101.右回りと左回り
早朝、ベリルはなんとか目を覚ます事が出来た。いつもより少し眠たいが、行動には支障が無い程度である。これも若さか、鍛えていたお陰であろう。
寝巻きからさっさと(ベリルにしては)派手な服に着替え、魔法で出した水で顔を洗い口を漱ぐ。
髪を梳かし軽く身支度を整えたら、木箱の上で尻尾を抱えて眠りこけているフェルニゲシュをジャケットのポケットにつっこんだ。こいつだけ悠々と眠っていて、少し腹立たしい。このままポケットを叩いてやろうかと思ったが、起こさない方が静かだなと思い直して叩くのは止めてやる。後で無駄にジャンプしてやろう。
最後に昨日持って帰ったコーヒーカップを掴み、倉庫の様な部屋を出ると、一面黒のペンキが目に入り、刺激的な臭いが鼻につく。
結局、ドゥヴァンはどうなるのだろうか。
(僕としては、解雇されずにエレナさんから嫌われて、悔しい思いをして貰いたいなぁ)
エレナだけでは無く、ロビンにも密告してやろうと考えている。ロビンは子煩悩で娘のエレナを溺愛していたから、そんな危険人物に絶対に近付かせないだろう。
しかしベリルには人事権など無いので、後はフレーヌやベノワの管轄である。なる様にしかならないだろう。
「おはようございます」
寒々しい使用人用の食堂に入ると、料理人達が厨房で立ち働いていた。料理人は下拵えがあるので誰よりも早く起きなくてはいけないのに、あの騒ぎで起こされて完全に寝不足に違いない。
それでも誰一人眠そうな素振りは見せず、ベリルの前にどんどんと朝食のパンを積み上げてくれる。焼き立てのクロワッサンを食べられるのも、貴族家で働く特権であろう。
食後は特別に苦い珈琲を淹れてもらい、少し脳内で今日の予定を確認する。
これから、ベリルは王城の前に居る筈のシュエット一族と対話をする予定だ。ベリルが1番やらなくてはいけないのは、ロビンの確保である。そして出来れば、全員を一度引き上げさせたい。その為には下水道の話とフェルニゲシュの存在を言わなくてはいけないのだが⋯⋯
(⋯⋯フェルニゲシュの説明か⋯⋯)
学術都市でフェルニゲシュが行った事を知らない、ミシェルや各公爵家の面々は無理矢理に己を納得させた様だが、ベリルの怪我や死人が出ている事を知るロビン達が、フェルニゲシュを受け入れるだろうか。(フレーヌとサミュエルはその特異性から全く気にしていない)
(ロビンさんなら実利を取るかもしれないけど、感情で動く部分もあるエレナさんが問題だ)
兎に角エレナには、賢い蜥蜴で通した方が良いかもしれない。食器を片し、ベリルは1人屋敷の門へと向かう。門とは言っても、そこは昨日通った表門では無く使用人の通用門だ。王城からは少し離れるが、誰かに見咎められるのは避けようと思ったのだ。
しかし、
「ベリちゃーん、おはよー!」
通用門の前では、サミュエルがエピを齧って待っていた。
「何してるんだよ、こっちは表門じゃないぞ」
「いやいや、ベリちゃんを待ってた訳だよ。僕は暇だからさ」
「⋯⋯いや、忙しいだろ⋯⋯公爵家の嫡男なんだから⋯⋯」
どう考えても口煩い母から、鬱陶しい国王から逃げ出したのだろう。ベリルは胡乱げにサミュエルを見詰めた。エピの一部分を千切ってくれたが、そんな事では騙されるベリルでは無い。貰うが。
エピはベーコンとチーズが使われた、中々に豪勢なものだった。美味しい。
「それでさ、ベリちゃんは王城行くんでしょ?」
「ああ。昨日の話し合いに居なかったくせに、よく知ってるな?」
「まあね?僕の情報網は結構すごいからね」
にやりとサミュエルは笑い、そのままベリルの後ろをスキップでついて来た。
「どうして母上はベリちゃんを使用人にしちゃったんだろ⋯⋯しかも父上の従僕じゃ、僕と遊べないじゃない」
「都合が良いからだろ。それにシュエット家の人達が戻って来れば、僕はお払い箱じゃないか?ジーク様が居る以上協力するのは絶対だけど」
「主従関係とか嫌だよねぇ⋯⋯面倒。陛下とか兎に角鬱陶しいし。偉そうにするのもされるのも嫌だね」
サミュエルはどちらかと云うとフレンドリーで、人の懐に入るのが兎に角上手い。今回の説得も役に立つ筈である。
通用門から出た2人は、道をぐるっと回り、王城までの大通りへと出た。こんな早朝なのにも関わらず、昨日と変わらずに貴族家の警邏隊が周囲を歩き回っている。
