シーン70 エピローグ それでもいつか、あの日のように
・・・数年後・・・
乾いた大地に、一筋の砂塵が舞っていた。
走っているのは、オートバイ型のMランナーだ。
黒を基調にしつつも、レーシングカラーにカスタムされたその機体は、どこかのレースチームマークとゼッケンナンバーが際立って目立っているが、ボディ自体は古いものだ。
丸いヘッドライトを振動で上下に揺らしながら、機体は猛スピードで荒野を駆けていた。
またがっているのは、遠目にも女だった。
ゴーグルと口元を覆うバンダナで顔は見えない。
ただ、華奢な腰回りとしなやかなボディラインは女性のそれで、風に桃色の豊かな髪がなびいている。
ブルズシティを出発してから、既に半日以上も走り続けていた。
太陽からのギラギラした熱射が容赦なく降り注ぎ、自然と体力が奪われている。
それでも、最短のルートを走れるというのは有難かった。
かつては強盗やら、追剥やら、はてはストームヴァイパーのような武装勢力に、交通の要所を抑えられていた。
そのせいで、だいぶ遠回りしないと、レバーロックの町には辿り着けなかったものだ。
だが、今は違う。
ブルズシティを始め、それぞれの小さなコミュニティに自警組織が生まれ、それが少しずつ連携の輪を広めている。
もちろん今でも無法者は沢山いるが、以前に比べれば随分とマシになったようで、驚くべきことに、フォーリナー観光ツアーなるものが、ブルズシティでは盛んに宣伝をしていた。
少しずつ、見覚えのある景色になってきた。
真っ平だった大地に、起伏が生まれ始め、丘陵地帯に入った。
ここを超えると、また平坦な平野に入り、その先にエルドナの山々が青く見え始める。
「あはっ」
二つ目の丘を越えたところで、Mランナーに跨る女・・・ルナリーは思わず声をあげた。
驚いた。
大地を緑が埋め尽くしていた。
それも、見覚えのある植物だった。
固く肉厚の葉を持ち、濃い独特の匂いが鼻孔をくすぐる。
カルツ草だ。
・・・こいつは、自然に生えたものじゃねえ、畑か?
ルナリーは内心で呟いた。
広大なカルツ畑を切り裂くように、一本の広い道が出来ていた。
ルナリーは迷わず、その道筋を選んで走った。
さらに一時間も走ると、長く続く木の柵が見えてきた。
この柵にも見覚えがある。
記憶よりもだいぶ広いエリアを区切っているようだが、思い違いでなければ、リップロットが作った柵と同じつくりだ。
懐かしい気持ちになりながらも、ルナリーはスピードを緩めなかった。
先程の道は、柵にそって続いていた。
内側に、のんびりと牧草を食べる、ユーグの群れが見えた。
・・・リップロットのユーグなら、以前よりも、ずっと数が増えたもんだな。
・・・あの爺さんも、健在だと良いんだが。
頑固だが人の良い老人を思い出した。
店に来ては飲みすぎて、よく出来の良い孫娘に叱られていたっけ。
そんな思い出にふけっている間にも、景色はどんどんと変化し、更に見覚えのあるものに変わっていった。
ルナリーは帰ってきた事を実感した。
遠くに、町の外観が見えた。
・・・ああ、あの時のままだ。
懐かしさが形を変え、急に、胸が締め付けられる思いがした。
最初に見えたのが、地面に突き刺さるように倒れた「テンペスト」の残骸だった。
かつてのレバーロックのかわりに、ティアドロップ型の独特の機体が、新しい街のシンボルと化したかのようだった。
続いて、破壊されて、廃墟と化した街並が見えてきた。
対地レーザーで抉られた大地。
積み上げられたコンテナハウスと、プレーン戦闘に巻き込まれて崩れた家屋。
やっぱり、レバーロックの町はもう・・・。
一縷の望みが消えかけたが、先ほど目にした景色、カルツ草の畑や、ユーグの放牧地を思い出して、ルナリーは進んだ。
街の入り口に到着した。
かつてはここで、検問の真似事をしたりしていた。
だが、今は人の気配もなく、彼女はそのまま通過できた。
町の中央通りも、かつてのままだった。
ただ違うのは、誰も人が居ないこと。
破壊されたままのブルーウィングの前で、ルナリーは少しだけアクセルを緩めた。
かつてここで夢を見た。
本当に小さい夢だった。
だが、もう過去の事だ。
彼女は再び進みだした。
マリアの家に向かう事にした。
きっと彼女なら、まだあそこに住んでいるのではないだろうか。
そんな気がした。
