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私と玉彦の正武家奇譚~学生編~  作者: 清水 律
第一章 わたしと玉彦の四十九日間
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7


 二人の間には黒く丸いお盆に乗った、麦茶のグラスが二つ。


「飲め」


 どうして命令口調なのかとイラッとしながら、それでも喉が渇いていた私は遠慮なくグラスを手に取った。

 指先に冷たさが伝わり、ゴクリと喉が鳴る。


「いただきます」


 そして私は一気に飲み干した。

 麦茶は、今まで飲んできたどれよりも美味しかった。

 すーっと身体に冷たさが広がり、汗が引いていく気がした。


「美味いだろう? もう一杯飲むか?」


 玉彦は自分の分のグラスも私に差し出す。

 私はそれを受け取り、また飲み干す。

 はぁ、と一息ついて私はグラスを置き玉彦を見た。


「ごちそうさまでした」


「まさか表門から来客があるとは思わなかったぞ」


 かみ合わない会話に苦笑いして、言い訳をする。


「こっちに来たばかりで、何があるのかと思って」


「父を知っているなら、ここに何があるのかわかっていたんじゃないのか?」


「知ってるっていうか、お父さんのアルバムを見ただけなんだ」


「そうか。合点がいった」


 そう言って玉彦は顎に手をやり、空を見上げる。

 私もつられて空を見たけど、そこには青空と雲しかなかった。


 空が近い、と思った。

 小高い山の上にあるお屋敷だからではなく。

 空気が澄み渡っていて、ビルとか視界を邪魔する人工物がなくて、青空だけが広がる。


 そこに先ほどの男の人がクッキーとペットボトルのコーラを二本持ってやって来た。

 作務衣に洋風の物のアンバランスさにちょっと笑ってしまう。


「こちらへは皆さん、車道のある裏門からいらっしゃるんですよ。私、南天(なんてん)と申します」


 南天さんからコーラを受け取りながら、説明を受ける。


「無駄に長い石段ですからねぇ。誰も登りたくないですよね」


「はぁ……」


 じゃあそこから来てしまった私は、変わり者ということか。


「もういいぞ、南天。あとは俺が接待する」


「かしこまりました」


 玉彦の言葉に南天さんは軽く頭を下げて、屋敷の中へと消える。

 南天さんに対して偉そうに言う玉彦は、足を崩して前に投げ出した。


「お前も楽にしていいぞ」


「あ、うん」


 私も正座を崩して玉彦と同じ姿勢になる。

 朝からずっと歩きっぱなしだった足のだるさが急速に広がっていく。


「南天さんってお兄……」


「付き人だ」


 会話終了。

 あんな大人な人が付き人って、玉彦は何なのだろう。

 お父さんの付き人さんなのかな。


「玉彦は何さ……」


「中一だ」


 やっぱり同い年かよ。

 それにしてもこの、話を最後まで聞かないのは何なのか。


「玉彦さ、人の話は最後まで聞いた方が良いと思う」


 私は思ったことを口にする。

 玉彦は少し驚いたように目を見開き、口の端を歪めた。


「お前の質問は予想が出来てつまらん」


「あぁそうですか」


 そこで私はもう口をつぐんでしまった。

 コーラ飲んだら、帰ろうかな。

 そんなことをぐるぐる考えながら、手元のコーラの炭酸が弾ける様をずっと見ていた。


「……すまない」


「え?」


「気を悪くしたなら謝る。すまない」


「そういう訳じゃないけど」


 玉彦は困ったように眉間に皺を寄せている。

 そんな大げさに謝られても。


「お前の様な人間はあまり会ったことがない」


「は?」


「だからどう接していいのかわからない」


「なにそれ。玉彦、学校でどういう生活してんの? ていうか、今日学校行かないの?」


 普通の学校生活してるなら、友達とかと話するだろうし、女の子とだって接したことはあるはずだ。

 それに今日は平日。

 お祖父ちゃんの隣に住んでいるまだ会ったことないけど、亜由美ちゃんは学校へ行っている。

 だから玉彦も今日は学校のはずだった。


「しばらく学校へは行けない。父が帰ってくるまでは無理だ。生活は普通にしている」


「何でお父さんが帰ってくるまで行けないの?」


「話せば長くなるから、そういうものだと思え」


「玉彦、もしかしていじめ……」


「お前、喧嘩売ってるのか」


 玉彦は口をへの字にして私を睨みつけた。

 私も負けじと睨み返す。

 さっきはあんなにしおらしく謝ってきたくせに。


 こっちは心配して聞いてあげたのに、そっちがそういう態度なら別に私が謝ってまでここにいる必要なんてない。


「帰る」


 私は麦わら帽子を目深に被った。

 視界の端に、私の帰る宣言に何故か衝撃を受けて目を見開いた玉彦が、うつ向いたのが見えた。

 私は立ち上がるついでにクッキーを一枚、口の中に放り投げる。


「あ、美味しい」


 思わず口にすると、玉彦は私を見上げ、ニヤリと笑う。


「南天が焼いたんだ」


 まさかの手作り。

 甘すぎず、ちょっと塩味が効いている。


「明日はプリンだ」


 そう言うと玉彦は、その涼しげな目で私の返答を待っていた。

 コイツ、プリンで私を釣ろうとしている。


「へぇ~そうなんだ」


「そうだ」


「私帰るね。ごちそうさまでしたって、南天さんに言っておいてね」


 自分の思い通りにならなくて、玉彦は右の掌で両目を覆う。

 その仕草がちょっと可愛くて、私はにやけそうになる口元を引き締める。

 そしてもうちょっとコイツに意地悪なことを言ってみようと思ってしまった。


「明日も学校行かないの?」


「行けない」


 この時の私は深く考えていなかった。

 玉彦が言った「行かない」ではなく「行けない」の違いを。


「じゃあ明日も玉彦はここで暇している訳ね」


「そうだ」


「そっか~。お互い暇人だね」


「……」


 玉彦はきっと一人でお屋敷で暇をしているから遊び相手が欲しいのだろうけど、そう簡単に思い通りになってやるかってーの。

 どちらが優位にあるのか、こういう時は最初が肝心なのだ。


「じゃっ!」


 私は片手を上げて、玉彦に背を向けると入り口の門へと歩き出す。

 あと少しで門をくぐるという手前で、追い掛けてきた玉彦に二の腕を掴まれた。


「明日も、来い」


「来い?」


「おいでよ? 来てください?」


 無表情のまま首を傾げ、必死に言葉を探す玉彦のサンダルは木の根元にあり、彼は裸足で駆けてきていた。


「良いよ」


 私はそれがちょっとだけ嬉しくて、玉彦の誘いを受けることにした。


「何時に来ればプリンはあるの?」


「昼過ぎには……。でも朝から来て夜までずっと居れば良い」


「いや、さすがに夜までは無理だよ。お祖父ちゃん心配するもん」


「そうか……。残念だ」


 がっくりと落とした玉彦の肩に、掴まれていない方の手を乗せる。

 すると玉彦は弾かれたように私に視線を合わせた。


「夜までは無理だけど、朝からは来れるよ」


「早起きして待ってるぞ」


「いや、朝ごはん食べた後で来るから、普通に起きなよ……」


「わかった」


 そこでようやく玉彦は私を掴んでいた手を離した。

 掴まれていた腕が少しだけ熱く感じる。


「また、明日ね」


 私は門を抜けると振り返り、玉彦に手を振る。

 それに応えた玉彦の後ろには、頭を下げる南天さんが見えた。


 そして私は夕陽になりつつある太陽を追い掛けるように、お祖父ちゃんの家へと帰ったのだった。

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