シーン39 ディープ・パープル
「テシーアを知ってるの? ルナルナ?」
アタシは聞き返した。
「お前こそ、何でその名前を知ってるんだ」
「峡谷で出くわしたプレーンのパイロットよ。その女が、自分で、そう名乗ったわ」
「は・・・まさかアイツが・・・。悪い冗談にも程があるぜ」
「ルナリー、何者なんだ、そいつは?」
アブラムが身を乗り出した。
雪路が足を組みなおすのが見えた。
いつの間にかマリアも戻ってきていて、不安そうな顔でジェリーの隣に並んでいた。
ルナルナは、話すのを躊躇うようなそぶりをした。
それが何故なのかはわからない。
問いかけようとして、彼女の不安げな瞳に言葉をのみ込んだ。
「テシーア・ベント・・・。その名前なら僕も知っていますよ」
サバティーノが彼女のかわりに口を開いた。
「奇遇ね、私も聞いた事があるわ」
「雪路さんも?」
アタシは声の主が誰かを知って、声を裏返した。
雪路は手にした一升瓶から、白い茶碗に日本酒をなみなみと注いでいた。
もともと白い顔に朱がさして、やけに艶めいて見える。
彼女は膨らんだ唇の端に、不安の影をよぎらせた。
「かなり前の話ね、私がまだエレス軍に籍を置いて、従軍していた時だったわ」
「へえ、雪路さんって、昔は軍人さんだったんですか」
「まさか。あくまで軍医としてよ。トーマ内戦の末期ね、まあ、アルバイトみたいなものだったけど」
トーマの内戦か。
アタシも、その惨劇については聞き及んでいた。
「前線に近い所に居たから、傷病者が次々と来てね。自然と色々な噂が聞こえてくるわけ。そんな中だったわね、その名前を耳にしたのは」
戦場でってことは、やっぱりテシーアは傭兵なんだろうか。
確かに自分でもそう名乗っていたわけだし、もしその肩書が本当なら、雪路が戦場で名前を聞いた事にも頷ける。
だが。
彼女は思いもかけない言葉を続けた。
「トーマのゲリラ勢力に物資を提供している組織があってね。それもタダ同然で。それを指揮していたのが、今、名前の出ていた女よ」
「え? 傭兵じゃないの?」
雪路は首を横に振った。
「違うわ。ゲリラの支援協力者よ」
「どこの組織だ」
アブラムが目を細めた。
「地球系の兵器製造会社ね。いわゆる死の商人よ。表向きはアストラルカンパニーとかいう名前だったけど、知ってるかしら?」
「アストラルって!」
思わず大声を上げてしまった。
アストラルカンパニー。
その名前は、アタシの記憶にもまだ新しい。
今でこそ過去の存在となった兵器会社だが、そこに残された負の遺産の売却を巡って、アタシは大変な事件に巻き込まれたのだ。
犯罪結社とも深いつながりがあったりして、今となってはその実態も不明だが、まともな会社じゃなかった事だけは確かだ。
「テシーア・ベントは、そのアストラルカンパニーの人間よ」
雪路は言い切った。
アタシの隣で、バロンも深刻な表情になった。
そういえば彼も、例の事件の時には地球でアストラルの工場に潜入したりしたんだっけ。
それにしても。
テシーアが、あのアストラルカンパニーの生き残りなんてね。
ちょっと、にわかには信じられない。
と、思っていると、サバティーノが口を挟んだ。
「その噂は、僕も耳に挟んだことがあります。ですが、僕はもう一つ、別の話を聞いた事があるんですよ」
彼はアタシに眼差しを向けた。
「犯罪組織、ブラッディリップスの一員だって、聞いてます」
おっと。
これまた驚きの発言だった。
今度はブラッディリップスときたか。
この名前も、何度か耳にしているし、若干の因縁もある。
バロンの仲間でもある宇宙海賊のメンバー、ヘッドレスホーセズの4人がかつて所属していた勢力で、アストラルとは違って。現在もバリバリ悪業非道を続けている凶悪組織だ。
「冷酷非情な女殺し屋、という噂でしてね。レダンの庭事件でエレス評議会のベルモット議員を狙撃したのが、そのテシーア・ベントだって噂ですよ」
「あれか。せっかく調停寸前だったベルニアの内戦を、再燃させるきっかけになっちまった奴だな」
「さすが親方、よくご存じで」
「そりゃあ、その位はよ」
得意げに答えるアブラムの向こうで、ベルニア人のジェリーが一瞬だけ厳しい顔をした。
隣に座るマリアが、何も気づかない様子で、軽く体を彼にもたれさせるのが見えた。
「なるほど、ブラックな兵器会社の一員で、冷酷な女殺し屋か。どっちの正体が真実にしても、ロクなもんじゃねえな」
アブラムが呆れたようにこぼし、サバティーノが大きく頷いた。
ポンッと、栓を抜く音がした。
ルナルナだった。
彼女は新しいボトルを開けて、カルツ酒を自分のグラスへと注いだ。
「それだけじゃねーよ」
彼女は誰にも目を向けず、まるで独り言のように呟いた。
「ルナルナ?」
アタシは彼女の様子が、どこか普段とは違う事に気付いた。
「アイツの顔はそれだけじゃねえ」
声に、彼女らしからぬ感情が垣間見える。
これは、怒り?
