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シーン53 喪失と後悔と

 そこから、何がどうなったのかは記憶がない。

 気付いた時には、アタシは診療所の薄暗い廊下に立っていて、響いてくる人々の声が鼓膜を揺らしていた。


 『出血が多すぎるわ! すでにショック状態に入ってる! 輸血が必要よ! リップロットさん、あなた、輸血は可能よね?』


 女の声だった。


 続いて、老人が泣き喚いているのが聞こえた。


 『わしでは・・・、マリアには無理じゃ。わしの・・・わしの血は使えんのじゃ』

 『抗体を気にしてるなら大丈夫よ・・・もしかして何か事情があるの? ・・・仕方ない、だったら他の人達に協力を求めないと。幸いここには地球系が多いから・・・』

 『無理じゃ、地球系の血では輸血できん。マリアは、・・・この子は地球人の血を引いておらんのじゃ・・・』

 『えっ? リップロットさん、それって・・・』


 思考が定まらないまま、光が滲む廊下の奥を見つめた。


 雪路。それにリップロットさんの声だ。


 マリアの事を話している・・・?

 そうか、彼女の容態が危険なのか。


 自分でも驚くくらい、感情が麻痺していた。

 いつものアタシなら、きっと動転して泣きだしている筈なのに、心の奥が乾いて、何の言葉も感傷も生まれてこない。


 診療所の玄関が、壊れるくらいの勢いで開く音がした。

 続いて、駆ける足音が近づいてくる。


 振り返ると、必死の形相を浮かべて、狼の顔をした男が廊下を走り抜けていった。

 あれは、ジェリーだ。

 ものすごい剣幕で何かを叫んでいる・・・いや、訴えているのか?

 むせび泣く老人の声が続いていた。

 それから誰かを呼ぶ声がした。


 誰か・・・?

 いや、誰かじゃない。


 この声は、アタシを呼んでいる?


