シーン27 それは小さな一歩でも
部屋に戻ってすぐ、アタシはシャワーを浴びることにした。
酒場には、むせかえる程のドラッグの臭いが充満していた。それが、衣服はもちろん、アタシの髪の毛や爪の先にまで染みついたようで、気持ちが悪かった。
ルナルナは割り切って必要悪と言うかもしれないが、嫌いなものは嫌いだ。
「少しの間、あっしは外すでやんすね。廊下で待つでやんすよ」
バロンが気を利かせて部屋を出ようとした。
アタシはその背中を見つめて声をかけた。
「そこに居て良いよ、廊下だと、人が通るでしょ。立たせてるみたいになるの嫌だもん」
「え、でも・・・」
バロンは驚いて振り返って、それからアタシを見てまた頬を赤く染めた。
「バカ、見ていいとは言ってないでしょ。部屋に居ていいって、言っただけ。アタシがシャワーしてる間は反対側を向いて、振り向かない事、それが条件」
「こ、こっちでやんすね」
「そう。絶対に振り向いちゃだめだからね。そんなことしたら、今度こそ絶交するから」
「絶交は勘弁でやんす」
彼はベッドの向こう側の端に腰かけて、更につば広の帽子を深めにして、顔を隠すようにした。
ふむ。
我ながら大胆な事を言い出したものだ。
こんな事をするから、ルナルナに「誘ってる」なんて言われてしまうんだろう。
別に、そういう気持ちで彼を引き留めたわけじゃない。
ただ、どうしても今夜は、彼にそばにいて欲しかった。
きっと、マリアとジェリーの話を聞いて、なんだか他人事のように聞こえなかったせいもあるのだろう。
アタシは衣服を脱いで、簡易光シャワーキットを起動させながら、胸のふくらみの中で騒ぎだした鼓動に、落ち着くように言い聞かせた。
シャワーの温もりがアタシの全身を包み始めた。
「ねえバロンさん。あ、駄目よ、振り向かないで聞いて」
アタシは彼に背中を向けたまま声をかけた。
微かに衣擦れの音がした。
アタシは彼を見ていない。彼が盗み見ても、きっとわからない。
だけど彼は絶対にそんな事はしない。今日のアタシは、それを信じる事が出来た。
「こうすれば、シャワーしながらでもバロンさんと話せるでしょ。」
「そうでやんすね、なかなかの名案でやんす」
彼の声に、まだ出会ったばかりの頃のような、微かな緊張が感じられた。
カース星の不正入星収容所で初めて彼を知った時、どんだけ変わり者のタコなんだ、って思ったっけ。
われ知らず、口元が緩んだ。
あれから、色々な事件があった。
なんだかんだで関係も変化してきて、まだ素直になれない部分も多くあるけれど、彼に対する気持ちは、どうやら確かなものみたいだ。
「今日も疲れたでやんすね、なんだか朝から色々とあったでやんす」
「久しぶりに真剣勝負したしね。ほんと、戦うたびに強くなってくるんだから、イヤになっちゃう」
「?」
「あ、何でもない、それはこっちの話」
危ない危ない。
つい、ライ時代の事まで一緒くたにしてしまう所だった。
けど。
本当に彼は強くなった。
アタシは頭の先からシャワーを浴びた。
全身が光に包まれて、余計な感情までもが洗い落とされるような感覚を覚えた。
「さっきさ、アタシ頭に来ちゃったんだ」
頭の中で、アブラムの話がリフレインした。
それと、アタシをまるで一人の人間ではなく、品定めをするようなサバティーノの視線。
アタシという女の表面だけを見て・・・、いや、バロンさんに対してもそうだ。
外見だけで、彼らは人を判断していた。
目に見える情報なんて、その本質のこれっぽっちも映し出していないのに。
そんな薄っぺらな認識だけを理由に、言葉も態度も変わってしまう人たちが、この世にはたくさんいる。
それが悪ではないと知りつつも、どうしようもない怒りが生まれた。
彼らのことだって、理解はできる。
生き方や、生きてきた環境で、人の概念は作られる。それを、ただ悪しく決めつける事なんて、アタシにだってできない。
彼らが人を差別する事を納得はできないが、そういったアタシの観念を押し付ける事だって、結局は同じことになる。
だから、アタシは彼らの事を、「違う」って理解するだけしかしない。
それでも、頭では分かっていても、感情は決して癒されない。
