、道化師の様な大仰な手振りで部屋の奥へと進む。後に続いて部屋に入ると、昨日と同じ並びに座った公爵家の面々と、別のテーブルで突っ伏しているマルトーとその後ろに立ち竦むロッチャ、そして上座にミシェルが座っていた。
あんなに会議に出たいと言っていたアヴァールの姿は無い。ベリルはその姿を探して部屋中に視線を巡らせた。そんなベリルの様子に気付いたのは、ミシェルだった。
「アヴァールならば、サミュエルを呼びに行かせた」
「ウチの子ですか。なんでまた」
「公爵家の次代が2人も来ているのだ、お前の次代が会議に出ないのは可笑しいだろう」
「あの子は何するか分からんですよ」とぼやくフレーヌの為にベリルが座る椅子を引き、フレーヌがその席に座ると、応接室の扉のドアノブがガチャガチャと動き出した。手が塞がっていて上手くノブを回せない時になる様な、あの感じである。
ベリルは急いで扉へ近寄った。このままではノブが逝かれてしまう。
「お待ちください」
ベリルがそっとドアノブを捻ると、倒れ込む様にアヴァールと、背中に負ぶさる様にサミュエルが入室して来た。いや、実際アヴァールはそのまま床に倒れ込んだ。負ぶさっていたサミュエルの方が綺麗に着地した分、不様である。
部屋に居た人間の驚きの眼差しを受けながら、アヴァールは床に倒れ込んだままサミュエルに怒りの声を上げた。
「何すんねんこのあほんだら‼︎しょーもない事しよって‼︎」
「いやー、なんかアヴァール見てると無性に腹立つんだよね。こう、邪魔してやりたくなるって云うか」
「此処まで運んで来てやった年長者やぞ⁉︎敬わんかい‼︎」
流石に公爵家嫡男を床に倒しておく訳にも行かないので、ベリルはアヴァールを助け起こす為に手を差し伸べた。
「おお、おおきに。やっぱりベリやんは優しいええ子やなぁ」
「⋯⋯⋯⋯いえ」
しかしいざ立ち上がろうとしたアヴァールだったが、何故か身体が曲がって重心が下になっていた。
「ええ加減にしぃや!ずっと重いんじゃ‼︎」
「あはははは!⋯⋯潰れればいいよ」
真相はサミュエルが掛けた重力魔法である。
サミュエルはアヴァールに負ぶさりながら、嫌がらせに魔法で体重を重くしていたのだ。
今の世代は大体年がばらけているので、表の繋がりと云うか、大人の対応が出来るのだが、どうも次世代の公爵家は年齢が近い分纏まりと云うか、ガキなのだ。特に今回はサミュエルの所為な気もするが。
サミュエルがここまで誰かに嫌悪感を顕にするのも珍しいのだが、何とも不安になる光景だ。
(⋯⋯この国、今持ち直せても10年後潰れてんじゃ無い?)
因みにもう1人の公爵家次代、テミス・パテルディアスはと云うと、ボケまくった現当主の「ごはんまだ?」をあしらい続けていた。
おじいちゃん、もう食べたでしょ?




