シーン32 医者と運び屋
最初に目にしたのは、眩しく光る天井の照明灯だった。
次に、見慣れないクリーム色に塗られた壁の目地が輪郭を整えてくる。
どこかに窓があるのだろう、乾いた風が静かに流れた。
ガサガサした肌触りのシーツが体にかかっていた。
ほのかに、薬品の臭いがつんと鼻腔を突く。
体を動かそうとして、アタシは全身を襲う激痛に呻いた。
あれ。
ここは、どこだ?
アタシはこんな所で、何をしている?
そんな、あたり前の疑問が脳裏に浮かぶまで、結構な時間を要した。
思考を曇らせていた靄が、少しずつ薄れていく。
アタシは見慣れない部屋の中にいた。
おかしいな。
さっきまで・・・、ついほんの少し前までは、バロンの操るモッドスタイプの手の中にいたはずなのに。
いつの間にか意識を失ったのだろうとは思う。
だけど、それから何があった?
ここは明らかに建物の中で、アタシはベッドの中に身を横たえている。
試しに、手を持ち上げてみた。
変な違和感があった。
それもそのはずだ。右の腕は指先まで全部包帯が巻かれていて、反対の手は肩から肘までテーピングが貼り付けてあった。
アタシ、怪我をした?
ああ。
そういえば、地面に投げ出されたのは覚えている。
なんだか最近、ひどい目にばっかり合ってる気がするけど、アタシの被害妄想かしら。
思いながら、もう一度身をよじった。
またしても激痛に襲われて、顔をしかめる。
息を吐くのも苦しい。
まるで、背中に焼けた石ころでも押し付けられているような痛みだった
「悪いことは言わねえ」
突然、聞きなれない声がすぐ側から聞こえて、アタシは心臓が止まりそうになった。
「命に関わることはねえが、もう少し安静にしておいた方が良い」
不思議な声だった。低く乾いたようでいて、それで若くも年老いたようにも感じない。ただ、男性なのだけは確かだった。
それにしても、こんな側に人が居るとは思わなかった。
だって、気配だって全くなかったし。
「誰?」
アタシは声を振り絞った。
自分のモノとは思えないくらいにハスキーな声になっていた。
ざらざらとした痛みが喉の奥で疼く。
何か飲みたいなあ、水かお湯、ミルクでもいいけど。
思いながら、アタシは言葉を続けた。
「アタシ、どうしたの。・・・ここは」
どこ?って訊ねようとした。
何とか痛みを我慢して、声の方向に顔を向ける。
そこで言葉を失った。
目が合った。
アタシは、頭が真っ白になって、それから大絶叫をあげた。
「きゃああああああっつ!!」
一瞬だけ、痛みを忘れた。
目が覚めた。
無意識にアタシはベッドから飛び起きようとして、そのままバランスを失って反対側へ落っこちそうになった。
やばっ。
と思ったが、体は力が入らない。
危ういところで、力強い腕が、素早くアタシを支えた。
アタシの眼前に、「それ」は迫った。
牙の並んだ真っ赤で巨大な口。
らんらんと輝く、青く鋭い眼光。
顔中には針金のような剛毛がびっしりと生え、その中央に、黒い鼻が濡れている。
狼?
いや、牧場を襲っていた野獣、カリオートそっくりの顔だ。
「ひゃああああああっつ、いやああああつ、ダメダメダメ、アタシを食べないでっ」
「バカ野郎っ、誰がお前なんか食うか」
再び声がした。
「へ?」
「へじゃねえ、まったく失礼な奴だな」
アタシは言葉を失って、声の主をまじまじと見た。
彼は、目の前にいた。
野獣の巨大な口が、アタシに話しかけていた。
え・・・人?
