第8話 天司の弾丸を使いこなせ!
それは時間にしてコンマ0.2秒。すぐ眼前に迫る鉄の塊に俺に出来ることは一つしか無かった。
「ーー受け止めろ!」
俺は瞬時に触手を生やすと鼻先まで迫っていた鉄塊を寸前で受け止めることに成功する。
しかし。
「くっ…おっも…!?」
当然巨大な鉄の塊である為その重さは推定でも2t超はあるだろうか。そもそもこの触手の限界積載量など測ったことも無いのでつまるところ普通にこのまま押しつぶされる未来も充分有り得る。
俺はなおも俺の足元で震える女の子に声を掛ける。
「お、お前…このままだとお前まで潰れるから早く…どいて欲しい…」
「……!」
俺の声に耳を傾けてはくれたものの、恐怖で腰が抜けてしまったのかまともに歩けてすらいない。這いずるような状態でこのままだと間に合わない。
「ーー悪い!」
「あっ…!?」
俺は少女の背中を野次馬に向かって蹴り飛ばし、その弾みで体勢が崩れ一気に俺は巨大な鉄の塊に飲み込まれた。
「ぐ…!!」
崩落。
辺り一面が土煙に覆われ、静寂が訪れる。口々に喚いていた野次馬さえも口を閉じ、その鉄塊の下敷きにされたであろう人間の生死を固唾を呑んで見守っていた。
そんな中、瓦礫を掻き分け動く影が一つあった。
「…いってえ…」
崩れた蟻塚から這い出すアリの如く身体は傷だらけにはなっていたが、特段目立つ負傷は無い。五体満足で居られたことにイオリは心から安堵した。
何故イオリはあの崩落から生き延びられたのか。
それは彼自身でさえも把握しきれていない触手の特性に起因する物だった。
例えば硬式野球のボールがあったとしよう。これをプレス機に置いてそのまま押し潰す。当然ぺちゃんこに潰れて平たくなってしまう。
次にテニスボール。多少の弾性を持っている為、硬式野球よりかは少量の抵抗は見せるがこれもまた中身を吐き出すように潰れて平たくなる。
では、そこに粘性が加わればどうなるか?
洗剤を塗りたくった硬式野球ボール。はたまた料理用油をぶちまけられたテニスボール。表面が活性化したその二つは当然の如くプレス機から弾き出された。
これと全く同じ現象がイオリの身に起きた。
少女を蹴り出した後体勢を崩し、重心を失った大量の鉄塊はイオリの身体を押し潰す…と思われていた。しかしイオリは希望を捨てなかった。押し潰される寸前に触手を360°自身の身体を囲むように展開・防御した。苦肉の策だった。
しかしこれが功を奏した。
イオリのその生にしがみつくその執着と、仙桃が遣わした魔女の力でイオリの触手は新たに『粘性』と『弾性』の特性を獲得した。
360°イオリを包囲した丸い肉の塊は、大量の粘液を分泌し、滑るように鉄塊を滑落・回避し、獲得した弾性によって中にいるイオリのダメージを極端に分散させ、最低限のダメージに抑えることに成功した。
かくしてイオリは崩落した鉄の塊から生還を果たしたのだった。
「おー痛て……なんかヌルヌルするな…」
俺は静まり返るその場を後にしようと、転移黒片を手に取った。
「…?」
キーンと耳鳴りがするのでよく聞こえないが周りの少女たちがなにやら口々に叫んでいる。ああ、なるほど人を助けたからそれについて感謝でもされているんだろうか。
徐々に冴え渡る聴覚に意識を向けるとそこにあったのら賛美でも感謝の言葉でも無かった。
「お、お前今、女を蹴り飛ばしました……?」
「は?」
「有り得ませんわ!死刑ですわ!」
「男の分際で女に手を上げるとか最低…!」
「おい、待てよ」
「キャーー!こっちに手を伸ばしてきましたわ!汚らわしい!触らないでくださいまし!」
「というかなんでオトコがここにいるわけ?これ侵入罪ってこと?」
そこに存在したのは罵倒、罵倒、罵倒。
陳謝も拝謝の気持ちもなく、ただただイオリにヤジを飛ばす少女達だけ。しかしその人混みの中に唯一罵声を浴びせない萎縮した少女が一人。俺が蹴り飛ばしたボサボサに伸びた黒髪の娘だ。右手にアンティークのような装飾が施された腕時計をしている。…あれ?どっかで面識があったっけ?
