第1話 魔女学院へようこそ!
白。目覚めの感想でそれが真っ先に頭に浮かんだ。
柑橘系の匂いが漂う清廉な純白のベッドで俺は目を覚ました。身体中が痛い。軋むような体を起こす。
目が合った。腰まである桃色の髪を後ろで縛った白衣の幼女が丸椅子に座り、俺を興味深そうに覗き込んでいた。
「あ、起きました?」
「え、あ、はい。ここは……?」
「ここは西校舎、保健委員会管轄の第3保健室です。学長に頼まれまして、簡単な手当てをさせて頂きました。この部屋の室長のヒオって言います。…あ、それともう一つ」
ヒオ、と名乗ったどうみても小学生にしか見えないその少女は、何故か俺に頭を深々と下げて謝辞を述べた。
「……あの、ありがとうございました。彼女を助けて頂いて。本当に、本当にありがとうございました」
「え?」
まるで身に覚えが無い、と俺は言うと、おもむろに立ち上がった彼女が隣のカーテンをゆっくり開ける。
するとそこに横たわっていたのは緑がかった入院着を着用し、手足を金属類の拘束具で厳重に固められた長い黒髪の少女だった。
「(……誰?)」
いや、よく見たらあの女の子。どっか見覚えが……。
「ようやく起きたかい!さあさあアンタにゃ聞きたいことが山ほどあるんだ!!付いてきて貰おうかね!」
ぴしゃりと勢いよくドアが開くと、見覚えのあるしわがれた声としわくちゃの顔に長い鷲鼻。間違いなく俺をここに押し込めたあのクソババアだった。
「いや待て待て待て!状況が全く呑み込めない!誰だアンタ!アリスは?そしてここはどこなんだよ!」
「首」
「は?」
老婆がトントンと自分の首筋を触るようジェスチャーする。恐る恐る言われた通りに俺は首筋をなぞると硬い金属製の何かが嵌められていることに気づいた。
「何これ」
「爆弾」
「は?」
この女は何を言っているんだ……?
そんな俺の心境察したのか老婆はニンマリと笑い親指を立てて首に十字を切るポーズをした。
「お前、今日から魔女学院に入れ」
「……なんて?」
○○○○○
首根っこをむんずと掴まれて、随分と長いこと引きずられた俺はカーペットから天井・壁、細かい雑貨にインテリアに至るまで真っ赤に装飾された趣味の悪い部屋に雑に放り込まれる。
「いってえ!何しやがる!」
「坊ちゃん!」
腰をさする俺の元に駆け寄ってきたのはこれまた背の低い美しい銀髪を結った幼女。見慣れない緑色のジャージを着ておりとてもアリスと人相が似ている…と思ったが、いや違う。
「やっぱお前アリスなのか……?」
「そ、そうなんですよ〜!何が起きたのかまるで私分からなくて…」
「ずいぶんちっちゃくなったね…?」
若干涙ぐみながら12歳前後の幼女と化したアリスは俺に訴えかけてくる。以前の毅然とした面影はまるで無い。精神面までも若干子供に退行しているのか?
「何が起きてるかっつったね。お前さん」
老婆は懐から葉巻を取り出して口に加えると、銀色の鷹があしらわれた高そうなライターで火をつけ、イオリに話しかける。
「簡単なこと、それはお前の『魔女』の力がその女の姿を童女に変えたのさ。基本的に天司の弾丸は等価交換を必要としないがお前さんはどうも特例みたいだねえ。そもそも男なのに何故『仙桃』が適合したのか。何故『魔女』の力が発現したのか。それに……」
「…それに?」
「ーー魔王の息子って事もさらに興味深いねえ」
「ーーアリス!」
俺が頭で例の触手をイメージすると背筋が凍るような寒気の後に、サナギが蝶に孵るように背骨ごとバックリと割れ、徐々に背中が熱を帯びてくる。肉を突き破るように六本の胎動する巨大な赤い触手が顕現した。
「保護して頂いた事に恩義はありますが、すみません!」
俺が命令を下すまでも無くアリスは既に『冷えて、朽ちて、死ね』の術式を完成させていた。俺が叫ぶのと同時に老婆へ水滴を撃ち込む。
しかし、その攻撃が成功することは無かった。
老婆の背後で彫像のように固まっていた赤茶色のフルメイルの甲冑が唐突に動き出し、水滴をはじき飛ばしたのだ。逆にその甲冑は身体の一部を引きちぎると、それは三日月状の金属へ姿を変えて、ブーメランのようにアリスに向かって投擲する。
「きゃあっ!」
殺傷力は無かったのかアリスの胸下にぶつかり、そのまま後方に吹き飛ばされブーメランごと壁にくい込み、身動きを封じられてしまった。
そのまま赤茶色の甲冑は動きを止めることなくそのまま俺にタックルの体勢で突っ込んでくる。
「弾き返せ!」
ぬるりとした動きで触手の四本が攻撃を抑えて、後の二本が甲冑の頭とみぞおちの部分を捉え、その塊を振り上げる。
攻撃が当たるーー俺はそう思い自然と手を伸ばした。
しかし。
「なに……!?」
甲冑の騎士は攻撃が当たる直前、ぶるぶると身体が震えたかと思うと、その身体が溶けて液状化し、水溜まりのような姿に変わる。そのままイオリの攻撃は虚しく宙を切ると、水溜まりと化した赤茶色の液体が俺の足元に猛スピードで這いより、足の爪先から目にも留まらぬ速さで身体を這い上がってくる。
当然手でガードしたり身体をくねらせるも指の隙間からその赤茶色のスライムは軽く通り抜けて、あっという間にイオリの口に覆いかぶさった。
「坊ちゃん!?」
「むぐぐぐぐ!!?」!
