シーン36 話をするならどこがいい
「先生よ、ブルズシティで受け取る荷物ってのは、いつもの貸し倉庫でいいのか。」
それは、ジェリーの声だった。
彼は、アタシの部屋にマリアがいる事も知らずに、廊下から、診療所全体に響くような大きな声をあげていた。
「ええ、予定だとオレンジ便が届けてくれているはずだから、向こうに行った時でいいから、受け取ってきてほしいの」
「腐るようなものじゃないんだな? 先に言っとくが、輸送中に何があっても、商品の弁済はしねえぞ」
「大丈夫、ただのアンプルだから。それに、どうせなら壊さない方が良いわよ。あなたが不法売買する薬が作れなくなったら大変でしょ」
雪路の声も聞こえた。
どうやら、二人はビジネスパートナーでもあるらしかった。
なるほど。
医療器具だって、先進惑星圏からの輸入に頼らざるを得ないだろうし、彼のようなフリーの運び屋は重宝するのだろう。
それはともかく。
ジェリーの声を聞いたマリアの態度が、見るからに一変した。
さっきまで棺桶にでも入りそうな顔をしていた筈なのに、急にソワソワとし始める。
アタシやルナルナの声が耳に入らなくなってきた様子で、しきりに視線が廊下の方を気にし始めた。
アタシはルナルナと顔を見合わせた。
ははあ、そういう事か。
「マリア、ちょっといいか」
ルナルナは渡りに船とばかりに彼女に声をかけた。
「悪いが、頼まれてくれっかな」
「何ですか?」
「ドクターの所に行って、酔い覚ましのセットを頼んできてくれ。店に常備してるやつが減っちまってね、いつも頼んでるから、そう伝えればわかる」
「はい、え・・・と目覚ましですね」
「バカ、酔い覚ましって言ってんだろ」
「あ、すみません」
マリアは突然の伝言ゲームに、戸惑った顔をした。
が、すぐに何かに気付いたらしく、頬に微かに朱がさした。
まあ、随分と嬉しそうな顔をすること。
アタシは、彼女の表情の変化を、姑のように見逃さなかった。
ルナルナはアタシに向かって、意味ありげにニッと笑った。
耳をそばだてたつもりもないが、廊下に飛び出したマリアの声が聞こえた。
雪路に話しかけるよりも早く、目当ての彼氏を探したらしい。
彼女の弾んだような声と、ジェリーの驚いた声が聞こえてきた。
内容は、まあ、どうでもいいか。
色恋沙汰には興味はあるが、あんまり首を突っ込むのも野暮ってものだ。
「さてと、これで面倒くさいのはいなくなったな」
ルナルナがいかにも呆れた口調で言った。
「ったく、連れてくるんじゃなかったぜ」
「まあまあ、そう言わないで」
「あの感じだと、まだジェリーの事が好きみたいだな、あいつ」
「はっきりと別れたわけでもないんでしょ。あの二人って。ただ、周囲に反対っていうか、水を差されただけで。違うの?」
「なんていうかね、オレははっきりいって、そっちの方にはとんと疎いからな。ここだけの話、生まれてこの方、恋愛した経験なんてまるでねえし」
「あれ、そうなの?」
「お前なあ、オレが今まで一度でも男を作った事があったか」
「うん、そういえば確かに」
「アコやサラには黙ってろよ、あいつらに知られると、何だか馬鹿にされそうだからな」
ルナルナの言葉は、なんだか新鮮に聞こえた。
そういえば、ルナルナ自身の恋愛話って、全然聞いたことなかったもんな。
・・・。
ってーか。
蒼翼メンバーで男性と付き合ったりしていたのは、思い返す限りロアくらいのものだ。
それも、本気か遊びか分からない程度のレベル。
リンだって、当時は男っ気なんかまったくなかったし。
残るツッチーは・・・。
アタシは彼女の事を思い出して、複雑な気分になった。
ツッチーは、クールで優しく、大人素敵なお姉さん。・・・に見えて、かなり惚れっぽいところがあった。
だが。
彼女の男運は、とことん悪いのだ。そして、どうしてそんな奴に、って突っ込みを入れたくなるほど、男を見る目が無い。
ライとして共に過ごした数年間の間でも、何度、彼女のハートブレイクを目の当たりにし、慰める事になっただろうか。
アタシが昔話に意識を飛ばしていると。
「ラライさん、お腹減ってないでやんすか」
ようやく平静に戻ったバロンが、黄色くみずみずしい芳香を放つ果物を、バスケットから一つ取り出した。
「美味しそう! そういえば、ほとんど食べてないもんね」
アタシはつばを飲み込んだ。
「ちょっと待ちなよ、いきなりそんなものを食べさせて大丈夫か」
ルナルナが不安げに彼を見た。
「弱ってるときに固形物ってのはあんまりじゃねえか。まずは栄養ドリンクとかの方が胃にも、負担が少ないって」
「ううん、大丈夫。さっきチョコレートドリンクも飲んだけど、平気だったし」
