シーン16 アタシが噂のその人です
階上に戻った時には、開店を待ち切れない男達が、既に何人か店内に入り込んで、勝手にテーブルを囲み始めていた。
「しゃーねーな。サラ、オーダーとってこい」
ルナルナは腕まくりをした。
「もう、とってきましたー、あのテーブルはとりあえず全員カルツ酒です」
ウェイトレスのサラは、少し動いただけでこぼれ出てしまうほど、大きくはだけた胸をゆさゆさと揺らしながら、盆の上に乗せたジョッキを器用に運んでいた。
「2番テーブルに、ウィンナーとフライのオードブルお願いでっす」
もう一人の女の声もした。
「あと、こっちは、ユーグのテールスープだそうです~。あっ、それと、カルツ酒2杯とホットミルク一つ追加~」
「ったく、手が足りねーな」
手早く髪を結い直し、業務用の大型ボトルのレバーを開いて、カルツ酒を注ぎ始める。
それにしても、なかなかの繁盛ぶりだ。
こんなに一斉に注文が入って、ルナルナ一人で捌ききれるのだろうか。
何かしら手伝おうか、と思っていると。
「はい、アコさん、オードブルはこんな感じで良いでやんすかね」
耳馴染みのある声がして、アタシは目を疑った。
え、誰?
いや、あの語尾を聞いたらもう、説明不要だ。
アタシが思わず二度見する先で、いつの間にかカウンター内に入っていたバロンが、八本の腕を振るって、器用にフライパンを振っていた。
・・・バロン。
一体そこで、何をやってるの・・・。
「やーん、バロンさん素敵~っ。本当に料理も出来るのね~」
甘ったるい声がした。
サラと比較しても、より豊満なボディのアコという女が、彼の手から料理の皿を受け取りながら、愛嬌たっぷりのウィンクをしたのが見えた。
「それ程でもないでやんす~、次はミートローフでやんすか、任せるでやんす!」
バロンは見るからに得意げになった。
随分と楽しそうな表情だ。
あれ、鼻の下がだらしなく伸び切っている。
「バロンさ~ん、サラダも盛ってもらえますか~、チーズかけて~」
今度はサラが声をかけた。
「えーと、これでやんすね、ドレッシングは?」
「そのままちょうだ~い」
「合点でやんす!」
ぽかんとして、ルナルナが3人を見た。
「どうなってんだ、なんであのタコ・・・もとい、あのお客さんが厨房に入ってるんだ、おいサラっ!」
「あはは、手伝ってもらっちゃいました~」
「もらっちゃいましたじゃねえだろ!」
「だって、料理は得意だっていうから~」
サラは誤魔化すような笑顔になった。
ムカつくぐらいチャーミングな笑顔だった。
「さっきルナリーさん達が下に行ってから、一人でさみしそうにしてたんでぇ~、ちょっと話しかけたんです~、そうしたら、すんごく感じのいいお兄さんでぇ~」
サラは、相方のアコに目くばせをした。
アコはペロッと舌を出した。
「毎日お客さんが多くて、仕込みが大変なのって言ったら、手伝ってくれるって~、えへへ、せっかくなんで好意に甘えちゃいまっした~」
「ったく、素人に何をせてんだ・・・」
呆れかえって宙を仰ぐルナルナに、バロンはグッと指をたてて見せた。
「あっしはただの素人じゃないでやんすよ。こう見えても、カース惑星認定料理師免許4級を保持してるでやんす」
きらん、と彼の眼が光った。
知らなかった。
確かに彼って料理が上手だなっては思ってたけど、ちゃんと免許を持ってたんだ。
アタシは人知れず納得した。
付き合いが長い割には、バロンの過去ってのも、まだまだ謎だらけだ。
アタシの隠された経歴もどうかと思うけど、彼の過去だって、もしかしたらアタシが思う以上に複雑なのかもしれない。
「へー、じゃあ、プロの料理人ってことか」
「手に職をつけるのは、一流の海賊として当然のことでやんす。一宿一飯の恩義、ってわけではないでやんすが、良かったらお手伝いするでやんす」
「そりゃあ、助かる・・・けど。えっ・・・今、海賊って言ったか?」
「そこは聞き流していいでやんすよ」
ルナルナはアタシに複雑な顔をしてみせた。
お前、こいつ大丈夫か? と聞いてくるような目だった。
そんな目をされてもねー。
ま、大丈夫なような、そうでもないような。