いや・・・。
不安か、怖れ・・・かな。
自らの気持ちを抑え込むように、ルナルナは低い声で言葉を続けた、
「犯罪結社RINGについちゃ、当然、みんな知ってるよな」
「ああ、勿論だ」
アタシより早く、アブラムが相づちを打った、
「このところ、随分と荒っぽく勢力を拡大してる新興組織だろ」
「新興ね・・・確かに表面上はそうだよな」
「表面上って・・・、じゃあ違うのか?」
「ああ、正確には、その前身がある、って意味だけどな」
ルナルナは唇の端を吊り上げた。
「RINGは確かに新しい組織さ。しかし、その割には組織力は強大だ。なあ、その理由は知ってるかい?」
「さあな、色んな組織を取り込んだんだろ。やり手のリーダーでもいるのかね」
「やり口としてはその通りさ。だが、それというのも、中核になった組織があって、そいつが、もともと大きな力を持ってたからだ。」
「へえ~、それってどこの組織?」
アタシは訊ねた。
「ラライって、意外と世間に疎いよな」
「失礼ね、普通の人間が詳しい方が変でしょ」
「はは、そりゃそうか。じゃ、他の連中で、この話が分かる奴はいるか?」
バロンも、アブラムも首を横に振った。
雪路も首を傾げ、ジェリーとマリアも顔を見合わせた。
誰も答えられないのかと思ったら、唯一、サバティーノが口を開いた。
「犯罪組織の歴史ってやつですね。確か元になったのは、ディープ・パープルという犯罪組織だった筈です。それが内部で分裂を起こし、パープルトリックとディープレイジに分かれました」
「お前、随分と詳しいな」
アブラムが目を丸くした。
「一応、僕も元は裏社会の人間ですから」
自嘲するように、サバティーノはひきつった笑みを浮かべた。
「RINGの元になったのは、そのディープレイジですよね」
「ああ、正解だ」
ルナルナは頷いた。
「テシーアは、まさしくその、ディープレイジの人間さ」
ぴゅうと、誰かが口笛を吹いた。
ジェリーだ。
マリアが彼の二の腕をつねるのが見えた。
「テシーアがアストラルの代表だったのも、女殺し屋としての顔も、オレはどっちも真実だと思う」
ルナルナはグラスを口元に運んだ。
「両方とも?」
「アイツはな、昔から幾つもの顔をもってやがるんだ」
「ルナルナ、・・・何でそんなに詳しいの、もしかして・・・」
「腐れ縁があるんだよ、オレとアイツの間にはさ」
グラスの酒を一気に飲み干し、据わった瞳に、昂ぶる思いが宿った。
それ以上の子細は聞くな。
まるで、そう言いたげな雰囲気を感じて、アタシはそれ以上の質問をためらった。
テシーア・ベント・・・か。
「もしかしたら、随分と大変な奴を相手にしているのか・・・俺達は」
アブラムの声は緊張して乾いていた。
「かもしれませんね。ルナリーの言葉が真実なら」
「ウソには聞こえねえぜ」
「ええ、僕にもそう聞こえます」
サバティーノの声は、アブラムのそれよりは落ち着いて聞こえた。
「僕達が戦っているのは、もしかしたら、既にストームヴァイパーではないのかもしれませんね」
「実際にはRING・・・ってか?」
「ええ・・・。いや、違うかな」
サバティーノは首を横に振った。
ルナルナの視線が、抜け目無く彼を捉えた。
「ディープ・パープル・・・なのかもしれません」
「ディープ・パープル?」
「RINGの動静は、僕もずっと気にしていたんです。だから、あの組織についての噂も、それなりには聞いています」
ルナリーがグラスを置いた。
その場にいる誰もが真剣な表情になって、サバティーノの言葉を待った。
「先日、RINGの傘下に、例のパープルトリックが入りました」
「あっ、それはあっしも知ってるでやんすよ」
バロンが意気揚々と声をあげた。
まあ当然だ。
バロンが所属する宇宙海賊デュラハンも、元はといえばパープルトリックに加入していた時期があるのだ。
「僕はその話を聞いて、ずっと腑に落ちなくていたんです。なぜ、袂を分かったディープレイジの組織に、パープルトリックが合流をしたのかと」
「まあ、・・・そう聞けば、確かにちょっと妙でやんすよね」
「パープルトリックの勢力が弱体化していたこともあるにはあるんですが、そもそも、ディープ・パープルという組織名称に執着していた幹部が、RING側に居たらしいんです」
「名称にでやんすか?」
「ええ、その道を辿れば、あの伝説の女海賊、〈紫のラヴェンデル〉の系譜にあたる組織ですからね。名前にこだわる者もいるでしょう」