俺はおもむろに立ち上がり、彼女に近付いた。
「ごめん、ちょっと時間見せて」
「え?、あ……はい」
「キャーー信じらんない!男に!触られて!なんで貴女も平気なの!?」
「きもちわるーい!」
口の悪い兎耳のようなリボンを括りつけた金髪赤目の背丈の低い少女。その子が何か俺に野次を飛ばすとほかの女の子が後に続くことから俺はこの女がリーダー格だとなんとなく思った。
腕時計を見ると時刻はあと2分。意外と余裕があった。
「…ごめん、ありがとう。あと俺たちどこかで会ったっけ?」
「え、いや…その」
「私たちを無視しないで下さい!部外者の分際で!帝都に突き出しますよ!?」
「うるせーな、俺はここの生徒だよ。さっきの触手見てなかったのかよチビ」
「う、うる……!?じゃ、じゃあ生徒手帳はあるんですか!?あとチビじゃないです!」
「学生手帳はこれから貰うところだよ。思わぬ所で道草食っちまったけどな」
「信用出来る訳ないじゃない!みんな!死なない程度に痛めつけるよ!」
彼女が合図すると、まるで訓練された兵士の如くそれまでの外野にいた少女たちが俺を囲むように並ぶと、手が赤く光り輝いていく。
これは火系統の魔法だな。俺はそう直感すると懐から転移黒片を取り出し、赤目の少女が動揺したようにイオリに尋ねた。
「ぶ、ブラックカード!?なんで男がそれを持っているの!?」
「さあな。その鳥より小さな脳ミソで一生懸命考えてみろよクソチビ」
「むきー!遠慮は要らないわ!みんな!やっちゃって!」
俺はどこかであったことがある気がする黒髪の少女に振り向くとちょっとだけできる限りの笑みを浮かべた。
「時計、ありがとな」
「あ……」
一斉に手からバレーボールほどの大きさの火球が中央にいるイオリに向かって放たれる。同時にイオリは『校長室』と念じて姿を消した。行き場の失った大量の火球は中央で互いにぶつかり、爆発を起こす。
ほとんどの少女は防御魔法を展開して爆発から身を守った物の、間に合わなかった数名の少女は爆発の勢いに耐えきれずその衝撃で吹き飛び多少のやけどと、擦り傷を負った。
一方イオリ。
眼前に広がるのはあの見覚えのある赤い部屋。
そして偉そうにふんぞり返る机に足を乗っけたローブのババアことビクトリア・コスモス学院長だった。
「っぶねー!時間は!?」
「惜しいね、あと7秒でアンタのアソコが世界中にばらまけたのに」
「最低だな!」
やけに古そうな威厳のある古時計の指す針はギリギリ7時59分53秒。心臓が止まるかと思った。
「ーー!?坊ちゃん!制服がボロボロじゃないですか!!」
言われてみると新品の制服が擦り切れたり土が付いてボロボロになっている。
「そうだよ、おいクソババア!このカードでこの赤い部屋念じたのに訳分からん所に飛ばされて危うく死にかけたぞ!どうなってんだ!?」
「…なに?」
ビクトリアは三角帽子をクイ、とあげて鷲鼻を鳴らして予想外とばかりの声を上げた。
事の経緯をイオリは説明する。
「……そんなことが。しかし何故坊ちゃんのカードだけ?私の黒片はなんのトラブルもありませんが…」
「ふうん、なるほどね。まあこの学院も長いこと女だけでやってんだ!多少思想の尖った生徒達いるよ!」
「何よりも先に道徳の授業をさせとけよ…」
「にしても」
クソババアの表情が変わった。これはまるで昨日の説教の際のアリスのような。ブチ切れている奴独特の空気を纏っているーー!
