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シーン55 残る者達の選択

 ルナルナが目を細めた。

 アタシにも聞き覚えがあるってコトは、きっと知っている人なんだろうけど。


「ああ、なんだ」

 とルナルナがほっとしたような声を洩らした。


「そこに居るのって、もしかしてマルティエの旦那か?」

「おお、ルナリー。無事だったのだな」

「それはこっちのセリフだぜ、なんだよ、声を聞いて安心したぜ。旦那は爆発に巻き込まれずに済んだのか」


 マルティエ・・・?

 誰だっけ。でも聞いた事あるぞ。


 アタシはその名前をすぐには思い出せなかった。


 ルナルナを先頭に、アタシ達は階段を登った。

 男が立っていた。

 彼は煤で汚れた顔に、気難しそうな表情を浮かべたまま、それでもどこか安堵した様子でアタシ達を見ていた。

 顔を合わせて、ようやくアタシはその人が誰かを思い出した。


 カルツ酒醸造家のマルティエだ。


 知っている人だという安心感が、アタシの心を落ち着かせた。

 同時に、妙に心強い気持ちになった。

 数回しか会った事のない人だし、アタシとしたら名前と顔がわかるだけの相手だけど、見知った顔に出会えた事だけで、こんなに嬉しく思えるとは。


「爆発の時、私はここにいなかったからな。ルナリーこそ、あの日は営業していたのだろう? どうして無事で?」

「オレも、その日はサラ達に任せてたんだよ。それより、旦那はどうしてここに?」

 ルナルナが聞いた。


「人手が残って居ないかを探しに来た。なにせ、昨日から醸造所に所員が殆ど来なくなってしまったのだ。このままでは仕事に支障が出る」

「そりゃ、この町の様子を見ればわかんだろ、皆逃げちまったんだよ」

「状況の理解はできるが、なんとも嘆かわしいことだ」

 マルティエは、どこか他人事のように、おっとりとした口調で言った。


 こんな有事の際に、随分と落ち着いているものだと、アタシはちょっと不思議に感じた。


「人手を探すなら、もっと郊外の方を回った方が良いと思うぜ。金も交通手段もねえ、逃げたくとも出来なかった連中が、まだ少しは居るかもしれねえ」

「そっちはもう見回ってきた。確かに何人かは見かけたが」

「やっぱり、他にも町に残っている人が居るんだな?」

「ああ。もちろん居るには居る。それほど多くは無さそうだがね・・・」

 マルティエは肩をすくめてみせた。


「とはいえ、私の所で働いてもらうには、あまり見込みが無さそうな連中ばかりだった」

「ま、だろーな。町に残ったというよりは、残らざるを得なかっただけだろうしね」

 ルナルナが納得したように頷いた。

 マルティエは苦笑いを浮かべた。


「こう無駄足になると、さすがに私も疲れてきてね。・・・なあルナリー、ここならひと瓶くらい、のどを潤せるものが残っていないかね」

「なんだよ、旦那もウチの残り物目当てかい」

「すまんな。そのようなものだ」

「おいおい正直だな」

 ルナルナはぷっと笑った。


「いいって。ちょっと待っていな、今、奥の方を探してくる」

 ルナルナは再び地下室に戻っていった。

 それから5分もしないうちに、彼女は両腕に何本かのボトルを抱えてきた。


「幸い、貯蔵庫に何本か残ってたぜ」

「そこは荒らされて無かったの?」

「いや、数本は盗まれた後だった。ここを荒らした奴も、全部持ってくほどの余裕が無かっただけじゃねえかな」


 ルナルナはカルツ酒の瓶と、ミネラルウォーターをマルティエに差し出した。


「ありがたい。この礼は後で必ず返す」

「いいよ、町がこの状態じゃ、返せるあてだって、あるわけじゃないんだろ」

 ため息交じりに、ルナルナは周囲を見た。


「さっき人手を探しに来たって言ったよな? ってコトは、これから先も旦那は逃げねえってコトか」

「言葉の通りだ。私には先達から受け継いだ、大切な仕事があるからな」

「まあ、そうだろうけど・・・でもよ、この状況だぜ。それでもまだ、醸造所を稼働させられるなんて、本気で思ってるのか。だって、水も枯れちまったのに」

「確かにそうだ。水が確保できないのは痛い。そのせいで新しい仕込みができなくなった」

「だよな」

「ああ、だが悲観だけしていても仕方ないだろう」

 マルティエは、諭すような口調になった。


