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シーン40 ちっぽけな世界とちっぽけな夢

 

 窓の外は真っ暗な夜が広がっていた。

 部屋の灯りがガラスに反射しているせいで、せっかくの星空が見えない。


 病室という禁断の部屋で開かれた酒宴は、少し前に終わった。

 室内には酒や食べ物の臭いが残ったまま、妙に静かで白々しかった。


 ジェリーとマリアは、早々に二人で雲隠れした。

 難しい話し合いが一区切りつくと、二人は連れだって部屋を出て行ったきり、そのまま戻ってこなかった。


 まあ、ジェリーの心情を察すれば、今さらレバーロックの住民と仲良しこよしってワケではないんだろうし、せっかく久し振りに会った恋人同士だもの、二人きりになりたい気持ちはよく分かる。


 少し前、窓に顔を近づけて外を見た時、カーゴトラックのコクピットに灯りが灯っていた。

 これ以上は野暮な詮索はしないけど・・・。

 あそこで二人がどんな語らいをしているのか、ついつい余計な想像が頭をめぐった。



 アブラムの親方は相当に酔いが回った様子だった。

 絡み酒になりかけたところで、サバティーノが上手い具合に彼を連れて出してくれた。

 彼はだいぶ加減していたと見えて、アブラムを家まで送り届けると言い残し、これまた二人で帰ってしまった。


 で、結局最後まで残ったのはルナルナと雪路だ。


 二人ともこっちが心配になる程の勢いでグラスを開けていたが、最後の方になると、突然勝負を始めだした。


 何のことはない。

 アタシの身柄解放を巡っての対決だ。

 ルナルナは明日にもアタシを退院させてほしいと雪路に頼みこんだ。

 もちろん、雪路の答えはNOだった。

 そこでルナルナは、もし、さし飲みで雪路に勝ったら、彼女の要望を聞き入れてくれるようにと持ち掛けたのだ。


 雪路は受けて立った。

 そのかわり、先にルナルナが潰れたら、アタシの退院は予定通り明後日以降となり、さらに、ルナルナには雪路の人体研究のモデルになる事を承認させた。


 ったく。

 どうでもいいけど、アタシの意志は無関係ですか。


 文句を言おうとしたが、結局アタシの言葉なんか耳に入りそうな雰囲気じゃなかった。

 仕方なく、アタシはふて寝して二人の戦いの行方を見守った、


 ルナルナがお酒に強いのは昔から知ってるし、この分だと、ルナルナの楽勝でしょ。


 だが、アタシのそんな予想は裏切られた。


 ってーか。

 雪路って何者なの?