「頭に来てさ、いくらルナルナの頼みだからって、こんな奴らの事を守るために、今からお手伝いをするのかって思ったら、すごくイヤな気分になった」
「ラライさん・・・」
彼の声が微かに沈んだ。
「それで、わざとあっしの事をパートナーって・・・、あんな大勢の前で、付き合ってるなんて、言ったでやんすね」
アタシは返す言葉に詰まった。
その通りだけど、それが全てじゃない。
そこは、彼に気付いてほしかった。
「ごめんね、変なこと言っちゃって。バロンさんの事も考えないでね」
「あっしのコトでやんすか?」
「うん。だってさ、ただでさえバロンさん、あの酒場の中でも浮いた感じがしてたのに、あんなこと言っちゃったら、ますますこの町の人に疎まれるかもしれない」
「どうでもいいでやんすよ。所詮あっしは渡り鳥でやんすし、大好きなラライさんのお供が出来れば、今はそれだけで満足でやんす」
アタシは彼の言葉を聞いて、シャワーの熱以上に体が熱くなった。
んもう。
そういうところ、ストレートに言うの反則だよね。
「それに、あっしは嬉しかったでやんす。例えその場しのぎの嘘でも、あっしの事をパートナーって言ってもらえて。天にも登る心地だったでやんすよ」
例え嘘でも・・・か。
そうだよね。
アタシ嘘つきだもんね。
これまでだって、いっぱい嘘ついて生きてきたし。
嘘で自分を守って、嘘で自分の将来を決めようとしてさ。
ほんとは中身なんかこれっぽっちも無い。
経歴も、戸籍も、それに名前だって、全部つくりもの。
こんなアタシなのにさ。
アタシはシャワーを止めた。
光粒子を生み出していた独特の振動が途絶えて、急に部屋が静まり返った。
足元から、まだ続いている酒場の喧騒の声が、微かにしみだしてきた。
「好きなのは本当だよ」
アタシは、言った。
返事はなかった。
ただ、彼の呼吸音が一瞬だけ止まった。
「好き」
アタシはもう一度声に出した。
「アタシは、バロンさんの事が好き」
それだけは、本当だ。
こぶしを握り締めた。
気付いたら、歯を食いしばって、涙をこらえてた。
何故泣きたくなったのかなんて、わからない。
わかるもんか。
感情なんて、自分でどうにかできるものじゃないんだ。
「ラライさん・・・それって・・・!」
彼の声が聞こえた。
動揺してる。
喜びを通り越して、彼は困惑している。それが言葉から伝わってきた。
「何度も言わせないでよ、アタシ、バロンさんのコトが好きなの、ただ、それだけなの」
アタシは叫ぶように言って、振り返った。
彼と、目が合った。
・・・。
・・・・。
・・・・・?
え・・・目が合った!?
「ば・・・・ば・・・バロンさんの・・・」
「はっ、これは、いや、違うでやんす! 驚きと感動のあまり、つい体が勝手に、っていうか・・・」
「バロンさんの、ばかーっ!!」
アタシは全身全霊の右アッパーで彼の体を天井まで飛ばしてやった。
ったく。
何で振り向くのよ。
人がせっかく、勇気を振り絞って告白してるってのに。
なんて最低な奴なんだ。
アタシはプリプリしながら、急いで下着とスウェットを身に着けた。
全くもう。
感動の告白が台無しじゃないか。
また違う意味で泣けてきた。
彼は、ようやく自意識を取り戻した。
「ご、ゴメンなさいでやんす~」
ちょっと泣き出しそうな声になっている。
「いいわよ、もう」
アタシは腕組みをして、ぷいと横を向いた。
こんなんなら、今夜もルナルナの部屋で休めばよかったかな。
ちらりと横目で見ると、彼はベッドの端にちょこんと小さくなっていた。
ため息をついて、アタシは彼の隣に座った。
それから、何も言わずに彼に体をもたれかけさせた。
彼が驚いたように体を固くしたのがわかった。
「ビクビクしない、男なんだから」
アタシは上目遣いで彼を見た。
今度こそ、まともに彼と目が合った。
「ラライさん、さっきのは、その・・・事故というでやんすか・・・」
「あら、この期に及んで言い訳するつもり?」
「いや、言い訳というか・・・。まあ、言い訳でやんすよね、やっぱり」
「気にしないでよ。アタシも悪いのかもしれないから」
「ラライさんは、何も悪くはないでやんす」
あわてて言う彼の表情が、なんだか可愛くみえた。
いや、確かにアタシも悪いのだ。