「窮地には違いないが、現状で出来ることを行って、今を乗り切る方法を模索するのみだ。少なくとも、私はそうするつもりで考えている」

「はあ~」

 ルナルナが、感心したような、呆れたような声をあげた。


 マルティエは、どうしてルナルナがそんな顔をしたのか、不思議そうな表情になった。


 アタシは無人の街並みにもう一度目を向けた。

 吹き抜ける風の音が、乾いた街を通り抜けた。

 どこからも、誰一人の声も、物音も聞こえてはこない。

 まるで、この町にはもうあたし達三人しかいないような・・・いや、本当にそうかもしれないと思う程に、不気味な静寂が周囲を包んでいた。


「みんな逃げ出しちまった・・・。水もねえ。アブラムの親方も死んだ。もしかしたらエネルギーだって、今までみたいには取り出せなくなるかもしれねえ」

 ルナルナの呟きに、マルティエが静かに頷いた。


「もう、何も残ってないんだぜ。こうなっちまった以上、もうオレにだって、何ができるか分からない。この場所に留まる意味だって、もう・・・無くなっちまったかもしれねえんだ」

「そうかもしれないな」

「それなのに、旦那はどうして平気でいられるんだ。まだここで生きるなんて、本気で思っているのか」

「ルナリーは違うのか」

「オレは・・・その・・・」


 ルナルナは言葉に詰まった。

 彼女自身、認めたくない事実を、マルティエは突いた。

 ルナルナの表情に宿った後悔と屈辱に、アタシは言葉をかけることが出来なかった。


 そう、認めなくてはならないのだ。


 町は、もはや町ではなくなった。

 人が居ない町、それは、ただのモニュメントでしかない。

 ただの廃墟。捨てられた過去の遺構。


 目の前の景色を理解するだけの感情が蘇ってくるたび、アタシの心は、あらためて現実から押しつぶされそうになった。


 レバーロックの町は、ストームヴァイパーに屈した。

 ライフラインを失い、死の恐怖を植え付けられ、あからさまな脅しに屈した。

 生き残った人々は抗う事をやめて逃げた。

 もはやここには、アタシが守るべきものはない。


 アタシ達は・・・負けた。のだ。


 大切な人を奪われ、誇りを奪われ。

 もう戦う意味も、抗う意味も、見いだせない。


 そんな事をしても、もう・・・。


 アタシは全身を無力感に覆い尽くされ、その場に立ち尽くした。


 そこに。

 マルティエの声が届いた。


「確かに、今まで築き上げてきたものは瓦解した。だが、それが何だ?」


 と、彼は言った。


 アタシとルナルナは彼を見つめた。

 決してハンサムではないが、やや角ばった額の下で、嘘偽りのない、まっすぐな瞳がアタシ達を見返していた。


「町があろうとなかろうと、私はこの土地で生きる。それが私の選択だ」

「旦那・・・あんた」


 マルティエはカルツ酒をぐいと一口含んで、満足気にボトルを見つめた。


「いなくなった人間など、所詮それだけの覚悟しかなかっただけだ。まあ、つまるところ流れ者でしかなかったという事だろう」


 アタシとルナルナは、まるで引き込まれるように、彼の言葉に聴き入った。


「私は流れ者ではない、いうならば開拓者だ」

 彼は、静かに語った。


「開拓者・・・」

 彼の言葉を反芻したのは、ルナルナだったろうか。それともアタシだっただろうか。

 もしかしたら、二人とも同時に呟いていたかもしれない。


「私は父から醸造所を受け継いだ、だが、幼少の頃から、ここでの生活を知っている。あの当時は、まだろくにエネルギーも無く、人もおらず、水源だってそこに在るだけで、何の整備もされてなどいなかった」

 マルティエの語る声は、不思議な自信に満ちていて、それでいて何故か暖かく感じられた。


「何もない所を切り拓き、そこに生きる道を探してきた。水が無ければ、常に探し求めた。今回だって同じだ。見失ったなら探せばいい。水脈の流れが変わったとて、水そのものが消え失せたわけではない。レバーロックのエネルギーなど、所詮は少し生活を豊かにするだけのことだ。それが使えなければ、他の方法を探せばいい」

「・・・」

「それでもかつてに比べればよっぽどマシだ。ブルズシティという交流先もある。製水機だって、その気になれば手に入る。わずかとはいえ、志のある人間だって、他にも残っているかもしれない」