アタシは別に彼の保護者じゃないし、むしろ、こっちが保護されてる身ではあるんだけど。
それはともかく。
こと料理に関しては、バロンは確かに腕が立つ。その点においては、少なくとも、アタシよりも役に立つのは間違いない。
考えてみれば、アタシ達は宿代も払わずに泊めてもらっている身だ。このくらい手伝わさせてもらう方が、かえって気が引けなくて良いってものだ。
けど。
アタシはそれとはまったく関係のない所で、なんだか胸の中がモヤモヤと苛立った。
なんでだろう。
バロンのイキイキした様子が、何故だか妙に気に障る。
そして。
彼に対して、楽しそうに声をかけるサラとアコの二人の仕草が、ものすごく不快だ。
ふーん。
あー、そう。
いいわねー、得意分野のお披露目が出来て。
可愛い子二人におだてられて、さぞかし気分が良いんでしょうね~。
だいたいさー。
バロンのやつ、昨日は勝手に飲み潰れたくせに、今日は一緒にご飯を食べようとか、アタシをエスコートして、ちょっとだけ夜風にあたりに行こうとか、そんなムーディな気分にはならないのか。
さっきまで、あんなに死にそうな顔して「あっしとしたことが~」とか言ってたのに、アタシの事なんか、どうでもいいみたいじゃない。
こっちは彼の為におみやげのお酒まで買ってきたのにさ。
それなのに。
「すごい~、バロンさんそれ美味しそうっつ!!」
二人の若いウェイトレスがかわるがわる彼に声をかけて、その度に、彼の頬があからさまに緩んでいくのを、アタシはまざまざと見せつけられた。
なーにーよー。
若い子に声をかけられるのが、そんなに嬉しいのか。
この無節操、変態タコ野郎っ。
死んじまえ、バカ。
頭がかっかしてきて、湯気が出そうになった。
バケツ一杯分のお湯なら、一瞬で沸かせそうな気分だ。
ルナルナは察したようだった。
ちょっとだけ申し訳なさそうな顔になって、困ったように彼を見た。
とはいえ、注文は次々と飛んでくるし、それに対応するバロンのテキパキとした動きには、なかなか口を挟む隙が生まれない。
ルナルナは仕方なさそうに、小さくアタシに「ゴメン」と言って、手を合わせた。
おそらく、彼女なりの埋め合わせのつもりだろう。
他のお客さんを差し置いてまで、ルナルナはアタシの前に、熱々の手料理を並べてくれた。
とても美味しい、はずだったが、なんだか全然味がわからなかった。
店内の混雑は、それからしばらく続いた。
ピークを過ぎ、少しだけ落ち着きが生まれてきた時分。
アタシは一人でブツブツと毒を吐きながら、一向にアタシを見てくれないタコの禿頭を睨んでいた。
そんなアタシの隣に、誰かが立った。
太い腕がカウンターに伸びた。
つんと汗のにおいがして、アタシはつい眉をしかめた。
なんとなく、目つきが悪くなってしまった。
「ビーノから聞いたぜ」
男が、太い声を発した。
その声はルナルナに向かって発せられていた。
「例のプレーン乗りって奴が、この町に来てるんだってな」
アタシは声の主を観察した。
初老に入ろうかという、それでいて、がっしりとした体躯の持ち主だった。
四角張った顔は赤く日焼けしていて、太い眉の下には意志の強そうな目が光っている。
この顔は、昨日もこの酒場で見かけた。
ルナルナが教えてくれたっけ・・・確か、名前は・・・。
ルナルナは男に気付いて、グラスを拭く手を休めた。
「さすがに話が早い・・・って、旦那、いつになく機嫌が悪そうだな」
「たりめーだ、シャフトが殺られたんだぞ」
だん、と、男はカウンターにこぶしを叩きつけた。
チリリン、と入り口から音がして、幾つかの足音が入ってきた。
アタシはそっちの方に目を向けようとしたが、その前に、隣に立った男と目が合った。
ぎろりと睨まれて、無意識に愛想笑いをした。
男はアタシを値踏みするように見た。少しだけ戸惑った表情を浮かべたが、すぐに興味を失ったように、ルナルナに視線を戻した。
彼の声には、ぶつけようのない怒りが乗っていた。
「死んじまった奴の事を、今さら言っても仕方ねえが、これでまた一人、大事な仲間を失っちまった。そのプレーン乗りって奴を味方に引き込めなけりゃ、いよいよ防衛隊はジリ貧になっちまうぞ」