マリアの家は、町の外れにあった。
あの夜、ささやかなパーティをした事を思い出す。
あれは、生涯で一番くらいに楽しかった。
まるで、時が止まっていたかのようだ。
右も左も見覚えのある風景がそのままで、庭の先にはユーグの牧舎も見えた。
入り口でマシンを降り、ゴーグルを額の上に押し上げた。
バンダナを首もとに降ろすと、新鮮な空気が流れ込んで心地よかった。
彼女は、マシンのキーを外して、ゆっくりと足を踏み入れた。
程なく、彼女の期待は失望へと変わった。
家の扉には鍵がかかっていた。
それだけなら、ただの外出中とも考えられるが、足元には砂塵がたまっていて、しばらくの間、誰もそこに足を踏み入れていない事をうかがわせた。
窓は全て内側から閉められ、人の気配は全くない。
ルナリーはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
どこかへ移ってしまったのかもしれない。
やはり、この町に住み続けるのは、いくらここで生まれ育ったマリアにとっても、厳しすぎたのだろうか。
彼女は枯草の束を見つけて、ふっと笑った。
・・・そういえば、寝つけないラライが、ここで夜を明かしたんだっけ。
これまた、しばらく会っていない親友を思い出し懐かしくなった。
少しだけ躊躇してから、彼女はそこに横たわった。
思った以上に、気持ちが良かった。
太陽は、少し傾き始めていた。
この時期は、昼の時間がやたら長い。
もう少しくらい、日陰になってもいいのに。
思っているうちに、ルナリーはまぶたが重くなった。
何時間もMランナーを乗り続けた疲れが、どうやら睡魔となって襲って来たらしい。
いつしか、彼女は眠りに落ちていた。
夢を見た。
内容はよく覚えていないが、多分昔の夢だ。
アブラムが居て。
ビーノが居て。
ミゲルも。
サラも。
ついでに、サバティーノも。
毎日がバカバカしいくらいに騒々しくて。
理由も根拠も無いのに、未来が明るく見えた。
みんながオレの事を受け入れて。
名前を呼んでくれた。
「ルナリー・・・」
そう、こんな風に。
「ルナリーさん、ねえ、ルナリーさん」
目を覚ました。
夢の続きかと、彼女は思った。
「ルナリーさん、良かった!起きてくれた」
「マリア? お前マリアだよな」
ルナリーは飛び起きて、目の前に立つ女性を見つめた。
自慢の長髪が、大人びたショートカットに変わってはいたが、その瞳、その声はまさしくマリアだった。
「あー、びっくりした」
マリアは目を丸くして言った。
「久し振りに物を取りに戻ったら、こんな所に人が倒れてるんだもの」
「あ・・・、ああ、そりゃ驚くよな。ごめん」
ルナリーは急に気恥ずかしくなって頭をかいた。
・・・そりゃ、そうだ。
いきなりこんな所で人が寝ていたら、誰だって驚くに決まってる。
「いやあ、それにしても良かった~」
本心だが、若干声が上ずった。
「誰も居ねえから、てっきり、もうみんなどっかへ移住しちまったんだと思ってさ」
恥ずかしさを誤魔化すように、ルナリーは笑って見せた。
「マリア、久し振りだな、なんだよ、ずいぶんと綺麗になったじゃ・・・」
言葉が止まった。
再会を喜ぶものと思ったら、マリアが急に俯いたからだ。
「マリア・・・どうした」
「ルナリーさん、・・・私」
切れ長で、やや厳しくも見えるマリアの瞳から、ふつふつと涙が溢れ出した。
「ちょ、マリアってばよ」
涙の意味もわからないで焦っていると、突然彼女はルナリーに抱き付いてきた。
いきなりの事に驚いて、ルナリーは離れようとした。
だが、マリアの肩に触れた瞬間、彼女の温もりが掌に伝わってきた。
随分と、細くて頼りなげに感じる。
こんな細い体で、マリアはこの厳しい環境で生きてきたのか。
そう思うと、彼女がとても愛おしく思えた。
ルナリーは彼女の肩を抱いたまま、優しく髪を撫でた。
それにしても、マリアのこの様子は、どうしたのだろう。
ルナリーの頭を、一抹の不安がよぎった。
「マリア、まさか、・・・もしかしてリップロットの爺さんに、・・・何かあったんじゃ・・・」
「えっ?」
マリアは驚いて顔をあげた。
涙で濡れた目でルナリーをじっと見つめ、それから何かに気付いたようにハッとした顔になった。
それから。
今度は急に笑い出した。
「っおい、マリアっ、何なんだよ、急に泣いたり笑ったり」
