11.メイドさんは綺麗なのがお好き
「まぁ嫌だ」
メイドはその醜悪な化け物を見て、眉を顰めた。
そして倒れ伏した頭部の無い骸、情け無く怯える警備兵達、転がった女の頭部と思しきものを見て、一言発した。
「美しくありませんわね」
そして、唇に人差し指を当てて「静かに!」と意思を送るベリルを見咎めて、盛大に嘆いた。
「掃き溜めに鶴⋯⋯だと云うのに、なんて労しいお姿なのかしら⋯⋯」
その擦れた発言に、ベリルは頭が痛くなった。まだ距離があるから「なにか」は反応していないが、あまり悠長に事を構えている場合では無いのだ。
ベリルは必死にメイドにジェスチャーを送った。メイドを指差し、右手を指差し、「なにか」を指差し。それを暫く繰り返し、メイドも納得した様に頷いた。
「兎に角、この場は酷く汚れてますのね」
そう言ったメイドを中心に魔力が高まり、足下から冷気が漂う。
「では、お掃除と参りましょう」
メイドは持っていたはたきを掲げ、一気に振り下ろした。その姿は、まるで将軍位の者が羽扇を掲げるごとき貫禄だった。まあ、現実ははたきであるのだが。
振り下ろされたはたきは、冷気を嵐に変えて「なにか」を襲った。「なにか」は驚いた様に堪能していた骸から口を放し、風の強さと冷たさにのたうったが、流石に動けない様だ。その嵐の強さと云ったら、その余波がベリル達にも及んだのだから、制御もなにもあったものではない。
「先ずは、掃き掃除」
メイドがそう一言、はたきをくるりとひとまわし。すると渦を巻く強烈な風に、「なにか」の長い胴体は丸まり、骨もばきばきと音を立てて砕き折れて行く。
「そうそう、塵の分別も大切ですわね」
折れた骨は無害と判断され、どんどん凍って行く。そしてあっという間に、「なにか」は鱗塗れの球体が残されるだけとなってしまった。
「あとはしつこい汚れを⋯⋯滅すれば、お終い」
その言葉に合わせ、はたきがまたもふるわれた。
球体の周囲に複数の魔法陣が現れ、大量の氷が礫となって襲う。恐ろしいのは、弾幕の物量もさることながら、礫のひとつひとつが研磨された鋭利な刃物であった事だ。
さしもの堅い鱗で覆われた球体も、幾度も襲い来るその鋭い衝撃を耐え抜く事は出来ず、礫が鱗を破った瞬間、内側から破裂した。溜め込んだ血液を撒き散らして、それはもう派手に。
あんなに周囲を絶望に染めた「なにか」は、完全に沈黙したのだ。
流石のベリルも、霜けた石畳に腰を下ろした。尻が冷たく濡れようが、もう構わなかった。怠すぎる。
冷気に当たったお陰か、ジークベルトも完全に鎮火しており、今や寒さでくしゃみをしていた。怯えた警備兵達は勿論、行く末を見守っていたアパルトメントの住人達ですら、その場で安堵した。ところが、
「あら嫌だ!益々汚してしまいましたのね、お恥ずかしい!」
爆ぜ飛んだ血液を見て、メイドは本当に恥じ入るように頬を紅に染めた。
「⋯⋯いいえ、それは特に気にする事でも無いと思います」
「そういう訳にも参りませんのよ?私、これでもハウスメイドですもの⋯⋯矜持というものがあります」
そう言ってメイドは、くるくるとはたきをひと回し、そしてふた回しした。石畳に染み込んだ鮮血は凍り付き、赤い氷となってころころと通りを横断して行った。そしてそのまま、雨水用の排水溝へ転がり落ちて行った。
(⋯⋯また下水道に嫌な塵が⋯⋯いや、これが下水道の運命なのか?)
ジークベルトの話を思い出したベリルは、また嫌なものを流される下水道に思いを馳せた。本格的に思考がおかしい。
ぼうっと、メイドの作業を眺めていたベリルを、粗方の汚れを落としたメイドが見咎めた。
「そんな地面にお尻を付けるなんて、お行儀が宜しくありませんよ」
「ええと、はい、すみません」
「門の先に馬車を用意してありますからね、座るのならば、馬車の座席にお座りくださいな」
素直に「はい」と返答しようとしたベリルを、残った警備兵達が遮った。
「ま、待ってくれ!そいつは怪しい動きをしていたんだ!いくら貴族の使用人だとしても、こっちの仕事を取られちゃ困る‼︎」
「怪しい動き?」
「強力な魔法を使ったんだ!」
「それならば、私も使いましたわねぇ。あんな相手には、魔法が無ければ抵抗も出来ませんわねぇ」
人を襲って死に至らしめた相手に使った魔法だ。どう考えたって、ベリルには正当防衛と云う明確な理由がある。警備兵の言い分は通らない。
何を言われようと、もう此方には関係無いと判断し、ベリルはジークベルトを先ずは回収しようと歩き出したのだが、次の台詞で思わず動きを止めた。
「変な生き物を上に持って入ろうとしてたんだ!」
「⋯⋯変な生き物?」
「見た事も無い生き物だ。危険性も解らない生き物を貴族の側に置こうと企んだんだ、あの化け物だってそいつが連れて来たのかも知らんし、身許も判らんし、俺達でしっかり調べんとならん!」
警備兵達が言っている事は、はっきり言って言い掛かりであるが、不覚にも真実が含まれている。
ジークベルトも、今動くべきかどうか考えあぐねているようだ。
「少なくとも身許ははっきりしております」
メイドは再びはたきをひと振り、魔力で風を起こし、手に持っていたものをベリルに渡してきた。「なにか」の気を逸らす為に投げた、ベリルの身分証だ。
「よく落ちてるの、見付けましたね?」
「清掃を心掛ける者として、その場に在るものを塵かそうでないか、瞬時に判断するのは当然です」
そもそも、いつ拾ったのかも分からなかった。嵐を起こした時だろうか?
「おいっ、巫山戯るなよ!身分証があったとしても嫌疑は晴れないんだよ!」
「そうかも知れませんけれど、そこの彼はこれから私の主人と約束がありますの。随分とお待たせしておりますし、あとは当家にお問い合わせくださいませ」
「あ、あんたの勤め先?」
警備兵達はたじろいだ。権力を持った身でも、それは庶民相手にしか通用しない。貴族相手では簡単に吹き飛ばされる程度でしかない。おまけに、メイドが言い放った言葉に今度こそ卒倒しそうになった。
「セレスタイン公爵家ですわ」
筆頭公爵家、王家も一目置くまさかの大物に、警備兵如きがどうこう出来る筈も無い。それどころか、メイドは更に警備兵達を奈落の底へと叩き落とした。
「あっ、そうですわ、貴方方部隊の掃除を閣下に進言させて戴きますね。汚れも埃も落とし甲斐がありそうですもの!」
にっこりと笑った公爵家のメイドは、本当にただの掃除を提案したのだろうが、どう聞いてもそれは内偵の示唆であった。
「⋯⋯あれ、善意だから始末に負えないんですよね⋯⋯」
「⋯⋯あれがあの娘のいい所だよ、うん⋯⋯べっぶしゅ‼︎」
彼女の名前は、エレナ・アッテンテーター。ベリルのお手紙の届け先であり、セレスタイン公爵家のハウスメイドにして、公爵家屈指の戦闘メイドである。
美しいものを愛する彼女は、「お掃除」の名目で色々な意味の「汚れ」を掃除して来た、ある意味恐ろしい女性だった。
 




