シーン8 アタシにとってのラスボスは
ルナルナは持ち運びができる、簡易用の光シャワーキットを部屋の隅にセットして、それからストリートに面した木製の窓を外に向けて開いた。
太陽はだいぶ傾いて、やや赤みを増した光が室内に差し込んだ。
簡素ながら清潔感のある室内は、まるで大昔にタイムスリップしたかのようだった。
カントリー風、といえばいいのだろうか。
映画の中でしか見たことが無かったような木製のベッドに、クッションの決して厚くはないマットと、白いシーツ。
鏡台にもイスにも統一感があって、彼女のセンスと好みが感じられた。
「それじゃ、ま、こんな部屋だけど、自分の部屋だと思ってゆっくり休んでくれよ。腹が減ったら下に来てくれ、久し振りに美味いものを作ってやる」
「ルナルナの手料理か、楽しみー!!」
「あいにく、ツッチー程じゃないけどね」
彼女はニッと笑った。
ツッチーか。
「蒼翼」チーム最強の料理番長を、アタシは久しぶりに思い出した。
本名は確か、「土屋 礼」
生粋の地球人だった彼女の作る料理はとにかく絶品で、それにヘルシーだった。
アタシが「せんべい」や「カレー」「おにぎり」といった地球産の食事が好きになったのも、彼女との共同生活があったからに他ならない。
そういえば、彼女とは解散以降、全くの音信不通だ。
こうしてルナルナとも再会したことだし、彼女とも久し振りに会いたくなってきた。
「色々と話したいこともあるけど、後でもいいよな。今から店を開けるし、仕込みもあるからさ」
ルナルナはそう言い残して、ドアを閉めて出ていった。
アタシは簡易のクローゼットに荷物を置いて、それから室内を振り返った。
「よいしょっと」
バロンが部屋の隅にバックパックを置くのが見えた。
とりあえず、落ち着けるようにはなったけど、問題は、まだあるわよね。
視線がベッドに向いた。
まあ、素敵なダブルサイズ。
一人で寝るなら、なんて豪華な部屋かしら。
でも。
彼と一緒なのよね。
バロンはそんなアタシの視線に気づいたようで、誤魔化すように頭をかいた。
「あっしは床で寝るでやんすよ、最初からそのつもりだったんでやんすが」
「それは良いけどさ、ルナルナったら、完全に誤解しちゃったじゃない、その・・・アタシ達の関係について」
「誤解、でやんすか?」
あらま、気付かないふり。
バロンめ、もしかして確信犯か。
アタシがジトッと見つめると、彼は荷物を整理する手を休めた。
側にすっと近づいてきて、何気なくアタシの手を引く。
彼はアタシにベッドの端に座るように促して、自分も隣に座った。
「さすがに朝から、走りづくめでやんしたからね、あっしもちょっとだけ疲れたでやんす。それにしても、あのルナリーさんって方は、随分と感じの良い人でやんすね」
「まあね、口調は相変わらずだけど、随分と性格も丸くなったみたいだし」
「昔は違ったでやんすか?」
「大きくは変わらないけど、ほら、昔はアタシ達も若かったっていうか」
「今でも十分に若いでやんしょ」
「それは、そうだけどさ」
「とにかく、ラライさんにも、あんな良い友達がいたってわかって、あっしもなんだか安心したでやんす」
バロンはそう言って、何気なくアタシの手を握った。
振り払う理由もないので、アタシはなんとなく握り返した。
ああもう。
彼ったら、うまく話題をすり替えてきやがった。
アタシの感情を見抜いて、すぐに対処しちゃうんだから。
こういう所、結構したたかなんだよな。
と、思っていると。
「ラライさんは怒ってるでやんすか?」
急にバロンは話を戻した。
こうハッキリと聞かれると、怒っている、とは答えにくいモノだ。