「いきなりチョコレートかよ、チャレンジャーだなお前」
「甘いものは正義なのよ。絶対的にね」
「お前の論理は、時々理解できねえな」
ルナルナは肩を竦めた。
バロンはナイフを取り出した。
するすると、器用にむき始める。
こういう技は、指もないくせにアタシよりも上手だ。
またたく間に果物は皿の上にきれいに花の形を作った。
うわ、なんて良い匂い。
「へへ、もーらいっ」
舌なめずりするアタシを差し置いて、ルナルナが先に指を伸ばした。
「えー、ずるい」
「こういうのは、早い者勝ち・・・って、なんだこりゃ、酸っぱ」
彼女は思い切り顔をしかめた。
「まだ熟してなかったでやんすかね」
バロンがぺろりと味見した。
最初は笑顔だったが、みるみる表情が曇って、すぐにブルリと震えた。
アタシはそれを見て、伸ばしかけた手をひっこめた。
ルナルナが食べかけの果物を静かに皿に戻した。
バロンも困ったような顔になった。
それから、仕方なく捨てようとしたので、アタシは慌てて止めた。
「そこに置いといて、すごく良い匂いがするの。アタシこういう匂い大好き」
「良いでやんすか? また違うのを用意してくるでやんすよ」
「良いのよ、考えてみたら、やっぱりまだ、お腹に重いかもしれないし」
アタシがそう言うと、彼は納得した。
「ところでさ」
少しだけ真剣な声で、ルナルナが口を挟んだ。
「ドクターの見立ては聞いてるか? あと、どの程度で退院できそうなんだ?」
「さあ、そこまでは話してないから、何とも言えないな」
アタシは正直に答えた。
「アタシってば死にかけていたみたいだし、・・・自分ではその自覚がないけど、雪路さんも、かなり心配してくれているみたい」
「見た限りは、そんな重傷を負ったようには思えないけどな」
「当のアタシも同じ思いよ。でも、そうなのよね、バロンさん」
「その通りでやんす。こうして普通に話しているのが、夢みたいでやんすよ」
「バロンさんは、アタシの退院についてとか、今後についてとか、何か聞いてる?」
「雪路さんの見たてってコトでやんすよね?」
「そう」
アタシは彼を見た。
「はっきりと話してはいないでやんすけど、体に関しては、意識さえ戻れば大丈夫、って言ってたでやんすね」
「だと助かるな。・・・今回の件さ、町の方じゃ結構大変な状況になり始めてるんだ。なるべく早く、ラライの元気な姿を皆に見せないと」
「それって、この間の襲撃のせいで?」
「そうだ」
彼女は頷いた。
「ビーノを殺されたのが、かなりショックだったよな」
光景を思い出したのだろう、ルナルナの顔に悲痛な色が浮かんだ。
珍しく、彼女は指の爪を噛むくせを人前で見せた。
「アイツはあれで、町でも人気があったんだ。プレーンの腕じゃ、確かにマリアの方が上だって言われていたが、自警隊が信頼を受けていたのは、ビーノがいてくれたからなのさ」
ルナルナは少しだけ声を顰めた。
マリアが戻ってきて、聞かれるのを気にしたのだろう。
「人が心を許すのは、ただ操縦が上手い奴じゃない。どちらかといえば、マリアよりもビーノの方が人格者だった。飄々としてて掴みどころがないようにも見えるけど、、根っこは気持ちの熱い奴だったから」
なんとなく、そんな気はしていた。
彼の穏やかな物腰や、軽い口ぶりを思い出して、アタシはまた心が重くなった。
「一番ショックを受けたのが、アブラムの親方さ」
「親方か・・・、確かに信頼してたみたいだもんね」
「ビーノが死んだって聞いた途端、取り乱しちまいやがってね、町の重鎮がああなると、周りも浮き足立っちまう。・・・このままじゃ危ないかもしれねえって、町を離れると言い出す奴らも出てきちまった」
あの豪胆そうなアブラム親方が、か。
確かにそれじゃあ、町の人たちに動揺が広まってもおかしくはない。
「この町の住人ったって、もともと流れ者ばっかりだしな」
「開拓精神はあっても、まだ土地に愛着を持ってるわけでもない・・・か」
「一部の人間を除いては、そうだ」
「仕方のない事なのかもしれないけどね」
ルナルナは頷きもせず、胸の前で腕を組みなおした。
「サバティーノの奴もブルズシティから戻らねえし」
「あれ? 自警団を迎えに出させたんじゃなかったっけ」
「例の交戦があったから、それどころじゃなくなった。サバティーノ一人の為に戦力は避けねえ、町の守りを固めないと・・・ってな」
「そりゃあ、そうなるよね。でも、ゴディリーさんは心配だろうなあ」
「そいつも悩みの種さ。ゴディリーの野郎、親方は信頼に足らねえって吹聴しやがって、このままサバティーノが戻らなければ、これ以上レバーロックじゃ商売をしねえ、なんて言い出しやがった」
