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死にたがりゴキブリ

作者: ウナル

 恥の多いゴキ生を送って来ました。


 私にはゴキブリのまま生きるということがどうにも我慢できません。


 醜い顔、気味悪く動く手足、テカテカと光る身体、長い触角。


 身体は潰される前から潰れたみたいに平べったいのです。


 そして、身体の中には無数の微生物がいて、動物の死骸や糞なんかを食べながら生きているのです。


 無数のゴキブリがエサに群がる姿を想像して御覧なさい。誰しもおぞましく感じることでしょう。少なくとも可愛らしいと感じる人は少ないと思います。


 私が一番辛い時は仲間たちと顔を付き合わせる時なのです。


 否応なしに自分はゴキブリであると自覚させられます。


 私にはゴキブリの営みというものがわからなくなってしまいました。


 忌み嫌われ、追い立てられ、それでも生きていく理由などあるのでしょうか。


 しかしながら、スリッパで叩かれてもそう簡単には死なないくらい、身体だけは丈夫なのでした。


 そして、ゴキブリは世界で一番不要な生き物であると思っていても、それを仲間に言う出すこともできず、ヘラヘラと触角を揺らして、愛想笑いを振りまいてしまいます。


 まるで道化です。


 恐らく人間にはゴキブリ一倍醜いゴキブリとして映ることでしょう。




◆    ◆    ◆




 今日もまたエサを求めて走り回ります。


 天井裏を、キッチンの隅を、床を、壁を。


 この家は快適です。


 アパートの一室で、それなりに散らかっています。


 女子短大生の部屋らしく、可愛らしいぬいぐるみなどが置いてあり、一見片付いているのですが、物が多く、部屋の端々まではそうじが行き届いていないので、いくらでもエサを探せます。


 女の人の部屋というものはそれなりに綺麗に片付いているものだと私はかってに想像していたのですが、どうにも違うようです。それがこの住人固有のものなのか、普遍的なことなのかは私にはわかりません。


 私が生まれたときにはすでにこの部屋に巣があって、そのまま育ったからです。

 

 いわゆる親の七光りというやつです。


 この安住の地から出て行けない自分の甲斐性の無さも恥の上塗りをしているように感じますが、外に出て行く勇気も私にはありません。

 

 とはいえ、常に大量の食料があるわけではありません。

 

 外に飛び出すとまではいかずとも、エサを探して他の部屋に行くくらいのことはしないといけません。

 

 私は率先して他の部屋にエサを探しに行きます。


 これは私が働きものだからなどという立派な理由ではなく、この部屋にいるといたたまれなくなるからです。


 綺麗なぬいぐるみが、芳香剤の香りが、色鮮やかな家具が私を責めているように感じるためです。


 茶色の毛並みのくまがつぶらな瞳で言うのです。



 お前はなんで生きているんだ、と。



 そんな言葉を聞きたくないので、その部屋から出て行くのです。


 隣の部屋には男の人が住んでいます。


 綺麗好きなのか、神経質なのか、それなりに片付いた部屋で、どちらかというとこの部屋の方が住みづらいです。


 キッチンに向かうと太郎がいました。


 太郎は私と同じゴキブリで、私よりも一回り小さなゴキブリです。


 ガツガツと意地汚く生ゴミを食べる太郎の姿に私は嫌悪感を隠せません。


 太郎というゴキブリは仲間の仲でも貧弱な身体をしており、以前人間に追い回されたせいで右の足が一本取れていました。顔は私から見てもブサイクでゴキブリというよりは深海魚のそれを思わせるような潰れた目と口をしていました。頭も悪く、足も遅い、劣勢の遺伝子を一身に受け継いだようなゴキブリでした。


 そのくせ、人一倍意地汚く、こうしてアパート中を駆け回りエサを探しては飛びつくのでした。


 性格もひどいもので、あいさつもろくにせず、人が食べているものを横から口を出すようなゴキブリでした。こんなゴキブリですから、私だけでなく仲間のゴキブリからも嫌われている

ゴキブリの中のゴキブリでした。


 ですが、私はこんな太郎にすら劣等感を抱いてしまうのです。


 いえ、これは同族嫌悪というものかもしれません。太郎を見ていると自分の恥部を指摘されているような非常に気持ちが悪くなるのです。


 そして、こんな気持ちを抱いている太郎にさえ、私は愛想笑いを作ってしまうのです。


 そして、不自然ではない程度の速度で生ゴミに近づき、口を付けます。


 生ゴミを咀嚼するたびに私は自己嫌悪に陥ります。



「        」



 ボソッと太郎が何か言いました。



「太郎さん、何か言いましたか?」



 何千何万回と繰り返したネコなで声。


 相手に嫌悪感も敵意も抱かせない研究に研究を重ねた声です。


 そして、顔は笑みを作り、爽やかに太郎さんの方を見ます。


 自分でも吐き気がするほど素晴らしい道化っぷりです。



「お前気持ち悪いな」



 その一言で私は発狂しそうになりました。


 口から内臓をぶちまけそうです。


 一瞬で見慣れたはずの台所は赤く燃え上がる地獄の業火に化し、この身を焼くようです。



「な、なんぅ……」



 何を言うんですか? 


