シーン54 気がつけばゴーストタウン
いつの間にか眠ってしまっていた。
目を覚ました時、外は明るかった。
夕方? それともまだ朝なのだろうか。
それすらも分からないほど、アタシは疲れていた。
周囲を見回して、自分の居場所を確かめた。
さっきまでは診療所の待合室にいたはずなのに、気付いたらちゃんとベッドに寝ていた。
といっても、見覚えのある部屋ではない。
どうやら無意識に使われていない個室にもぐりこんだらしく、シーツすらないマットレスの上に、そのまま倒れ込んでしまっていたようだ。
アタシはぼんやりと天井を見上げて、それから両腕を思い切り伸ばした。
枕替わりにしていたからだろう。左手がじんじんと痺れてきて、指先まで感覚がなかった。
足音が聞こえた。
部屋の前でぴたりと止まる。
片足を引きずるような、ゆっくりとした歩みだった。
半開きの部屋のドアから、ルナルナが顔をのぞかせた。
「起きたみたいだね、ラライ」
彼女は声をかけてきた。
アタシと同じで、表情には疲れが滲んでいた。
むりやりに微笑を浮かべてみせたが、すぐ、重苦しい感情に負けた。
「ジェリーに聞いたよ、・・・その、お前のカレシ・・・な」
言いかけて、彼女は口を閉じた。
アタシの顔色を見て、余計な事を言ってしまったと思ったのだろう。
「ごめん」
それだけ言って、彼女は部屋に入ってきた。
足を引きずってはいたが、それでも自力で歩けるほどに回復したようだ。
「もう大丈夫なの?」
アタシは訊いた。
「先生のおかげだね。自分でも驚くくらい良くなったよ。痛みとかはあまり無いんだ、ただ、力が入りにくくてね」
「無理しないで座ったら」
「いや、大丈夫だ」
ルナルナは強がるように、ベッドサイドに立った。
アタシは半身を起こして、彼女を見上げた。
「アタシ、どの位、寝てた?」
「まる一日、ってところかな。雪路先生から、ラライが居なくなったって聞かされてさ、あちこち探したら、なんてコトはねえ、こんな所で寝てやがって。それが昨日の夕方だ」
まる一日か。
思った以上に時間が経っていて驚いた。
でも、この体のだるさと不快感は、彼女の言うとおりなのだろう。
「・・・そうだ。マリアは、彼女はどうなったの!?」
ハッとして訊ねると、ルナルナは微かに表情を曇らせた。
「生きてはいる。・・・けど、意識はまだ戻らねえ。ここからが勝負だろうぜ。雪路先生が、ほとんど不眠不休で様子を見てる」
「雪路さんが・・・」
アタシは手術の時の彼女を思い出して、軽い感動と、尊敬にも似た気持ちを抱いた。
「いずれにせよ、マリアに関してはもう、手は尽くした。あとは信じて待つしかねえ。それより、なあラライ、お前立てるか?」
「アタシ? 何言ってるの、立てるわよ」
アタシはそう言って立ち上がった。
思ったよりも下半身に力が入った。
ルナルナが、少しだけ安心したようにまなじりを下げた。
「良かった。一緒に町に行こうって思ってたんだ」
「町に?」
「ああ」
ルナルナの表情に、再び翳が差した。
「オレの店、吹っ飛んじまったんだろ・・・。まだこの目で見てねえし、現実感がゼンゼン無くてさ」
軽く唇を噛み締め、彼女は俯いた。
「アブラムの旦那も、・・・サラも死んじまったんだよな」
アタシは頷いた。
認めたくはないけれど、それはもはや変えられない現実なのだ。
そう。
二人と違って、また遺体は見つかっていないけど。
アタシの大切な人が、もう戻っては来ないことも。
「こんなつもりじゃなかった。お前を巻き込んじまって、オレ、お前にどう謝っていいのかわからねえ」
「ルナルナが謝るような事じゃない・・・よ」
「いや、・・・オレのせいだ」
彼女は拳を握りしめた。
アタシは否定しようとして、辞めた。
あの爆発でバロンが死んだのも、もちろんアブラムやサラが殺された事だって、ルナルナに責任なんかあるわけがない。
だけど、彼女自身がそう感じている以上、誰かの慰めなんて何の役にも立たないだろう。
むしろ。