ルナリーはマリアを引き離すと、少しだけ声を荒げた。
「ごめんなさい。あ・・・全然、違うんです」
マリアは申し訳なさと、可笑しさがないまぜになった様子で言った。
「急に抱き付いたりして、本当にごめんなさい。でも、嬉しかったんです、私」
「そんな、大袈裟だって。そりゃ、昔馴染みの顔を見に来ることぐらい、誰にだって・・・」
「この町を離れた人で、今まで戻ってきてくれた人が、一人も居なかったから」
「・・・」
ルナリーは口をつぐんだ。
誰も戻らない街か。
それは確かに、そうなのかもしれない・・・けど。
「悪いな、オレも立ち寄っただけなんだ。その、仕事でこの近くに来ただけでさ」
何だかばつが悪い思いで、声が小さくなった。
対して、マリアは、気にした様子はなかった。
むしろ明るい表情に戻って、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「わかってますよ。だって、すごい活躍ですよねルナリーさん」
「なんだよ、こんな星にも伝わってんのか。・・・それはなー、えーと、まあ、そうなっちまったんだけどよ」
ルナリーは顔を真っ赤にした。
そうなのだ。
あれから数年、ルナリーの生活は激変していた。
最初は、ラライからプレーンレースGⅩ1のレースクイーンやらないかと誘われたのがきっかけだった。
とりあえず会って面談をしてみると、そこのオーナーのアンディという男が、やけにルナリーを気に入ってしまった。
このアンディという男、もともとはレース界のボンボンだったのだが、少し前から副業で小さなタレント事務所を開いていた。
所属人数はごく僅かではあるものの、自前のインディーズレーベルで曲を売り出したり、自身のチームのイベントでミニライブなどを行って、そこそこの利益を上げられるようになっていた。
そのアンディが、ルナリーの素質に目をつけないわけがない。
ラライから紹介されたわずか二日後には、レースイベントでの年間契約をもちかけられ、気がつけば、ほとんど勢いでタレント事務所の契約までしてしまったのだ。
まあどうせ、小遣いかせぎ。
いずれまた、お店を開くための貯蓄でもしなきゃならないし、契約期間は、とりあえずお金が入るっていうなら、それもいいか。
くらいに、彼女は考えた・・・だけだった。
ところがだ。
ルナリーの容姿や、口を開かない限りはクールで謎めいた美貌は、自分でも思っていた以上に、他のレースクイーン達とは一線を画していた。
シーズンオフが近づく頃には、ルナリーは誰もが注目する存在になっていた。
様々な雑誌やら広告会社から、グラビアやCMの依頼が舞い込むようになり、世間に露出度が高まると、その度に周囲の環境が変わっていった。
ルナリー自身はまったく乗り気ではなかったのだが、どんどんと仕事は増えていって、いつの間にか、レース場よりもそれ以外の仕事の方が多くなってしまっていた。
「こんな筈じゃなかったんだけどよ、アンディがどうしてもって言うし・・・あいつに頼まれるとさ、なんだか嫌って言えねえんだよな・・・」
小太りだけど、どうも憎めない若いオーナー兼マネージャーの顔が浮かんで、ぶつぶつと、ルナリーは呟いた。
「それにしてもすごいですよ。そういえば、ラライさんはお元気にしてますか?」
「ラライか。まあ、いつもご機嫌な奴だからな~。今ごろ、どこをフラフラしてるんだか」
「それじゃあ、最近は会ってないんですか?」
「そうだな。・・・噂は色々聞こえてるんだけどさ」
ルナリーの脳裏に、ラライの青い髪がなびいた。
マリアの言う通り、彼女とはしばらく会っていなかった。
レース界の噂では、地方のプレーンレースに出資して、共同オーナー兼パイロットになったなんて話も聞いている。
かと思えば、なんだか大きな事件に巻き込まれて、今はもうエレス同盟圏内には居ないなんて言う人もいる。
さらにまた、とある筋の話では、どこかの星に住み着いて、居酒屋件プレーン整備店を開いた、なんて話まで聞こえてくる。
どこまでが本当で、どこからが嘘なのかはわからない。
でも、その全部が本当にありそうで、ついつい信じてしまいそうになる。
まったく、ラライというのは不思議な女だ。
気付くと、マリアがニコニコと笑っていた。
「なんだよ?」
「ルナリーさんって、ラライさんの事を考えてる時って、すごく楽しそうな顔をしますよね」
