シーン58 行くも地獄、残るも地獄
・・・数時間前・・・他所・・・
空気が妙に湿っている。
全身が痛み、強張り、呼吸するのさえも面倒な程、全身を倦怠感が包んでいる。
冷たい金属製の床が、時折不気味に振動していた。
ここが何処かはわからないが、高級なホテルの一室では無い事だけは理解できる。
男は、体を壁にもたれさせたまま、自由にならない両腕に視線を落とした。
電子ロックのちゃちな手枷と、足枷だ。
オモチャみたいなものだが、それがどうしても外せない。数日前に受けた麻痺弾のせいにしては、その効果がいつまでもとれなかった。
・・・寝ている間に薬を投与されたか。
どっちにしろ、男を拘束した奴は、彼を簡単には見逃す気は無さそうだ。
だが、かといって殺すつもりもないらしい。
半ばあきらめに近い心境で、彼は暗い天井を見上げた。
壁面には計器類があり、緑色のランプが灯っている。
明るいとはお世辞にも言えないものの、目が慣れたせいか、室内の様子は見て取れた。
殺風景な部屋だった。
少なくとも居住用の部屋ではないが、監獄という様子でもない。おそらくは荷物室のようなところに、とりあえず彼を勾留したというところだろう。
沈黙に耐えかねて、大声を出して誰かを呼んでみたが無駄だった。
声は室内にこだまするだけで、そのうちに体力を使うのが馬鹿らしく思えてきた。
そんな状況のまま、何時間が過ぎただろう。
突然入り口のドアが開き、光がなだれ込んだ。
男は驚いたが、体はやはり自由に動かなかった。
眩しさに顔をしかめ、それでも、僅かな期待をこめてドアを見た。
背の高い男性のシルエットが立っていた。
中に入ってくるかと思ったが、予想は外れた。
「目が覚めたようだな、ミスターウォルター」
聞き覚えのない声が彼の耳を通り抜けた。
残念、期待外れだ。
誰かが救出に来てくれたワケではない。
この声の主は、彼を拘束した側の人間・・・つまり、敵だ。
「そう怖い顔をするな、ウォルター。ええと、本名は確か、ヴァルター・ヴィ・ディシクッドで間違いはなかったかな」
「手前・・・誰だ? 何でそれを」
拘束された男、ウォルターは驚愕して眼を剥いた。
ヴァルター・ヴィ・ディシクッド。
確かにそれは彼の名前だ。
だが、あくまで過去の話。捨て去った辺境の記録に過ぎず、今の彼は只のウォルター、仲間内では逃がし屋ウォルターと呼ばれるアウトローに過ぎない。
「軽く調べさせてもらったさ。なにぶん、君がどのような道化だったのかを知る必要があったものでね。なるほど、うまく経歴を変えてある」
「・・・っ!?」
ウォルターは逆光で顔の見えない相手を睨んだ。
暗闇に目が馴染みすぎていたせいで、余計に男の輪郭が判別できなかった。
「地球系の逃がし屋ウォルターか。まあ、身代わりにはもってこいの人物をさがしたね。···宇宙犯罪者としては小物の部類に入るだろうし、指名手配も個別星系に留まっている。これなら、仮に本人として捕まったとしても、大きな罪にはならないだろう・・・」
「・・・それが、どうした」
「ちょっと、腑に落ちなかったものでね」
男は両腕を広げた。
その仕草はどこか芝居がかっているようにさえ見えた。
「君自身の犯罪歴を見る限り、このフォーリナーに逃げ込んでくるだけの理由があるとは思えない。生粋の宇宙生活者が、わざわざ外宇宙の星に新生活を求めるだけの理由がね」
「先の仕事で、必要のない殺しをやってバレた。それで身を隠したんだ、それのどこが悪い!? この星はどうせそんな奴らの溜り場だろ」
「なるほど、殺しをね」
シルエットの男が軽く笑ったように見えた。
ウォルターは一瞬、背筋が寒くなるのを覚えた。
「つまらない嘘は止めるんだ。こちらは君の本名がヴァルターであることを掴んでいるんだ。それがどういう意味かわかるだろう」
「それは・・・」
ウォルターは言葉に詰まった。
そうなのだ。
この男は、もはや彼の過去を掴んでいるのだ。
「ヴァルター、なるほど君が選ばれた理由は、君が地球系とよく似ているからだね」
「・・・」
ウォルター···いや、ヴァルターは押し黙った。
暑いわけではない筈なのに、じっとりと額に汗が滲んだ。
「本物のウォルターがどうなったかも、調べてある。こちらもすぐに所在がつかめた。可哀想に、既に殺されているね。表向きは、仕事の遂行中に行方不明になっているとされて···ああそうか、君が殺したって言うのはこの本物のウォルター君の方かな」
「お前、一体何者だッ! なんで、なんで俺の事を調べやがる!」
男は返事をしなかった。
かわりに、かちゃりと聞き覚えのある嫌な音がした。
この金属の掠れる音は、銃がホルスターを離れる時のそれだ。
「君に質問をする権利はないよ。訊くのはこちらの特権だ。なあに、それほど難しい質問じゃない」
「俺が、そう簡単に口を割るとでも・・・って、おい、お前まさかっ!?」
「口を割らせるのは簡単さ。方法はいくらでもある」
「撃つ気か!? 畜生、その程度の脅しっ・・・ひっ」
ヴァルターの声が上ずった。
銃口が光を放った
ヴァルターは銃弾の痛みを想像し、思わず目を閉じた。
銃弾は彼の肩を直撃した。
彼は悲鳴を上げた。
だが、驚いたことに、痛みは殆ど無かった。
「・・・、っ、今のは」
おそるおそる方の傷口に目を向けて、視界がぐらりと揺れるのを感じた。