あ、なんだ、よく見たら人間じゃないか。
アタシはホッとして、またしても全身の力が抜けた。
崩れ落ちそうになるアタシを、狼の顔をした男は、なんとかベッドに戻した。
なんてことはない、異人類種の人間だった。
アタシはひきつったような笑みを浮かべて、自身の勘違いを恥じた。
背の高い男性だった。
スリムだが、痩せているというより、良く絞れた体をしている。
少し肩幅が広くて、腕も長い。
男は喉の奥で微かに唸るような音を立て、それからアタシの肩に、優しくシーツをかけた。
蒼灰色の毛並みをもつ、狼の顔。
きっと、ベルニア星系あたりの人だ。
ベルニア星系には人類の居住する星が幾つかあって、それぞれに、何種類もの獣人類種が生活を営んでいる。
一口にベルニア獣人類種といっても、その外見や生活スタイルは多種多様で、テアードとほとんど変わらない外見の人もいれば、一見しただけでは獣や動物にしか思えない人類種も数多い。
もちろん、他の星系にだって獣人系の人類種はいるが、長く続いた戦乱の憂き目もあって、ベルニア人が他の星に移住しているケースが増え続けている。だから、こういった辺境の地で獣人類種と出会った時は、高い確率でベルニア星系人であることが多いのだ。
その意味では、地球やトーマ星系人も一緒だな。
同じような、不幸な歴史を歩んだ星の人々は、やはり別天地を求めるものなのだ。
まあ、それはまた別の話だろうが。
「ゴメンなさい、いきなりで驚いちゃってさ」
アタシは正直に謝った。
「いいさ、慣れてる」
彼は気にした様子もなく、アタシから離れた。
「この星に来て、地球系以外の人とあんまり会わなかったから」
「あんまりも何も、ほぼ地球系ばかりだろ。特にレバーロックはな」
「そうね。珍しいわよね、こういうところ」
「地球系のコミュニティはだいたいそうさ、他人類種に偏見を持つって意味では、ドゥの連中以上に頭の固い奴らばっかりだしな」
男は鼻を鳴らして腕を組んだ。
「助けてくれたの・・・ここは、どこ? ・・・それに」
「それに・・・?」
アタシは大切な事を思い出して、目を見開いた。
「彼は!? アタシと一緒に居たはずなんだけど!」
なんてことだ。
一番大事な事を忘れていた。
バロンだ。
彼はどこにいった?
アタシを助けてくれたはずの彼が、どうして、アタシの側にいてくれないんだ。
アタシは動転して、またしても起き上がろうとして男に止められた。
男はアタシの焦りの意味を察したようだった。
「落ち着けって・・ええと、ラライさんだっけ」
「えっ、どうしてアタシの名前を」
「そりゃあ、アンタの連れに聞いたからさ」
「それじゃあ、バロンさんもここにいるの! 無事なのね」
アタシは気がはやった。
男はアタシの様子を、どこか不思議そうに見つめて、眼を丸めた。
「心配はいらねえ。バロンって奴なら、町の連中にあんたの無事を伝えに行ってる」
「町っていうと、レバーロック?」
「他にどこがある?」
「まあ、そう、だよね」
アタシの疑問に答えるように、男は窓辺に近づいて、半開きのカーテンを開いた。
光が一気に入り込んで、アタシは目を細めた。
「ここは、レバーロック自治区域の内側だ。危険はない」
「良かった~。ってコトは、アタシ達、無事に戻ってこれたのね」
「正確に言えば、無事に送り届けられた。だな」
「それって、どういう意味?」
「言葉通りの意味さ。つまり、アンタはもう少し、俺に敬意をもって接するべきだ」
ちょっと意味が解らなかった。
頭の上に?マークがたくさん浮かぶ。
彼は肩をすくめて、それから巨大な狼の口を笑うようにゆがめた。
「俺が助けてやったんだよ。感謝してくれよな。ストームヴァイパーに追われていたアンタ達を、こうして無事に、ここまで届けてやったんだからよ」
「ああ、そういう事か、つまり、貴方はアタシ達の恩人ってワケ」
「まあ、一応な」
「ごめん、理解するのが遅くって。・・・ありがとう」
自分で感謝しろ、とか言っておきながら、男はアタシがお礼を言うと、なんだか気恥ずかしそうに鼻を掻いた。
「と言っても、追手も二台程度だったし、戦闘したわけじゃないからな」
「?」
「向こうも深追いを避けてくれたんだ。こっちのプレーンを見て、警戒をしてくれた」
「プレーン?」
「俺も一応はプレーン乗りでね」
