ワンコの成長はあっという間らしいです。
小鳥の囀りで目を覚ます、麗らかな朝。
モゾモゾと毛布の中で伸びをして、サーラは
「ん? …………きゃあ!?」
悲鳴を上げた。
「な……な、なななな、な……っ」
「ぅん……? んぁ、サーラ、おはよ」
「あ、はい、おはよ……じゃ、なくて……なんで……なんで人化してるのぉっ!?」
寝る時は確かに神狼だった。なのに、なんで……?
「……まりょく、あまった……?」
「なんでリュカが疑問形!?」
「ぎもんけい???」
きょとん、こてん、と首を傾げる姿は安定で可愛い。可愛い、けれど……恥ずかし過ぎる……っ!!
「服! 服着て! とりあえず毛布でもいいから!」
リュカがウチに来てから約1年。サーラは15歳になっていたが、人間バージョンのリュカもまた、15歳くらいの見た目になっていた。
本によれば確かに大型の犬科の動物の1歳は、人間で言えば15歳ほど。間違っていない。間違ってはいないのだ。……サーラの気持ちの整理が追いつかないだけで。
「もうふ……ねる?」
「寝ない!」
白銀の髪や長い睫毛をキラキラサラサラさせて、クリクリした濃金の瞳でこちらを見る姿は、相変わらず整い過ぎるほどに整っている。あれこれ疎いサーラだってわかるレベルで輝いている。
凛々しいというよりは中性的で美しい。そんな同年代の少年が裸で一緒に寝ていたとか……ホント、さすがに恥ずかし過ぎる。今現在、寝癖だらけの頭を見られているのも正直嫌だ。
(わかってるの! リュカはリュカだから今更恥ずかしがることなんかないって!! でも、同い年くらいの男の子って見たことないから……!!)
大好きな神狼相手なのに、妙に意識してしまう。
バタバタとベッドを飛び降り、リュカに背を向ける。
一時期は人化を楽しみにしていたサーラだが、今ばかりは早く元に戻って欲しかった。
「リュカの服、取って来るから待ってて!」
「ん……」
最初はほんの少しの時間で人化の解けたリュカだったけれど、あっという間の成長に合わせるように、人化の時間も延びている。エレーヌ曰く「魔力が激的に成長しているせい」らしく、ここ数日はついに魔力が飽和するようになってしまった。
(服……服……もうこれでイイか!)
自ら用意したリュカの部屋に飛び込んだサーラは、クローゼットから適当な服を引っ掴んで駆け戻る。
まだ隣室のベッドこそ使われたことはないものの、人型で居る時間が延びるにつれてリュカの生活用品も増えてきた。クローゼットの服だけでなく、お気に入りのおもちゃや壊れてしまったけれど捨てたくないと主張するぬいぐるみ、拾ってきたよくわからないリュカの宝物なんかが置かれている。
「お待たせ! ……ってだから毛布被っててって言ったでしょ!?」
まだ眠いのか、ワンコの時のようにうつ伏せで寝転がったリュカ。そのシッポがパサリパサリとゆっくり揺れる。
「もう……っ!」
平和な光景だ、丸出しのお尻さえ見えなければ。
神狼のリュカからしてみれば、いつもの体勢。毛皮の有無でサーラの態度が変わる理由がよくわからない。「リュカはリュカだよ」と言ってくれるのはサーラなのに。
「ん。おかえり」
「ちょ……これ着てから起きて!」
バサリと服が投げつけられた。
人化するとサーラと喋れるし、魔力がこもる嫌な感じがなくなるし、イイことがいろいろあるけど、この窮屈な習慣だけは好きになれない。それでもリュカはのっそりと起き上がると、慣れた手付きで服を着ていく。こうしないと、リュカの大好きなサーラが困った顔になってしまう。
「サーラも、きがえる」
「え? あぁ、髪結んでからね。リュカ、先に下に行っててくれない?」