「志・・か」

 ルナルナがこぼした微かな自嘲を、マルティエは嘲笑う事をしなかった。

 ただ、自分自身に言い聞かせるように、決意の言葉を口にした。


「この地は、カルツ草の栽培に最適だ。カルツ酒の醸造において、これほど適合した土地はない。どう考えてみても、私には、この地を離れる理由が一つとして思いあたらない」


 アタシは彼の決断を受け入れるしかなかった。

 彼の言葉は、ただただ真実だ。

 否定することも、止める事も出来ない。


 でも、ルナルナは少しだけ悔し気に叫んだ。

「だけどよ、この地に居座るものを皆殺しにすると、ヴァイパーの連中は言ってるんだぜ」


「それこそ私の知った事じゃない」

「そんな事言ったって、策だってないんだろ、いくらあんたの考えが正しくたって、結局は、自殺するようなもんだ。相手は理屈の通らない悪党なんだ」

「戦うつもりはないが、もしそうなるなら、その時は私だって抵抗をするだろうよ。・・・まあ、撃ったことはないが、銃の一つくらいは持っている」

「銃一丁で対抗できる相手か!」   

「今のは喩えだ。その位の覚悟がなくて、開拓者などとうそぶけないのでね」

 マルティエは笑みを浮かべた。


「そんな些細な事よりも、私がなすすべもなくカルツ畑と醸造所を捨てたとあっては、ここまで道を繋いでくれた先達に、顔向けが出来なくなるというものだ」

「些細なコトって、マルティエの旦那、アンタね」

 ルナルナはさすが呆れた口調になったが、アタシは彼女とはまた違う感慨を持って、彼の言葉を聞いていた。


 流れ者ではなく・・・開拓者。

 彼は、いや、この町は開拓者の町、だったんだ。


 その言葉は、アタシの頭をハンマーのように殴った。


 アタシは心のどこかで、今までこの町を馬鹿にしていたかもしれない。

 流れ者の町、何かから逃げ出してきた人たちの町だって。


 違っていた。

 アタシは間違っていた。


 アタシのショックには微塵も気付かず、マルティエはその表情を少しだけ和らげた。


「それに、そう君だって」

 彼はアタシとルナルナを交互に見た。


「ルナリー、そういう君だってまだこの町にいるじゃないか」

「いや、オレは怪我していて動けなかっただけで・・・」

 ちょっとその言い訳が恥ずかしかったのか、ルナルナの言葉は尻つぼみになった。

 かまわず、マルティエは続けた。


「そういえば、さっきミゲル君にあったよ。アブラムの親方のことで、大層嘆いていたが、彼は町に残るそうだ。彼にはもう会ったかい?」

「ミゲルが・・・?」

「ああ、親方の仇をとりたいと言っていた。私はそういう理由でこの町に残るのはどうかとは思うが、それでも自警団の彼が居てくれるのは、頼もしい限りだ」

「親方の仇か・・・。で、ミゲルはどこに?」

「彼なら、レバーロックの格納庫で、残ったプレーンを整備すると言っていたな。てっきり、君達の自警団は、まだ我々を守ってくれるのだろうと思っていたがね」

「それは・・・」

 ルナルナが言葉を詰まらせた。


「すまん、今のは意地悪な言い方になってしまった」

 マルティエはルナルナの様子をみて、申し訳なさそうな顔をした。

「いや、別に旦那が謝る事じゃねえ」

 ルナルナは小さく呟いて首を振った。


 マルティエは先ほど受け取ったカルツ酒の瓶とミネラルウォーターを、革製の背負い鞄にしまい込みながら、無人となったメインストリートを見つめた。


「私はこの町を開拓した一人として、この町に残る。おそらく、私のような選択をするものは百人にも満たないかもしれないが、それでも、一縷の希望を持って残るよ」


 彼の言葉は、明らかに、自分自身に向けて発せられたもののようだった。


「一縷の希望って、なんだよ?」

 ルナルナが訊いた。


「生きている限り、足搔く事で変えられる未来があると信じている。私の一族は、そうやって生き続け、この星に辿り着いたのだから」

 マルティエは、穏やかに言い切った。

 彼の決意が、傍から見ればあまりにも楽観的な決意が、至極当然なもののようにアタシに染みてきた。

 彼は、急にアタシを見た。


「ええと、確かラライさんだったね?」

「あ、はい」


 名前を呼ばれて、アタシはドキリとした。


「君は宇宙でも腕利きのパイロットなんだろう。私は戦争とかに関しては、全くの無知なものでね・・・どうなんだい、君の腕をもってしても、あの連中には勝てないのかな」