 結局、ルナルナは自分で持ち込んだ酒を、雪路の方はジェリーの荷物からせしめた日本酒を綺麗に飲みつくし、それでもまだ決着はつかなかった。


 そこまでくると、アタシも流石についていけない。

 ただ、かといって止める勇気もない。


 それから一時間くらいはそんな状況が続いたろうか。

 アタシはもう眠くなって、半分夢の国に居た。


 気付いたら、二人の姿が消えていた。


 雪路が続きは自分の部屋でしようと話す声が、うっすらと聞こえたような気がする。


 ったく、とんでもない連中だ。

 あんな調子で飲み続けて、明日の朝には大変なことになるんじゃないだろうか。


 そういえば、雪路の部屋も地下にあったな。

 ルナルナといい雪路といい、どうして地下に私室を作るのだろう。

 アタシなら見晴らしのいい二階にでも部屋が欲しいと思うのに、ね。


 そんな他愛も無い疑問を浮かべる横で、バロンがふわあと大きなあくびをした。


 そうか、彼が居たんだっけ。

 さっきから、なんだか安心していられるなと思ったのは、彼が側に居てくれたからか。


 アタシが薄目を開けると、彼の背中が視界に入った。


 バロンはお酒をしっかりとセーブしてくれたみたいだった。

 あの様子だと、酔っている感じはない。

 彼は酒宴で散らかったゴミや、食べかけの食品を片付けてくれているところだった。

 ようやく一息ついたらしく、彼が動きを止めると、周囲に静けさが満ちてくる。

 彼が振り返った瞬間、目が合った。

 アタシが身を起こすと、彼は一瞬嬉しそうな顔をした。


「横になってなくて大丈夫でやんすか?」

 彼はベッドの隣に椅子を引き寄せて座った。

 アタシは不自然に視線を逃がして、窓の外に目を向けた。


「部屋が明るすぎて、うまく星が見えないね」

「星でやんすか?」

 意外そうに彼は言った。


「星なんて、今さら珍しくもなんともないでやんしょ」

「地上から見上げるのは、少しだけ違って見えるのよ」

「そんなもんでやんすかね」

「そうよ」

 アタシは彼を振り向いた。

 不意打ちでアタシの笑顔をくらって、バロンはどぎまぎした顔になった。


「そう言われても~、星なんて、宙で見慣れてるでやんすからね」


 微かに声が上ずっている。

 アタシは気付かないふりをした。


「あら、バロンさんらしくない。・・・思ったよりもロマンが無いのね」

「そうでやんすかね。・あっしは生粋の宇宙っ子でやんすから、あんまりピンとこなかったでやんす」


 バロンは頭を掻いて、自分も窓の外を眺めた。

 窓に室内灯が反射してしまって、自分の顔ばかりが大きく映った。


 そりゃあ、彼の言う通りだ。

 宇宙生活者にとって、満天の星なんて見慣れたものだし、いわば日常の景色に過ぎない。

 むしろ、見飽きてしまって、星の見えない夜空の方が面白い、なんて思う人もいるだろう。

 それでも、アタシは星を眺めるのが好きだった。


 彼は壁のスイッチに触れた。

 ゆるやかに、部屋の照明が弱くなる。

 窓の外の夜空が、さっきよりも鮮明に見えてきた。


「綺麗」

 アタシの呟きは、唇の内側で消えた。


 しばらくの間、二人とも無言になった。

 沈黙が不思議と心地よかったし、頭の中がだんだんと落ち着いてくる。

 彼もまた、そんなアタシの時間を守ってくれているようだった。


 どの位そうしていただろうか。


「ラライさんの命に別状がなくて、本当に良かったでやんす」

 ぽつりと彼が言った。


 そうね。


 返事も頷きもせずに、アタシは流れ星を見た。

 彼を無視したわけじゃなく、ただ、何かを答えるのが、すごく億劫に感じた。


 静かな時間が胸の奥にすっと流れ込んでくる。

 それと同時に、アタシの脳裏には、今日までの出来事がフラッシュバックになって蘇った。


 彼の言う通りだ。

 本当に、今回は危なかった。


 この数日間の、彼の心労を思うと申し訳がない。