男は得意げに、左手の親指を立てた。
「すごいわね、プレーンを持ってるの? それってフルサイズ、それともセミの方!?」
思わず興奮した声になった。
まあ、ご存じとは思うがアタシはプレーンが大好きだ。
プレーンに乗るという話を聞くと、興味を止められなくなってしまう。
「こんな星だぜ」
男は苦笑した。
「セミプレーンに決まってるだろ。ブラックダイヤ重工のトルーダータイプだ」
「トルーダー・・・ああ、機動歩兵タイプよね。どっちかって言えば大型のパワードスーツみたいでさ。装甲を厚くして、足に自走式タイヤとホバー機能をつけたやつ」
「アンタ、詳しいな」
「まあね」
男は窓辺を離れ、部屋の隅で何かを始めた。
程なく、甘い匂いが漂ってきて、アタシの鼻孔を優しくくすぐった。
「フルサイズなんて、そうそう持ち込めないからな。ブルズシティの宇宙港じゃ、あんまり大きな貨物船は降りられないし、それに、メンテナンスも考えると、まあセミプレーンがせいぜいだ」
「そう・・・そうよね」
ちょっとだけがっかりした声になった。
「ほらよ」
男が何かを持ってきた。
いい匂いだ。
白いマグカップに、微かに湯気が立って、チョコレートの甘い匂いが心を誘った。
「寝たままじゃ無理か」
「何とか起きてみる、手を貸して」
アタシは男に介添えをしてもらいながら、半身を起こした。
包帯を巻いていない方の腕でコップを掴む。
情けない事に、その程度の重さでも腕が震えた。
男は仕方なく片手を添えて、アタシがホットチョコレートを口に運ぶのを助けてくれた。
「ありがとう・・・えーと」
アタシは今更になって、彼の名前を知らないことに気付いた。
「ジェリコ・ハーディアだ」
男は言った。
「このあたりでフリーの運び屋をしている」
「ジェリコって・・・、じゃあ、あなたがジェリー?」
頓狂な声になってしまった。
ジェリーは自嘲気味に肩を竦めた。
「どうやら、ご存じと見えるな。」
「まあ・・・ね。噂で聞いた程度だけど」
「噂か、どうせ、ろくでもない話なんだろうな」
ジェリーは辟易した声を洩らした。
それから再びアタシの顔を覗き込んで、僅かに目を細める。
「人狼とか、人食いなんて徒名もある。まあ、どうでもいいけどな」
「テラスって、見た目で判断するの好きだもんね」
「テアードも似たようなもんだろ」
「否定はしないけど、少なくともアタシは違うわよ」
「最初は悲鳴を上げたけどな」
「あれは寝起きで驚いただけよ。知らない人にいきなり隣にいられたら、テアードでもテラスでもそりゃあ驚くわよ」
「はは、そうかもしれねえ」
はじめて、ジェリーは素直に笑った。
笑うと、結構優しい顔に見えた。
うん。さすがアタシだ。
他人類種に対して、まったく抵抗を覚えない。
もう見慣れてしまったらしく、彼の顔が狼なのも、すでに気にならなくなっていた。
「アンタ、変わった女だな。なるほど、カース人と付き合ってるだけあって、その辺のテラスとは違うようだ」
「これでも、一応、ちゃんとしたフリーの宇宙生活者だもん。って、ちょっと待って、いまアタシが誰と付き合ってるって言った?」
「バロンって野郎だが」
「何で? えっ、そういう話になってるの?」
「だって、本人が言ってたぜ。俺に留守番を頼む時にな、ラライさんはあっしの彼女でやんすから、くれぐれも変な気を起こしたら許さないでやんす、って」
「あっしの彼女って・・・」
アタシは絶句して、みるみる顔が熱くなった。
「なんだ、違うのか?」
「違う・・・っていうか、間違いとも言い切れないけど、その、色々と複雑なのっ」
「ふーん・・・」
ジェリーは納得しかねるような顔で頷いた。
まったくもう、バロンの奴め。
戻ったらきちんと話をしないと。
確かに彼のことを好きっては伝えたし。
寝る前にはキスしているし。
疲れた時は彼の足を枕にして休んだりはしているけど。
その程度で、アタシのカレシ気取りをするとは何事だ。
「珍しい組み合わせだよな」
ジェリーは言った。
「異人類種カップルなんか、エレス内じゃ普通でしょ」
「まあな。でも、カース人とか、ガメル人は別って奴も多いぜ。あと、俺達ベルニアもな」
「そうなの?」
「生理的に駄目なんだとさ。笑っちまう」
アタシは彼をじっと見つめた。
生理的にね。