「よーしよくやったアルバトロス、決着だ。分かったかい小僧。これが実力の差って奴だ。そしてもう一つ。今のアンタは『魔女』の力をコントロール出来ていない。だからアンタの連れは代償として肉体年齢を持ってかれた。いいかいクソガキ、色々ワタシに喚き散らしたがね」
老婆はイオリの口元をアルバトロスと呼ばれた液体ごと顎を掴んで勢いよく引き寄せる。鼻息がかかりそうな距離まで引き寄せられ、彼女の鋭い双眸と目が合った。
「弱いやつは何も守れないんだ、事実、今のお前さんは『天司の弾丸』の一割も引き出せていない。それでどうやってこの女を守るんだい?アンタは次の魔王なんだろう?」
「どこまで知ってんだお前…!」
「安心おしよ、アンタがワタシの言うこと聞いておく内はその首の爆弾は起動しない。別にアンタをお上に引き渡すつもりも無い。ただし、ワタシの実験には付き合って貰うよ!この学園都市で!」
そう叫んだ彼女は勢い良く俺の尻を蹴り上げ、俺はなすがまま転がり、赤いカーテンに激突した。
「いで!」
徐々にカーテンの幕が上がり、外の世界と隔絶された部屋に淡い光が流れ込んでいく。
そこはまるで一つの巨大な国。
箒にまたがった魔女達と未知の鳥種が空を交錯し、宝石と見まごう程のカラフルな建物が建てられた地上はまるで、そこそこの規模の地方都市くらい広い。活発な少女達が街を行き交い、かなり離れているのにその喧騒は窓越しにも聞こえんばかりだった。
「聞いてた報告と違います……これは……」
俺の隣でじっと外の様子を凝視するアリスの顔には戦慄とも驚愕とも取れない表情が浮かんでいた。
しかし実際俺も同じ気持ちだった。
噂じゃあ、ここはあくまで人間の魔女候補生の集まる国立学校に過ぎないと。そこではまるで奴隷同然に国の私兵として育てられる者たちの溜まり場なのだと。
だが実際はどうだ。広大な敷地になんとも楽しそうに街を闊歩する少女たち。その顔には一つの陰りすらも見えない。
「凄いだろう?完全自律運営型の世界で唯一の魔女育成機関。ここに大人はワタシ一人しか居ない!誤情報の流布も大事な仕事の一つなのさ」
そう言うと老婆はヒールを鳴らして、その音に呼応するように俺たちは踵を返した。
「どうだい?良いとこだろう。ここ、国立ガブリエル魔女学院は」
「ひとつ聞いていいか。なんでここまでして俺を勧誘する?俺はお前ら人間たちの敵だぜ?」
すると彼女はきょとんとした表情で、まるであどけない子供のように、あっけらかんと答えた。
「面白そうだから。それ以外に理由がいるかい?」
「…イカレてんのかお前。それとも痴呆か?それ、人間界に対する明確な裏切り行為も良いとこだろ」
「ははは!この学院じゃアタシがルールさ!そして教えてやろう。この学院は治外法権の適応圏内だ。これがどういう事か分かるかい?」
「…アタシがルールってそういうことかよ…!」
「……まさか」
アリスも何かに気付いた様子で俺と目を見合わせる。若干だが彼女の顔が青ざめていくのが分かった。
治外法権とはこの国、リーフィア帝国のルールが及ばない範囲内の事だ。裏を返せばこの学院から出た瞬間に帝国のルールが適用されることになる。そして何故わざわざその事実を俺たち二人に告げたのか。
理由は簡単、『この要求を拒めばお前達二人が学院を出立したその瞬間に人間側として通報なり捕縛なりするぞ』、と暗に脅しているのだろう。俺の首に嵌められた爆弾付きのチョーカーがそれを示す何よりの証拠だ。
「気付いたようだね。だがまあ、アタシも鬼じゃなあない。しっかりとこの学院で勉学に経験を積めば、その女も元の姿に必ず戻せる。それはこのアタシが保証してやる」
「よし分かった。入学させて頂こう」
「何言ってるんですか坊ちゃん!?私のことなぞ捨て置いて下さいよ!」
「やだ」
「そんな子供みたいな…!」
横で喚くアリスを尻目に改めて三角帽子の老婆を見つめ直す。
「話はついたかい。…じゃ、手を出しな」
老婆は右手を差し出し、握手の姿勢をイオリに見せる。
首に嵌められた金属製のチョーカーに熱がこもるのが分かった。
これはもしかしたら罠かもしれない。
もしも、だとしたら。
だがその負の可能性全てを鑑みても、リターンの方が圧倒的に大きいと、俺の長年培ってきた博打のカンが天秤の秤に重きを置いた。