誘ってないなんて、うそ、ちょっとだけ、安っぽいスリルにゾクゾクしてた。
彼に見られたくないなんて、多分、思ってない。
だから、彼のコトばっかり責めるのは良くない。
「いいの。それよりも、さ」
アタシは視線を外した。
急に、ものすごく恥ずかしくなってきて、彼を見つめているのが辛くなった。
けど。
言わなきゃ。
ちゃんと言っておかないと、後でもっと後悔する。
「アタシがさっき言った事、あれって、本当だよ」
「あ、あ、あ、あっしのコト、す、す、好きって、言った事でやんすか」
頷いたら、うなじから耳のあたりまで、ぽーっと赤くなった。
「じゃ、あっしと、本当にお、おつきあ・・・」
「それとこれとは話は別!」
アタシはぴしゃりと言い切った。
彼の表情が固まって、「・・・」という顔になった。
深呼吸して、アタシは気持ちを整理した。
「アタシはバロンさんの事が好き。人としてとか、友達として、じゃなくて、多分、一人の男性として、アタシはバロンさんが好きになってる」
彼が、ゴクリと唾を飲み込んだのがわかった。
「きっと、自分でも馬鹿みたいなことを言ってるんだと思う。すごく自分にだけ、都合のいい話をしてる。だけど、それでも聞いて」
返事はない。
アタシは気にせずに続けた。
「アタシはバロンさんに、まだ話してない過去がある。それは、アタシ達の関係にとって、とても大変なことかもしれないし、もしかしたら、すごくつまらないことかもしれない。だけど、アタシには・・・」
くそ、思うように言葉が出ない。
どういえば、この心の内が伝えられるのかな。
「とにかく、アタシにはそれを乗り越えるだけの時間が必要で、それと、覚悟、そう覚悟って言ったらいいのかな、・・・まだアタシには色んな意味で覚悟が出来ていないんだ・・・、だから、まだ、バロンさんとお付き合いをするわけにはいかなくて・・・それに」
ええい、もどかしい。
いっそのこと、アタシは「ライ」なんだ、って、叫んでしまえばいいじゃないか。
「まだ、アタシは自分が当たり前に幸せになっていいって、思えない。アタシは、アタシのコトを・・・」
許せていない。
その言葉が、胸につかえた。
「なんとなく、それは、わかってたでやんす」
彼の声が、静かに肩を抱いた。
アタシは再び視線をあげた。
見慣れたはずの、慈しみに満ちた二つの瞳が、アタシを見つめていた。
「ラライさんが、何かとてつもなく重いものを背負ってるってのは、あっしにはわかっていたでやんすよ。そして、きっとまだラライさんは、自分自身でそのコトに、納得ができてないでやんすよね」
・・・。
そう。
そうなんだ。
バロンに伝えたら、関係が壊れるのが怖い。
それも、もしかしたら嘘っぱちかもしれない。
本当はアタシが、・・・自分自身が一番嫌いなアタシ自身を、彼に見せてしまうのが嫌なだけ。
彼に打ち明けられない本当の理由。
彼と、恋人になれない本当の理由。
それは、アタシの中の、つまらない感情だけの話なのか。
「それでも、あっしは良いでやんす」「
彼の声が聞こえた。
「あっしは、ラライさんが答えを出せるその日まで、今まで通り、ちゃんと待ち続けるでやんす。側に、居続けるでやんすよ。それは、許してくれるでやんすよね」
心が震えた。
自分でも止めようのない涙が、勝手にあふれてきた。
「本当に、待っていてくれる?」
答えなんか聞くまでも無かった。
彼は待っていてくれる。
その時が、きても、来なくても。
アタシが生きている限り、彼が、生きている限り。
いや。
もしかしたら、アタシがアタシでなくなったとしても。
待っていてくれる。
そして。
かならず。
側に。
いてくれる。
彼は、アタシの体を抱き寄せた。
ためらいも戸惑いも無く、お互いが同時に呼吸を重ねた。
温もりが涙をとかして、満ち溢れる喜びへと昇華した。
これは小さな一歩。
二人にとって、ほんの少しだけの前進。
それでも、確かな歩みだ。
お互いを好きと認めあってはじめての抱擁は、激しい感情の奔流となった。
気付いたら、ベッドに倒れこんで、互いの温もりを感じあっていた。
ねえ。
ここまで。
許して良いのはここまでだよ。
アタシを守ってきた、頑丈な卵の殻に、ほんの小さなひびが入った。