「それは・・・」

「話を聞いて、正直、私はとても頼もしく思っていたのだよ。まるで蒼翼のライのような、すごいパイロットが、この町の味方になってくれたとね」


 蒼翼のライのようなすごいパイロット・・・か。


 そりゃあね。

 プレーンさえあれば。

 戦う武器が、すべが、この手にあれば・・・さ。


 アタシだって・・・、バロンの仇を・・・。


 アタシは彼の相貌を脳裏に思い浮かべ、そこから溢れ出す負の感情に身を焼かれそうになった。


 いや。

 違う。


 アタシは自分を押し殺した。


 怒りとか悲しみという感情は、間違いを生む。

 とうの昔に気付いたはずじゃないか。

 それで、どれだけ取り返しのつかないことをしてしまったのかも。


 この感情は、動機にしちゃいけない、・・・はずだ。


 アタシが答えを出せずにいるのを、マルティエは優しく受け止めた。

 いいんだ、とでもいうように、静かに話しだした。


「すまないね、余計な事を言ったみたいだ」

「あ、いえ、・・・そんな」

「ただね、私は暴力というものは苦手だが、それでも抗うつもりだ。それは、きっと悪い事ではないだろう」

「・・・マルティエ、さん」


 彼は少しだけ微笑んだ。


「考えてもみてくれ、私達に何の落ち度がある? 罪がある? 私は愚か者かもしれないが、ただ、臆病者ではない。私が抗うのは、ただそれが正当なことだと信じているからだ」

「マルティエの旦那、アンタって人は」

「笑ってくれ。いただいた水と酒の分だけでも、私は長く生き延びてみせるよ」


 アタシが何も言葉も返せずにいると、彼は小さく頭を下げて、それからアタシ達に背を向けた。


 その後ろ姿が少し遠ざかった時。


 アタシは、足先からこみ上げる震えを、全身に覚えた。


 ・・・開拓者。


 流れ者じゃない。

 マルティエさんは、本物の開拓者で、本当に強い人だ。

 そんなすごい人が、アタシのことを「頼もしく」思ってくれていた?


 アタシのことを?


 こんな、気持ちは小っちゃくて、弱っちい。

 一人の力では、自分の道すらも見つけられない、ポンコツな女の事を。


 彼は。

 いや、この町は。

 受け入れて、・・・くれていたんだ。


 気付けば叫んでいた。


「マルティエさん! アタシ・・・アタシっ!」

 その言葉が、アタシ自身の口から放たれたことに、アタシは自分で驚いた。

 ルナルナが、信じられないモノを見るように、アタシを見た。


「守りたい、この町を、・・・マルティエさんのお酒を、それと、雪路さんの診療所や、その、この町に残る全部の人たちを!」

「ラライ、お前・・・」

 驚いた顔で、ルナルナが振り向いた。

「守りたいよ、いや、守らせて欲しいっ!」


 アタシは叫びながら、ルナルナを見つめた。


「ルナルナの夢を壊した奴らに、マリアを傷つけた連中に、そんな事をする資格なんかないんだって思い知らせたい! マルティエさんの気持ちを、開拓者の心を見せつけてやりたい! このまま・・・このままで終わりたくないよっ!!」


 マルティエが足を止めた。

 振り向いてもくれない背中が、アタシの声をちゃんと聞いていると答えていた。


「ルナルナっ!!」

「お、おう」


 急に名前を呼ばれて、ルナルナは気迫に押された。


「アタシ、まだ戦う。この町を、あの連中から守ってみせる。ルナルナ、一緒に戦ってくれるよね!」


 彼女は一瞬首を横に振りかけた。

 だが、アタシの想いを受け止め、それを納得するだけの懐の深さを彼女は持っていた。


 彼女の心を支配しかけていた弱気が薄れ、瞳に明らかな力が戻ってくる。

 唇を真一文字に結び、それから、ルナルナは強く頷いた。


「そうだな、やるか」


 声は、思ったよりもひそやかに流れた。


「やるか、ラライ。オレとお前・・・灰色の月と蒼い翼の二人でよ。あのエンプティハートだってぶっ潰したオレ達だ。勝てねえ相手なんて、・・・いるわけねえよな」


 アタシは彼女の手を握りしめた。


 そうだ。

 アタシ達に立ち向かえない相手はいない。

 アタシ達はまだ生きている、

 生きている限り、きっと戦うすべはあるんだ。


 遠ざかるマルティエの背中が、何故かいつまでも大きく見えた。 


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