「や。リュカ、サーラといっしょ!」
朝日を集めたかのようなサーラの薄い金色の髪が、リュカは気に入っている。特にこうして、梳かして結ぶ前のサラサラ動く様子が好きだ。
「っ!?」
突然伸びてきた手に髪を一房掬い取られ、サーラは驚きに固まった。
「キラキラ、さわる。うれしいっ」
自分のものより筋張って見える指がプラチナブロンドの細い髪を梳いていく。地肌に近いところから滑る指は、まるで頭を撫でてくれているかのようだ。
ポニーテールの毛先を、ふざけたワンコにカプリと食まれたことはあるものの、こうして人化した手で触られるのは初めてだった。しかも結ぶ前、髪を下ろしている時に誰かに触られること自体、幼少期ぶりで。
「リュ、リュカ……?」
はっきり言って落ち着かない。なんだか頭皮から背筋にかけてがザワザワする。
「ん、なに?」
「か……髪、結ぶから……離れて……?」
「キラキラ、きれい。むすばない」
「え!?」
どうしよう。それこそキラキラでキレイなリュカにそう言ってもらえると、なんだか嬉しい。でも……。
(結ばないと森歩きするのに邪魔だし……落ち着かないし……)
「リュカ、キラキラすき。むすばない」
(ううううぅ……)
鏡越し、大好きなおもちゃで遊ぶかのように輝いたリュカの瞳に、サーラは折れた。指が肉球に戻ったら速攻結ぶ、そう決めて。
だいぶ人化に慣れて語彙も増えたリュカではあるが、その性質はやはり神狼だ。第一に距離が近い。四つ足の愛犬がスリスリと甘えてくる態度のままに、サーラにまとわりついて甘えたがる。同い年の見た目の男子が。
リュカだから……リュカだとわかってるけど……いつも通りのリュカなんだけど……
「サーラ、きがえる。てつだう。リュカ、ボタンとめるっ」
「ちょっと待って!?」
いつも通りのウキウキわふわふしたテンションだからこそ、微妙に辛い。
(わかる! わかるんだよ!?)
長い指でせっかくだからあれこれやりたい。ボタンだって留められるのだとやってみせたい。だって、頑張ればサーラが褒めてくれるから──。
リュカがそう考えているだろうことは明白だった。「人化してもしなくても、リュカはリュカ」そう普段から言っているのはサーラの方。だから、リュカがいつも通り振る舞うのは当然で。
「ん、まつ。サーラ、ふくだす」
(そうじゃなくって……!!)
困った。朝一番からリュカが人化しているなんて初めてで、どう言い含めたものかわからない。リュカにしてみればサーラの着替えなんて、毎日見ている光景だ。この妙な羞恥心、理解してもらえるとは思えなかった。
うぅ、と内心頭を抱えながら、とりあえずで服を出す。せめてもの抵抗で、
「あ、ごめん。今日のふく、ボタンなかった。だからリュカ、のんびり座っててイイよ」
かぶるだけのワンピースを選んでみた。
これならば、リュカの出番はないうえに一瞬で着替えられる。
夜中のうちにリュカが人化していたのは初めてだが……人化したリュカがもう幼い子どもに見えないことを、サーラは知っていたはずだった。これじゃ弟に見えないよ、と何度か口に出したこともある。なのに、ふわもふの神狼姿のリュカの前では毎日普通に着替えていたし、ふわふわの背中に抱き着いて毎日に一緒に寝ていたし、お風呂だって…………。
(ぎゃあぁぁぁっ! もうダメ! これ以上考えちゃダメ! リュカはリュカ! 可愛い弟! ちょっと見た目が大人びてるだけの弟!! 変に意識するわたしが変!!)
ボフンと茹だりそうになる顔を壁に背け、サーラは勢いで「えいやっ」とばかりに着替えた。夜着用のワンピースから昼用のワンピースに着替えるだけなんてすぐだ、すぐ……!
