86.もう1人の被害者
「⋯⋯王族って、あんなんで良いんですか?」
ベリルは頭を押さえながらフレーヌに尋ねた。
「⋯⋯そうだね、泥酔して身包み剥がされて⋯⋯何度泣き付かれたかな?連絡が来て酒場に行ったら、下着姿で床に正座してるんだもの。怒るよりも爆笑だよね」
「⋯⋯すみません、うちの師匠が⋯⋯」
「⋯⋯王族って知っても、“うちの”って言ってくれるんだね」
「それは、まあ⋯⋯今更です」
少なくとも5年、ベリルはジークベルトと過ごして来た。ぽややんとしていて、かなり抜けていて、所作は上品でも酒を飲むと最悪。引き取られてからずっと、良い所のボンボンに違いないとは思っていた。ただ、最上位のボンボンだとは思っていなかっただけだ。
「でもほら、ベクトルは違うけど此処にもダメな王族が居るから。ジークベルトは親しみ易いポンコツ王族で、こっちは脳筋区別主義の頑固王族だから」
「なっ⁉︎私がか⁉︎」
「そうですよ、陛下。思い込んだらそれしか信じないじゃないですか。為政者としては致命的です」
フレーヌははっきりとミシェルに言ってのけた。ベリルに秘密を喋った事でストレスが少し軽減され、ぶっちゃけるテンションになっているのだ。
「ジークベルトは自分から継承権放棄したんですよ?王位なんて望む筈が無いんです。どうせネフティア卿でしょ?そんな阿呆言ったのは。これだから脳筋一族は嫌なんですよ、馬鹿だから。ジークベルトが望んでるのは可愛いお嫁さんだけですよ」
相当鬱憤が溜まっていたフレーヌは、衝動のままに外戚のネフティア公爵も口撃し始めた。常に声を荒げる事の無いフレーヌなので、これには苛烈なネフティア公爵もただ黙って聞いているしか出来なかった。
「それに何ですか、ルキウスは。王になりたく無いならジークベルトに倣ってさっさと継承権を放棄すれば良かったんです。確かに残るのが馬鹿だけになるけど、その為の四大公爵家なんですから、ねぇ?こんなんなら双子王なんて反対しておけば良かったですよ。分担制?はぁ?君主制なんですけどねぇ、最高命令権どっちにあるんですか?軍事と政で別?責任持ちたく無い阿呆が真面目にやる訳無いでしょうが。責任の取り方も知らない馬鹿に任せられると思ってますか。宰相に押し付けるつもりですか?それとも外戚権限で全部の権力持って行きますか、脳筋‼︎」
一気に捲し立てたフレーヌは、灰皿に葉巻を勢いよく押し付けた。葉巻は灰をテーブルの上に飛び散らせて折れた。
責められたネフティアは勿論、馬鹿呼ばわりされたミシェルも黙り込んで下を向いた。普段怒らない人間が怒ると本当に恐ろしいのである。
フレーヌは「ふーっ」と長く息を吐き、新しい葉巻に火を着けて煙を深く吸い込み、ベリルの名を呼んだ。流石に強心臓と揶揄されたベリルも、背筋を伸ばして良い返事をしてしまう。襟裏に隠れているフェルニゲシュがしっかりしろとばかりに尾で背中を叩いて来た。
「キミには伝えておかないといけない。何故こんな事になったのか⋯⋯」
「⋯⋯はい、お願い致します」
「ルキウスの目的は、ジークベルトに王位を渡す事⋯⋯だと思う。今の所は」
「今の所⋯⋯ですか?」
「目的がそれだけとは思えないから」
元々、ルキウスは王になりたく無いと言っていたのだ。王太子が亡くなり、そのお鉢が回って来た時のルキウスは泣いて暴れたくらいだったと云う。
王族がそんな事をと思ったベリルだったが、ミシェルの感情の昂りを考えたら無い話では無い。双子で感情のコントロールが下手なのだろう。
「ベリル君、ルキウスとミシェルは似ているって思ったでしょう?」
「え、ええ。それは」
「それは間違い。ルキウスは分かってて態と泣き叫んだ」
ルキウスは常に演技をして来た。
ぼんやりとした暗愚になる様に、やる気の無い国王としてのらくら生きている。全てはいつでも王位を下りる為。そして、王位に押し上げるのはミシェルかジークベルトしか居ない。