「此処から近いのは、東門か」
王城のある最上層区画は、所謂山の頂上である。その下が上層区画、貴族の住まう場所で、王城に上がる為の入り口が方位ごとに4つ存在するのだ。セレスタイン公爵邸は城から見て東の方向にあるので、近い門は東門と云う事になる。
「うーん⋯⋯でも、フレデリカが暴れてる様な音はしないねぇ」
「別の門にいるのかもしれないな。少しでも守りの薄い所を探しているのかも」
「単に朝早いから休んでるだけじゃない?」
王城へは結構な坂と深い堀が掘られているので、セレスタイン公爵邸が割と王城から近い立地であるとは言えど、目視で確認出来る様なものでは無い。それでもそこに気配は無く、別の門に居るのかと結論付けた。
2人は仕方無く時計回りで王城をぐるっと回ることにした。東から始まり南、西、北の順番で巡るのである。
説得に多少の時間が掛かるとは考えていたが、すぐに終わると思っていたお使いであった。だが、最初に躓いた事で運が何処かに転がって行ったのかもしれない。
貴族街は道が広く、入り組んだ様な所も無いので分かりやすいが、それでも貴族屋敷の敷地が広く、道を回り込む必要が度々出て来る。それに如何せん王城の規模が広いので、歩いて回るのは骨が折れた。馬に乗って来たかったと思ったが、許可が出ていない以上ベリルが乗れる馬は無い。
しばしばだらけるサミュエルの手を引っ張り、西門まで行って流石のベリルも溜息を吐いた。
「⋯⋯北門か⋯⋯反時計回りで回れば良かった⋯⋯」
しかも北門は、貴族街では無く山脈に繋がる門である。行った事がある訳では無いが、門の外側に出る為には山道を行く事になる。
「普通は外に繋がる北門の警備が1番堅そうなんだけどな⋯⋯」
山道と聞いて座り込んだ、サミュエルの襟首を引き上げながらベリルが思わず呟くと、サミュエルは分かってないなあとばかりに答えた。
「敵は外より中の方が怖いんだよ。味方の振りして寝首を掻くって言うじゃない?案外北門は防衛力が弱いのかも」
「まあ分かる気もする⋯⋯貴族ってそう云うのばっかりだよな」
ベリルが思い出したのは、グラスター侯爵家の事であった。今のあの家はまずい。紙人形の術者は勿論まずいが、当主と娘がすごいまずい。言い表すならば、松明で常時家に火を付けているのだ。火消しに必死なピピンが水を掛け続けていても、火の勢いは衰えるどころか更に新たな場所が燃え上がるのだ。獅子身中の虫とは正にこの事だ。
「うちはそんなのに縁が無いんだけどね!なんでか分からないけど、他の公爵家には理解して貰えないんだよ」
「ああ⋯⋯権力に興味無いけど、能力が高くて無駄に権力有るって云うか⋯⋯」
実際フレーヌには権力が有る訳では無い。自領の経営権と、公爵としての発言権しか持っていない。それでも何故か周囲の貴族、特に同じ公爵家から危険視され、ミシェル王からも警戒されると云う事態に陥った。
もう少し上手く立ち回る事も出来ただろうが、研究者畑なだけあり、そういう気遣いが疎いのも問題だった。
「でもお前は上手くやりそうだよな、そういう人付き合い。要領が良いから」
「え、そう?照れちゃうなぁ」
「ああ、こうして僕に担がれようとしてる所とか、本当にそう思うよ」
サミュエルがとうとう道に寝そべり始めたので、ベリルは仕方無く担ぎ上げる事にしたのだ。これもリハビリの一環と考え、周囲の視線を無視して一度王都の外門を出てから、ベリルは山へと分け入った。
方向は巨大な王城を目印に進めば良いので、そこまで辛い事も無い。それにサミュエルが昔地図で確認したらしく、大まかな地理を知っていてくれたのも有難かった。
「あ、もうすぐ谷がある筈だから、そこを越えれば城門はすぐだよ」
「橋とかは無いのか?」
「基本的に使われてない門だし、防衛上橋なんて無い方が良いからね」
「成る程」
谷は魔術師ならば簡単に飛び越えるだろうし、無い様なものだ。
暫く坂を登ると、サミュエルの言う通り深い谷が現れた。幅も広いので、サミュエルと云うお荷物が居る以上飛び越えるより、重力魔法で足場を作った方が確実だ。
しかし、それよりも前方に見える異次元がベリルに魔法を使わせる事を躊躇させていた。
「何アレェ⋯⋯?」
谷の向こう側、まだまだ距離が有るし障害になる木々が有るので確りと目視をした訳では無いのだが、空に渦巻く沢山の丸太が異常事態を報せていた。