「そう喚くなよ、アブラムの旦那。周りの連中がビビってるぜ」
ルナルナは彼の怒気をさらりと受け流した。
アブラムの旦那。そうか、親方って呼ばれていた人だ。
確か、この町の代表をしているっていう、元エネルギー技師の開拓者だっけ。
「まあ座りなよ、ここは酒場だぜ、話は飲みながらにしなよ」
なみなみと注がれたグラスが差し出された。
アブラムは一瞬喉の奥から唸るような声を洩らしたが、気を落ち着かせるために深呼吸をすると、仕方なしに腰を下ろした。
突き刺すようなアルコールの感触が、彼の荒れた唇を湿らせた。
「で、そのプレーン乗りとは話はついたのか」
アブラムは一呼吸を置いてから言った。
僅かに、落ち着いた表情になっていた。
「まあ、一応な。事情を話したのも、ついさっきのコトだから、まだ詳しくまでは説明してないけどよ」
「そうか、それで、答えはどうだった」
「それなら、直接、本人の口から聞いてみればいいさ」
「あン? なんだって?」
「そのパイロットなら、さっきから隣にいるぜ。ほれ、あんたの隣だよ。その子がそうさ」
「は? ・・・ええと、こいつ・・・いや、この人が」
ルナルナが指し示した人物。
もちろんこのアタシを振り向いて、アブラムは、目を剥いた。
どうも~。
噂のプレーン乗りで~す。
「ラライです、はじめまして」
アタシは優等生を装う挨拶をした。
さっきの小悪魔的愛想笑いを再び。
今度は彼の硬い表情に、ほんの少しのほころびが見えた。
彼は咄嗟に視線を逃がした。
「お、おう、俺はこの町の、何つーか、代表を、みたいなことをしているモンでな・・」
「アブラムの親方ですよね、ルナルナに話は聞いてます」
「ルナルナ? ああ、ルナリーの事か」
アブラムはきょとんとして、それからアタシとルナルナを交互に見た。
ルナルナが頭を抱えた。
「ラライ、お前なあ、町の連中の前でその呼び方は止めろよ」
「なんで? 可愛くて良いじゃない。だってルナルナはルナルナだし」
「可愛いから嫌なんだっ」
ルナルナは怖い顔をしてみせたが、全然怖くなかった。
アブラムはアタシ達のやり取りを見て、最初のうちは唖然とした顔をしていた。
だが、そのうちにアタシ達の親密な関係に気付いたのか、急に緊張をほぐして、険しい顔に子供のような笑みを浮かべた。
「ルナルナか、そりゃあ随分と可愛い呼び方だな」
「親方までっ!! ・・・もう、ラライのせいでっ」
「ははあ、なるほど、この鬼より怖いルナリー嬢にそんな軽口を叩くってのは、なかなか面白え。あんた、噂通りの人物かもしれんな」
アブラムは大声で笑いだした。
「何を飲んでる? 酒か? 俺がおごるぞ」
「アタシはアルコール駄目なんです。甘いジュースなら」
「なんだあ、ジュースかあ? まあいい、おいルナルナ、彼女に何か出してくれ」
「その呼び方はヤメロ、それ以上言ったら、旦那でもぶっ飛ばすよ」
ルナルナが目を三角にして腕まくりをした。
アブラムという男は、さすがに「親方」と呼ばれるだけのことはあった。
豪快な態度と、それでいて決して堅苦しさを感じさせない物腰。
彼が何かを話すたびに、周囲からは笑いやヤジが飛んで、落ち着きかけていた店内が、ぱっと明るくなったような雰囲気に変わった。
アタシにしては珍しく、このアブラムという男には、好印象を覚えた。
「アタシのこと、ルナルナったら、そんなに話してたんですか?」
二杯目のミルクジュースを口に運びながら、アタシは彼に尋ねた。
「ああ、レバーロックがこんな状況になってからは、事あるごとに言ってたぜ。アイツが来てくれたら・・・きっとこの町の力になってくれるってな。まさかこんな可愛い娘さんとは思わなかったがね」
彼は不器用にウィンクをした。
ルナルナは素知らぬ顔をして、ゆでたてのグリーンベジタブルに、マヨネーズを添えて、アタシ達の前に置いた。
天然の野菜だ。
培養プラントで生み出される合成食品以外の野菜を食べる機会なんて滅多にないから、アタシは喜んでほおばった。
意外に熱くて口の中を火傷しそうになった。