 アタシはふらりと歩き出した。

 呼ばれるまま、明かりの漏れる部屋の前に辿り着き、瞳をあげる。

 処置室と書かれたプレートが見えた。


 急激に、現実が目の前に形を成した。


「ぼーっとしないで! ラライ」

 雪路の声がアタシの横面を張った。


「その器具を急いでジェリーの腕にセットして! 線を肘の中央に合わせてロックすれば、自動で動くから」


 ベッドの上には、まだ血まみれのままのマリアが横たわっていた。

 そのすぐ隣に、もう一つのベッドが用意され、ジェリーが半身を起こしている。

 部屋の隅で、リップロットが小さく蹲っていた。


 アタシの脳は、まだ混濁していた。

 それでも、指先が勝手に動いて、円筒状の医療器具を手にした。


「もっとキビキビ動く!」

 雪路の声が飛んだ。


 アタシは彼女が言う通りに動いた。

 器具をセットし、正常に運転を開始するのを見つめる。

 アタシの行為を確認もせずに、雪路は次の指示を飛ばしてきた。


「胸にこっちの機械をつけて、それが終わったら、私の横に来て」

 彼女はマリアの衣服を切り裂き、出血している部分にスプレー状の薬剤をあてていた。


「輸血を続けながら、マリアの体から異物を取り除くわ。ラライはそっちの計器を見て、数字が見えるでしょ、どっちかが赤ランプになったら、すぐにそこのレベルを上げて」


 これか。

 使い方はよくわからないけど、とりあえず難しい操作ではなさそうだ。


「臓器の損傷を確認したら、生命維持装置を取り付ける。えーと、そこの器具をとれる」

「維持装置・・・?」

「疑問なんて持たない! 手が必要なの、貴女は私の手として動きなさい!」

「は・・・はい」


 アタシは雪路の気迫に押される形になった。


 なんだか夢の中にいるような、不思議な感覚だった。

 だけど、雪路の指示は的確だった。

 アタシの精神状態までも把握したうえで、彼女はどこまでも毅然としていた。

 アタシは、文字通り彼女の手足になり、いつの間にか、彼女の指示を聞き逃すまいと必死になっていた。


 数字が赤に変わる。


「ラライっ!!」


 計器を見てもいないのに、アタシより早く雪路は叫んだ。

 咄嗟に器具のレベルスイッチを操作すると、どこからかシューという音がして、マリアの胸元が上下するのがわかった。


 マリア。


 アタシはあらためて彼女を見つめた。

 傷は腹部だけでは無かった。

 肩や大腿部にも出血が見えるし、あれほど均整の取れた美しい顔にも、むごたらしい傷がついている。


 普通なら、助からない。

 彼女は・・・死ぬのだろうか。


 弱気な思いは、即座に見抜かれた。

 雪路が一瞬だけ顔をあげた。


「ラライ、意識をしっかりと持って!」

「え・・・はい」


 鬼気迫る視線に射貫かれて、アタシはハッと息を飲んだ。

 黒い瞳には、医師として人の命を繋ごうとする、彼女の強い意志が浮かんでいた。


「貴女がショックなのはわかる。だけど今は現実だけを見なさい! マリアは生きている。私は、絶対にこの子を救けてみせる。どんな事があっても、諦めることは許さないわ」

 雪路はそう言って、深々と刺さっていた血まみれの金属片をトレイへと移した。


「雪路さん・・・」


 そうだ。


 彼女の言う通りだ。


 アタシはなんだか自分が情けなくなって、思いきり唇をかんだ。


 今はマリアを助けなきゃいけないんだ。

 アタシになんて、何も出来ないけど。

 それでも、雪路がアタシを必要としているなら、やらなきゃいけない。


 アタシはようやく、自分が今、何をしているのかをはっきりと自覚した。

 まだ、感情のコントロールはできていなかったが、それでも意識に意志が繋がってきた。

 雪路が小さく頷いて、再び眼差しをマリアへと向けた。


 救命手術は、数時間以上も続いた。

 いつの間にか、窓の外がうっすらと明るくなっていた。

 山際に光がさし、空が薄紫の輝きをまとって、静かに広がった。

 鳥の声が聞こえる。

 風が、少しだけ涼しくなったように感じた。



「もういいわ、ありがとう」


 薄い手袋を外して、雪路が額の汗を拭った。

 マリアの肉体が、安静用の無菌ボックスに納められたのが見えた。


 アタシはロクな返事も出来なかった。


 手術が終わった時には、アタシは疲労困憊になって、またしても意識が混濁としていた。

 彼女は助かったのか、それともすべてが無駄に終わったのか。

 それすらもわからないほどに、アタシは疲れ切っていた。


「ちょっと休みなさい、ひどい顔よ」


 雪路の言葉にうなずいて、ふらふらと廊下へと戻る。


 一人になった瞬間、昨夜の光景がフラシュバックした。

 瓦礫となったブルーウィングと、ウォルターの言葉。


 ・・・アンタの彼氏は生きちゃいねえよ。


 その言葉が脳裏に貼りついて離れなかった。


 心が砕ける音が聞こえるようだった。

 涙は一滴も出なかった。

 感情が凍り付いて、ただ心臓だけがバクバクと音を立てた。

 眩暈がする。

 立っているのが辛くなった。それなのに、じっと落ち着くことも出来なかった。

 意味もなく廊下を彷徨って、何度も窓の外に顔を出して息を吸った。

 その内に、何も無い所でつまずいて転んだ。

 既に怪我している膝がしらを、またもや思い切り打ってしまった。

 痛みに耐えかねて、仕方なく待合室の長椅子に腰を下ろした。


 気付いたら、向かい合うように、リップロットが座っていた。

 彼は両手で頭を抱え込むようにして、静かに泣いていた。

 ポケットを探ってハンカチを差し出した。

 アタシは泣けなかったから、ハンカチは必要なかった。


 リップロットはお世辞にも綺麗とは言えないアタシのハンカチを大事そうに受け取った。


 しばらく時間がそのまま過ぎた。


「マリアはな・・・」

 まえぶれもなく、ぽつり、とリップロットは話し始めた。


 アタシは虚ろな眼差しを、震える彼の肩へと向けた。


