シーン9 小さな店の小さな夢
店内は、まるで、町の住民が全員つめかけているのではないだろうかと思う程の活況を見せていた。
客の九割は男性だ。
グラスを合わせる音や、野卑た笑い声、古めかしい弦楽器と、それに合わせて調子はずれに歌う声も聞こえる。
若い二人のウェイトレスが、慣れた手つきでジョッキをテーブルに運んでいた。
「ルナリーさん、アブラムの親方が、ユーグのハムを追加だってさ」
一人がアタシとバロンの間に体を滑り込ませて、元気のいい声で注文を伝えた。
それにしても、随分と露出度の高いコスチュームだ。
アタシの目の前で、今にもこぼれだしそうな胸が揺れる。
むこうで、彼の眼がぎこちなくそのふくらみを追ったのが見えた。
まったくもう、これだから男って。
思ったが、まあ、あの格好じゃやむを得ないかな。
胸は半分以上露出してるし、スカートの丈は、ちょっと屈んだだけで下着が見え隠れするほどだ。
「先に、リップロットさんのテーブルにカルツ酒だ」
手際よく、ルナルナは指示した。
「サバティーノさんも、カルツ酒の追加でーす」
もう一人の女の声が飛んだ。
「すごい活気でやんすね」
バロンは二人のウェイトレスから、ようやくアタシに視線を戻した。
アタシがメニューを開きかけたところで。
ルナルナがぽんと、白い液体の入ったグラスをアタシの前に置いた。
「ユーグのシュガーミルクだ。ラライ、どうせ酒は飲めないんだろ」
「ユーグって・・・あの牛みたいな生き物?」
「ああ、ちなみにその一杯は、リップロットさんからのおごりだそうだ」
彼女が指さした先に視線を回すと、牧場であった禿げ頭の老人が、グラスを掲げてアタシに手を振っていた。
彼は同じような格好の男性数名とテーブルを囲んで、既にだいぶ顔を赤くしていた。
「リップロットさんは、レバーロックでも一番の酪農家さ、この街でも尊敬を集めている一人だよ」
ルナルナは手を休めもせずに説明した。
その他にも、客の中には町の有力者が何人も集まっていた。
人が住めるように、区画を整理したアブラムの親方というのは、一応町長のような立場にいるらしい。
その他にも、近くにある鉱山と物資供給のパイプ役をしているサバティーノ。
同じカウンターに並んで、一人で黙々とナッツの炒め物を食べ続けている男は、サボテンに似たカルツ草という原生植物を育てて、そこから度数の強い酒を作り出したマルティエという職人だった。
「まあ、どいつもこいつも、脛に傷のある奴らばっかりだからね。過去は何者か知らないし、本名を名乗ってない奴が殆どだ。正直に言えば、ロクデナシの集まりさ。だけど、オレ達には共通してる事がある。それは、何とか前を向いて、この星で新しい生活を築きたいって、その思いがな」
どこか自慢げに、ルナルナは言った。
「ロクデナシは酷いな、ルナリー」
聞こえていたと見えて、マルティエという男が、低い声で言った。
声を聞く限り、バカみたいに真面目そうな男だという印象があった。
「少なくとも私は、純然たる思いで新酒の開発に取り組んでいる。別に、どこかを追われてきたわけじゃない」
「旦那のこととは言ってないよ、マルティエ」
苦笑いをしながら、ルナルナはアタシの前に皿を置いた。
イモとハムを煮込んだ、コンソメ味のスープだ。それに、少し硬めのパン。その他にも、可愛らしいオードブルと、サラダが次々に並んだ。
決して豪勢な料理ではないが、口に含んで、アタシは心から癒されるような暖かな気持ちになった。
美味しいなんて表現じゃ足りない。
そう、この味は彼女の愛情そのもの、そんな感じがした。
バロンはユーグのハムが気に入ったようだった。
適度な歯ごたえに、くせになる独特の匂いがある。
アタシとバロンは他愛もない話題を楽しみながら、最高のディナーに酔いしれた。
バロンが三杯目のグラスを飲み干して、千鳥足でトイレに立ったころには、店内も少しだけ落ち着きを見せ始めていた。
ルナルナもようやく手を休めて、ふうと大きく息をついてから、グラス一杯の水を一気に喉に流し込んだ。
アタシはふと、ウェイトレスが一人いなくなっているのに気付いた。
いつの間にか帰ったのかな。
それにしても、一番忙しい時間帯に消えるなんて、ちょっと妙だ。
もう一人のウェイトレスが、客の一人と馴れ馴れしく肩を組んで近づいてきた。
「ルナリーさん、二階、また良いですか?」
「ああ、決まったのかい」
「うふ」
女が意味ありげに笑って、ちらりとアタシにもセクシーな流し目をした。
茫然としている横を通り過ぎて、彼女は客と一緒に、二階へと姿を消した。
「えっ、ルナリー今のって?」
アタシが訪ねると、彼女は一瞬素知らぬ顔をした。
「まあ、実を言うとね、あの娘たちは、うちで雇ってるわけじゃないんだ」
「だって、注文とったりしてたじゃない」
「持ちつ持たれつ、って奴だよ。あの娘たちは、いわゆる娼婦でね、ここで客を取ってる」
「しょっ・・・!!」