「サーラ」
「っ!? な、何!? どうしたの!?」
思った以上に近い位置から声変わり期の少年の声がして驚いたのも……うん、リュカが足元にいるのはいつものことだし!? 背が高いから声が近いのは仕方ないし!? 身長抜かされたのも結構前だし!? 大丈夫勢いで乗り切れる、いや、乗り切るしかない。
「リュカ、リボンむすぶ」
「え!? …………難しいよ?」
スポッと着れるワンピースの襟ぐりには、サイズの調整も兼ねた可愛らしいリボンが通っている。リュカはボタンの代わりに、そのリボンを結ぶことに挑戦したいらしい。その心意気は買うが、あまりにも難度が高いから……サーラのテンションは一瞬で戻った。
「やる」
「リボン結び、教えたことあったっけ……?」
「ある。おかあさん」
「あー……」
万能神獣なリュカは手先もわりと器用だ。でも、なんだかんだ言ったってまだ生まれて1年の子にリボン結びって……意地悪に近くないか? 見た目はサーラが戸惑うほどに大人びて来たリュカだけれど、生後一年で積める経験なんて多くない。
失敗したら可哀想だな、と考えて躊躇うサーラの前で、リュカは果敢にもリボンに手を伸ばした。
「ん、と……」
すぐそこ、少し高い位置にあるキレイな顔から、サラリと白銀の髪が落ち、サーラの頬をかすめる。
「あ、それ逆」
「だまって。リュカ、できる」
モタモタとした動きについ口出しすると、不満げな声。真剣な眼差しに我慢して口を閉じたものの、
(あ……そこ離したら……あぁほら、解けちゃった)
なかなか上手く結べず、見ている方がハラハラする。失敗しても危険があるようなものではないからまだイイが……やってあげたくなってしまう自分はダメ姉だろうか。
それでも、何回か繰り返すうちにリボンはそれっぽくなってくる。仕上げとばかり、ギュッとリボンを引っ張るリュカに、
(あぁあっ、それ以上やったら抜けちゃう! せっかく結べそうなのに……っ)
オロオロしつつ、必死で口を結びきった。
「できたっ」
「うん、できたねぇっ!」
だからだろうか。なんとか……不格好な縦結びだけれど……リュカが結びきった時、サーラは感涙する勢いで感動した。本気で、手放しで褒め称える。
「さすがリュカ! もうこんなことまでできるようになったなんて……お姉ちゃんは嬉しいっ!!」
「おねえちゃん」
「そう! わたしはリュカのお姉ちゃんだからねっ! 弟の成長はホントに嬉しい!!」
「おとうと」
姉のはずなのに身長を抜かされて悔しいとか、朝からドギマギさせられて悔しいとか……そんな気持ちも多少はあったりするが、何よりもその成長を喜んでいる、というのが本心だ。
「偉いねぇ、リュカ。大好きよぉ」
手を伸ばして頭をワシャワシャと撫で回す。……あ、調子すっかり元に戻った。サーラはにっこり笑ってリュカを見上げる。
「お利口リュカくんの朝ご飯のリクエスト、聞いてあげる。何が食べたい?」
※※
「イイんじゃない? 今まで通りで」
「リュカ、イイ」
「だって……」
リクエストの蜂蜜たっぷりフレンチトーストクリーム添えを切り分けるリュカを見ながら、サーラは眉を下げた。
人型を取るようになり、リュカは犬や狼よりも人間の食事の味付けを好むことが分かった。そのため、神狼の時でもみんなと同じ料理を出す機会が増えてきたが、カトラリーを使った方が食べやすい料理は人化時に出すようにしている。
甘い物が好きなリュカは、蜂蜜だろうがクリームだろうが気にせず食べて、毛皮をベトベトに固めてしまうのだ。
「男女十歳にして寝床を共にせず、って言ったのはお母さんじゃない」
(だから去年のうちにリュカの部屋を用意したのに……)
自分用のハムチーズ乗せフレンチトーストを突きながら、サーラは呑気な母親を睨んだ。
リュカが朝から人化しているうえ、サーラは髪を下ろしてリボンは不格好な縦結び。珍しがるエレーヌに、ちょうどいいと今後の対応を相談したのが間違いだったか。