「ミシェルが育つなら、きっとそれで事足りたんだろうけど⋯⋯23になっても軍部にしか顔を出していないみたいだからねぇ」
フレーヌがギロリとミシェルを睨み付けると、ミシェルも思う所があるのか縮こまった。
「実質政治を回していたのは宰相のイザベラ・バランスだけど、采配をしていたのはルキウスだ。一部じゃ暗愚だなんて言われているけれど、彼は怪物だ。やる気さえ出してくれればの話だったんだけど⋯⋯」
変な方向にやる気を出すなんてねぇ⋯⋯フレーヌは再び息を吐き出した。
「あの、何故今更ジーク様を誘拐なんてしたのでしょう?少なくともジーク様の存在を知らなかった訳では無いですよね?」
「そこなんだよね⋯⋯」
そもそもジークベルトは城では有名だった。それはそうだろう。あの魔導錬金術を確立して、世界の歴史を進めた傑物。継承権こそ無いが実力と人柄は認められていたのだ。引き込もうとするならば、もっと早い段階⋯⋯それこそ呪われる前の方が、周囲も納得するだろう。
「ルキウス王にはもう一つの目的が有る、と云う事でしょうか」
「そうとしか考えられないんだけど⋯⋯」
フレーヌはミシェルの方をちらりと一瞥した。
「し、知らない!るーちゃんは何も教えてくれないんだ!」
「⋯⋯⋯⋯るーちゃん」
ミシェルは慌てて首を振った。しかし何より、ベリルは呼び方が気になって仕様が無い。成人男性が、兄弟を愛称でちゃん付けとは。
ベリルの気になった所をフレーヌは華麗に無視して、更に話を進めた。
「ルキウスは基本的に内心を悟られない様に動いているんだよ。執着物を見せないと言った方が良いかな?だから、何をしたいのか誰も分からない」
「ええと、それではルキウス王からなんの要請も無いのですか?」
「そうだよ。何も言わずに、城に立て篭ってる」
フレーヌは肩を竦めて溜息を吐いた。
「立て篭っていると仰いますが、忍び込むくらいならロビンさんが出来ますよね?中で何をしているかくらいは探れるのでは無いですか?」
「⋯⋯ロビンねー⋯⋯多分、頑張って忍び込もうとしてる筈だよ⋯⋯」
「ああ、もう試されてるんですね」
それもそうかと、ベリルは納得した。セレスタイン家の影ならば、そう云う仕事をしている筈である。抜糸を頼もうと思っていたが、暫く掛かりそうである。
「中の状況さえ分かれば、ジーク様も戻って来れますね」
「いや、無駄になるから⋯⋯帰って来て欲しいんだけどね⋯⋯」
「無駄、ですか?」
「王城に備わっている防御システムが動いてるから、鼠1匹出入り出来ないよ」
「ぼ、防御システムですか?出入り出来ない?」
「知ってるかい?最大の防御は、攻撃なんだよ」
築城の時点で名工ドワーフの集団が作り上げた装置だ。名称はガルグイユ。堅牢な魔法の盾を作り出し、どんな攻撃にも耐え得るかと思えば、受けた攻撃の運動エネルギーを溜め込み、そのエネルギーによって反撃する悪魔の装置である。
入ろうとするのは勿論不可能、出ようとするのは装置の解除を意味するので、誰もしない筈である。
「フレデリカもベノワもキメリアも、みーんなそっちに行っててさ⋯⋯お陰で屋敷の中まで手が回らないんだよね」
「フレデリカ⋯⋯さんでも突破出来ないんですか?」
「そうなんだよね、1回だけ戻って来て破城槌を持って行ったよ」
「⋯⋯攻め込んでませんか?」
しかし家宰が居ないのでは、それは確かに公爵家は機能していないだろう。フレーヌも従者が居ないのでは圧倒的に足回りが悪くなるに違いない。
「でも何で⋯⋯そんなに頑張って攻め込んでるんですか?もう少し作戦を練るなり時間を置くなりしないと⋯⋯あちらも反応のしようがありませんよ?」
「そう⋯⋯そうなんだよ⋯⋯」
どうしようも無いのだと、フレーヌは遠い目をした。
「実はジークベルトはずっとある女の子の遊び相手になっていてね⋯⋯その子も一緒に連れて行かれてしまったんだよ」
その子はザレン・アッテンテーター。エレナの妹で、ロビンの娘。セレスタインの主力が本邸から全員居なくなるのも頷けると云うものである。