俺は思わず口元を歪ませ、ニタリと笑ってその手を取った。
「今日からよろしくお願いしますよ、腹黒クソババア」
俺はその手を握り返すとババアはにんまりと口角を釣り上げてヒッヒッヒ、と気味の悪い笑い声をあげてこれみよがしに両手を天に突き出した。
「魔女学院へようこそ!クソガキ!ワタシの名前はビクトリア・コスモス!あと次クソババアって言ったらそのそっ首爆発させるからね!さあ受け取りな!」
ビクトリアが何かを二枚投げて俺たちはそれをキャッチして覗くと一枚の漆黒のカードだった。
「それは言ってしまえば簡易瞬間移動装置。場所の名前を念じるとその地点の座標へと飛ぶことが出来る」
カードの右上を指差しビクトリアは続けて喋った。
「忘れるんじゃないよ?建物の名前は『ペントライク院』。似たような名前の建物もあるから絶対に忘れるんじゃないよ!明日からは忙しくなる、今日は精々グースカ寝て英気を養いな!」
ビクトリアは反論や質問すら受け付ける素振りも一切見せずまくし立てると、直後ぱちんと指を鳴らしたかと思えば俺たちの目の前から消失した。本当に急に。
いや訂正しよう。何気なく瞬きをした瞬間、今まで居た筈の赤い部屋が消え失せたのだ。
最後に彼女のしわがれたニヤけた口元が少々記憶に残るが、まあいいか。
一陣の風が吹いた。
思わず2人とも顔を見つめ合ってパチクリ何度も瞬きをした。どこまで行っても青い草原が辺りに広がっていて、とうの昔に壊れたあばら家がそこにあるだけだった。まるで狐につままれたような気分だった。
「……お坊ちゃん本気ですか?ここに入学するって事は魔界の住民からしたら背信行為もいいとこですよ?」
「そうだろうな」
「ならーー」
「でもな。俺は見たことすらない大多数より、目の前のメイドの方が大事なんだ。ごめん」
「……魔王に仕えるメイド隊の一人としては、ここで坊ちゃんを叱りつけるのが定石なんでしょうね。時期魔王候補として失格ですよ、と」
「…怒んないの?」
「…………正直、ここまで大事に思われてると思わなくて…ちょっと、嬉しい、という感情の方が大きくて…メイド失格ですね。わたし」
なんだか変な空気に変わり、俺は恥ずかしくなって思わず顔を逸らした。
「よし!今日はもう休もう!疲れた!」
その様子を見てアリスも頬を染めて俯いた。
「そ、そうですね坊ちゃん!えーと、カードに向かって名前を念じればいいんでしたっけ……」
アリスは額に黒いカードを当て、ゆっくりと瞳を閉じる。
すると数秒後、本当にアリスの身体が光に溶けるようにその場から消失した。これは転移出来た、という事なのだろうか。
慌てて俺もカードを見つめ、頭で教えられた名前を念じる。ええと……
「(あれ、名前なんだっけ。パントマイム院…違う、ガンライト院…違う……パントライト院)」
適当に名前を連ねて行ったかと思えば、どれが引っかかったのか分からないが何か強い力で上に引っ張られる未知の感覚に陥った。名前と座標が合っていることを切に祈る。
「(へえ、すげーや。これで瞬間移動するのかあ)」
なんて呑気に構えていたのが行けなかった。
あのババアは言っていた。
名前を間違えるなよ、と。
気がつくとイオリはやけに暑い部屋に転移していた。蒸し暑くてなんだか水っぽい。
「あっつ……」
思わず上着を脱いで、手で顔を仰ぐ。
「どこだよココ……」
きょろきょろと辺りを見るとそこはまるで密室だった。目の前には温度計が置かれ、俺は木の椅子に被せられたタオルの上に座っていた。…サウナみたいだ。
「!?」
その蒸気から発せられるむせるような温度にイオリはたまらず立ち上がり、出口の扉に手を掛けた。しかし俺が手前に引くと同時に力が外から加わり何が何だか自分でも分からないうちに扉は開く。
いや違う。これは。
何者かとタイミングよく扉を開けるタイミングが重なり合った、という方が正しいか。
俺に引っ張られるような形で小さな断末魔と共に何かが俺に覆いかぶさり、床に倒れ込んだ。やけにいい匂いのする柔らかい感触がたまらず開けた口に飛び込んでくる。
どんな馬鹿でも分かる。
これは、女だ。
思わず覆い被さるそれを跳ね除けようと、手を伸ばした。
同時に響く心からの悲鳴。
「キャアアアアアア!!!!?」
最悪の学園生活が、幕を開けた。