「でも、それがどうしてテシーアって女と繋がるんでやんす?」
「例の情報屋の話ですよ。パープルトリックの吸収を巡って、それを推し進めたのは、どうやら古株の女幹部らしいって。それに・・・ストームヴァイパーのレヴィンを殺したと思われるのも・・・女、だそうですよ」
「まさか・・・同じ奴、か」
アブラムの言葉に、サバティーノは頷いた。
「なんだか、妙な気がしませんか」
「何を今さら、妙な気しかしねえよ」
「今回の件、相手がストームヴァイパーでは無くて、別の、もっと大きな組織だったとしたら。理由はどこにあるんですかね」
「そいつを俺に聞かれても・・・な」
「レバーロックやエルドナに手を出してくるのは、もしかしたら何か別の動機があるのかもしれません。それを突き止めないと、本当の意味で解決になんて・・・」
サバティーノは深刻な表情になって、そのまま黙りこくった。
なるほど、難しい話になってきたぞ。
敵はストームヴァイパーでは無くて、RING、もしくは、ディープ・パープルか。
だとしたら確かに、あのプレーン、Sトレイアを実装してくるだけの資金力も、うなずける気がする。
だけど、そんな犯罪組織が、一体どうしてこんな辺境の町を狙うのか。
いったい、何が目的なんだろう。
アタシは頭がいっぱいになって、無意識に難しい顔になった。
パチンと、変な音がした。
目をあげると、ジェリーが部屋の隅で自らの鋭い爪をポケットサイズのハサミでカットしているところだった。
彼は、あまり興味が無い様子で、ふわあと大きなあくびをした。
「正体探りなんかしてても、結局やることは変わらねえんだろ。くだらねえ」
吐き出すように言うのに、サバティーノは不快感をあらわにした。
「もう、そういう言い方って無いでしょ」
マリアがジェリーを咎めた。
「うるせえ、俺は一応部外者だ」
面倒そうな顔をして、ジェリーが彼女を見た。
「これはこの星全体の問題なのよ」
「主にレバーロックにとってだろ」
「運び屋にだって、輸送ルートを武装勢力に押さええられたら迷惑じゃない」
いつものように気の強い調子で、マリアは彼に人差し指をたてた。
「俺は危険なら回避して逃げるだけだ」
「なによそれ」
「生き延びる方が大事なんでね。命あっての物種って奴さ」
「呆れた、それでも元戦士なの?」
「戦場に出てたってだけで、俺は別に戦士じゃねえ。・・・でもな、親方、あんたらはどっちにしたって戦うつもりなんだろ」
口論になると面倒だと思ったのか、ジェリーはわざとらしく話題をアブラムに振った
「まあな」
アブラムが頷いた。
「だったらそれだけの話じゃねえか。それがストームヴァイパーだろうが、別の何者かだろうが、結局手前らで戦うくらいしか方法はねえんならさ」
「ふむ、それはそうだが」
「だったら、こんな所で難しい顔をしていても始まらねえ。ただ酒がまずくなるだけだ」
「ジェリーったら」
マリアは彼に抗議した。彼は微かに首をすくめてみせた。
でも。確かに彼の言葉にも一理はある。
相手が誰かを明らかにするのは大事だが、まず最大の問題は、アタシ達がどうやって戦っていくかを決める事だ。
その答えを出せるのは。
まあ、やはりこの場では彼という事になるのだろう。
自然と、アブラムに視線が集中した。
アブラムはあごに手をあてて、固そうな無精ひげを掻いた。
「正直いって、うまい手なんて、全く思いつかねえ。肝心のプレーンも少なくなっちまったし、新しい機体が手配できたって言っても、到着には時間がかかるみたいだしな」
それは仕方がない、と、サバティーノが肩をすくめてみせた。
「こうなると、あと思いつくのは他力に縋る事くらいだ」
「他力ですか?」
「ああ」
アブラムはジェリーを見つめた。
「なあジェリー、虫のいい話ってお前は思うかもしれねえが、お前に頼みたい事がある」
「断る。俺はレバーロックの為に戦う気はねえ」
「違う違う。そう慌てんな、俺は別に、お前に戦って欲しいわけじゃねえ」
「?」
アブラムは真剣な表情で、アタシ達の顔を見回した。
「俺は、エルドナ鉱山の連中と話をしたい。その為に、ジェリー、お前に間に立ってもらえねえかな」
「エルドナに?」
声をあげたのはサバティーノだった。
「親方、それはどうなんですかね」
「サバティーノ、なんだ、お前は反対か?」