「アタシの術式に唾付ける奴が居るとはねェ…!」
ヒッヒッヒッとビクトリアが引き笑いをする度に彼女の机の上にある羽根ペンやら謎の液体が入った丸い小瓶がカタカタと音を立てて揺れる。その怒りに震えるように。
「…まあいいさね、さて今日アンタ達にやってもらいたいことは一つ。『おつかい』さ」
「……は?おつかい?ガキじゃないんだから」
「まあまあ坊ちゃん」
「アンタは聞き分けが良いねアリス。でだ、イオリ。お前さんは中等部区画の方に出向いて教科書資料一式と学生手帳を受け取ってきて欲しい。なに大丈夫、既に向こうには話を通してある。お前さんは中等部区画の大規模商業施設『時計塔』の4階、『キンブリーの杖屋』に行って受け取るだけ。あとは遊んで帰ってくるなり好きにすればいいさね」
あんまりにも拍子抜けするそのお題にイオリは内心でラッキーとほくそ笑んだ。
「アリス、アンタはアタシと留守番だ。研究室で色々やりたいことがあるんでね。イオリには二人分任せているから大丈夫さね」
「ふ、不安です…」
「あれまあ、なに取って食いやしないよ」
「いえ坊ちゃんが」
「いや俺かよ!もう16だぞ!?」
「ああ、心配です…」
いかにも不安そうな顔つきでアリスは俺を見つめる。いつもピン、と立ったアホ毛が今日は元気なさげに萎れていた。
「んじゃ学院長先生、その時計塔?の場所教えてくれよ。さっくり行って帰ってくるわ」
「待ちな、何普通に歩こうとしてるんだい?」
「……え?」
俺が後ろを振り向いた途端やけに意味深な言葉が飛んできた。普通に歩く?どういうことだ?
「アンタ、脚で歩くの禁止ね。移動は全て触手でやりな」
「おい嘘だろ!?無理に決まってるだろ!これ意外と背中疲れるんだぜ!?」
そう、実の所このウネウネを操る際にもそれなりに背中の筋肉を使うようで実は結構疲労する。悲しいことに天司の弾丸も万能では無かったようだ。
「やかましい!ああ、あとアンタが途中でサボらないよう魔法掛けておくから」
「は?」
ババアが杖を振ると、俺の爆弾付属チョーカーはグネグネと不自然な程に動き出し、真っ黒のマフラーへとその姿を変えた。
「なんじゃこれ!!?」
「首輪に多少の知能と生命力を与えた。アンタの道中の道案内はとりあえずソレに頼んな」
「この学校命を何だと思っているの!?」
「はいじゃあリミットは今日の夕方午後18:00。あたしゃ時間外労働はしないからさっさと帰ってきなよ」
「くそっ、こんなモン外してやる!」
俺がたなびくマフラーに手を伸ばし、無理やり引き剥がそうとすると、突然マフラーの布の質量が膨張し、巨大な拳を形作ると俺の頭に殴りかかってきた。
「ウソだろ」
ゲンコツ。古き良き伝統の一撃が俺の頭にクリティカルヒットしぷくーっとタンコブが腫れ上がる。
「ぼ、坊ちゃん!?」
「ひーんアリス頭が痛い〜!」
俺がアリスの膝に泣きつくと追い討ちをかけるようにビクトリアは言い放った。
「そのマフラー、少なくとも今のアンタの100倍強いよ。まあ今のアンタじゃ到底勝てないだろうね」
こんなただの布キレが?俺は一瞬そう思ったがまた殴られるのは嫌なので押し黙る。俺はアリスの膝の上でたんこぶをさすられながらクソババアに問いた。
「そもそもなんでこんな事やるんだよ?」
「操作性向上のためさ。少なくとも、今ウチに在籍しているリングが使える人間は全員リングで箸を持ってご飯が食べれるくらい精密動作が可能だ。操作性が上がれば必然的に戦闘でのリングの出し入れも速くなる。お前さんみたいにただ殴るだけ、守るだけなんてのはウチの学院には要らないからね、中等部で学ばない分、無理やり高等部のレベルにまで持ってくよ」
「装天とかいうやつは?」
「あんなもん操作性底辺のお前さんは二の次さね。ほら文句言ってないでとっとと行きな!あ、転移黒片は預かるよ、じゃあね!」
俺はアリスの膝元からババアによって蹴り出されると赤い絨毯の上に転がされる。しかし文句のひとつでも言ってやろうと口を開けた途端に床に穴が空いた。
のしかかる重力。遠く離れていく赤い部屋。なるほど校長室は空中にあったのか。イオリは大きく息を吸った。
「テメェ覚えとけよクソババア〜〜〜!!!!!」
その声には若干の涙声が混ざっていたと言う。