うーん、どうやらここは彼のペースになってしまっている。
「別に怒ってなんかいないけどさ、ただ、変に思われたみたいで恥ずかしいじゃない」
「変でやんすかね」
「そうじゃないけど・・・でも」
アタシがモゴモゴってなると、彼はアタシの腰に手を回した。
少しだけ、彼の方に引き寄せられた。
「あっしは、ラライさんと二人旅が出来て、本気で嬉しいでやんす。こうして一緒に居られるのが、何だか夢みたいでやんすよ」
「アタシだって・・・・、それは」
彼と二人でこうして旅をするのは初めてだし、嬉しいのは一緒だ。
安心感はあるし、楽しいし。
それに。
ちょっとだけ、彼との関係が深まってしまうんじゃないかっていう、不安と淡い期待があるのも事実だった。
これでも、アタシは立派な大人の女なのだ。
その・・・。
男性と、そういう関係になる事を、想像しないわけではない。
アタシはなんだか言葉にするのが恥ずかしくなって俯いた。
彼はそんなアタシの様子を見て、どうやら何かを感じたようだった。
急に、アタシの手を握る力が強くなった。
これは。
ヤバい傾向だ。
最近、彼は時々だが強引になる時がある。
なんだか一方的な気がして、ちょっとだけムカつくが、だいたいその場の雰囲気に流されるのが常だ。
彼はもう、アタシの事を好きだという気持ちをオープンにしているし、それに明確な答えを出していないのだから、アタシにも責任がある。
肯定もしていないけど、否定もしていない。
だから、彼が時々、都合よくその態度を解釈してくるのは、もしかしたら、仕方のないコトかもしれない。
そして。
悔しいが彼に強引にされると、胸がきゅっとなって、抵抗できなくなってしまうのだ。
「この旅に出る時、あっしはラライさんを護ると誓ったでやんす。だから、こうして一緒に居るのは当然でやんす。言ってみれば、あっしはラライさん専属のボディガードでやんすよ」
「もう、調子が良いんだから」
アタシは怒れなくなって、小さくため息をついた。
「あっしは、いつでもラライさんの事を、一番に思っているでやんす」
彼の手がアタシのあごを、くいと持ち上げた。
優しく引き寄せられて、次の行為が想像できた。
これはまた、キスされちゃう流れかな。
「ラライさん、いいでやんすか」
聞かないでよ、バカ。
アタシは声に出さずに答えを出して、覚悟を決めた。
目を静かに閉じる。
彼の唇の感触が、微かにアタシに触れた。
体中がしびれる感じがした。
そして、次の瞬間。
「悪い悪い、部屋のカギ渡してなかったよな・・・」
お約束のように、ばあんっと扉が開いた。
ああもう。
何でいつもこうなるの。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・ゴメン」
そーっと扉が閉まっていって、最後に彼女の手が、床にぽとりと鍵を置く。
・・・・・。
・・・・・・。
あう・・・。
アタシは、大声をあげて言い繕いたい気持ちを殺して、その場で天を仰いだ。
さすがのバロンも、ちょっとだけばつの悪そうな顔をした。
「バロンさん・・・、もうっ、どうしてくれんのよ、これじゃあ完全に彼女に誤解されちゃったじゃない」
「いや、これはでやんすね、誤解というか、誤解ではないというかでやんすね。もうある意味、既成事実が知られただけという・・・」
「それはそうなんだけど、ああっ、もう」
キスしている所を知り合いに見られるなんて、恥ずかしいを通り越して、なんだか切腹したくなるような気分だ。
バロンを睨むと、彼はそれ程悪いことをしたようなそぶりも見せなかった。
ってーか。
こいつ、もしかして、ちょっとこの状況を楽しんでない?