「いや、反対というわけじゃなくて・・・。エルドナは確かに僕達の貴重な取引相手ではありますが、こと今回の件に関しては、立場を異にしてきたじゃないですか。あっちはまさしくエレス参入の反対派が集まっていて・・・」
「それは俺の方が良く分かってる。だがよ、あいつらもストームヴァイパーには迷惑してるって話だろ。ブルズシティとのルートを分断されたんなら尚更だ。きっと向こうの連中も、かなり頭に血が上ってるだろうぜ。ビーノと一緒に殺された鉱夫の件でだって、どっちみち話をせにゃならんし」
「まあ、それはそうなんですが」
頷くサバティーノの様子に、アタシはまたしても、妙な違和感を覚えた。
何だろう、この感じ。
とても、うん、とても変な感じだ。
誰一人、その違和感には気付かない様子だった。
アブラムが話を続けた。
「それにな。さっきお前が言った通り、敵さんがストームヴァイパーですら無いかもしれねえ、ってコトはだ。目的も、エレスへの参入を妨害するのとは、また違う可能性もある」
確かに彼の言う通りだ。
もしアタシ達が戦っている相手がストームヴァイパーで、その目的がエレス参入の妨害だとしたら、エルドナ鉱山をわざわざ敵に回す必要は無い。
それなのに、ブルズシティとのルートを封鎖して鉱山を孤立させた。
その理由はどこにある?
「だからな、その辺りを話して連中と協力体制を作れりゃ、また別な戦い方が出来るかもしれねえ。結局のところ、味方は多いに越したことが無い」
「で、俺ってわけか」
ジェリーがうんざりした顔で言った。
「なあに、お前は繋いでくれるだけで良い。向こうの代表はデビーだったな、奴と話をさせてくれ」
「親方を連れて行けばいいのか?」
「そうしたいが、俺は駄目だろう。なにせデビーとは昔から犬猿の仲でな」
「あきれた、それなのに話をするって」
ルナルナが目を丸くした。
「何も、話をするのは俺でなくてもいいんだ。俺がこの町の絶対的な代表ってわけでもないしな。それに、その方が向こうも冷静に聞いてくれるさ」
「じゃあ、結局のところ誰が行くんです? 僕は嫌ですよ。そんなに時間だってありませんし。何しろ、仕事が溜まっているんですから」
機先を制して、サバティーノが釘を刺した。
「最初から、お前には期待してねえよ。ここはな、我が町の女王様に頼もうじゃねえか」
「はあ?」
アブラムがルナルナに悪戯っぽい笑みを向けた。
ルナルナは彼の言葉の意味を理解して、迷惑そうに額にしわを寄せた。
「なんだよ、オレに行って来いってか?」
「ルナリー。俺が思うに、お前が最適なんだ」
「意味が分からねえよ。俺はただの酒場の亭主だぜ。町の有力者でもなんでもねえ」
「だが、間違いなく人を惹きつけるものを持っている」
「急におだてやがって、調子のいい野郎だ」
仕方なさげに桃色の髪を掻き上げて、彼女は途方に暮れたように長い溜息をついた。
「デビーってアレだよな、色黒のマッチョ男で、とんでもねえ女好きの」
「そうだ、昔、お前の店にも出入りした事があっただろ」
「ああ、最低の客だった」
ルナルナは思い出したくない様子で、辟易した顔になった。
「正直言って、お前さんに厄介な事を頼むのは気が引ける。だが、他の誰よりも、お前が適任に思えるんだ。なあ、・・・頼まれてくれねえか、ルナリー」
アブラムの言葉は、彼の本心だろうと思えた。
その思いは、どうやらルナルナにも伝わったようだった。
彼女は仕方なく、あーあ、と大きくこぼした。
「そういう事なら、協力はするさ。だがよ、オレも一人じゃちょっと不安だ。ボディガードくらいはつけてくれるよな」
「もちろんだ、といってもミゲルくらいしか頼りになりそうなのはいないが」
「アイツはいいよ」
「だが他に適任が」
「いるさ。ほら、目の前にな」
「目の前?」
ルナルナはおもむろに雪路に顔を向けた。
「と、いうわけだ、先生」
「なに、まさか私?」
「それも面白いけどよ」
ルナルナは雪路に顔を向けたまま、指先だけをアタシへと向けた。
「・・・こいつだ。ラライだ」
「彼女? でも彼女はまだ・・・」
「そこを何とか頼む。どうにかラライの退院を早めさせてくれ、エルドナ鉱山に行くなら、せめてラライを一緒に連れて行きたい」
「えっ、アタシ!?」
びっくりするアタシを横目に、ルナルナはどこまでも真剣な眼差しを崩さなかった。