無責任な優しいだけの言葉は、時として、本当に人を傷つける。
アタシ自身、同じ思いだった。
彼を殺したのは、巻き込んだのはアタシだ。
ルナルナじゃない、これはアタシの責任だ。
歯を食いしばり、声をあげたくなるのを抑え込んだ。
自己否定と自己肯定が、めまぐるしく頭の中で渦巻いた。
違う。
悪いのはアタシ達じゃない。
ストームヴァイパー。いや、ディープパープルか。
名前なんかどうでもいい、とにかくあいつらが悪いんだ。
アタシは怒りと悲しみという、抗えない負の感情を飲み込んで、彼女に肩を貸した。
「どっちにしても、その足じゃあまだ、無理はしない方が良いよ。 町にはⅯランナーで行くんでしょ?」
「まあな、そのつもりだ。・・・大丈夫だって、この足でも運転くらいできるから」
「いいよ、今日は交替しよう。アタシに運転手させてくれない?」
「ラライって、Ⅿランナーの運転できたっけ?」
「バカにしないでよ、誰にモノを言ってるの」
アタシは必死に強気な口調を作って、彼女に向かって口角をあげて見せた。
「初見だって乗りこなしてみせるわよ。運転に関してなら、アタシに操れないものはない。知ってるでしょ」
「・・・ラライ」
ルナルナはきょとんとしてアタシを見て、それから固かった表情からふっと力が抜けた。
「そういや、そうだったな。なんだか忘れちまってたぜ、何せお前はあの・・・」
蒼翼のライ、だ。
アタシは小さく頷いて、続く言葉を遮った。
それから程なく、アタシ達は診療所を後にした。
ジェリーのカーゴシップが横目に見えた。
エルドナからの負傷者たちが、ハッチのあたりに集まっていて、なんだか揉めている様子だった。
気にはなったが、あえて首を突っ込む話でも無さそうだ。
アタシ達は駐機してあるルナルナのⅯランナーに急いだ。
Mランナーは、まるでタイヤのないオートバイだ。
ライダーシートに跨ってエンジンをオンにすると、独特の振動が両腕とお尻に伝わってきた。
少しだけ不安そうに、ルナルナがタンデムシートに座った。
どれ、初操縦だな。
見様見真似だが、何とかなるでしょ。
アタシはアクセルを開けた。
ちょっとだけワクワクした。
機体が滑り出すように前進して、独特の浮遊感に似た感覚が伝わってくる。
いつも後ろに乗っていたから、その乗り心地は知っていたものの、あらためて、これは自分で操縦する方が楽しい乗り物だと感じた。
もしこれが普段のアタシなら、新しい楽しみを発見した喜びで舞い上がっていただろう。
だけど、今日ばかりは、それでも気分が晴れることはなかった。
ルナルナが呆れたようなため息をついた。
アタシが難なく乗りこなしてしまった事に、あらためて感心したようだ。
「さて、とばしていいよね」
「お好きにどーぞ」
「しっかり、ニーグリップしててね」
アタシは勢いよくⅯランナーを走らせた。
これという危険もなく、機体はどこまでも快適に速度を出した。
バロンのトラックで移動するよりも随分とはやく、アタシ達はレバーロックの中心にさしかかった。
見覚えのあるメインストリートに入ってすぐ、異変に気付いた。
スピードを緩めて、周囲に視線を巡らせた。
「誰も・・・居ない?」
呟いたアタシの声は、乾いた風にかき消された。
人の姿が消え失せていた。
ついこの間までは喧噪に包まれていた街角には、ランナーもホバーマシンも見えない。
多くの建物はその扉をぴったりと締め・・・、かと思えば、全てのドアが開けっぱなしで、空っぽになった屋内が丸見えになっている家もある。
これは・・・。
まるでゴーストタウンじゃない。
背中越しに、ルナルナが小さくかぶりを振ったのがわかった。
まもなく、目的の場所に着いた。
絶望的な光景を再び目にし、アタシは胸が苦しくなった。
あの日の惨状が夢では無かったことを、あらためて思い知る。
ランナーを停止させると、ルナルナは素早くタンデムシートから降りた。
彼女はまるで夢遊病者のように、よろめくように数歩進んで、そこで立ち止まった。