こんな顔して、意外と計画的なところあるからな。この悪党め。
もしかして、アタシにとって一番危険な敵は、バロンなんじゃないだろうか。
純粋無垢なアタシを貶めようとする、裏のラスボス的な。
アタシが恨みがましい顔を続けると、彼は諦めたように肩をすくめてみせた。
「あっしは別に、誤解でもいいでやんすよ」
バロンはこともなげに、言った。
「あっしにとって大切なのは、ラライさんがあっしを受け入れてくれている事実と、こうして側に居れる事の幸せでやんすから」
あまりにも当然なコトのように彼はそう言って、窓の外を見た。
夕日が山の背にかかって見えた。
自然の夕日を見るなんて、何年ぶりの事だろうか。
なんだか壮大な景色が目に焼き付いて、不思議と気持ちが落ち着くのを覚えた。
「別に悪いことではないでやんしょ。あっしがラライさんを好きだというのは、紛れもない事実でやんすし、誰に恥じる事でもないでやんす」
その眼は真剣で、ウソや偽りはひとつも混じってはいなかった。
そう言われてしまうと・・・弱い。
「まあ、その気持ちはアタシも嬉しいんだけどさ」
アタシはそう言わざるを得なかった。
つまりは。
誤解では無いんだよね。
アタシも彼の事が好きだから、キスを受け入れているわけで。
ただ、それに素直になりたくないのはアタシの勝手であって。
もう、自分でも自分がわからない。
アタシが困った顔になって言葉を失うと。
彼は安心したように笑った。
その笑顔は反則だ。
どうしても勝てなくなっちゃうじゃないか。
赤い顔をしたラスボスは、どうやら自分の勝利を確信したようだった。
アタシを優しくベッドに押し倒して、それから情熱的にもう一度唇を重ねてきた。
受け止めながら、アタシはささやかな抵抗に、彼の腕を思い切りつねった。
まあ。
軟体ボディは痛くもなんともないだろうけど。
悔しいが、彼のキスを欲しがっていたのは、どうやらアタシの方だったみたいだ。
光シャワーはとても便利なシステムだった。
こういった持ち運びのできる簡易用のものがあるとは初めて知った。
水ではなく、光の粒子で体を洗うため、周囲を濡らさずに済む。だから、こういった部屋の片隅で使っても、何も問題ない。
バロンの情熱的なキスで火照った体を、シャワーでなんとか鎮めた。
言っておくが、バロンとは「そこまで」の関係だ。
それ以上は流石に踏み込ませていない。
もしかしたら、その先に進んでしまうのは、もう時間の問題なのかもしれない。
だけど、今はまだ、ここまでだ。
これだけは彼もわきまえていて、アタシが自分の問題にちゃんと答えを出すのを、我慢強く待ち続けてくれていた。
アタシには感情だけではすまされないもの・・・過去がある。
それを語らないことは、彼にとっては不安と苦痛なのかもしれない。
だけど、彼も彼なりに、必死に理解してくれようとしている。
なんだか申し訳ない気持ちにはなるが、それが、人の心の、難しい所だ。
新しい下着を身に着け、それから着慣れたボーダーのスウェットに着替えた。
バロンには当然だが外してもらっていた。
軽く化粧を直して、簡単に身支度を整える。
アタシは部屋を出た。
鍵をかけて階段を下ると、酒場は人で溢れかえっていた。
驚くほどに、店は繁盛をしていた。
一瞬、どこにバロンがいるのか分からなかった。
「おーい、こっちこっち、ほら、こっちだよ」
ルナルナの声が聞こえてきて、アタシはカウンターの正面にバロンが座っているのを見つけた。
席に辿り着くと、彼女はカウンターの向こうから、ドリンクを差し出した。
桃色の髪を高めに結って、邪魔にならないように両の袖をまくり上げている。
その姿が妙に女性らしく見えて、アタシは変わりきった彼女の雰囲気に微かに戸惑った。
もちろん、言うまでもなく、それは良い意味での変化だ。
「どうだい、オレの店、なかなかイイ感じだろ」
彼女は得意げな様子で、アタシにウィンクをした。