 命の危険だったっていう実感は全くないが、皆の話を聞く限り、本当に危険な状態だったのは明らかだ。

 ちゃんと目覚める事が出来たから良かったものの、もしかしたら、全てが終わっていたかもしれない。


 もしそうなっていたら・・・。

 今日のせわしない一日に交わした沢山の言葉も、笑顔も怒りすらも、全てが夢の果てに消えていたのだ。


 アタシはなんだか、体の芯が冷たくなっていくのを感じた。


 喩えようのない怖れがむくむくと鎌首をもたげ、それから悲しみに似た感情が呼び起こされた。


 死ぬことは悲しいし、とても怖い。

 それは、当然のこと。


 だけど・・・。


 アタシは、乱れ始めた感情の原因を、・・・すぐ側にある彼の横顔を見つめた。


 アタシが死んで、一番悲しむのは誰だろう。


 アタシ自身はきっと、悲しくなんてない。

 きっと自分自身の死を、アタシは自覚なんて出来ないからだ。

 多分それは、何も知らないのと一緒のことで、失った事すらも、わからずに終わる。

 だから、そこに怖れなんかない。


 でも。


 きっと彼は悲しむ。

 彼だけじゃない。

 アタシなんかの死を、きっと、幾人かの友人たちは悲しむ。

 誰かが悲しむことを知ってしまったのは、それはとても辛い。


 辛くて苦しくて、だったらいっそ、知らなければよかったってさえ思う。

 なのに、胸の奥の奥では。

 誰かを悲しませることになろうとも、そこに喜びを覚えてしまった自分がいる。


 ああ。

 アタシはそれを思って、長い溜息をついた。



 アタシはきっと、何かに触れてしまった。

 そうだ。

 見つけてしまったんだ。


 ぎゅっとこぶしを握り締めて、奥歯に軽く力を込めた。

 バロンが側に寄った。


 まったくもう。

 彼ってどこまでアタシの感情に敏感なのさ。

 つまらない感傷だってのに、あっという間に悟られちゃうんだもの。


 バロンはアタシに寄り添って、肩を抱くように体を引き寄せた。


 これは、逆らえない。

 なおも霞む星空に視線を向けて、甘えたくなる自分の気持ちに喝を入れた。


 そろそろ、宇宙が恋しくなってきた。

 やっぱりアタシの居場所は、あの宙の中にある。そんな気がして仕方なかった。


「ラライさん、何を考えてるんでやんすか」

 バロンがぽつりと聞いてきた。


「別に何にも」

 答えてから、ぶっきらぼうになりすぎてしまったと思って、慌てて言葉をつけたした。


「たださ、幸せって何かなあって思ってた」

「幸せ・・・でやんすか?」

「そう。幸せ」


 どうしてこんな事を思ってしまったのか分からない。

 もしかしたら、星空がアタシをナーバスにさせたのかもしれない。


「バロンさんにとっての幸せって・・・何処にあるの?」

 アタシは、本当に何気なく訊いた。

 それがどんなに答えにくい質問だったのか、想像もしなかった。


「どこ・・・でやんしょね」

 彼の声に微かな戸惑いが混じっていた。

 別に、アタシは答えを求めていなかった。

 ただ、彼の腕の中に居るという温もりを長引かせるためだけに、アタシは言葉を紡いだ。


「昔さ、聞いた事があるんだ」


 視界の片隅に、流れ星が走った。


「アタシ達の住む宇宙なんて、すごくちっぽけな世界でさ。喩えるならね、手のひらですくった水たまりみたいなモノだって。何にもしなくても、自然に指の隙間からこぼれて、いつの間にか消えてしまうくらい一瞬の世界。広大な宇宙の中では、所詮そんなものだって」


「消えてしまう世界でやんすか。でも、少しくらいは掌に残るんでやんしょ」

「そうかもね。でも、いつかは消えてしまう」


 彼の視線を感じた。

 バロンはアタシが何でこんな話をするのか、その意図をくみきれずにいるようだった。


「だけどさ、アタシはこうも思うんだ。ちっぽけな世界の中でも良いじゃない、どうせ、アタシの幸せなんかちっぽけなモノなんだから。もしかしたら、こぼれた先の地面の上で泥まみれになった水たまりの中でだって、アタシはちっぽけな夢を探せるかもって」