「マリアは・・・わしの実の孫では無いんじゃ」

 しぼり出すような声だった。


 彼の告白を、別段意外とも思わずにアタシは聞いた。


 薄々、そんな気はしていた。

 何故そう思ったのか分からないが、彼の言葉をアタシはすんなりと受け入れた。


「ベルニアでの内戦に、エレスの駐屯部隊として地球系の儂らが派遣された時の話じゃ」

 リップロットの言葉は続いた。


 ベルニアか。

 ジェリーや、アタシの旧友ロアの故郷だ。


「融和主義の政府が受け入れた移民と、現地の先住人類との諍いが発端じゃった。まあ、どこの星系でも、よくある話じゃがな」

 アタシは頷いた。


 そう。

 よくある話、決して珍しい話じゃない。


「ある時、テアード系移民の町が襲撃にあった、それで、わしらに報復攻撃の指令が来た」


 遠くで、獣の鳴き声が聞こえた。


「密林地帯にあったゲリラの拠点を突き止めて制圧した。わしは白兵部隊の小隊を指揮していてな」

「いわゆる突入部隊ね」

 アタシは初めて、彼の言葉に相づちを返した。


「そこで、わしは初めてベルニアの先住人類と接触した。それで、愕然としたよ」

「何があったの?」

「先入観と違った、つまりな、わしはベルニアの人類を、もっと化物みたいな連中かと思っておった。ほら、あのジェリーのようにな」

「ジェリーは化物じゃないわ。それに・・・」


 ジェリーが居なければ、マリアは救えなかった。

 その事実を彼も知っているはずなのに、それでもこういった言葉が生まれるほど、人の心というものは簡単にはできていないのだろう。


「分かっておるよ」

 申し訳なさそうに、リップロットは頷いた。

 彼自身、自分の狭量さを悔いているような表情だった。


「ベルニアの拠点に住んでいたのは、わしらと同じ顔や肉体を持った連中だった」

「獣人種じゃなかったってコトね」

 リップロットは否定も肯定もしなかった。


「少なくとも、見た目はわしらと何も変わらんかった」


 ・・・テアード? いや、違うかな。


「おそらく、彼らがベルニアの純潔種なんじゃろう」

 と、彼は推測を口にした。


 なるほど、ベルニアの純血種か。

 アタシはなんとなく納得できた。


 アタシの知識もいい加減ではあるが、宇宙の人類が同じエレスシードを核として持っている以上、テアードと同様に進化したベルニア人がいても何の不思議もない。

 もちろん、多種多様に進化し、一つの惑星内での多様進化が特徴的ともいえるベルニアにおいて、その存在はとても希少だろう。もしかしたら現在は更にその数を減らしてしまっているかもしれない。


「わしは彼らを殺した。中には、無抵抗の女や子供もいた。だが、殺しつくすように命じられていた。だから撃って、撃って、・・・・撃ち尽くした」


 その声に含まれた後悔の感情に、アタシは同情にも似た思いを抱きかけた。

 だが、どこかで何かが違っていた。

 不思議と冷めた思いが広がって、なんだかただ単にこの老人が哀れなだけに思えてきた。


 そう。


 彼は兵士だったのだから。

 それが戦場なら、相手が誰であれ殺すのは当然だ。

 勝利する事が正義。

 そこに逆らうのは、悪。


 仕方のない・・・コト?


「全てを殺しつくして、わしは撤収の声を聞いた」

「・・・・」

 アタシの目を、彼は見つめかえす事ができなかった。


「禍根を残さぬよう、わしは制圧した拠点のあちこちにナパームを仕掛けて歩いた。その時じゃった、わしがあの子を見つけたのは」


 ああ、なるほど。

 アタシは彼の言葉の続きが予測できた。

 彼は、見てしまったのだ。

 現実を、そう、自らが正当化してきた非道を。


「灰にまみれた小さな網駕籠の中に、マリアがおった。まだ、何も知らない小さな赤子だった。それがな、わしに笑いかけたのじゃ。血まみれのわしに・・・、おのれの両親を殺したであろう、・・・このわしに向かってな・・・」


 リップロットはブルブルと震えた。


 それで、彼も気付いたというワケ・・・か。

 アタシは納得した。

 そう、かつてアタシもその恐怖を経験した。


「蒼翼のライ」だった頃。

 復讐を正義に置き換え、自らの行為を正当化していた日々。

 正しい事なんか、この世の中に一つもなくって。

 全部、おのれの都合の為に作り上げたまやかしでしかなくて。


 それに気づいたのは、もう、すでに遅すぎるくらいに、人を殺めた後だった。


「蒼翼のライ」

 ライは、嘘つきのライだ。


 リップロットの昔話は、その後も続いた。


 彼はマリアを殺す事が出来なかった。

 無垢な命を助け、それを贖罪とする事で、自らの非道に耐えうる術としたのだ。


 リップロットは軍法に背いた。

 マリアを連れ、脱走兵となった。

 もはやエレス宇宙同盟に居場所はなく、人目を避け、様々な星を渡り歩いて、この法の届かない外宇宙の星、フォーリナーに辿り着いた。


 彼は、この星でようやく平穏を見つけた。

 そう思った。


 マリアは、真実を何も知らないまま、彼を祖父だと信じてくれた。

 いや。

 本当は何かに気付いているのかもしれない。

 それでも、マリアは彼の孫娘であり続けてくれた。


 だが彼女は、あろう事かベルニア人のジェリーと恋仲になった。

 それは、彼女に流れるベルニアの血が故なのかもしれない。

 だからリップロットは、二人が惹かれ合うのを怖れた。

 彼らが結びつく事が、まるでかつての自分の罪を蘇らせてしまうように、感じてしまったのかもしれない。


「なんで・・・」


 震える声で、リップロットは呟いた。


「なんで、わしなんぞを救おうとしたのじゃ、マリア・・・」

 彼の思いは、静かにアタシの胸に沈んだ。


 答えなんか、考えなくても分かる。

 それでも、その答えを口にするのは、アタシの役割では無かった。


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