12.類似品に頼る愛
「まぁ⋯⋯此方がジークベルト様で御座いますか?」
セレスタイン公爵家の馬車は、使用人が使う物でも作りが確りした物であった。
馬車の対面に座ったエレナは、くしゃみを繰り返す獣を繁々と眺め回した。
ジークベルトはくしゃみが止まらない為、鼻から鼻水が垂れ下がる情け無い顔をしていた。
「なんと申しますか、ようやっと中身に外見が追い付きましたのねぇ」
「どぅ、ぐしゅっ、どう意味だっぶしゅん!」
鼻水を飛ばす獣に、「あらあら」とハンカチを宛てがうエレナだったが、鼻も口も同時に抑えている。呼吸の出来なくなったジークベルトは暴れ出した。
「ジーク様、馬車は狭いんですから、暴れないでくださいよ」
貰ったチョコレートを齧りながら、ベリルはやんわりとエレナの手をジークベルトから外してやった。その際、ハンカチはジークベルトの鼻に貼り付けてやった。
エレナと顔を会わす時のベリルは常に腹を鳴らしているので、何時も何かしらの菓子を恵んで貰っている。その為なのか、エレナはベリルに何かしらの世話を焼き、時には行儀を説いてくる。
「ま!お口にものを入れた状態で喋ってはいけませんよ」
「⋯⋯すみません」
さしものベリルも、この母の様に姉の様に振る舞うメイドには下手に出るしか無い。バツが悪くなり、黙って残りのチョコレートを齧った。
「旦那様にご相談と云うお手紙でしたけど、もしかしなくともこのジークベルト様の件ですか?」
口の中にはまだチョコレートが入っていたので、ベリルは黙って頷いた。それでも「ちゃんとお返事しなくてはいけませんよ!」と、また叱責されてしまった。
チョコレートを完全に嚥下したベリルは、改めてエレナに事の経緯を説明した。
「まぁ、女性とのトラブル⋯⋯しかも、呪術で御座いますか⋯⋯」
ふむふむと話を聞いていたエレナだったが、段々と眉間に皺が寄って行く。
「やはりベリルさんの言う通り、此れを持ち帰るのは正しい行いでしたのね⋯⋯」
そう言って、エレナは自身の座席の横に載せた焦げた袋を見た。その袋は先程までジークベルトが詰まっていた背嚢の袋だ。中にはぺちゃんこになった鱗の塊が分厚い氷に覆われた状態で入っている。
あの女が丸呑みにした、あの赤い石が気になっていたので、エレナに回収を頼んだのだ。
因みに、女の首と骨の方もお願いしたのだが、「醜過ぎて馬車に入れたくもありません」と言われてしまい、氷漬けにした状態で警備兵達に後日届ける様、丁寧にお願いをした。エレナが作った氷ならばそう簡単に融ける事はないので、暫く安心である。
「それにしても、呪術者が亡くなったのにジークベルト様のお姿が元に戻らないのは何故かしら?」
そう言ってエレナは頭を傾げた。その事には、ベリルも思う事がある。
「ずびっ、それなんだけど、ずびびっ、ただの呪術じゃなくて、魔導具だったのかもじゅぴっ」
「ええと?」
「起点の違いですか?」
「うん、そうずぴっ」
「⋯⋯ジーク様、鼻ちーんして」
鼻に貼り付いたままのハンカチを抑えてやると、ジークベルトは大人しく鼻をかんだ。そしてそのハンカチはエレナが黙って凍らせて、背嚢の袋に放り込んでくれた。
「んんっ、兎に角、私をこんな姿にしたのはただの呪術じゃないって事!魔導具起点なら、効果は半永久的だしね」
呪術と魔法は、エネルギーも発動プロセスも違うが、発動起点が術者であると云う共通項がある。どちらも術者が潰されれば術が解除されるので、戦争なんてものがあれば、真っ先に魔法部隊を叩くのはセオリーである。
対して魔導具を使用する場合、発動起点は術者ではなく魔導具になる。仮に術者の手から魔導具が離れたとしても、プログラムされた術式通りに進むので、発動した時点で術式が完了するまで止まる事はない。