「夢なら、あっしにもあるでやんすよ」

「バロンさんの夢って」


 アタシは彼の眼を見つめた。


「やっぱりライに勝って宇宙一のプレーンパイロットになる事?」

「それもあるでやんすけど」

「他にあるの? ねえ、どんな夢?」

「それはでやんすね・・・うーん、まだ、ちょっと内緒にしておくでやんす」

「えー、なにソレ」


 アタシが非難交じりに彼の頬をつねると、彼ははぐらかすように笑った。


「そういうラライさんの夢って、なんでやんすか」

「自分は秘密主義のくせに、それを聞いちゃうの?」

「ラライさんの回答次第では、あっしも打ち明けるつもりでやんす」

「なんだか、それってずるくない?」

「もとはといえば、ラライさんが始めた話でやんすよ」


 そりゃそうだけどさ。

 アタシは夜空と彼を見比べて、それからもう一度、小さなため息をついた。


「アタシはさー、ちゃんとした人間になりたいんだ」

「!?」


 バロンが「えっ?」という顔になった。

 話の切り口を間違えたかな。これじゃアタシ、人間じゃないみたいな話し方じゃない。

 だけど、今さら話を戻せない。


「あの、つまりね。感情が豊かで、人間味あふれた人間ってコト」

「それなら十分、ラライさんは人間味が溢れてると思うでやんすよ」

「ううん、違うの」


 アタシは首を振った。


「アタシね、昔を思い返すと。なんだか怒りとか憎しみとか、悲しみ・・・、そんなマイナスの感情にばっかり流されて生きてきたような気がしてさ」


 バロンの眼が、いつになく真剣なものになって、じっとアタシの言葉に耳を傾けた。


「それはそれで、アタシの生き方には違いないんだけど、もっと喜びとか、楽しみとか、色々な感情に巡り会えたらいいなって、思ってて」


 言葉がうまく回らない。

 困ったな、アタシの唇。

 思いがゼンゼン乗ってこないや。


「つまりその、最近なってからなんだよね。こうして笑えるようになったり、誰かと楽しめるようになってきたのって」

「ラライさん・・・」

「そう」


 アタシは頷いて。

 それからやっと、自分の感情が揺らぐ原因を認めた。


 そうか。

 アタシって、幸せなんだ。


 この、今のアタシの状況。


 バロンが居て。

 ルナルナが居て。

 それに、まだまだたくさんの仲間に囲まれて生きている。


 これは、幸せでなくて何だろう。


 もしかして、夢なんか、とっくに叶っているのかもしれない。


 アタシはそんな当たり前のことに気付きながら、同時に身震いを覚えた。


 だけど、それって。

 何かを手に入れてしまうのって、すごく、すごく怖い気がする。

 だって、手に入れてしまったら、今度はそれを失う事に、怯えなくちゃならない。


 アタシは急激に背中に冷たいものが流れるのを覚えた。


 幸せに、なりたい。

 だけど、幸せを失う事を知りたくない。


 これって、矛盾・・・してる?


 矛盾か。


 突然、彼の手に力がこもった。

 ぎゅっと抱きしめられ、体が反射的に固くなる。

 彼の体に頬が押し付けられた瞬間、アタシの頬を何かが伝って落ちた。


 ああ。

 これって、涙だ。

 バッカみたい、なんでアタシ泣いてるんだろう。


 心臓がバクバクと音を立てた。

 いつの間にか泣いていた。


 理由なんかわからない。

 わかるもんか。

 人の感情なんて、そんなに簡単なものじゃないんだ。


 だけど、確かな事は一つある。

 彼に抱きしめられている間の、この温もりの時間。

 これが、アタシを不安にさせるんだ。


 アタシはぎゅっと、彼の体を抱きしめた。


「側に居て」

 と、アタシの唇は勝手に呟いていた。


 お願い。このちっぽけな夢を、誰も壊さないで。

 彼と一緒に居たい、ただそれだけの夢を。


 全部、この静けさが悪い。

 急に静かになったりするから、二人だけにしたりするから。

 アタシの感傷は、止まらなくなっちゃった。


「どんな時も、ずっと、あっしが隣に居るでやんすよ、たとえあっしが・・・」


 彼の言葉を、アタシは遮った。

 唇と唇の向こうで、また一つ星が流れた。



いつもお読みくださっている方

ブックマークや評価をして頂いた方、本当にありがとうございます。


物語も、折り返し地点です。

次回からは、いよいよ後半戦!

引き続き、よろしくお願いします。


コメントや感想など、気軽にお声を聞かせてください。

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