「あちゃー」
「あの日以来、ストームヴァイパーも鳴りを潜めてるから、一応はなんとか保ってるが、このままだと、本当にパニックになっちまうぜ」
バロンが無言でアタシを見た。
アタシ達の奮闘が無駄ではなかった。彼はアタシにそう訴えかけていた。
「次の襲撃までは、多分、少しは時間を稼げてるとは思うんだけど」
アタシは言った。
「ラライ、お前あいつらの懐で戦ったんだよな。戦力は確認できたか」
「一応ね、ただ、それで全部じゃないと思う」
「いくらかは、潰してくれたか?」
「もちろんよ。正確な数は覚えてなくてごめん。でも、片手以上は倒した」
「さすがだな」
「あと、フルサイズプレーンが一台居た、・・・何とか操縦不能にできたと思うけど」
「フルサイズだって!?」
ルナルナの声が裏返った。
信じられない言葉を聞いたように、彼女は愕然として、アタシをまじまじと見つめた。
「Sトレイアだった。操縦席に直接ブレードを叩き込んできたから、しばらくは使い物にならないはずよ。カザキのディーラー工場に持ち込んでも修理に十日はかかるくらい。多分こんな星じゃ、もっと日数はかかるわ」
軍艦並みの整備施設を持たない限りは、だけど。
「相変わらず、とんでもねえことを平然とやるな、お前は」
ルナルナが感心した表情になった。
「平然じゃないわ、必死だったんだから」
「その後で、あっしも3台は撃破したでやんす」
さりげなく、というか堂々とバロンがアピールしてきた。
触手を器用に折り曲げて、Vサインのようなモノを作っている。
「それでも二機追いかけてきたでやんすね。あれで全兵力なら良いでやんすけど」
「どっちにしても、こんな星じゃあ信じられないくらいの兵力だわ」
「確かに。・・・でもおかしいな。いくらストームヴァイパーだって、どこからそんなに兵力を補充してるんだ。資金だって、それほどあるとは思えないのに」
ルナルナが考え込んだ。
「もともと、どの位の組織力だったんでやんすか。仮にも武装勢力っていうくらいでやんすから、大気圏突入するくらいの船は自前で持ってるでやんしょ」
「ああ・・・。けど、決して大きな勢力じゃない」
「どっちかっていえば、外宇宙に追いやられたって感じ、かな」
「ラライの言う通りだ。この数年で、エレス軍事警察に壊滅寸前まで追い込まれて、やむを得ずこの星に逃げ込んだ連中なんだ。だから始めのうちは、やっていることも、せいぜいその辺にいる強盗と同じ程度だった」
「それが、いつの間にか力をつけ直した・・・」
ルナルナは納得できない様子だった。
「ともかく、もう少し相手の戦力を調べないといけねえな」
「同感ね。もしもだけど、Sトレイアみたいなのがもっといたら、今度こそアウトよ、次は太刀打ちできないわ」
「フルサイズのプレーンか・・・。考えたくねーな。それにしても、、少なくともそいつを持ち込めるだけの船を持っている可能性は、考えなくちゃならないわけだ」
足音が聞こえてきた。
この軽い足取りは、マリアのものだとすぐにわかった。
「ルナリーさん、薬の方は明日届けてくれるそうです」
ドアを開けて、彼女が顔を出した。
さっきまでの鬱々とした表情とは打って変わって、やけに明るい顔になっていた。
まったくもう。
アタシよりもわかりやすい娘だ。
「あと、ドクターからの言伝です。ラライさんは、あと二日様子を見て、それから退院できるみたいです」
「あと二日か、嬉しいけど、もう一日でも早まらねえかな。アブラム親方も交えて、早めに今後の対策をしたいんだ」
「それは、ドクターに相談しないと」
「言って簡単に聞くような人じゃない・・・か。とはいえ仕方ねえ、オレが直接・・・」
言いかけたところで、マリアがびくりとして横に避けた。
「ルナリー、あなたが直接話をしてきたところで、私の見解は変わらないわよ」
背後にそのドクターがいつの間にか立っていた。
「退院のタイミングは私が判断する。彼女の治療は特別なケースだからね」
「動けるし、喋れる。なら、もう十分だろ、それとも、無理に連れ出す事で、何かしら心配があるとでも?」
「無いなら止めはしないわ。言っておくけど、過去にケースのない移植手術をしてるのよ。確率は限りなく低いけど、今から拒絶反応が起きる事も想定はしないといけないの。・・・もし目の届かないところでソレが始まったりしたら、手遅れになるかもしれない」
「・・・」
ルナルナは考え込んで、苛立たし気に膝を叩いた。
その時だった。
「それじゃあ、目の届くところで話せばいいでやんすよね」
バロンがするりと会話に割り込んだ。




