93.苦労の表れ
食堂からマルトーの工房まではすぐなのだが、ロッチャの足取りがあまりにも重く、行きよりも長い道のりとなった。
それだけならば良いのだが、ロッチャはベリルに鬱陶しいくらいに絡んで来るのだ。主にゲンマの事で。
「⋯⋯なぁ、ゲンマちゃんに何言われたんだ?店出る時になんか話してたろ」
「別に、また店に来て欲しいって事を」
「なんだよそれぇ⋯⋯オレにはそんな事言ったりしてくんないのにぃ⋯⋯!」
「新規の客だし、貴族家との繋がりがあるからだと思うよ。ただの営業トークじゃないか」
「くそぉ⋯⋯!こんな髭無しの何が良いんだゲンマちゃん⋯⋯!」
こんな風に、だるだるとベリルに絡んで来る。鬱陶しくて、割りかし品良く対応していたベリルもつい舌打ちをしそうになる。というか、髭が何だと云うのだろうか。ベリルは首を傾げた。
そんなベリルの疑問を嗅ぎ取ったフェルニゲシュが、耳元まで首を伸ばして理由を教えてくれた。
【ドワーフにとって髭は男らしさの象徴でなぁ、髭の無い男は子供かおなごと揶揄されるのよ】
「ああ、そうなんだ?」
【とは云うが、我の生きた時代でも人と関わるドワーフのおなごは、髭の無いお洒落なしてぃーぼーいに焦がれておったな。案外そこのガキの考え通り、貴様に粉を掛けたのかもしれんのぉ?】
そう言ってフェルニゲシュはニマニマと笑った。本当にこの「偉大な古竜」は下世話な話が好きである。
ベリルはただ聞き流したが、フェルニゲシュの下種な発言に平静で居られないのはロッチャであった。目に見えて震え出し、髭に埋もれているので確認出来やしないが顔色は真っ青である。
「ひ、髭が無い方が良いって事か⁉︎」
【そこはまぁ個人差であろうが。それでも貴様の様にただ伸ばしっぱなしの髭ではそれ以前の問題であろうがなあ!キケケケケ!】
傷口に塩を塗り込んだフェルニゲシュはいつもの高笑いを決めた。
(髭かぁ)
ベリルは自分の顎を撫でた。つるつるすべすべの感触である。ベリルは未だ髭が生えていないので、剃刀を充てた事も無い。しかし今後髭が生える様になったら、伸ばすのも良いかもしれない。
それが男らしさと云うのならば、ベリルに否やは無かった。
ところが、ベリルの考えを見透かしたフェルニゲシュが尻尾でベリルの頬をつつき、その考えに水を差した。
【小僧、馬鹿な考えは捨ててちゃんと髭を剃るのだぞ】
「えっ」
何故だろうと思いつつ、ベリルは黙って頷いた。ジークベルトも朝起きたらしっかり髭を剃るタイプなのだ。やはり身嗜みとして、髭は剃るものだ。少なくとも伸ばしっぱなしでは無く、きちんと櫛で整えてなくてはいけないのだ。
「オレは髭をどうすればいいんだ?」
「一回全部剃り落としては?」
「そ、そんな事したら馬鹿に⋯⋯!」
落ち込むロッチャに軽口を言いながら、ベリルはマルトーの工房に戻った。
工房への道を曲がると、馬留めにはベリルが乗ってきた馬と、一台の豪勢な馬車が停まっていた。
「あれ、お客さんが来てる」
「ああ、やべっ!手伝わねえと!」
マルトーは王都では有名な名工らしいし、貴族家の客が来てても何も可笑しくは無い。
ロッチャが慌てて工房へと入るのを追い掛けて、ベリルも中へと入った。
しかし、中では予想だにしていなかった光景が広がっていた。
「お、お許しください!お許しください!」
工房の土間には、煌びやかな服を身に纏った男性が尻を向けて蹲っていた。その男性の前には、巨大なハンマーを肩に掛けたマルトーが困った様に佇んでいる。
「し、ししょー?」
「ああ、戻ったかガキども」
マルトーは肩からハンマーを下ろすと、その辺に転がっていた椅子を立てて疲れた様に座り込んだ。
「あの、一体どうしましたか?その方は貴族⋯⋯ですよね?」
「そうだな⋯⋯ちょっと俺が嫁を振り回したら、こうなっちまった」
(嫁?)