「ば、ばっかやろ」
照れながら、ルナリーは、自分でもそうかもしれないと思った。
楽しいかどうかは別にして、ラライは自分にとってかけがえのない人間だからだ。
そう。
友であり、仲間であり、背中を預ける事のできる相棒でもある。
ルナリーは小さく首を振って、ラライとの思い出を、一旦振り払った。
「ところでマリアは、今何をしてるんだ。爺さんの手伝いか?」
「ええ、そうですね、それもあるけど」
マリアは、微かに含んだ笑みを浮かべた。
「ルナリーさんに、せっかくだから見せたいものがあるんです」
「見せたい? もの?」
「ええ」
一旦言葉をためて、彼女は言った。
「私たちの、新しいレバーロックです」
それから数分後。
ルナリーのⅯランナーは、マリアの運転するホバーマシンと並走して、かつてレバーロックの宇宙船があった窪みを挟んで、昔の中心地とは反対にあたる方向へと走った。
「新しいレバーロック?」
「そうです、新しいレバーロックです」
嬉しそうに、マリアは言った。
日がかげり始め、レバーロックの町には赤らんだ光が斜めに差し込んでいた。
レバーロックの宇宙船が埋もれていた場所。
横手にはその数キロにもわたる巨大な窪みが見えていた。
この異常な跡地が生み出す風景は、どこか荒寥としていて、あるべきものがそこにない違和感だけをルナリーの印象に残した。
その断崖ともいうべき窪みの端に、マリアはマシンを寄せて、静かに停車した。
辺りはしんとして静まり返り、人の気配も感じられなかった。
ルナリーは何でこんな所にマシンを止めたのかと訝しく思いながら、自分もマシンを停止させた。
マリアが降りてきた。
彼女は歩きながら、そっと指を伸ばした。
その先は、レバーロックの跡地だった。
ルナリーは視線を向けて、それから巨大なくぼみの下の方で、キラキラと光る何かに気付いた。
正体に気付くのに、少しだけ時間がかかった。
そして、それが何かに気付いた瞬間、彼女は驚きのあまり、体中の毛が逆立つような感覚を覚えた。
それは、水だった。
透明な水が、レバーロックが生み出した断崖の底に、煌めきながら確かに流れている。それは幾つもの小さな泉を形成し、大きなものでは数百メートルほどの広さがあるように思えた。
「あの時、エルドナが破壊されて変わった水脈が、ここに流れ込んできているんです」
マリアが、静かに言った。
「この数年間で、毎年のように水位が上がってきています、いずれ、十年後くらいには、ここ全体が湖みたいになるかもしれないと、マルティエさんも言っていました」
「湖、・・・このレバーロックが、湖になるのか?」
「ええ、そうです、私達の、希望の水なんです」
マリアの言葉の先に、ルナリーは見えた気がした。
緑が豊かに実り、人と大地が共に暮らせる未来。
そんな当たり前で、奇跡的な未来が。
太陽が更に傾いた。
周囲はだいぶ蒼暗い景色に変わっていた。
マリアが、新しい家に案内すると言って、先にホバーマシンに乗った。
ルナリーは自分のⅯランナーに跨り、エンジンをかけようとして、手を止めた。
レバーロックのくぼみの対岸。
旧市街地の方角を、彼女の目は見ていた。
ひとつ、ふたつ、みっつと、明かりが灯っていた。
まだ、人が居る。
マリアの他にも、住んでいる人たちは居るんだ。
マリアが、ルナリーの様子に気付いて、運転席から振り向き、叫んだ。
「私、あの灯りを、もっと、もっと増やしたいんです。ねえルナリーさん、出来ますよね」
ルナリーは小さくうなずいた。
それは、誰にも保証できない事。
未来は、誰にも予測できない事。
それでも。
いつか、もう一度あの日のように。
ルナリーはエンジンをかけた。
Mランナーの丸いヘッドライトが、煌々と光を灯した。
お読みいただいて、本当にありがとうございます。
なんとかエピソード5、完結出来ました。
色々と試行錯誤した作品で、
執筆に時間もかかってしまいました。
それでも、応援していただいた声も力になって、
こうしてなんとか発表させていただけたのは、
本当に皆様に感謝です。
次回作はいつになるか分かりませんが、
もっと読みたいな、と思って下さる人が居てくれたら
本当に嬉しいです。
それではまた、宇宙のどこかでお会いしましょう。
2022年 1月14日 雪村4式