 そんな言葉を言おうとしました。でも、うまくいきません。ガチガチと口が勝手に動き、全然私の言う通りに動いてくれないのです。


 太郎は私に目もくれず、生ゴミを食べながら言います。



「お前何か気持ち悪いんだよ。いつもヘラヘラ笑ってさ。周りに媚びてる。俺は別にいいけどさ。周りの連中は迷惑してるんじゃねえの?」



 頭をハンマーで殴られたような衝撃とはこういうものでしょうか?


 太郎の言葉を聞いた瞬間、私は間違いなくハンマーで殴られました。


 頭部に強い衝撃を受けて、グラグラと身体が揺れます。


 もはや、笑みは笑みではなく、ヒクヒクと顔面を痙攣させているかのような代物に変わっていました。



「それにお前、俺たちのこと見下してるだろ。愛想笑いしてヘコヘコしてるけど、実際は俺たちのこと見下してるだろ」



 もう、私はお終いなのだと思いました。


 太郎は私の心を見透かしたかのように、心をえぐる言葉を放ってきます。


 私の中の、私すら金庫に入れて隠していた不安、恐怖を太郎はあっという間に見つけ出し、あろうことか私の目の前でぶちまけたのです。


 恥の多いゴキ生でしたが、もはやここまでです。



 わああああああぁぁ!!!!!



 そう叫びだしたい衝動を必死に抑え、私は太郎から離れていきました。


 もう、一秒たりともここにはいられません。


 太郎は何も言わずゴミを食べ続けます。


 最後まで私には見向きもしませんでした。




◆    ◆     ◆




 それからの私の生活は不信と不安の日々でした。


 太郎はあの通りのゴキブリでしたから、他のゴキブリに私のしゃべってしまうのではないかと疑心暗鬼に駆られた私は他のゴキブリの前ですら不安に駆られてしまいます。


 周囲に居る仲間たちが、次の瞬間には私を見て、襲い掛かってくるのではないかという妄想を常に抱くようになりました。


 ぶるっと私は身を震わせます。


 あの日から私は彼の死ばかりを願っています。


 死んでくれ。死んでくれ。頼むからこの世からいなくなってくれ。


 私は自分の死を願うのと同じくらい彼の死を願いました。


 しかし、私の必死の願いは届かず、太郎はのんきな顔でエサを求めて走りまわるのでした。


 やむをえず、私は次善の手を打つことにしました。


 太郎を味方に引き込むのです。


 太郎に同情させ、愛情だのを育み、手なずけるのです。


 とにかく、自分の側に置いておく理由が欲しかったのです。自分が見張っていれば、太郎は変な気を起こしはしないだろうと、かってに私の中で結論を出していたのです。


 それからの私はさぞかし滑稽な姿だったでしょう。


 みなが嫌う太郎の尻を追いかけ、親しげに話しかけるのです。


 そのたびに私は死にたいと思い、死ねと願いました。



「ねえ、太郎さん。隣いいかしら?」



 これ以上無いほどの優しい笑顔を浮かべ、首をかしげて太郎に近づきます。もちろん声はネコも殺せるほどのなで声です。


 にんじんに噛り付いていた太郎は身体を半歩横にずらしました。


 そこに身体を入れると、自然と太郎と身体をくっつけなくなり、そのぬめぬめとした肌さわりに私は泣きそうになりました。


 しばらくは黙々と食事が続きました。


 太郎は元来無口なので、私の方から話を振らないとまったく会話が成立しません。



「なあ」



 しかし、今回は珍しく太郎の方から話を振ってきました。


 私はギクリと身を硬くして、太郎の方を見ます。


 正直、何を言われるのか不安で、気が気ではありません。



「なあ、お前はなんでみんなが嫌いなんだ」



 ズキッと心に矢を放たれたようです。


 思わず辺りを見回して誰もいないか、確認したくなりました。


 ですが、そんなことをすれば、太郎は不快に思うでしょう。私はその衝動をぐっと我慢して答えます。



「別にみんなが嫌いなわけじゃないよ」



 不自然ではないように答えられたと思います。



「じゃあ、なんだよ」



 太郎はギロギロとした複眼を私に向けます。


 もう私は太郎には嘘はつけないようです。


 全て見透かされているなら、全部ぶちまけてしまえ。



「私はゴキブリが嫌いなんだよ。ゴキブリ全部。あいつもこいつも私もお前もみんな嫌いなんだよ。こんな生物が地上に居るべきではないと思うよ。ただ、周りに迷惑かけることしかできない生物なんて生きてる意味ないよ。だから、私はゴキブリが嫌いなんだよ」