「蒼翼のライと、互角以上の腕を持つパイロットだってな。まさか、とは思ったが、もし力を貸してくれる奴がいるなら、この上なく有難い話だ。で、俺からも頼んだのよ、なんとかして、そのパイロットをこの町に呼んでくれないか・・・ってな」
「へえ~、そうだったんですか~、なんだか気恥ずかしいですね」
アタシは恐縮した素振りを演じた。
「で、蒼翼と互角以上ってのは、本当なのか?」
「どうですかね、さすがにオーバーだと思いますけど。あっちは何しろ、銀河の英雄とまで言われた大海賊ですからね」
「まあ、確かに知名度っていえばそうだがな」
実際には本人だから、互角っていっても良いのかもしれないけど。
下手に大言を吐く程、アタシだって馬鹿じゃない。
少しくらい卑屈なほうが、この世界じゃ生きやすいって事も、アタシは学んでいるのだ。
「だが、このルナル・・・」
ルナルナに睨まれて、アブラムはコホンと咳払いをした。
「このルナリー嬢が太鼓判を押すんだ、間違いはねえだろう」
「ああ、間違いないぜ」
ルナルナが口を挟んだ。
「だろうな、なにせ、蒼翼好きが高じて、てめえの店の名前までブルーウィングってつけた女が、その憧れの英雄と同じくらい強いって、言い切った奴だからな」
アブラムは、あっという間に五杯目のカルツ酒に手をかけた。
豪快に飲み干す横顔を見てから、アタシはカウンターの向こうに視線を回した。
バロンが食器を洗う姿が目に入った。
ウェイトレスは、いつの間にか一人しか居なくなっていた。
サラという女の方だけが、まだ客の間を歩き回りながら、時々、嬌を含んだ笑い声をあげている。誰かに悪ふざけされたのだろうか、スカートが半分めくれて黒いガーターベルトがのぞいて見えていた。
男達の視線が、彼女の下半身へと注がれていくのがわかって、アタシはげんなりとした。
「で、頼まれてくれるのかい?」
アブラムがアタシを引き戻した。
「そうね、そのつもりだけど、何をすればいいの。この町を守るために戦って欲しいってのは分かるけど、アタシは人殺しはしない主義なの」
「こっちから攻める気はないし、別に殺しを頼みたいわけじゃねえ」
彼はカウンターの端を指で叩いた。
「アンタに頼みたいのは、俺達に、戦い方を教えて欲しいんだ。もっとはっきりと言えば、戦うための、プレーンの扱い方って奴をな」
「戦うための扱い方か・・・出来るかなあ」
アタシは、昼間の戦闘を思い出した。
ビーノに、マリアだったっけ。
プレーンを扱う腕はそれなりみたいだったけど、確かに、あの戦い方では、今後再び敵が攻めてきたら、命がつながる保証はできない。
だけど。
アタシにそんな先生みたいな事なんて、出来るだろうか。
知らず知らずのうちに、アタシは険しい顔になってしまった。
アブラムは、それを見て、何かを誤解したようだった。
「頼むっ! 俺達はどうしてもこの町を守りてえんだ」
突然、深々と頭を下げられて、アタシは驚きを超えて、ちょっとだけビビった。
仮にも町の代表とも言うべき大の男が、こんな正体も分からない女に頭を下げるなんて。
にわかには信じられない光景に思えた。
「ちょ、顔をあげてくださいよアブラムさん」
アタシは彼の肩を叩いた。
だが、頑として彼は頭を下げたままだった。
「頼む、どうか、頼まれてくれ」
繰り返すのは、その言葉ばかりだった。
困ったなあ。
なんだか、はた目にも恥ずかしい。
ってーか。
もしかして、彼、酔っ払い始めてるんじゃないかしら。
「あーもう、わかったから、わかりましたからっ」
仕方なくそう答えると、彼は突然、アタシの両手をがしっと抑えて。
「本当だな、確かに受けてくれるんだな」
真剣な目でアタシを見つめてきた。
ちなみに。
彼の握力は半端なくて、握られた瞬間、アタシの指の節が全部ぽきぽきっと音を立てた。
これは。
突き指したかもしれない。
苦痛を笑みで誤魔化しながら、何とか手を離してもらおうとしていた時だった。
彼の背後から、声がした。
「親方、私にはそんな助けなんて、必要ありません」
女の声だった。
アタシは顔をあげた。
いつの間にそこに居たのか、昼間会ったマリアという女が、何故かアタシに向かって厳しい表情を向けていた。