アタシよりは広いはずの背中が、ひどく小さなものに見えた。
原形をとどめないほどの瓦礫の山。
これが、彼女が小さな夢を抱いたお店、ブルーウィングなのだ。
覚悟はしていたのだろうけど、目の当たりにした彼女のショックを想うと、簡単には言葉が出なかった。
しばらくの間、お互いに無言だった。
まだ煙の臭いが周囲には残っていて、なんだか吐き気を覚えた。
どれくらいそうしていただろうか、ルナルナはようやく動き出した。
片足を微かに引きながら、瓦礫の中へと一歩ずつ踏み込んでいく。
体をかがめて、何かを探しているように見えた。
アタシは彼女を追った。
「どうしたの、探し物?」
尋ねると、彼女は振り向きもせずに頷いた。
「もしかしたら、オレの部屋だけでも残ってねえかな。ほら、地下にあるだろ。簡易シェルターになってるし・・・。入り口は確か・・・このあたりになるはずだ」
なるほど。
以前、確かにそんな事を言っていたっけな。
アタシは顔を上げて、瓦礫の山を眺めた。
「もう少し奥だと思うよ、グラス棚があそこにあるもん」
「ああ、ホントだ」
ルナルナは瓦礫の上を乗り越えて、奥へと進んだ。
追いかけようとして、アタシは足をひっかけて転びかけた。
何とか転倒しなくて済んだものの、ズボンの膝下がビリリと破けて、白い脛がむき出しになった。
ったく、何でアタシはこんなにどんくさいんだ。
内心で自分に悪態をついていると、ルナルナの怒り交じりの声が飛びこんできた。
「ちっくしょう、やられた!」
アタシは声の方へ急いだ。
ルナルナが憤然として立っていた。
彼女の足元には、地下室への入り口がぽっかりと開いていた。
奥の方は薄暗くて見えないが、階段が丸見えになっていた。
「入り口が開いてやがる、先に誰かに入られた。見ろよ」
「ああ~」
アタシは頷いた。
緊急用の防護板が、内側から開かれた形になっていた。
よく見ると内側の床や壁は綺麗で、爆発時にはこの扉は閉まっていて、その後で開かれたものだと推測できた。
「まさか、火事場ドロみたいなこと・・・」
「そのまさかだよ、くそ、どこのどいつだ!」
声を荒げながら、ルナルナは階段を降りていった。
アタシはそそくさと後からついていった。
そこは見覚えのある彼女の私室だった。
何回か一緒に寝たベッドはそのままで、一見すると特に荒らされた形跡もないようだ。
しかし、彼女は周囲を一瞥してから、おもむろにクローゼットを開いた。
「っつ、マジか」
「何か、無くなってるの、ルナルナ!?」
「緊急避難用のセット一式が無え。食料とか、簡易製水機とかもな」
「やっぱり盗られたの? 他には?」
「まって、今見てみる」
アタシは彼女の横からクローゼットを覗き込んだ。
「変だな。日用品は盗まれてるけど、金目のものは残してある・・・」
「金目の物って?」
「クレジットキーに、護身用の銃。これなんか売れば200万ニート以上は固いぜ」
「お金そのものには困ってないってコトかな」
「あっ、ちょっと待った、うえ、嘘だろ・・・」
「どうしたの?」
ルナルナはベッドサイドにしゃがみこんで、顔を真っ赤にしていた。
「オレの・・・下着とか、その、プライベートのモノが、色々無え・・・」
「色々って!?」
「バカ、わかんだろ、オレにだって人に見せたくねえものくらいあるんだよ!」
アタシは彼女の横にかがんだ。
すると確かに、彼女のベッドの下にあった引き出しが半開きになり、そこの中身が、ぐちゃぐちゃに荒らされているのが見えた。
「くっそおー、どこの変態野郎だ、オレの部屋を・・・」
ルナルナが忌々し気にベッドを叩いた時だった。
「誰だ? まだそこに誰かいるのか?」
突然頭の上から声がした。
なじみ深い程ではないが、確かにどこかでは聞き覚えのある男性の声だった。
「そっちこそ誰だ!?」
ルナルナが反射的に聞き返した。
アタシは顔を上げて、階段の上からこちらを覗き込む男のシルエットを見上げた。