確かに犬嫌いの人間なら、ちょっとドキリとはするかもしれないけど。
たかが外見の話じゃないか。
ってーか。
正直、彼ってけっこうカッコいいし、なんだか優しいみたいだし。
こうして、話している感じだって悪くない。
もしマリアが惚れたって言うのが、このジェリーで間違いがないなら、彼女の男性を見る目はむしろ悪くはないんじゃないだろうか。
「同じ人間だし、見た目ってそれほど重要な事じゃないわよね」
「それ、アンタ本気で言ってるのか?」
「本気も本気よ。アタシ、良い人だったら、どこの星系人でも好きになれると思う」
「ドリアン人や、フェベール人でもか、フェベールは知ってるか?」
「うん。まあ表現として妥当かはわからないけど、手足も、目や鼻もないナメクジみたいな人類種でしょ。だけど、エレスシードを持った同士じゃない」
「はっ、面白えな、アンタ」
「きっと感覚の問題なんだよね、アタシには当たり前のコト過ぎて、何が問題なのか分からないけど」
彼は何とも言えない表情になった。
・・・。
もしかして。
マリアの事を考えているのかな。
いや、きっとそうだ。そんな気がする。
「ねえ」
実はマリアから、あなたの事を聞いていたんだ。
と、言おうとしたところで、外からチャイムの音がした。
ジェリーはぱっと顔を上げて、扉の方を見た。
なんて間が悪い。けど、もしかして。
「バロンさんが帰ってきたのかな?」
われ知らず声が軽くなった。
ジェリーは鼻をくんと鳴らして、あっさりと否定した。
「違うな。どうやら、ドクターが戻ったようだ」
「ドクター?」
鸚鵡返しに言うと、彼は「ああ」と頷いて見せた。
「ここの主さ。ちょっと待っていてくれ、今呼んでくる」
ジェリーは意味ありげに笑った。
離れ際に、ほぼ飲みきったチョコレートドリンクのコップを持ってくれた。
隅のテーブルに置いて、急ぎ足で部屋を出ていく。
ドクターか。
そういえば、いつだったかルナルナが言ってたっけな。
この町にも医者が居るって。
じゃあ、ここは診療所ってコトか。
なんとなく、そんな気はしていたけど。
アタシは一抹の不安が胸の奥で渦巻くのを感じた。
これまでの人生、アタシは数多くの怪我をしてきた。
自分でも笑えるくらい、怪我ばかりしている日常だ。
そんな中で。
正直言って、まともな医者にかかったという記憶が、全くと言っていいほど無いのだ。
ってーかさ。
だいたいアタシみたいな不法生活者がお世話になれる医者なんて、結局モグリ営業の、危ない奴しかいないじゃない。
油断していると、すぐに極太の注射をぶち込んでくる奴とかさ。
かと思うと、虫歯でもないのに奥歯をドリルで削ろうとしたりね。
だからアタシは、下手な医者にかかるより、メディカルボックスでぬくぬくと治療する方が好きなのだ。
しばらくして、思ったよりも軽い足音が近づいてきた。
病室のドアが開いて、ジェリーではない誰か・・・白衣を着た、わかりやすいシルエットの人物が姿を見せた。
彼・・・いや女だ。彼女がドクターか。
女はアタシの側で足を止め、開口一番、その唇に艶めかしい声を乗せた。
「目覚めたようね、被実験体3号」
「・・・・・」
・・・。
・・・・。
・・・・・。
はて。
被実験体って、何?
と、そんな事より。
どこかで聞いた事のある、この無駄に妖艶な声。
アタシはその顔を見て、再び悲鳴を上げそうになった。
「な・ななななな・・・」
「うふ」
「ゆ。ユキジさんっ?」
女は、恐怖に震えだしたアタシを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていてくれたのね。嬉しいわあ」
「忘れるわけないじゃないですかっ」
ええ、忘れたりするもんですか。
アタシの恩人には違いないけど、治療と称して、アタシのエレスシードを研究しようと、さんざんオモチャにしてくれたじゃない。
「その様子だと、頭も声もハッキリしてるみたいね。ふむふむ、移植した培養組織もちゃんと適合してるみたいだし、さすがは特殊遺伝子の保持者だわ」
ユキジはアタシの怯えを見取って、ますます楽し気な口調になった。
アタシの前に立った女医者。
それはまぎれもない。
かつて知り合った宇宙生活者の中でも、アタシが特に苦手とする相手の一人。
恐怖のマッドドクター、ユキジ・モリナガその人だった。