「最初は外で客を拾ってたんだが、それはそれで迷惑だった。かといって追い出すのも酷だし、だったらここで手伝いながら客を探させればいいって考えてね。そのかわり、客が見つかるまではここウェイトレスをする。で、客が取れたら二階で商売。オレは部屋を貸す金を、その男から頂く、って寸法さ」
アタシは開いた口がふさがらなくなって、金魚みたいに口をパクパクとさせた。
そうか。
二部屋開けとかないと、ってのは、その為だったって事か。
「じゃあ、まるで、ここって娼館みたいなもんじゃない」
「そんなに目くじら立てんなよ、あの娘たちも事情もちでさ、他に行く当てもないみたいだし・・・。もし、ここを貸さなかったら、どこで商売しだすか分からない。そうなると、かえって危ない目に合わせることになるかもしれねーしさ」
必要悪ってのは、確かにある。
それはそれで、必要なのかもしれないけど。
どこかですっきりしない思いになった。
ルナルナは冷蔵庫から小さなケーキを取り出した。
冷やし固めて作った、手作りのレアチーズケーキだった。
「多分、良い具合に出来ていると思うんだけどな。お前、甘いもの好きだったろ」
「これ、アタシの為にわざわざ?」
「そ。食べてみてくれよ」
彼女は肘をついて、嬉しそうにアタシを見つめた。
ケーキは、間違いなく極上の味がした。
バロンが千鳥足で戻ってきた。
アタシの横に座って、食べかけのチーズケーキに気付いた。
「良いでやんすね、デザートでやんすか」
「最高! でも駄目よ、あげないわよ」
「えー、ずるいでやんす~」
本当は少しぐらい食べさせてあげたかったけど、なんだかルナルナは、そうしてほしくないように思えた。
店の最後の客が出て行って、静けさだけが残された。
バロンはしっかりと酔いつぶれてしまい、ルナルナと二人で部屋に運んで寝かしつけた。
片付けが済んだのは、それから二時間も後の事だった。
最後のテーブルに椅子を逆さにかけたところで、ルナルナはアタシをカウンターの陰に呼んだ。
小さな丸椅子を二つだけ並べて、彼女は暖かいティーを入れてくれた。
「大変ね、これって毎日こうなの?」
「ああ。今日は忙しい方だったけどな、でも助かった、最後手伝ってもらってよ」
「このくらい、何ともないわよ」
アタシはティーをすすりながら、ランプの光に照らされた彼女の相貌に、満ち足りた喜びが浮かんでいるのを、どこか羨ましく感じた。
「なんだか、面白い人たちばっかりね。それに、良い店だわ」
「本当に?」
「もちろん本当よ、ルナルナも、なんだか前よりずっと生き生きとしてるみたい」
「そうか、お前に言われると、なんだか、照れるな」
彼女はうなじに手をあてて、はにかんだ様に首を傾げた。
「こういう生活・・・。オレ、夢だったんだよな」
「夢?」
「ああ、オレは戦時中のトーマ生まれでさ、両親の顔も知らねえし、物心ついた頃には、銃を片手に戦場をかけずり回っていた」
それは、知っている。
ずっと前、彼女と仲間になった時に、何度か聞いた話だ。
アタシは余計な口を挟まず、彼女の言葉の続きを聞いた。
「結局、アタシは負け組に入って、戦争が続けられなくなってからも、結局は人を殺す仕事を続けるしかなかった。それから宇宙に出て、何にも知らない平和な星に足を踏み入れるたび、そこで営まれている平和な暮らしが憎たらしくて、ぶち壊したくて仕方なかった」
それも、知っている。
その破壊衝動が狂気となって、気がつけば「灰色の月」なんて呼ばれるテロリストになってしまったのよね。
そう、あの日まで。
「だから、そんなオレが・・・、人の幸せを、自分勝手な嫉妬心だけで踏みにじってきたこのオレが、こんな夢を見ていいなんて・・・」
声が詰まった。
その言葉の続きが、思いが、アタシには痛いほどよくわかった。
「幸せを掴んじゃいけないんだって、そんな事は十分にわかってる。わかってるつもりなんだ、・・・だけどよ」
ルナルナは唇を噛み締めた。
簡単に涙を流すような彼女じゃない。
自分を責め続ける痛みを、食いしばって生きる事の辛さと強さを、アタシは知っている。
「蒼翼」の一員になってからも。
誰よりも自分を押さえつけてきた彼女なのだ。
「この店は、オレのちっぽけな夢なんだ。こうして、町の中に居場所があって、人に囲まれて笑っていられる。大切な場所なんだよ」
そうか。
アタシは彼女の震える方に、そっと触れた。
「素敵な事じゃない。アタシも嬉しいよ」
アタシは心からそう言って、そして、今アタシがここに来た意味を・・・。
こうして彼女の呼びかけに応えたことの意味を、今さらながらに思った。
一抹の不安が、胸中をかすめていた。
ルナルナの夢、もう、叶いはじめているじゃない。
じゃあさ、どうしてここにアタシを呼んだの?
彼女からのメッセージが、頭の中でリフレインした。
オレンジが届けてくれたデータの中で、彼女がアタシに向けて発した言葉を。
『ライ、今になってお前に会いたいなんて、許されないことだとは思っている。だけど、お願いだ、ライ、オレを・・・オレ達を助けて欲しい』
助けて欲しい。
ルナルナは、アタシにそう訴えかけてきたのだ。