何を言っているんだと疑問に思ったが、深く掘り下げたら話が進まない気がしたので、ベリルはそこは黙っておいた。
「ええと、貴方もそんなに頭を地面に擦り付けては⋯⋯兎に角立ちましょうか?」
「うう⋯⋯はい⋯⋯」
のろのろと顔を上げた男性は、なんて云うか幸の薄い顔をしていた。自身の無さそうなおちょぼ口を引き締めて、眼は細く潤んでいる。若いとは云えいい大人の男なのに、どう見ても子供のベリルに縋ろうとするのはどうなのか。
なにより気になるのがその頭部であった。額が非常に広いのだ。「そこ額?頭?」と、聞きたくなるくらい境目が⋯⋯曖昧である。しかも土間に擦り付けていた為、そこは砂埃で汚れていた。
なんとなくじろじろ見るのは失礼な気がして、ベリルは目を逸らしてあげた。
第三者が来た為なのか、貴族の男性は少し平静を取り戻し、マルトーに向けて深々と頭を下げて謝罪をした。
「も、申し訳ありません、マルトーさん⋯⋯私があまりにも不躾でおりました⋯⋯それに、その、どうすれば良いか分からなくて」
「ああ、俺も⋯⋯頭に血が昇っちまってな。うん。あんたも苦労してんだな」
一体何があったのだろう。そんなベリルの疑問は、遠慮を知らないロッチャが尋ねてくれた。
「何があったんスか?この人誰ッスか?」
「このクソガキ!礼儀を知れ!」
「ひい⁉︎」
失礼にも貴族に指を突き付けて尋ねたロッチャは、マルトーに拳骨を貰う羽目になった。だが、何故か怒鳴られた訳でも無いのにその男性が首を竦めた。ロッチャは軽い調子で痛がっているだけなのに。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、あ、あ、はい⋯⋯平気です⋯⋯」
声を上ずらせながらもなんとか持ち直した男性は、深く深呼吸してから名前を名乗った。
「私は、グラスター侯爵家の一子、ピピンと申します」
「ん?グラスター?」
何処かで聞いた名前にベリルが首を傾げると、ロッチャが「大量注文クソ貴族⋯⋯!」と、小さく呟いた。
咄嗟にだが、ベリルは後ろからロッチャの襟首を掴んだ。出会い頭に間違われて襲われたからだ。ベリルだから避けられたが、目の前の貴族男性がドワーフの攻撃を捌き切れるとは思えなかったからだ。
実際にそれは賢明な判断で、ロッチャは腰の金槌を手に取って暴れたからだ。仕方無いので、ベリルは高速で首裏を叩いて大人しくさせるしか無かった。幾らなんでも貴族に対する暴力はまずい。
そうやってロッチャを黙らせたベリルだったが、幸いにも荒事に慣れていない貴族男性には急にロッチャが気を失った様に見えたらしい。心配そうにロッチャの顔を覗き込んだ。
「あの、彼は大丈夫⋯⋯?」
「ええ。少し興奮してしまったみたいですね」
ベリルは何事も無い様にその辺の椅子にロッチャを座らせ、壁にもたれさせておいた。マルトーの視線が痛いが、これはロッチャの為でもある。ベリルは知らん振りをした。
そして知らん振りついでに、笑顔で自己紹介をして誤魔化しておく。
「私はセレスタイン公爵家の従僕をさせて頂いております、ベリルと申します。此方でお会い出来たのも何かのご縁ですね、グラスター卿」
「そ、そうだね」
「それで何があったのでしょうか?マルトー氏には当家当主も世話になっております。問題があるならばお力添え致しましょう」
何やらすぐ横で【嘘吐きだの】との呟きが聞こえたが、ベリルは徹底的に無視した。確かに世話になってはいるが、それはフレーヌでは無くジークベルトの方だ。嘘では無いのだ。
「⋯⋯実は、その⋯⋯身内の恥なのですが⋯⋯妹がおりまして」
「成る程、妹君が」
「その妹が陛下に憧れていて、贈り物として武器を大量に⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯は⋯⋯はぁ⋯⋯?」
「それでその⋯⋯妹は金額など考えずに高額な武器ばかりを注文していて、うちではもう⋯⋯」
そう言って肩を落としたピピンは、苦労を重ねているのがよく理解出来た。だって額が広いんだもの。
よく漫画とかアニメである、気絶させる方法ですが非常に危険です。
絶対に真似しないでください。