揺れたのは自分自身の体だったと、気付くまでに相当の時間を要した。
視界が床と平行になり、ブーツのつま先がゆっくりと迫ってくるのが見えた。
「すぐにクスリが効いてくるさ。では、話を聞かせてもらおうか。ミスターウォルター、君の・・・。いや、お前達の目的が何なのかを、な」
男は屈みこみ、それからヴァルターの耳元で囁いた。
「・・・まあ、といっても、所詮、答え合わせくらいの意味しかねーんだけどさ」
声が変わっていた。
その声が、鐘の音のように、頭の中で何度も繰り返した。
・・・・・数時間後・・・・
レバーロックの宇宙船に、朝の日差しが注いでいた。
黄金色の光を浴びて、いつも以上に深みのある赤肌が浮かび上がり、周囲の大地までもがほんのりと赤らんで見える。
遠くから小さな砂煙をあげて、一台のMランナーが近づいてくるのが見えた。
運転しているのは見覚えのある青い髪の女だ。後ろにはもう一人、桃色の髪をした魅力的な女性が乗っている。
ランナーは彼の横を通り過ぎようとして、急ブレーキをかけた。
「って、ウォルターさんじゃない! こんな所に居たの!?」
青い髪の女、ラライ・フィオロンが振り向きざまに叫んだ。
「へえ、その調子だと、多少は元気になったようだな」
立ち止まった男、・・・「ウォルター」はいつものように肩身を狭くした様子で彼女を見た。
「急に居なくなったし、てっきりブルズシティに戻ったものだと思ってたのよ。どうしてまだ町に居たの?」
「ブルズシティに行きたくても、足が見つからねえんだ」
彼が肩をすくめたのを見て、ラライと桃色の髪の女、ルナリーは顔を見合わせた。
「だったら診療所に居れば良かったのに、ああん、今朝もう出発しちゃったよ」
「出発って? 何が?」
「ジェリーのカーゴシップよ。ブルズシティに行きたいなら、彼が乗せてってくれたのに」
「マジかよ」
茫然として言葉を無くした彼を見て、ラライは心から同情するような顔をした。
ウォルターは気付かれないように目を伏せて、そっと彼女の肢体を盗み見た。
相変わらず、不思議と気を惹かれる女だ。
隣にいるルナリーという女性も魅力的だが、このラライという女性が滲みだす色気は、彼が知る中で、一種独特と言わざるを得ない。
・・・これであの変な彼氏の存在が無ければ、遠慮なく手を出している所なんだが。
彼はそんな事を思いながら、彼女の肉体を想像する。
この星特有のパイロット風スーツから垣間見える細い腕やふくらはぎがやけに白く印象に残った。
「今からどこに行くの? あてはある?」
「いや、特にねえな。どこかに動くランナーでも残っていればと探してたんだが」
「望み薄だろうな。えーと、ウォルターさん、だっけ」
「ああ」
「徒歩でもなんでも、この町を離れるなら今のうちだぜ。あと3日後にはヴァイパーが攻めてくるからな」
ルナリーという女が言った。
「そいつは分かってるんだけどよ。このまま町を出たところで、その3日も持たずに干からびちまうぜ、何せ昨日から飲料水すらも見つからねえんだ」
ウォルターは疲れた様子で腕を広げた。
「この町に居たら戦闘に巻き込まれる、それでも良いのかい?」
「行くも地獄、残るも地獄ってやつだな。ちぇ、八方塞がりさ。・・・ったく、つくづくこんな星来るんじゃなかったぜ」
毒づくウォルターを見て、ルナリーがあからさまに嫌そうな顔をした。
ウォルターは不貞腐れるふりをして、今度は桃色の髪の美女を観察した。
・・・いい女だが、随分と感情を隠さない奴だ。
見た目だけならラライよりも肉感的で好みだが、自分との相性は悪そうだ。
ウォルターは自分勝手に思った。
「そういうアンタ達は、これからどうする気だ? まさかこの期に及んで無人の町を守ろうなんて、馬鹿な事は言わねえよな」
胸中の不埒な感情を隠して、ウォルターは二人に向かって言った。
「あら、無人なんかじゃないわよ」
「へえ?」
「数える程かもしれないけど、まだこの町に残ってる人はいるわ。アタシはその為にこの町に来たのよ。最後まで戦うに決まってるじゃない」
「はあ、マジで言ってんのかよ。この間の宇宙船も見ただろ。アンタ達二人くらいの力で勝てる相手じゃねえぜ。悪いことは言わねえ、やめときなって」
「それは・・・やってみなくちゃわからないわよ!」
ラライが頬を膨らませた。
ルナリーも、そんな彼女を諫める様子もない。という事は、彼女達二人が下した決断は、そういう事なのだろう。
まったく。
呆れたもんだ。
ウォルターは頭をかいた。
その仕草が二人の目にどう映ったのか。
「町はずれの診療所!」
ラライの声が、ウォルターの耳に飛び込んだ。
「場所は分かるでしょ。そこでなら水も食料もあるわ。あんたに一緒に戦ってくれなんて言わないけど、とりあえず今日をしのぐ程度なら来ても良いわよ。あー、え、と、ミュズさんもいるわよ」
ミュズ・・・か。
ああ、ミュズ、ね。
「そうだな、もう少しうろついてみるが、あてが見つからねえときは世話になる」
ウォルターは軽く片手をあげた。
ラライは再びMランナーのアクセルを回した。砂煙を残して、二人の背中が遠ざかっていく。
やれやれ・・・だ。
こうなる予感は最初からしていたが、つくづく想像を裏切らない女だ。
ウォルター。
そう彼女達が呼ぶ男は、口元に薄い笑いを浮かべ、レバーロックの宇宙船を見上げた。