 自暴自棄になった狂人のように私は吐き出すように言いました。


 太郎はそれをじっと聞いていました。


 それからポツリと言うのです。



「じゃあ、俺なんかは真っ先に死ぬべきなんだろうな」



 思わず太郎の方を向いてしまいました。



「俺、バカだけどみんなが俺を嫌っていることくらい知ってる。そりゃ俺はチビで足が一本ないし食い意地はってるからな。みんな俺を嫌うよ。お前だってそうだし」



 モゴモゴと太郎はにんじんを口の中で細かく砕きます。


 ふと、太郎は壁を見やります。いえ、本当は何も見ていないのかもしれません。



「知ってるか? 世の中にはゴキブリ愛好家っていうのかいるらしいぞ。緑色のゴキブリとか斑紋入りのゴキブリとか育てるらしい。そいつらはたまたま綺麗に生まれたってだけで毎日美味しいエサを食べて生きていけるんだ。俺なんかはよほどの愛好家相手でも見向きもされないだろうな」



 太郎の複眼が寂しげに揺れたような気がします。


 もしかしたら太郎も私と同じ、死にたくなるような屈辱を味わってきたのかもしれません。太郎は身体的なハンデを持っているからなおさらです。



「そんなつもりで言ったつもりじゃないの……」



 なぜかいたたまれなくなって、思わず太郎に謝罪を述べていました。


 もしかしたら、この言葉は私のゴキ生の中でもっとも自然に出た言葉かもしれません。



「いいさ。だいたい人間どもっておかしいよな。全然違う動物を見比べて綺麗だの汚いだの。だいたい俺とカブトムシも大差ないよな。あーあ、俺にも角があればなー」



「いくらなんでもそれは無理じゃない?」



 不思議と笑いがこみ上げてきます。


 なぜだろう。太郎と一緒にいることが不思議と安心します。


 さっきまで殺したいほど憎んでいたのに。


 殺されたいほど嫌っていたのに。


 太郎もちょっと気恥ずかしそうに笑いながら、もしゃもしゃとにんじんを食べます。


 私もその横でにんじんをかじろうとします。


 あんまりにも心落ち着く時間。


 だからでしょうか。


 背後から迫る天敵に私たちは気づきませんでした。



 パンッ!!



 小気味いい音がして、太郎が潰れました。


 五本の手足が吹き飛び、内臓が床に飛び散ります。


 私はにんじんを落として、太郎を潰したものを見ます。


 それは人間でした。


 そう、この部屋の女の人です。


 普段くまのぬいぐるみを抱いて愛らしく電話をしている彼女は、今はスリッパを振り上げ、悪鬼羅刹のような表情を浮かべています。


 なんでお前がここにいる。


 なんでお前は生きている。


 死ね。死ね。死ね。


 そんな思いが津波のように私に伝わってきます。



「わああああああっ!!」



 私は叫びながら必死に逃げ回りました。


 恥も外聞もありません。


 ただ死にたくないという思い一つで私は走ったのです。


 ですが、人間からそう簡単に逃げられるはずもないのです。



 パンッ!!



 私はスリッパの一撃を受けて、下半身を潰されました。


 それでも私はなんとか生きています。


 でも、もう逃げることはできません。


 仮に逃げられたとしても、私はもうだめでしょう。せいぜい仲間のエサになるくらいのことしかできません。


 見えればスリッパは天高く振り上げられ、私にとどめの一撃を放たんとしています。


 満身の力を込め、彼女は私を殺すでしょう。


 私は思わず叫んでいました。



「人間め! そんなに私が憎いか! そんなに私を殺したいのか! 

 

 私のどこがいけないというのだ!? 

 

 見た目で! 食べ物で! 行動で!

 

 差別するのがそんなに好きか!?

 

 そんなに比べて殺したがるのか!?

 

 お前らがゴキブリの何を知っている!!

 

 死ね! 死ね! 死ね!

 

 お前らみんな死んでしまえ!!」

 


 最後に聞いたのは、自分が破裂する音でした。




    END



作者HP

http://blackmanta200.x.fc2.com/

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― 新着の感想 ―
[良い点] ゴキブリの気持ちが上手く反映されている作品ですね。面白かったです。 [一言] これ読んだ後ゴキブリ出てきても……絶対殺せません(´;ω;`)ウゥゥ 昨日部屋にいたゴキブリ……ごめんよぉ号(…
[一言] 面白かったです。ゴキブリ一倍醜いゴキブリ >>>ゴキ一倍醜いゴキブリのほうがいいかもと勝手に思いました。 最後のすっきりとした終わり方はいいですね。
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