「しかし魔導具が使用された場合、小さくても魔力の高まりを感じますよ?少なくとも僕には全く魔力を感じませんでした。ジーク様だって、その姿にされた時そうおっしゃってましたよね?」
「そうだよ。だから、呪術用の魔導具だと思うんだ。詳しく言うなら、適性が無くても呪術師になれる道具かな?」
ジークベルトは事も無げに憶測を口にした。
ジークベルトが言うには、魔導具が一般化した時点で、呪術師が類似品を作製するのは考えられる事だったらしい。
非常に恐ろしい事態である。隣人が呪術師擬き、なんて事があり得るのだ。取り敢えず、その呪術用魔導具は呪術具と呼称する事になった。
更に恐ろしいのは、魔導具を完璧に仕上げられるのは、未だにジークベルトただ一人なのに対し、呪術具を作製出来る人員が分からない事だ。
一人なのか、二人なのか。はたまた、両手に収まらぬ人数なのかも分からない。
「お待ちくださいませ。それでは、ジークベルト様をそのお姿に変えたのは、何の力も持たない一般の女性だったと仰るのですか?」
「何の力も無かったかどうかは、解らない。そもそも魔導具は、魔力持ち関係無く魔法を使う為のものだ。呪術用のそれがその条件を満たしていない筈が無い」
「つまり魔導具同様、術式の発動起点は使用者では無く、道具という事ですか?それでは呪術具を破壊する事で解呪となるのでは?」
少なくとも魔導具はそれで止まる。魔力が戻り次第、ベリルがまた全魔力で灼けば良いのだから。
「呪術具の場合、道具はただの箱の可能性が高い。あれは贄の怨みと苦痛を体内に溜めて、呪いとして対象者に移す術だ。原理は解らんが、贄のエネルギーを一時的に道具に移して、誰でもお手軽に呪いをばら撒けるようにしたんだろうな⋯⋯」
「それをどうやって、使用者は思いのままに扱ってるんです⋯⋯?触れた時に呪われない何かがあるとでも⋯⋯?」
「それも解らない。はっきり言ってコンセプトが似ているだけの、全くの別物だからね。だからベリルも、遺体の回収をお願いしたんだろう?」
そうだ。ベリルが確かに首を刎ねた筈なのに、あいつは何の問題も無いと再び動き出した。首はそのまま転がっていたにも関わらず。その時確かに、本体は鱗塗れの球体だと確信したのだ。
ベリルはエレナの横に鎮座した袋を眺めた。本当なら、さっさと破壊してしまうのが正しい行いだろう。それでも、それだけはしてはならない。
「それでは⋯⋯これが解呪の為の、唯一の手掛かりですのね?」
「私はそう思ってる」
「だからベリルさんも、氷漬けにしてそのまま触るなと仰ったのね」
「まあ、呪術師関連ですし」
それにしたって、呪術用の魔導具みたいなものとは思ってなかった。
しかし皮肉な物だ。まさか魔導具の製作者であるジークベルトが、呪術具で呪われるとは。
「⋯⋯なんであの人、ジーク様なんかを好きになったんでしょう?呪術にまで頼って」
「なんかとはなんだ、ある意味当たり前だろ⁉︎」
「別に呪わなくても、ジーク様との恋愛は成就したと思います。普通に可愛らしい顔でしたし」
なんせ場末の女給で満足していた様な男だ、守備範囲はべらぼうに広い。特別に醜い容姿でも無い限り、愛を囁かれたら簡単にころっと転がり落ちるだろう。
ジークベルトの行動範囲まで調べ上げていた様だし、幾らでもその機会は有った筈。それを呪術で醜い姿になってまでふいにするとは。
頻りに首を傾げるベリルに、エレナが優しく、頑是無い子供に言い聞かせる様に諭し出した。
「⋯⋯誰かを愛すると云うのは、人それぞれ。愛の悩みも人それぞれですの」
「はあ」
「⋯⋯⋯⋯それにその女性のお気持ち、なんとなく理解できます」
そう言って、エレナはベリルの顔をじっと見詰めた。
「すぐ横にいるのがその顔ですもの。女として気が気ではありませんわ」
 