「わたし、そんなこと言ったぁ?」
「ほら、昔わたしがレオ兄と一緒に寝ようとした時に」
「あー……? じゃあ、それ言ったのレオじゃない?」
「え? だってレオ兄が『師匠に怒られるぞ』って……」
「あはは、レオらしいわねぇ。わたしそんなこと言わないわよぉ」
「え?」
「あなた、レオに懐いてたものねぇ。まだまだ研究したいのに『一緒に寝よう』ってせがまれて、苦肉の策だったんじゃない?」
「えぇえええ!?」
「レオ、だれ?」
(まさか大前提からして嘘だった、とか……)
その言葉を常識と信じていたのに。
ずっと森の中で母と二人暮しをしているサーラの知識や常識は偏っている。ちゃんと、そういう自覚はある。だから、外から来た自称「森の魔女の弟子」を一つの指標として信じていたのに……ここに来て、まさかの口から出任せ疑惑。
「レオ兄はわたしの従兄で、お母さんの弟子なの」
「いとこ?」
「お兄ちゃんみたいなものかな。あ、『お兄ちゃん』、わかる? うんと、『お姉ちゃん』の男のヒト版……だから、わたしにとってのレオ兄は、リュカにとってのわたしみたいなものだね」
「リュカの、サーラ……」
レオは、エレーヌの妹の子だ。サーラより随分歳上で、エレーヌに並ぶ魔法マニア。まだサーラが幼かった頃、押しかけてきて住み込みの内弟子として一緒に暮らした。
「そう。もう何年も会ってないけどね。あはは、昔は大好きなお兄ちゃんに遊んで欲しくてウロチョロしたっけ」
「だいすき……」
「あ、そういえばしばらく前にレオから連絡あったわよ。『そろそろ戻る』って言ってたけど、まぁ、あの子のことだからあと二〜三年はかかるんじゃない?」
「ありそう。……だけどお母さん、危うく忘れるとこだったでしょ。師匠に蔑ろにされたらさすがのレオ兄も泣くよ?」
知見を広げるため、と放浪の旅に出たのはいつだったか。
「大丈夫よぉ。あの子きっと、帰ってきたらリュカちゃんに首ったけだから。
ね、リュカちゃん、サーラのお兄ちゃんとも仲良くしてあげてね?」
「ん。リュカ、会う」
(二〜三年後かぁ。その頃のリュカはどれだけおっきくなっちゃってるんだろ?)
楽しみなような怖いような。
「……ってだから、ベッドの話し!さすがに、人化したリュカと一緒に寝るのはマズイんじゃ、って……!」
「だからそれはレオのいい加減な作り話だってわかったじゃない」
「リュカ、へいき」
「違うの! わたしが気にするの! ……もうっ、リュカ、ベッドでの人化は禁止!」
「……ねてる。わかんない」
「まぁそうよねぇ。無意識の変化を禁止されても無理よねぇ?」
「気付いた時に戻ればイイから! とにかく、ベッドの上では極力人化しませんっ!」
「……がんばる」
「偉いわねぇ、リュカちゃん。ホント、困ったお姉ちゃんだわぁ」
(レオ兄の言ったことが嘘だとしても! お母さんの感覚おかしい!!)
じゃなきゃ、なんだってサーラはこんなに恥ずかしいのか。神狼だとわかっていても、寝起きに輝く素肌男子は辛い。明らかな子どもならまだしも、同世代に見えるんだから、尚更キツい。
「サーラ、こまる。リュカ、いや」
「やぁん、ホントにイイ子だわぁっ! ね、リュカちゃん、わたしのチョコレート掛けトーストも食べる?」
「たべる」
「はい、あーん」
訥々とした片言以上に雄弁な、キラキラ笑顔でチョコレートソースを食べるリュカを見ていると、サーラはなんだか胸にモヤモヤしたものが溜まっていく。優しいし可愛いしイイ子なのは知っている。ついでに最近、綺麗でカッコイイから困っているのだ。
も、好物とかわかったし、ずっとワンコで居てくれないかな……。頭の片隅でつい、そんなことを考えてしまう自分にいっそうモヤモヤを募らせながら、サーラは最後のフレンチトーストの欠片を飲み込んだ。